悪意なき敵意
私を誰だと思っていやがる!
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「リズムが悪いわ。もっと相手に体を委ねなさい。こら!体を引くんじゃありません!!人と触れ合うことを恐れるんじゃないの!!」
「ひぃ!?す、すみません奥様!」
夜会に備えて、屋敷ではダンスの特訓が行われていた。なんと今日は奥様が魔法を空撃ちして魔力放出した後、私のお相手を務めてくださっている。
そしてその指導はかなり厳しかった。私としては別に壁の花でも構わなかったのだが、セレスタン様のご提案によりダンスにも参加することとなった。
『ミス・コレットには一応、簡単なダンスを覚えてほしい。基礎的なもので構わない』
『どうしてですか?』
『ダンスは二人で打ち合わせをするのにうってつけなんだ。ダンスの間は例え王であっても邪魔に入れない。心を落ち着ける意味でも、当日の王妃の様子を見てから対話に備えよう。安心しろ、僕もダンスは初心者だ。お互いに足を踏み合って親睦を深めようじゃないか』
セレスタン様はキザったらしくそう言ってくださったが、それにNOを主張したのは奥様だった。平民のメイドとはいえ、伯爵家からの参加者であるならせめてまともに踊れるようになっておくべきだとの主張だった。
あまりの迫力に、旦那様だけでなくあのセレスタン様ですら仰け反っていた。もしかしたら3人の中で最も強いのは奥様なのかもしれない。
だがこれまで一度も誰かと踊れなかった私のダンスの腕前は酷いもので、同じ初心者でも運動神経に優れる分ポーラの方がまだマシと言えるほどだった。そこで魔力が無いためにいくらでも接触可能なポーラにも男性役を手伝ってもらい、毎日数時間のダンス教室が開かれた。
後輩メイドたちも私の思わぬ弱点に驚きつつ、そこに人間味を見出してくれたようで、今までよりも少しだけ距離が縮まったように見えた。
「あ、コレット先輩!そのほうき貸してください!」
「いいわよ、はいどうぞ」
特に、魔力量の多い奥様が抱擁しても命までは損なわれないと判明したことは、私が思っていたよりもずっと良い影響を周囲に与えてくれていた。
例えば掃除道具を手渡すくらいなら問題なく行えるようになった。今までは用心を重ねて、モップや箒であれば床に置くか、壁に立て掛けてから受け渡していたので、どうしても距離を感じていた。
道具越しとはいえ相手の感触を得られることで、コミュニケーションが円滑化し、なにより私の気分も軽くなった。
「やあ、ミス・コレット。ダンスの腕前を見てもよろしいかな?」
「まあ、セレスタン様。それはこちらのセリフですよ?今日は何回足を踏まれるのでしょうね」
「5回以内に収めてみせよう」
「いや……そこはもう少し志を高く持ってほしいです……」
時々セレスタン様もダンス教室に参加してくださったのだが、こちらも本当に初心者だったようで、ご本人の言う通り足を踏み合って親睦を深める結果となってしまった。
それでも仕事を終えた後に魔力を限界まで放出し、私のためにダンスの練習に付き合ってくれるセレスタン様に対して、私は好意を抱き始めていた。
彼は私と会うときは必ずスキンシップする準備をしてくれた。どんなに忙しい時でもそれは変わらなかった。
足を踏みあう関係だったけど、足を踏みあっても大丈夫というだけで嬉しくて、ついつい笑みが溢れた。セレスタン様も時々だけど、皮肉の薄い笑みを浮かべてくれるようになった。けれども……。
「今日の呪具はとびっきりだぞ。"快楽主義者の耳当て"だ。魔力をごっそり吸い上げてくれる」
「だから!呪いを!先に言えと!いつも言ってるだろう!?」
「耳に当てると特殊な振動音を出し、病的なまでの快楽に苛まれる。一度装着しても問題なく外せるが、振動音への依存性が強く、二度と外したくないと装着者に思わせるので実質死ぬまで外せなくなる」
「問題あるよそれは……お前の選定基準はマジでどうかしてるぞセレスタン……」
「安心しろ。これはアレックス専用装備だ」
「なるほどわざとだな?わざとなんだろ?正直に言ってみろ。売買許可取り消してやるから」
呪いのアイテム選定のセンスの無さも、残念ながら変わらなかった。そしてシアもまたいつもの無表情のまま、勝手に旦那様の紅茶を飲んでいた。
それは私が生きてきた中で一番平和で穏やかな日々だった。旦那様がいて、奥様がいて、ポーラがいて、後輩メイドたちがいて、セレスタン様とシアがいた。ずっとこの幸せな日々を送れれば、他には何も要らないと思えた。
だけど時間は止まらない。ゆっくりとだが確実に夜会の日は迫ってきていた。
ついに、その日はやってきた。
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最後に登城したのはいつだったか。かつては家の門をくぐるのと同じように気安く城門を潜れたのに、立場が離れた途端どこまでも高く厚い門に見えて、足が震えた。
そんな私の冷え切った手を、セレスタン様が握ってくれた。今日のセレスタン様はいつものラフな格好ではなく、王国付属魔道士だった頃に着ていた正装だ。胸にはいくつかの勲章が着けられている。
私も公爵令嬢時代の頃程ではないが、奥様の見立てによりそれなりに見栄えのするドレスを着用している。ただ見た目が13歳程度だったので、どこかちんちくりんな印象を与えているかも知れなかったが。
二人で城門を見上げていると、門番を務めていた騎士がやってきた。来訪者を確認しているらしいが、年齢差のある男女であるためかやや不審げな目をしている。
「失礼、お名前と身分をお教えください」
「セレスタン・シュニエ、平民だ。この勲章には見覚えがあるだろう」
「っ!?英雄術士セレスタン様でしたか!大変失礼いたしました!!」
すごい手のひら返しだ。セレスタン様はそれほどまでに尊敬の念を集めているのか。
「あの、ではそちらのお嬢様は?」
「僕の恋人だ」
「は、はい!?」
ちょっ!?
