夜道を照らす灯り
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両親に対する憎悪は、私の中にある最も深い闇だった。私のことを抱けなかったことを嘆いた母も、親としての接し方が分からなくなっていた父も、どちらも自分なりに私のことを愛してくれていたと思っていた。だが、フルールの魔力を吸ったことをきっかけに理性を取り戻した私に対して、両親が放った言葉は子供に向けるものではなかった。
『まさか学友の命さえも奪おうとするとは……!!コランティーヌ!!貴様の行いはどこまで正義に反すれば気が済むというのだ!!』
『ま、待ってお父様!フルールに触れたことで、私は自分を取り戻せたのです!今までの私は私じゃないの!』
『ああっ…コランティーヌ…!これが私達に対する復讐だとでも言うの!?私達があなたに触れてやれないのは、あなたが私達の生命を吸ってしまうからではないの!?それなのに他人に触れて生命を吸ったことで救われたと、あなたは親である私達にそう言うのかしら!?』
『ち、違うわお母様!!本当に私は――』
『ええい、黙れコランティーヌ!!貴様など私達の娘ではない!!これまでは貴様を娘だと思い耐えてきたが、もう限界だ!!この魔力喰らいの化け物め!!』
『化け…物…!?そんな…お父様まで、私のことを…!?』
『それとも悪魔とでも呼ばれたいの!?この恩知らず!!」
「お母様…!?」
「公爵令嬢としての振る舞いも忘れて悪行に耽り、挙げ句には学友の魔力と生命を貪った貴様を娘だと認めることなどできるものかッ!!貴様は勘当だッ!!今後は二度とコランティーヌ・ド・カヴァリエを名乗ることは許さん!!その着ている服と、この金を最後の餞別でくれてやる!!今すぐ出ていけッッ!!』
あの日、硬貨の詰まった革袋を顔面に投げつけられた時の痛みを忘れる事など、私には出来ない。
許せなかった。
愛するフリをしながら内心で私を化け物だと思っていた父親と、自分哀れさに娘の言葉を曲解して理解しようとしなかった母親のことが。そして、床に落ちた金を拾わなければ生きていけない事が惨めでならなかった。
一時期は殺してやりたいと思うほどに、憎んでいたのだ。正義なんて言葉を軽々と使い、己の所業と立場を正当化する両親に対し、決して晴れることのない悪意が根付き、善良という言葉の虚しさを覚えた瞬間だった。
10年以上経ち、メイドとして幸せを得られるようになってからはそんな気持ちなどとうに枯れ果てていたと思っていたのだが…いざ白日の下に晒されてみれば、当時を思い出して復讐の念を再び燃やそうとしている自分がいた。
昏い欲望で双眸が燃えたぎるのを抑えられない自分を否定できなかった。
重い沈黙を最初に打ち破ったのはセレスタン様だった。
「……それがどうしたと言うんだ」
セレスタン様……。
「愛されて育ったからと言って、親がしたことの全てを許す理由にはならない。親が内心で何を考えていたかなど、捨てられた子供からすればどうでもいい事だ」
私のことを庇うために、敢えて露悪的に言ってくれてるのだろうか。でも、それは私の本心に近い考え方だった。愛されていると思っていたからこそ、初め私は捨てられたことが信じられなかった。化け物だと思われていたことを信じたくなかった。
「……へえ?どうやら本気でそう思ってるみたいだねえ」
「ああ。コレットは最後まで不可抗力だったことを親に信じてもらえずに、名前まで奪われてから捨てられた。そして未だに無事も確認して貰えず、捜索もされていない。それが現実だ。だから捨てられたことを許さないままでいる自由と権利がある。例え魔王になったとしてもな」
セレスタン様は、私が欲しいと思う言葉がどうして分かるのだろう。どれも誰かに言ってほしかった言葉だ。理解してもらえていることへの感謝が、私に顔を上げる勇気をくれた。
「暴論だねえ。その結果、親殺しをしても構わないと言うのかなあ?」
「彼女がそれを望むならば、そうだ」
「……もしかして勇者もそう思うのお?」
旦那様は既に呆けていた顔を引き締めており、力強く頷いてくださった。
「ああ。だがコレットが無意味に罪を犯すことはしないと信じている」
「えー?それでも強い力を持てば復讐に走るかもしれないよお?」
「すればいいじゃないか。捨てたことを後悔させてやりたいだけだろ。それなら家庭を築いて幸せになった姿を見せつけてやってもいいんだ。精霊にはわからないかもしれないが、復讐の仕方ってのは殺す殺さないだけじゃないんだよ」
旦那様の温かな言葉に、不覚にも涙が滲んだ。旦那様は私のことを本当に娘のように思ってくれているのかもしれない。きっと私の中に両親への殺意があったことにも、もう気付いているだろうに。
「あ、釣れた」
シアは相変わらず釣りに興じていた。どうやら逃げなかった一匹が釣れたらしい。
「その様子だとシアはコレットの憎悪には気付いてたみたいだねえ。なんで二人に教えてあげなかったのお?」
