黒い器
20話超えちゃうかも
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屋敷の食堂に、関係者が全員集められた。セレスタン様はもちろんのこと、旦那様と奥様、ポーラと後輩メイド達、そしてシアに…フルールの使い。彼はセレスタン様と旦那様から定期報告を聞くために屋敷に来ていたのだが、どうやらシアにとって、フルールも知っておいた方が良い話らしい。
「これで全員集まったが…オートンシア、一体何を話すつもりなんだ?」
「そうよ、シア。もしケーキバイキングを開きたいというのであれば、再来週の夜会まで待ちなさい。ケーキが食べたいだけならもう少しでおやつの時間よ」
…二人はまるで子供をあやす親のようで、不思議と妙に似合っている。だがそれに対し、シアは真面目な顔で否定した。
「ケーキはいらない。聞いてほしいのはおねえちゃんのこと。皆、おねえちゃんのことは好き?」
シアの「ケーキいらない」発言に驚いた皆は、一瞬反応が遅れた。だがそれでも最初に答えたのは、奥様と旦那様だった。
「好きよ。私のアレックスにベタベタ触るのだけは癪に障るけどもね」
「俺も好きだ。…待て、オレリー。違う、違うから。俺の女はオレリーだけだから」
相変わらず嫉妬の炎が燃え盛っている。それが逆に奥様らしくてほっとした。
「好きだよ。嫌いになる理由無いでしょ!同期だし、別に私には魔力吸収とか関係ないしね!」
「さ、最近の先輩はちょっと怖い時もあるけど、でも好きです。尊敬してますっ」
「私も!」「私もです!」「ダンスは超下手ですけど好きです!」
ポーラと後輩メイド達が、変わらぬ友情と尊敬を表明してくれた。ある意味、一番他人と言える彼女たちに慕われていると知って、目頭が熱くなる。だが最後の一人は後で仕事を増やしてやろう。
「王妃様のお使いさんは?」
「わ、私ですか?えーっと…少なくとも、嫌いではありません。コレット様の体質についてはフルール王妃より少しお聞きしていますが、それを加味しても私個人としては好ましく思っていますよ。お屋敷でも美味しいお茶をよく頂いていますしね」
実に騎士らしい誠実な答えで、まるでフルールの気持ちも少しだけ伝わってくるようだ。
「セレスタンは?」
「……教えてやってもいいが、条件がある」
いつものように皮肉気に口の端を持ち上げたセレスタン様は、その悪人面のまま少しだけ頬を染めた。
「今晩、君の出自を僕に話してくれないか?もちろん、二人きりでだ」
「え、でももう殆どわかっちゃってるんじゃ…」
「そんなことは関係ない。君と親しくなれたという証をくれ」
いや、あの、踏み込み過ぎ…!!それは答えみたいなものでは…!?
「あ…わ…わかりました…全部お教えします…」
「よし、約束だぞ?ちなみに質問の答えだが、もちろん好きだ。一人の女性として尊敬しているし、そろそろ僕の事を一人の男として見てほしいと思っているくらいにはな」
メイド達がキャーキャーと黄色い悲鳴を上げ、私の実年齢を詳しく知らない騎士がぼそっと「と、年の差…」と呟いた。何故か奥様はひどく安堵した様子で、逆に旦那様は頭痛を我慢するように額を抑えた。
「…二人とも、こんな時に惚気るな。大事な話なんじゃないのか?イチャイチャしたいだけなら、俺は執務室に戻るぞ」