「………………ぷっ!はっはははっ!悪い、冗談だ。僕は保護者に過ぎないよ。この娘は平民なんだが、とある縁から王妃様のお慈悲で直々のご招待を受けていてね。主役はこの娘で、エスコートしている僕の方がおまけなのさ」
び、びっくりした……本当に冗談が悪すぎる……!
一瞬本気にしかけたじゃないか!?…………本気?本気って何の事よ!?
混乱する私をよそに、どんどん話は進んでいった。
「そ、そうですか……あの、お嬢さん、お名前と身分を教えて頂けますか?」
「へ!?あ、えっと……コレットと言います。平民です」
「なんだって……!?」
その瞬間、騎士の顔にありありと困惑の表情が浮かんだ。どうやらコランティーヌの悪名はまだ健在らしい。正義感から戦意を覚えたのか、私の肌がピリつくのを感じた。
「失礼。コレットと名乗る娘がやってきた場合は、コランティーヌ・ド・カヴァリエ公爵令嬢の娘であるかを確認せよと言われております。口頭で構いませんので、あなたのお母上の本名と身分をもう一度お教えください」
…………なるほど、フルール。やはりあなたは私の正体についてほぼ確信しているのね。門番からここまで敵意を向けられるのは正直意外だったけども…………まあ良いでしょう、望むところよ。
今日の一回で綺麗サッパリ、腹を割って全部話し合いましょう。あなたが私に何を言いたいのかはわからないが、何にしても私がもうあのコランティーヌではないことだけは教えねばならない。
周囲にいた貴族達の一部が、コランティーヌの名を聞いて私から距離を離した。それでいい。所詮コランティーヌは化け物で、その化け物の娘になど近付かない方が賢明だ。
まるで未来の薄暗さを垣間見たような気分になったが、それでも私は矜持を奮い立たせて、この場で自らがコランティーヌであると言ってやろうと思った。
「わた――」
「帰るぞ、コレット」
だが、その私の覚悟を寸前で押し留めたのはセレスタン様だった。私は彼に文句を言ってやろうかと思ったのだが、口にすることは出来なかった。彼は私の扱いについて……ただ私のために激怒していた。
「お、お待ち下さい!!コレットのことを王妃様がお待ちで――」
「知ったことか。コレットが参加するにあたって、その母親と何の関係があるというのだ」
「そ、それは、王妃様はあのコランティーヌについてお聞きしたいことがあると――」
「"平民のコレット"は夜会に出席せよとしか言われていない。コレットは王妃様に呼ばれたから忙しい中来てやっただけであって、こんな公衆の面前で元公爵令嬢との関係を証明してまで参加する義理などない。王妃様は夜会へ招待しておきながら、直前になって血脈を理由に態度を変えるようなお方なのか」
すごい殺気だ。この人がこれほどまでに怒ることがあるだなんて、まるで想像してなかった。
いつもは皮肉げな笑いを浮かべながらも暖かな光を宿していた瞳が、今は全てを凍らせて斬り殺す絶対零度の刃と同じ鋭さを持って鈍く光っている。体格的にはセレスタン様の方が細身であるにも関わらず、その目を向けられた門番は震える事しかできなかった。
周囲の貴族達も圧倒され、令嬢の中には失神し掛けている者もいた。
「お待ち下さい、英雄術士殿」
騒ぎを聞きつけ、奥からさらに大柄な騎士が現れた。記憶の中の彼と比べて大分老け込んでいるが、彼は第三騎士団の騎士団長だったはずだ。まだ現役だったのか。
「部下が失礼いたしました。しかし、我々はあくまで王妃様のご命令を忠実に実行しているだけなのです。ここは王妃様の命に従うと思って、コレット嬢に本名と身分を語らせて頂きたく――」
あくまで騎士団長は、平民なら絶対に逆らってはいけない身分からの命令であることを強調したいらしい。だが、それはセレスタン様に対しては逆効果だった。セレスタン様の瞳に死神もかくやというべきさらなる鋭さが宿った。
「馬鹿か貴様。誰の命令だろうと無関係だ。例えコレットがコランティーヌの娘だったとしても名乗ることはない。いや、誰にも名乗ることは出来ない。何故ならコランティーヌはカヴァリエ公爵より家名を捨てるよう命じられていて、誰であろうとコランティーヌ・ド・カヴァリエ公爵令嬢の血縁者を名乗る事を許されていないからだ。名乗った時点で公爵家に対する不敬罪と身分詐称の罪が成立するというのに、名乗れるはずが無いだろう。王妃様が何を必死になっているのか知らんが、王権を振りかざして出来ないことをやれと言うのか?」
