ぬるい夏と世界の終わり
「世界の終わりを見に行こう」と先輩が言った。
「それってもしかしなくてもあの穴のことですよね?」
「そうそう!っていうかそれしかないでしょ?だってそろそろこの街も終わりみたいだし。みんな逃げちゃったから食べ物も少ないし、待ってるよりはこっちから行ってみようかなって思ってね」
僕たちの世界はある日、それまでとは全く違うものになってしまった。隕石により地球に大きな穴が空いてそこから色んなものが吸い込まれるようになってしまった。穴はどんどん大きくなって世界の半分は飲み込まれていった。
さらに隕石の衝突により未知のウイルスが発生して20歳以上の人間はもれなく死んだ。父も母も例外ではなくあっという間に死んでしまった。その死に顔が安らかだったのが唯一の救いだった。彼らは腐敗防止のオーロラ色に光る薄い膜に包まれたまま今も静かに家の中にいる。
戦争はなくなったけど人も土地も物もたくさん無くなった。争ってる暇がないというのが本音だろうけどもしかしたら今の若い人の方が攻撃的じゃないのかもなとか色々考えた。
そんな事考えても仕方ないけど学校もバイトもなくなったらゲームして食べて寝るくらいしかやることが無いし電気の供給も無くなった今は殆どの事が出来なくなった。電子レンジも給湯器も冷蔵庫も洗濯機も使えないとQOLは駄々下がりだった。
常温の非常食だって2日もすれば飽きる。初夏だから良かったけどシャワーも浴びれないしとにかく蒸し暑い。エアコンのありがたみと電気がなければ生活が成り立たないということが嫌というほど分かった。
未成年で電気のインフラが出来る人がいない訳ではないとは思うけど出来ることとやることはまた違う。今この街に電気が通っていないのは死ぬかもしれないのに誰かのために何かをしようって人がいなかったってだけだ。
停電なんて今まで数回しか経験していなかったしその日のうちに復旧してたから問題なかったけど、電気が使えなくなって思ったのは紙の本は破れたりしない限り充電もいらないし便利だという事だ。
自分の持ってる本は殆ど電子書籍だったので早々に読めなくなった。だけど、やることが無いし暇すぎるから母親の本棚の本を何冊か読んだ。推理や恋愛が多くてあの人こういうの好きだったんだな、一緒に住んでても知らない事ばかりでもっと話をしたりすれば良かったなと思った。もうそれは不可能だけど。
車が運転できたり体力があったり根性がある人たちはなるべく穴から遠いところに逃げていったらしい。でも、土地は有限だし宇宙にでも逃げない限りはいつかは穴に追いつかれるだろう。未成年の宇宙飛行士はやっぱりあんまり現実的じゃ無いなと思う。
先輩と並んで歩いて穴を見に行く。積極的に近づくのは初めてだ。覗き込むと黒くて深い穴に吸い込まれそうになる。怖くなって後退りをすると少し離れたところにある瓦礫に直接座っていた。
彼女が考えてる時に良くする自分の爪を見る仕草をしてからこう言った。
「ねぇ、最後にわるいことしよっか?」
「銀行強盗とかですか?」
「お金あっても意味ないでしょ。これよこれ」
先輩はリュックから酒と煙草を取り出した。多分コンビニかなんかから調達したんだろう。先輩は煙草のパッケージを破いて一本取り出して口に咥えてから、透明なプラスチックの使い捨てライターで火をつけようとした。
「あれ?おかしいな。火がつかない。不良品?」
「先輩、煙草って吸いながら火をつけるものらしいですよ。こないだ読んだ小説に書いてありました」
「ふうん、結構めんどくさいのね」と言ってから先輩は火をつけて、げほげほと勢いよく咽せた。
「まっず!!もう二度と吸わない」
「僕はそもそも吸いたくないです。臭いし」
先輩は地面に押し付けて煙草を消してそのままポイ捨てした。以前ならそれはマナー違反だと注意しただろうけど今周りを見る限り僕たち以外いないしそのうち穴に吸い込まれるからまあ良いだろうと思った。
チューハイは甘くてジュースみたいだったから飲めた。ビールはぬるくて苦くて不味かったからやめた。お酒を飲んでも僕たちは何も変わらなかった。
「これよく見たらビールじゃなくて発泡酒じゃん」
「ビールじゃないんですか?」
「確か酒税が違うんじゃなかったっけ?とにかくビールより安いのよ」
「先輩そういうの詳しいですよね」
「次はね、キス、してみたい」
「えっ、本気ですか?」
「だって経験ないまま死ぬのやだし。他に頼める人いないからさ、お願い!」
先輩の顔がかなり真剣だったのでここはどうするのが正解なのか悩んでるうちに顔が近づいてきてチュッとやられた。誠に遺憾な事に先輩にファーストキスを奪われてしまった。
「なんかフツーだね。思ってたよりも何もない」
奪っておきながら失礼な先輩はつまらなそうに言った。
「全然レモンの味じゃないですね。お酒の味です」
もっとわるいことする?って聞かれたけど怖いからやめておくと言う。そのわるいことは多分僕にとっては嬉しくない。
先輩は枝毛を弄りながらじりじりと近づく穴を見てこう言った。
「あのさあ、穴に入るのって性的なメタファーじゃん」
「メタファーって何ですか?」
「ググりなよ」
「あっ、もう充電ないですよ。これはもうスマホじゃなくてただの文鎮になりました。そもそもネットも繋がりませんし」
あははと笑ってから先輩は鞄の中から紫色のポーチを出して化粧を直し始めた。どう見ても拷問器具としか思えないソレでまつ毛を挟む。女の人は自分のために化粧をするって聞いたことがあるから多分最後は綺麗にしていたいとかそういう気持ちがあるんだろうなと思った。
「わたしはここにいるけどどうする?」
「やっぱり怖いからやめておきます」
「そっかぁ、あのさ、最後にあたしに何か言いたいこととか無い?」
「先輩、メタファーってなんですか?」
「暗喩だよ」
「あんゆ…。ちょっとよくわからないですね…」
先輩は馬鹿にするような顔をしてから僕の目をまっすぐ見つめた。
「あのね、あんたの事、好きだったよ」
「あー、実は知ってました。なんていうかありがとうございます」
「はぁ、最低。でもあんたそういうやつだよね。まあ気をつけてね。バイバイ」
先輩は手をひらひらと振って穴の方へと歩いて行った。
「さよなら」
多分、聞こえてなかったと思う。先輩の事は異性としては好きになれなかったけど人としては好きだった。ああいうちょっと強引で引っ張ってくれる人の方が一緒にいて楽だったというずるい気持ちもあった。先輩は隠してるつもりでも好意はバレバレだった。
これから、歩いて逃げられるとこまで行こうと思う。明日もしかしたら穴が追いついて自分の世界は終わるかもしれないしそうじゃないかもしれない。
逃げても逃げてもいつか終わりが来る。ここまで劇的じゃなくても生きている以上いつかは終わりが来ていただろう。
穴に吸い込まれて戻った人はいないから本当はその後がどうなるかなんて分からない。もしかしたら他の世界が広がってたり、なんてことは多分無い。この辺りにはもう全然人がいなくて静かで映画みたいだった。世界にひとりきりみたいでちょっと切なくなった。
「ああ、静かだ」
僕は目を瞑る。やっぱり最後まで先輩と手を繋いで一緒にいてあげれば良かったかもしれないな。そんな事を考えながらぼろぼろのスニーカーの紐を締め直すためにしゃがんだ。その瞬間、ぐらりと地面が傾いて視界が暗転した。思ったよりも早く世界の終わりがやって来たみたいだった。
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