深い心の傷
散々に驚かされた初日の夜、一人にマリーは不安だった。
修道院という不慣れな環境への緊張もある。
そして押しかけてくるだろう両親への不安。
もし連れ戻されたら、自分はどんな酷い所へやられるのか?
絶望に包まれて見える未来。
(私はどうしたらいいの?)
自分にできることはあまりにも少ない。
(それに私の恋は叶わない。クレメント様はきっとイーリン様のような方が好きよね。こんなに暗い私よりも…)
クレメントやイーリンは貴族で、平民の自分とは違う。
だが、それだけではない。
人としてもあまりにも違う。
父も母も私を愛さなかった。
愛された彼らと自分は違う。
血の滲むよいな努力は認めてもらえなかった。
(私が悪い子だったから)
こんなに期待外れの出来損ないじゃなくて、せめて私がもう少し頭が良かったら…。
いつもいつも両親の期待を裏切って…。
ずっとそう思ってきた。
偽ったならば自分を始めて受け入れてくれただけ。
だが、待望の男子であるだけで弟は無条件で愛された。
愛されぬ自分があまりにも惨めだった。
悶々と思い悩んだ。
旅の疲れもあったのだが、いつの間にかマリーは寝入っていた。
−トントン−
「…はい」
寝過ごしたのではないかとマリーは慌てた。
「おはよう! マリー!」
元気良くドアを開いたのはイーリンだった。
「おはようございます、イーリン様」
「良く眠れたかしら? 朝の日課を教えようと思って……」
イーリンは嬉々としてマリーに朝の日課を教え始めた。
顔を洗う噴水、水を汲む井戸、食事時を知らせる鐘の音。
「それから、ここが一番大切な礼拝堂。朝のミサはここでするのよ。ここにいる修道女たちはみな、一日4回祈りを捧げるの。場所はどこでもいい。心から祈ればいいの」
その言葉を聞いたマリーの表情が曇った。
「どうしたの?」
イーリンが首を傾げる。
「何でもありません」
明るく笑うマリーの表情は少し強張っていた。
決められた日課をこなしながら、少しずつ人目のない所でマリーは暗い顔をする。食欲も段々落ちてきて夜もあまり眠れないようだった。
「どうしたの、マリー? ここが嫌い?」
イーリンもシスターも心配した。
「とんでもありません。皆さまに良くして頂いて感謝してます」
笑おうとするマリーの顔には無理があった。
−トントン−
「マリー、おはよう!」
いつもはもっと早起きなのにと呼びに来たイーリンは、マリーを見るなり口をつぐんだ。
「すみません、寝起きで頭がボーッとしていて。直ぐに仕度しますから」
「マリー!? あなた目の下にくまができてるっ! 顔色も悪いわ! どこか具合が悪いんじゃなくて?」
「ちょっと寝付かれなかっただけです。大丈夫です」
眠れなかったのは自分が悪いのだから、人に迷惑をかけるわけにもサボるわけにもいかない。
気だるげな様子や顔色の悪さを理由にシスター・ヴァネッサが呼ばれ、マリーはベッドに追いやられ休むように言われた。また少しうつらうつらした。
昼食を運んできたイーリンが言う。
「厨房でマリーの為に消化の良いものを作って下さったんですって。少しでも食べてね」
「私の為にわざわざ手間をかけさせて申し訳ありません…」
(私はここでも迷惑ばかりかける出来損ないなのだろうか)
「…誰も手間だなんて思ってないわ。それから、もう少ししたら院長が診察に来るわ」
「院長が? 何故?」
「院長はお医者さまなの。心の傷を治してくれるお医者」
「えっ!? そんなお医者さまいるんですか?」
「いるのよ。私も心の傷を治してもらったの。だからマリーも辛いことや悩みがあるのなら相談してみたら?」
「でも、そんな偉い方に私なんかが……」
「院長は私なんかの話も親身に聞いてくれて、私なんかの苦しさをわかってくれた。私なんかが無礼なことを言っても怒らない。…とても優しい方なの」
そういうイーリンの表情は苦しげだった。
(イーリン様はどうしてこんなに自分を卑下するのかしら? 明るくて優しくて身分もある方なのに?)
戸惑いながらマリーは言った。
「わかりました」
昼食を少し食べからしばらくして、シスター・ヴァネッサやイーリンと共に院長はマリーを訪れた。
「気持ちを落ち着かせるお茶を用意したわ。まずは一緒にお茶を頂きましょう」
ワゴンを押してきたシスターが煎れてくれたお茶は、かすかに林檎の香りがした。
凛と背筋を伸ばし威厳に満ちた姿に慈愛の溢れる瞳。
マリーは間近で見た院長の姿に圧倒された。
「具合が悪いと聞いたわ、マリー。心労で眠れないの? 良かったら私に聞かせてくれる?」
心配そうに院長は話す。
「…聞いて下さい」
我知らずマリーは自分から語り始めていた。
「ええ、マリー」
院長はそっと頷いた。
「私は両親から虐待されてきました」
マリーは張り詰めた表情で言った。
「小さな頃から私の毎日は勉強だけでした。父はいつも出来が悪い、努力が足りないと叱りつけ怒鳴るだけです。……そして母は出来損ないと私を毎日罵りました」
場が一瞬にして重苦しい空気に変わる。
「でも父が責めた後は……長い時間金切り声で詰り続けて……真っ赤になるほど頬を打ったり……服の下を鞭で打ったり……真っ暗な物置きに閉じ込められたり……木に縛り付けられたり……」
話している途中から自然とマリーの目から涙が溢れてきた。
「…父は仕事ばかりで……叱りつける以外は私に無関心だった。母の暴力など、どうでも良かったのでしょう」
涙と嗚咽で話が途切れ途切れになる。
「私は……認めてもらえるように、褒めてもらえるように……一生懸命に頑張った」
皆がしんと静まり返る。
「でも……どんなに頑張っても、それが両親に認められたことは……ありません」
誰も口を挟むことができない。
「私は両親に……愛された記憶がありません。……優しい言葉をもらったことも……笑いかけられたことも……抱きしめられたことも……プレゼント一つもらったこともありません。でも弟は……生まれてきただけで愛された」
縋るように答えを待ち望むようにマリーが問いかけた。
「私の何が悪かったんでしょうか?」
頑張ったのですが、鬱展開は避けられませんでした。
感想を読んで自分でも考えて大幅改稿しました。