「……っ!?」
「交渉する相手を間違えているぞ、第三騎士団長。お前が今交渉すべき相手は、ただの平民であるコレットや、その保護者たる俺ではなく、出来もしない命令を下した王妃に対してだ。コレットに帰ってほしくないなら今すぐ走って、王妃様に命令の可否を確認してこい。5分だけ待ってやる」
そこまで言い切ると、セレスタン様はどこからか砂時計を取り出し、傾けた。どうやら落ちきったら5分経ったということになるらしい。顔色を青から白に変えた騎士団長は、敬礼も忘れて鎧の音を響かせながら城内へと消えていった。
……迫力と時間制限で騎士団長に考える隙を与えないとは。騎士団長からすれば「平民になったコランティーヌの娘であると認めさせるだけだ」と言い切ってしまえば、それで良かったはずなのに。
彼はセレスタン様を怒らせたがために、哀れにも無駄に5分間走らされることになったのだ。
私とセレスタン様は貴族の集団から少し離れ、城門が見えるベンチで座って騎士団長を待つことにした。
「別に美味いものを食ってダンスをするだけなら、アレックスの家でも出来るからな」
「えっ……?何の話ですか?」
「なんでもないよ、ミス・コレット」
怒りすぎたのか、心なしかその顔には赤みが差していたが……それよりも気になることがある。
「あの、どうしてコランティーヌが家名を名乗れないことをご存知だったのですか?旦那様が話してしまったのでしょうか……?」
「いや、あれはブラフだ。やはりコレも本当なのか?」
ブラフ!?
「な、な、な……!?」
「根拠が無いわけでもない。公爵令嬢が公爵家から何の支援も得られず、辺境でメイドをやっているんだから勘当されたと見るのが妥当だろう。まあ違ったとしても、今から公爵家に確認を取る時間も無いだろうし、どちらでも良かったんだがな」
「よ、よくありません!そんな綱渡りばかりして!セレスタン様ばかりが危険な状況に置かれるではありませんか!!」
なんて危険なことをするのか、この人は……!握手のときも、私が失神したときも、私を抱きしめた時だってそうだ!どうしてこうも危なっかしいのだ!?クールっぽい雰囲気出してるけど、やってることはかなりの無鉄砲だぞ!?
「良いんだよ。所詮推測で呼びつけたに過ぎないくせに、コランティーヌの娘などというくだらぬレッテルを今更貼ろうとしてくる奴らを放置する方がずっと不快だ。それに……今のお前は平民のコレットだ。コランティーヌなど関係ない。それで十分じゃないか」
〜〜〜!!ず、ずるい……!!ここでそんな、全てを溶かすような笑みを浮かべるのは、卑怯だ……!!
赤面して何も言えなくなった私をよそに、セレスタン様は砂時計を持ち上げた。さらさらと砂が落ちていくのを見て、いつもの皮肉げな笑みを浮かべた。
「ふん……ここと王妃の待機室を往復するには、あのドンガメ騎士団長が全力で走ってようやくギリギリ5分と言ったところだが……果たして奴は首の皮を繋げられるかな?」
私もいつの間にやら、かなりセレスタン様に毒されてしまっていたようだ。どう見ても悪人面で笑っているのに、そんな笑みの方が彼には似合っているなどと考えてしまうほどには。
王城から再び、ドスドスガシャガシャという鈍い音が聞こえてきた。どうやら騎士団長が帰ってきたらしい。
「し、失礼、しました!王妃様が、コレット様に、直接、待機室で、お会いするそうです!」
言い切るのと同時に砂が落ちきった。
「ほう?夜会でミス・コレットと踊るのを楽しみにしていたのだがな…………まあ良いだろう。ああ、もちろん保護者である俺も同行する。未成年者そのものの彼女を一人で送り出すわけにはいかないからな」
まるでそれが当たり前の権利のように、セレスタン様は私の手を取って歩いた。この時になってようやく私は、エスコートされたのが生まれて初めてであると気付くことが出来たのだった。
「…………来ましたね……コレット」
そして、王妃専用の待機室で、12年ぶりに私達は再会した。
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(こ…興奮のあまりミス・コレットを呼び捨てにしてしまった…!気付いていないだろうか…!?)