「ううん、大事なこと。だって、皆が協力してくれないと、たぶんおねえちゃんは死ぬ」
シアの発言で、部屋の空気が一気に凍り付いた。先ほどまで紅潮していたメイド達の顔色がどんどん悪くなっていく。
「コレットが…死ぬ…?」
「そう。これから話すことは、おねえちゃんが力を完全に使いこなすために必要なこと。このまま勇者の魔力を吸い続けるだけだと、中途半端に器が大きくなって、国中の魔力を吸っても足りなくなる。でも、暴れ馬は暴走するから危ないの。手綱をちゃんと握って操れば危なくない」
「待ちなさいシア!コレットが死ぬってどういうこと!?」
「そのままの意味。皆の魔力も吸って、命も吸い尽くしたら、おねえちゃんは耐えられなくて自分から死ぬと思う。それに、きっとこのままおねえちゃんの力が強くなり過ぎたら、この国はゆるさないでしょ?だって危ないから。おねえちゃんが王様と王妃様のお気に入りだから貴族さんはすり寄ったけど、王様と王妃様から嫌われたら離れていくよ。もっと嫌いになったら殺さなきゃって考える。今までずっとそうだったからわかるよ。ね、お使いさん?」
否定できない騎士を見たシアは、どこか悲壮感すら滲ませていた。普段の無表情などどこにも見られない。
「わたしが最初にみたとき、まだおねえちゃんの器は小さかった。だからわたしも最初は魔女かなって思ってた。器が小さいままなら、呪いのアイテムでもなんとかなったと思う。だけど、もうそれはできないくらい大きくなってきてる」
「すまん、先ほどから気になっていたが、器とは何なんだ?」
「器は器。大きい人ほどいっぱい魔力が入るし、魔力の使い方も変わる」
どうやら魔力保有限界量に関係する何からしい。人によって得意な属性は違うが、その器とやらが関係するということか。それはこれまでの定説を裏付ける基礎理論に当たりそうな気がする。恐らくこれを詳しく聞くためだけでも、王国の研究者たちがシアの元に殺到するだろう。
「勇者の器は特別。おねえちゃんのとは逆で、勝手にどんどん魔力を生み出してる。だから魔力を使わないと"はれつ"するけど、逆に魔力だけ吸わせることができる。おねえちゃんに毎日吸われてても元気なのはそのせい」
「なるほど、確かに暴走を抑えるのは疲れるけど、吸われて辛かったことはないな。…ん?勇者の、逆?」
「おねえちゃんの器は、黒かったけど小さかった。だから魔力をたくさん吸うとすぐ溢れちゃってたけど、代わりに器から溢れた魔力がどんどんおねえちゃんを子供にした。子供の頃が一番よく育つから、器はおねえちゃんをずっと子供のままにしたかった。器は、おねえちゃんが"はれつ"して死んじゃってもいいって思ってる。そしたら自分も死んじゃうのにね」
どうしてシアはそんなことがわかるのだろう。まるで、これまでも何度もそれを見てきたかのような口ぶりだ。そしてそのシアが語る器と呼ばれる存在が、あまりに薄気味悪く思えた。自己を成長させるために、持ち主を死に追いやる矛盾。その先にあるものなんて、どうあっても破滅だというのに…。
「でも、おねえちゃんは器が育ちきる前に大人になりそうだった。だから器も焦ってる。早く完成させるために、世界中の魔力を吸いたいと思ってる。だから魔力はおいしくて、吸うと気持ちいいっておねえちゃんに思い込ませてる」
「シア…その、黒い器とはなんなんだ?」
「魔王の器」
「何!?」
魔王…?私…が…?
