懊悩
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風生みの森を発った私達は、チュベルーズが言った"湧き水の祠"と呼ばれる遺跡へと向かっている。ここからは2ヶ月はかかる道程だが、問題は無い。私の器は二人の精霊を丸ごと吸収したことでさらに機嫌を良くしたのか、それとも単に舌が肥えたのかは不明だが、旦那さまの魔力ではあまり快感を伴わなくなった。これなら長旅になろうとも、必要以上に体力と気力を消耗することもないだろう。
淡々と旦那さまの魔力を吸いとると、また淡々と紅茶を用意し、暇があれば弓を構える。無感動なルーチンワークを繰り返す中、魔獣の数がますます増えているような気配以外は順調に旅を進めていた。今は旦那様が馬を操っている。
シアが無表情のまま紅茶を飲む中で、セレスタン様はあくまで私のことを案じてくれていた。
「コレット、大丈夫か?」
「はい、シアの言う"はれつ"の気配は無いと思います。今ならどんな魔力でも吸うことが出来そうです」
「いや、器の方ではない。その……辛いんじゃないのか。二人も精霊を吸収したとあっては、流石に……」
「大丈夫です。チュベルーズとアリストロシュから受け取った魔力を、無駄にするわけにはいかないですから」
「……そうか」
言葉とは裏腹に、セレスタン様の声は浮かない。だが、精霊たちの犠牲を無駄にするわけにはいかないのだ。もはや私の器は、私だけのものではない。この国の精霊たちの命によって磨かれた物であり、自分の体質を改善させるなどという身勝手な理由で魔王になって良いものではない。
少なくとも私はそう考えてはじめていた。これまでの私から生まれ変わり、真に魔王として覚醒し、彼らの命に対して対価を支払う必要がある。私一人の幸せでは到底足りない。四大属性全てに報いなくては、魔王になってはいけないような気がした。
ここまで沈黙を守ってきたシアが、表情を変えないまま口を開く。
「おねえちゃん」
「はい?」
「おねえちゃんが望む魔王でいいんだよ」
それは、アリストロシュの言葉だった。わかっている。私が望む魔王とは、彼らのために生きる魔王だ。彼らから預かった力と生命を、意味のあるものにする魔王だ。
「はい。わかっています」
「そう?」
「はい」
それだけ呟くと、シアはガラスのような瞳で外を見た。心なしか、これまでで最も心通わない会話だったような気がする。私は何か間違っているのだろうか。それとも、魔王になろうとしたこと自体が間違っていたのだろうか。
湧き水の祠まではまだかかる。私ももっと考えなくてはならないだろう。魔王になった後で、まず何をしたいかではなく、何を為すべきなのかを。
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「ここが湧き水の祠…?」
「うん」
「すごい光景だな…滝に囲まれていながら、自らも滝を生み出している。一体どこからこんな量の水が湧き出ていると言うんだ」
巨大な滝に囲まれたその遺跡は、山の渓谷をいくつか超えた先にあった。普段ここまで到達する人間など存在しないのだろう。遺跡は全体的に苔むしていて、人が来た痕跡は一切見当たらない。
つまり、この遺跡の中に水の精霊がいるということか。早く行って、魔力を受け取らなくては。
「行きましょう」
「待って」
珍しく、シアが私の腕を掴んで止めた。シアの魔力が一気に私の中へ流れ込んでくる。そのあまりの量と質に驚いたが、それよりも私の腕を掴み続けること自体がまずい。私は焦りながらも丁寧にシアの手を取り外した。
「シ、シア!いくらなんでも危ないですよ!?」
「ねえ、おねえちゃん。魔王になったら何がしたいか、わからなくなっちゃった?」
……シアは私の悩みと迷いを、正確に見抜いている。
旅立つ前の私であれば、好きな人と…セレスタン様と抱き合いたいと即答できたはずだ。だが、4属性の精霊を全て完全に吸収しなくてはならないと知ってからは、そんな当たり前の幸せを望むためだけに彼らを犠牲にしていいのかと考えだしてしまっている。
彼らの犠牲に報いなくてはならないという思いが、自分の幸せを優先させなかった。
「……今はまず、魔王になることが先決です」
だから私は、シアの簡単な質問に答えることが出来なかった。その言葉に反応したのは、シアでもセレスタン様でもなく、旦那様だった。心なしか、少し怒りを滲ませている。
「コレット。お前は魔王を何だと思っているんだ?」
「何…とは?」
「お前、魔王になったら何か大きなことを成し遂げないといけないと、そう思い込んでいるんじゃないのか。精霊たちを消したことに責任を感じているんだろ」
そんなに私はわかりやすいのだろうか。誰にも相談せずに悩んでいたことが、こうも簡単に看破されるだなんて。だが…この悩みは、私にしかわからない。そう思うあまり、棘のある言葉を選んでしまう。何故かはわからないが、無性に苛立ちを抑えられない。
「旦那様に何がわかるんですか?」
「わかるさ。俺だって勇者の器持ちだ。お前と違って触れるものの魔力を奪うわけじゃないが、普通の人とは言えない体質を持っている。勇者と呼ばれてからは、何か勇者らしいことをしなくちゃいけないんじゃないかとか、そんなことも考えたさ」
分かったようなことを言わないでほしい…!
私のこの苦悩を、私以外の誰かにわかるはずがない!
