悪意の在処
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「4大精霊の魔力を…?」
「はい。過去の魔王のように魔力を喰らう快楽に酔う前にその力を完成させ、自らが国の脅威となるのを阻止しようとしているようです」
王妃の言葉に、王は呆然としながらもその言葉を反芻していた。そして選んだ表情は…苦笑。それも、苦みをたっぷりと含んだものだった。
「…彼女らしくないな、誰かのために動くなどと。それとも…やはり子供の頃の彼女こそが本質だったとでも言うのか?」
その声には後悔と未練がたっぷりと含まれていた。
「陛下…?」
「なんとも素敵な話だが…気に入らないな。なぜ学園でその姿を見せてくれなかったんだ。それとも私では彼女のそういう一面を引き出せなかったのかな?」
自嘲が色濃く表れている。あまりの痛ましさに、妻であるはずのフルールでさえ口を差しはさむことができないでいた。
「なあ、フルール。私はコランティーヌを変えた誰かにひどく嫉妬している」
「…嫉妬ですか?」
「ああ。私だってコランティーヌを愛していたんだ。君を愛する前は、彼女だけを。だのに婚約を破棄せざるを得なくなって10年以上経ってから、ひょっこり現れた彼女は若返り、生まれ変わったかのように振舞っている。まるで私など大した存在ではなかったかのようではないか。彼女自身の変節が理解しきれないし…彼女を変えた誰かにも嫉妬している。……醜いと嗤うか?」
15歳の頃から陛下と共に過ごしてきたフルールではあったが、元婚約者の心を奪った誰かに嫉妬の炎を滾らせるのを見るのは初めてだった。
だが彼の嫉妬をただ悪意と括るのは憚られた。
確かに見方によっては彼の言う通り、醜い感情と言えるかもしれない。しかし学園でのコランティーヌの真意と、彼女の本質を最後まで信じきれなかった自分自身の弱さを後悔する国王、その両方を知ったフルールに嫉妬心を嗤う事など不可能だった。
そして何よりも彼女自身が、自分の悪意と呼べる醜い感情を自覚していた。例えば未だに陛下のお心を縛る、コランティーヌに対する嫉妬心と言ったものを。
「…例え陛下がコランティーヌ様に心移りしたとしても、私が愛する殿方は陛下だけです」
フルールは自分に出来る限り心を砕いてそう言ったつもりだったが、エドガール国王のフルールを慕う心もまた本物だった。彼が絞り出す言葉には、フルールに対する愛情と同時に、彼女を傷つけたことに対する慙愧も色濃く滲んでいた。
「…すまない、フルール。私もそれは同じだ。私にとって一番の女性はフルールだ。だが……コランティーヌのことを忘れているかと言われれば、否と答える他にない。私とコランティーヌは政略結婚ではあったが、お互いに思いあう婚約者だったのだから」
お互いに気持ちを精算できないままに果たされた婚約破棄は、12年の時を経てもなお埋まらない溝と傷を残していた。
「陛下……では、コレットを愛妾になさるつもりですか?」
「それこそまさかだね。私が愛しているのは君一人。コレットへの気持ちは…私に残された最後の執着心さ。私は彼女を自分の物にしたいんじゃない。ただ…精算したいんだ。私に相応しい女性が君以外にいないことを確かめたいんだよ」
国王の目に、学生時代の頃に抱くはずだった輝きが取り戻された。一人の女性に対する独占欲と、執着心。すなわち、恋心の残滓と呼べるものだった。
「フルール。これは僕にとってのけじめでもあるんだ。一番愛しているのは君であることに変わりはない。生涯君以外の女性を伴侶にすることはしないと誓おう。だから…私に少しだけ、コレットのために時間を使うことを許してくれないか?」
身勝手な言葉。浮気の宣言。そう嗤うことも出来たはずなのだ。だがフルールにも女としての矜持があった。最後に選ばれるのは自分以外にいないという自信と、彼のわがままに付き合ってあげたいという母性にも似た女心。そして……コレットに対する友情。そのすべてが混ざり合わさり、負の感情を超えた先で選んだものは、一人の女性としての彼女だった。
「わかりました。陛下の浮気、今回だけは許して差し上げましょう。この埋め合わせは絶対にして頂きますからね?」
「本当にすまない、フルール。必ず気持ちを精算させて、その後は君への愛を貫くことを誓おう」
彼女の器が国王やコランティーヌよりも大きく、そして深いものであることの証明と言えた。そうでなくては国の母とはなれないと彼女自身はそう信じている。
だがこの時の王妃の判断が正しかったかどうかは、後世の歴史家達の間でも是非が分かれている。二人で話し合った結果であり、それが一人の人間としての判断ならば誰からも非難される謂れはない。だがこの時の彼女は王妃であり、万が一にも臣下や民衆に誤解を与え、国が揺らぎかねない判断など下すべきではなかったのではないかという否定的な歴史解釈も多かった。事実、後年には国王の愛人だとか、隠し子だと言って憚らない痴れ者が複数現れ、そのたびに断罪する事例を生み出している。
ただ、彼女からすれば歴史家達の事はもちろん、この時の判断が正しいかどうかさえどうでもよかった。この時の彼女は一人の女として、コランティーヌに勝利したかったに過ぎない。何故なら彼女自身、エドガールの心を"掴んだ"のではなく、コランティーヌから"盗んだ"に過ぎないのではないかという、確信にも似た後ろめたさがあったからだ。もう一度コランティーヌと正面から向き合う機会をエドガールに与え、そして自分を選ばせることでこそ、真に愛し合う二人として再出発できるだろうと信じていた。
そして彼女の明晰な頭脳は、自分の物とした嫉妬と矜持が渦巻く中にあっても、それに酔うことなくある仮説を導き出していた。
学生の頃から今の今まで、陛下が誰にも悪意を感じさせてこなかったのは、悪意を忘れていたからではなく…もっと幼少の頃から、悪意を隠すことを覚えていたからではないかという仮説だ。
周囲が徐々に悪意を失って善良になっていく中、それを観察していた彼は嫉妬や独占欲といった醜い感情をコランティーヌに悟られぬよう、初めから悟られないでいることを自分に強いていたのではないだろうか。悪意から遠ざかり過ぎたコランティーヌを傷つけないために、自分の悪意に繋がる感情を殺し続けることを選んだのではないだろうか。
最終的には、彼女自身の振る舞いによって彼の我慢が限界を迎えてしまったわけだが…あるいはフルールに触れないままであったなら、陛下の結婚相手は彼女のままだったのかも知れなかった。
仮説に仮説を重ねた、なんの証拠もないただの推論に過ぎない。だがフルールは、その深い愛情が今はコランティーヌから自分にだけ向けられているのだと信じてみたかった。真意はどうあれ、エドガールが初めて嫉妬心という弱さを見せた相手が自分であることには違いなかったからだ。
だから全ての茶番が終わった時、彼女は陛下にこっそり教えてもらうつもりでいた。
「陛下、あなたはいつ彼女に触れたのですか」と。
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