「本当ならおねえちゃんが学園で悪意を吸い取ってたあの時期に、とっくに魔王として目覚めてたんだと思うよ。おねえちゃんは魔力を吸いたいって気持ちをたった一人で抑え込んだから、魔王になりきる前にこうして勇者に会えたの。よくがんばったね、おねえちゃん。勇者の魔力に出会えずに独りで生きていたら、国中の悪意を取り込もうとしてたと思うよ」
シアがどうして学生時代のことを知っているかなんて、気にする余裕もない。確かに私は、学園で快楽に酔ったあとのことを想像したことはある。だが学園ごと国を滅ぼしていたのかも知れないとまでは考えてなかった。悪意を吸い上げるどころか、強引に国中の悪意と命を吸い取る怪物になった自分を想像して、鳥肌が止まらなかった。それは直接私から過去を聞いていた旦那様と奥様も同じみたいで、顔色を真っ青にしたまま呆然としている。
「魔王の器…そんなの…どうすればいいんだ?」
「手綱を握るの。わたしたちの手で器を完成させて、おねえちゃんを魔王として完全に目覚めさせた後、力を完全に制御してもらう。こんなにも長く器を育てた魔王は過去に例がない。まず目覚めちゃう。だから、おねえちゃんが器の意思に染められちゃう前に完成させちゃうの」
「なんですって!?そんなこと…!?」
「そしておねえちゃんには、優しい魔王になってもらうの。完全に目覚めて力を制御できるようになれば、触っただけで魔力と命を吸うことも無くなるし、器もそれ以上成長しようとすることもなくなると思う。少なくとも、過去の魔王達はそうだった」
見てきたかのように言うシアの提案に、フルールの使いが噛み付いた。
「そんなことは認められません!意図的に魔王を復活させるなんてことになれば、かつてのように世界が支配されるかもしれない!そもそも魔王として目覚めたコレット様が、心変わりしない保証など無いではありませんか!」
「お使いさんの意見に意味はない。お使いさんが敵になるかどうかは、王様と王妃様次第だから」
「なに…!?…いや、確かにそうだが…しかし…!」
彼は正義感からくる義憤と、私への情の間で揺れていた。恐らく彼も私に悪意を奪われた一人のはずだが、正義心だけで私を斬ろうとしない辺りに彼らしい情の厚さを感じさせた。騎士が悔し気に呻くのを横目に、セレスタン様が質問した。
「…器を完成させないといけないのはわかったが、具体的には何をすればいい?」
「4大精霊の魔力を吸わせるのが一番早い。火の山に住まう炎の精霊、湖に住まう水の精霊、森に住まう風の精霊、そしてこの国の大地に住まう地の精霊の4つ。人間の魔力よりも質がいいから、たくさん吸わなくても成長するし、器が成長すれば"はれつ"の心配も少なくなるよ」
4大精霊と言えばこの国の自然を守護する大精霊たちだ。建国の父である初代シャミナード国王は、かつて4人の精霊達に建国の許可を貰ってから城を建設したと言い伝えられている。そして外敵の存在から自然を護ること条件に、精霊たちから恵みを分け与えてもらっているとされていた。これはこの国の国民であれば誰もが身に着ける基礎知識であり、文字の読み書きが出来なくてもこの伝説だけは知っているほどの常識だ。
「4大精霊から魔力を奪うなどと…!?そんなことをすれば精霊の加護が得られなくなるかもしれません!!自然が破壊されかねませんよ!!」
「じゃあ国中の命がおねえちゃんに吸われるのを眺めてる?好きな方を選んでいいよ。わたしはおねえちゃんと、おねえちゃんが大事に思う人たちが生き残れる方を選ぶだけだから」
現状維持を願う騎士に対し、シアの声はどこまでも冷たい。まるで考えが甘いとでもいうかのようだ。
「大丈夫。おねえちゃんなら精霊を死ぬほど吸ったりはしない」
「そこまでコレット様を信じられるのは何故ですか!?」
それは私も知りたいことだ。私はシアとは一緒にお茶を飲むくらいしか接点が無いはずだ。しかし、シアが語ったその根拠は根拠とは言えないほど弱いもので、しかしそれ以外に用意できないものだった。
「おねえちゃんがわたしたちのことを傷つけたくないって言ったから」
シアの目は激情に彩られている。何年も見てきた無表情で無関心だった彼女こそが偽りで、人の強さを信じる今の姿こそが本来の姿であるようだ。