「やっぱり旦那様はわかっていません!旦那様は勇者になるために誰かを犠牲にしたことがあるのですか!?私は精霊を犠牲にしなくっちゃ魔王になれないんです!そんな私が、彼らに何も恩返しもせず、幸せになっていいはずがないじゃありませんか!!」
「お前は一人で悩みすぎている。そんな難しい話じゃないんだ。俺たちはお前を魔王として君臨させるために付き合っているんじゃない。ただひとえに、お前に人並みの幸せを手にしてほしいから協力しているんだ。セレスタンも、シアも、俺も、そしてお前を送り出してくれた人達もだ」
「それは精霊を犠牲にするとわかる前の話です!そもそも魔王とは一体何なのですか!?精霊を喰らわなくちゃ、今度は世界中の生物の魔力と生命を喰らいだすッ!魔力を喰らわなかったら今度は悪意を奪って私を操ろうとするッ!まさに世界の害悪じゃありませんかッ!どうして…どうして私が魔王なんですか!?」
「コレット」
セレスタン様が、私を後ろから体を抱き寄せた。セレスタン様の魔力が一気に流れ込んでくる。冷たくもどこか温かい、いつものセレスタン様の魔力だが、その勢いは旅に出る前の比ではない。
「セ、セレスタン様!?駄目です、離れてください!」
「コレット、僕は君が魔王になってくれると知って、嬉しかったんだ」
嬉…しい…?
何を言われているのかが理解できない…私が魔王になって、どうしてセレスタン様が喜ぶの?
「魔王は討伐されても長い年月を経て復活するが……コレットが魔王になってくれるなら、きっと世界は平和なまま、これまで通り君と過ごせると思った。精霊たちもきっと同じだ。コレットが何かを背負う必要は無い。僕らも、そして精霊も、君に魔王らしく振舞ってほしいだなんて思っていないんだ」
「そんなこと許されるわけがありません!!」
「僕が許す」
セレスタン様は、離れるどころかむしろ私をさらに強く抱き寄せた。
「世界中の人々が君を許さなくたって、僕が君を許す。だから…人間としての幸せを諦めないでくれ。僕を頼れ。いざとなったら君と一緒にどこまでも逃げてやる。戦いたければ一緒に戦ってやるから」
「俺も力になる。帰りを待っている皆もそうだ。だから、独りで思い悩むな」
旦那様も私の肩に手を置いてくれた。二人の優しさと温度を感じ、ささくれだった心が癒され、ポロポロと涙が流れ落ちた。
「…ごめんなさいっ…!セレスタン様…旦那様…!…だけど、こんな私が、精霊を犠牲にしてまで、幸せを求めていいのでしょうか…!もう、わからないんです…!自分がやってることが正しいのかどうか、全然…!」
「おねえちゃんは悪くないよ」
シアが魔力を吸われるのも気にせず再び私の頬に触れた。
「わたしはおねえちゃんに、幸せになってほしいの」
「シア…」
「精霊達もわかってる。だから迷わないで」
「コレット。もしどうしても理由が欲しいなら、世界を護るために魔王になるんだと考えろ。お前がならなければ他の誰かが魔王になる。だから世界に牙を剥かないために、その誰かに代わって魔王になってやるんだと胸を張れ」
「旦那様…!」
直後、ぐらりとセレスタン様が体を崩して倒れかけた。咄嗟に旦那様が支える。やはり、魔力を吸われ過ぎたらしい。
「セレスタン様!大丈夫ですか!?」
「はぁ…!はぁ…は、ははっ、情けない。ほんの少し抱き寄せただけでこれだ。コレット、魔王になったら、もっと長い時間触れ合うことが出来るようになるんだろう?僕はとても楽しみにしているんだぞ。だから…頑張れ。あと少しなんだから」
セレスタン様の激励が胸にしみた。まだ迷いはある。器が大きくなるにつれ、心の中の闇も大きくなっているような気もした。言葉の端々に棘が生えていることも自覚し、それが学生時代を彷彿とさせた。けれど…それ以上に、今は皆の優しさに応えたかった。
「…わかりました。私はもう、迷いません。覚悟を決めます。水の精霊様と地の精霊様には申し訳ないですが、頭をお下げして魔力を頂きます。だから皆さん、旅が終わったら、ダンスパーティーを開きましょう。誰も魔力を気にせずに、皆と触れ合えることの幸せを、ダンスをしながら噛み締めたいんです」
「いいぞ、コレット。またたっぷり足を踏んでやる」
「また練習の日々が始まるな、セレスタン」
「ケーキ用意してね」
きっとこの3人がいなかったら、私の心は折れていたと思う。
感謝の念を新たにすると、器の闇が少し薄れた気がした。今ならきっと、水の精霊様の魔力を迷いなく受け取れるはずだ。
「…行きましょう」
「いってらっしゃい。セレスタンとわたしはここで待ってる」
だが、いざ出発だと足を踏み出そうとすると、シアが断りの声を上げた。これまで率先して精霊の居場所まで誘導していただけに、その言葉は意外だった。
「え、一緒に行かないの?」
「セレスタンに大事な話があるから」
「僕にか?」
セレスタン様も意外そうだ。だが、無表情な瞳の中に決意したような光を見て、ただ事ではないことが伝わってきた。どうやら、二人きりで話すべきことがあるらしい。
「…わかった。コレット、ここからならすぐにあの遺跡に入れる。何かあったら叫べば駆けつける。アレックス、コレットを頼むぞ」
「ああ、任せろ。シア、セレスタンを頼む。だいぶ疲れているからな」
「うん。頑張ってね」
ひらひらと手を振るシアに見送られながら、私は旦那様と二人で遺跡の内部へと入っていった。遺跡の中は想像通り水で溢れていて、常に水が流れる音が聞こえている。
そしてその奥に、一人の青年が立っていた。青い髪、青い瞳。セレスタン様に少し似ているが、彼よりも温和で、優しい風貌をしている。
「…来たね、コレット。待っていたよ」
だが温和な印象とは違い、彼こそが最も苛烈で、そして最も私を惑わせた精霊だった。
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