「必要ないから」
「だって仲間なんでしょ?隠し事なんで酷くない?」
「わたしもそうだし」
シアはやっぱり、気付いてたんだ。もしかしたら屋敷で世界を恨んでないかを聞いてきた時、私が両親のことに深く触れられなかった時から気付いてたのかもしれない。それなのにシアは、私を信じると言い切ってくれたのか。
「なるほどそれもそうかあ!…で?肝心なコレットは魔王になったら、両親にどんな復讐をするつもり?やっぱり魔力と生命を吸い尽くして殺すつもりかなあ?」
……いちいち挑発的な物言いをしてくるこの精霊に対し、悪感情を拭えない。だがそれに対する答えなら最初から決まっている。
「幸せになってやります」
「どんな風に?」
「素敵な人と結婚して、子供を産んで…孫にキスするところを見せてやります。でも、孫にも私にも絶対に触らせてやりません。ただ見せつけて、捨てたことを後悔させてやりたいです」
「それだけ?」
「…いいえ。そして最後に言ってやるんです。化け物として捨ててくれてありがとうございましたと」
「なるほど…いい復讐だあ」
アリストロシュは急に表情を一変させ、優しげな風貌で見つめてきた。それがアリストロシュの本性であるかのように。
「君はいい仲間に恵まれたねえ。ちゃんと君の昏い部分も認めてくれて、誤った道を行かないように導いてくれている。そして君もちゃんと立ち止まって、自分の悪意と向き合えたみたいだし。確かにシアの言う通り、今までの魔王とはちょっと違うねえ」
納得したらしい彼は、ゆっくりと私に対して手を伸ばした。握れということらしい。
「うん、結構面白い娘だ。いいよ。ボクの魔力を吸うといい。君が望む立派な魔王になってね」
「…ありがとうございます。ですが、一言だけよろしいですか?」
「ん?いいよ」
だが、言うべきことは言わせてもらおう。
「ちゃんと自分から話すと言ったのに、よくも心の準備も無い内から私の恥部を晒してくださいましたね。あなたのことが大嫌いです。ずっと恨みます」
「うんっ!?…ふっふふ…あっはははは!!いいねえ!ちゃんと本心から話せるんじゃないか!ボクは君のことを気に入ったよお!」
「そうですか。では、遠慮なく死ぬほど吸わせて頂きます」
「いいよお?殺せるものならねえ」
ニヤつく彼の手をがっしりと掴むと同時に、炎を連想させる熱い魔力が全身を満たした。旦那様の魔力を遥かに超える凄まじい量と質に、私の中にある黒い器が一気に満たされていくのが感じられた。だが、それでいながら私の体が若返ることもなく、むしろ器は炎の魔力を吸えば吸うほど大きく、頑強になっていくように感じられた。不思議と快楽は無かったが、それ故にいつまでも魔力を吸えそうで逆に怖いくらいだった。
私は言葉通りに精霊を傷付けるつもりも無かったので、もう充分と思い手を離そうとしたのだが――。
「……えっ!?アリストロシュ、何故!?」
「どうした、コレット!?」
「手が、離れないんですっ!!」
彼は微笑んだまま、がっちりと掴んだ手を離そうとしなかった。何故か私が両手と足を使って全力で離れようとしているのに、全く微動だにしない。魔力を吸いすぎた影響によるものか、彼の身体が足元から炎となって燃え散っていく。
「離してください!!本当に死んでしまいますよ!?」
「大丈夫だよお、姿を失うだけさあ。この地に生命と文明の炎がある限り、ボクが本当の意味で死ぬことはない。長い旅になるんだろお?遠慮せずありったけ魔力を吸って、しっかり器を成長させてから行っておいで」
「アリストロシュ!?」
まさか、最初からそのつもりだったのか!?姿が無くなるなんて…死ぬのと何が違うと言うんだ!!
「手を離して!!あなたを消したいわけじゃない!!」
「シア、コレットを頼むよお。この子はちょっと優しすぎるから心配なんだあ」
「うん、ありがとうアリストロシュ。次会うときはケーキ忘れないから」
「それと隠し事も程々にしなよお?後悔しても知らないからねえ?」
「さっさと消えちゃえ」
そうシアから冷たくあしらわれた彼はまた大きく笑いながら、私達の前から姿を消した。私の手を最期まで握っていた彼の右手が燃え散った時、不思議と熱さは感じなかった。
「……最後まで私が嫌がることしかしないなんてっ…!!」
「大丈夫。精霊は長い年月をかけてまた蘇る。おねえちゃんが生命と文明の炎を消さない限り、おねえちゃんが殺したことにはならない」
慰めで嘘を言ったわけでもないのか、あくまでも淡々と語るシアの目は、それでもどこか寂しそうだった。
「……あなたの魔力…無駄にはしません…!ありがとうございました……火の精霊アリストロシュ……!」
彼の魔力を象徴するような炎の如き熱さが胸の奥に宿り、私の旅路を照らそうとしてくれているかのように感じられた。
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