「おねえちゃんが憎んでいるのは力の方で、この力のせいで嫌われてたのは当たり前だからって言った。おねえちゃんはやろうと思えばいつでもできるのに、勇者の魔力を死ぬまで吸いきったりはしなかった。吸えば気持ちよくなれるのに、絶対に勇者以外の誰とも触ろうとはしなかった。昔、王妃様の魔力を吸ったことでさえずっと悔やんでた。だから大丈夫。おねえちゃんは力を振り回さない優しい魔王になれるって信じてる」
そこまで一気に言い切ると、一度だけ大きく息を吐いたシアは、少しだけクールになった瞳で食堂に集まる皆を見渡した。
「皆、もう一度聞く。おねえちゃんは好き?世界中の皆には嫌われるかもしれないよ」
これに対して奥様が即答した。答えは既に決まっているようだ。
「ええ、好きよ。私が嫉妬できる相手はコレットだけ。唯一夫を取られるかもしれないと思うほど可愛くて、私に女を磨くことを忘れさせないでくれるのはコレットだけですもの」
「ああ、俺もだ。コレットの事を俺は娘のように思っている。まあ、実際はそれほど歳は離れていなさそうだがな。なあに、魔王だってメイドとして雇ってみせるさ。勇者の器を舐めるなよ?」
「別に魔王になったって、やっぱり私には関係ないね!むしろ魔王になった後も私から魔力を吸い出せるのか試してみてほしいよ!魔王より強い女になるチャンスじゃない!」
「わ、私も、魔王先輩を応援します!」
「私も!」
「魔王の後輩になってみたいです!」
「魔王なのにダンス下手だなんて超笑えるので是非なってください!!」
躊躇っていたのは騎士様だけだった。その彼でさえ。
「…コレット様が魔王になることについては、私は絶対に反対です。騎士としてあなたに剣を向けることになりかねませんから。ですが…それでも私個人としては、あなたには平穏無事に過ごしてほしい。あなたを敵にしたくはない。それは王妃様も同じはずです」
最後まで沈黙していたのは、彼だった。
「セレスタン」
でも、彼はわざわざ聞くなとも言いたげに、肩をすくめて当たり前の事のように言い切った。
「言っただろう?僕はコレットが何者だろうと関係ない。コレットが人類の敵になるというなら、僕も共に戦い、世界を滅ぼしてやろう。尤も、人類の敵になんてさせないがな」
皮肉げに、自信もたっぷりに笑うセレスタン様が眩しすぎて、直視することができなかった。私なんかのためにここまで思い、愛してくれる人々がこんなにもいることを目の当たりにしたことで、長年の孤独によってまだ凍り付いていた心が和らいだのを感じた。
「ほら、おねえちゃん。もう大丈夫だよ。きっとわたしたちがおねえちゃんのことを助けるから」
涙で濡れた頬を、暖かな手が覆った。シアが魔力を吸われる事も厭わずに、私の頬を温めてくれている。
「もう、怖がらないで。皆と一緒なら大丈夫。だから…優しい魔王になってね?」
そんなの、決まってるじゃないか…!
「ありがとう…っ!ありがとうございます、皆…っ!私…絶対にこの力を使いこなしてみせます…!!誰も傷つけない、優しい魔王に…なってみせますから…!!」
魔力を持たないポーラが体当たりをするように抱き着いてきた。続いて既に魔力を放出していたらしい奥様と、セレスタン様が肩と背中を温めてくれる。後輩メイドたちは泣きながらも、私を激励してくれている。旦那様はそんな私たちを温かく見守ってくれた。複雑な表情をした騎士だけが気まずそうに目を逸らしていたが、少なくとも敵意は一切無く、心配そうにしてくれた。フルールも同じ気持ちだと良いのだけれど。
食堂に集まった人たちが決意を新たにする中、騎士ユリアン様はある意味この場で最も冷静だったと言えるだろう。彼は私たちが忘れかけていた疑問を置き去りにしなかった。
「皆様の決意はわかりました。王妃様には私見を抜きにして、ありのままご報告させて頂きます。が…その前に、一つだけ教えていただきたい。オートンシア殿、あなたは何者ですか?あなたの知見は明らかに普通ではありません。どうしてそこまで器や魔王についてお詳しいのか、教えて頂きたい」
涙目になっていた私たちの目線が、オートンシアへと集中した。が、すっかり無表情に戻っていた彼女は人差し指を唇に当てて、ただ一言。
「まだ内緒」
と、それだけを言ってまた紅茶を口にするのだった。
その日の夜、私はセレスタン様と二人きりで、私の全てを話した。
全てを話したその夜、蘇ったトラウマと安心感が綯交ぜになって泣きじゃくる私に、セレスタン様は何も言わずただ抱きしめてくれた。
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