医師ティべリア
(えっ! 院長が王族!? しかも先代国王の王妹!? じゃあ、どうしてこんな所にいるの?)
イーリンは混乱して頭が真っ白になった。自分の非礼を思い出して顔色まて悪くなっていく。
今まで、たかが僻地の修道院と侮ってまともに姿を見たことなどなかった。改めて見る院長は威厳に溢れ、小さな体とは思えない大きな存在感に満ちていた。
だが、イーリンが驚いたのはそこではない。
(えっ?…笑ってる?……)
皺に包まれた厳しい顔の中で、茶目っ気のある目だけが明るく微笑んでいたのだ。
ハッと気づき、慌ててカーテシーを取ろうとしたイーリンに院長が言った。
「礼は取らなくてよろしい。ここでの私はただの修道院長です」
そしてチラッとイーリンの腕を見た。
「怪我をしたのではない? 腕を見せてご覧なさい」
イーリンはおずおずと両腕を差し出した。
真剣な目で皮膚を改めた院長はシスターに言った。
「シスター・ヴァネッサ。イーリンの腕に傷があるわ。急いで救急箱を持ってきて」
「はい。院長」
言われて始めてイーリンは、自分の腕の痛みを感じた。
「ほとんどが引っ掻き傷だけど少し血も出ているわ。水で洗いましょう」
噴水まで連れてきた院長は、イーリンの修道服の両袖を肩までまくり上げて洗い出した。
「王女殿下にそんなことをしていただくわけには!」
「今の私は医師ですよ」
「えっ?」
「ティべリア殿下は医師の資格をお持ちです」
文官が付け加えて、更にイーリンは混乱した。
(何でそんな偉い人が貧乏暮らししてるの? 何でそんな汚い仕事をしなきゃならないの?)
「院長! 持ってきました!」
疑問を挟もうとしたちょうどそこに、小走りで往復したシスターが息を弾ませ戻ってきた。
「座りましょう。まず傷の手当てよ」
まず清潔な布で濡れた皮膚を優しく抑え拭きしてから、ヘラで丁寧に傷薬を塗り込んでいった。
「痛いでしょうけど少し我慢してね。傷口は浅いから綺麗に治るわ」
一巻きの包帯をコロコロと転がしながら見るも綺麗な形に巻いていく。それは熟練の技であり、決して素人にはできない。イーリンにもそれはわかった。最後に包帯の端を結び院長が言った。
「これでいいわ。私が医師でもあると理解できたわね?」
「はい、院長……でも……」
「でも何?」
「…はい……あの何故医師になったんですか?」
「何故とは?」
「王女様なら降る程の縁談があったはずです! 見目の良い人を選んで、皆にかしずかれて、贅沢な暮らしをして!! 医師なんかになって、こんな所に住む必要などないはずです!」
「医師なんか? こんな所?」
「あっ! すみません!!」
「いいのよ。それが正直な気持ちなら」
イーリンの目を見つめながら、真剣な顔で院長は語りだした。
「王族には義務があります」
「義務?」
「ええ。民の為に、そして国の為に一つの学問または分野に習熟し、功績を挙げるという義務が。私が選んだのは医術だった。だから医術になったのです。貴族なら暗黙の了解だけど?」
「…………」
「知らなかったのね?」
「……はい」
「ではフリードリヒが何を選んだか知っている?」
「……知りません……」
「好きな人のことよ?」
「…………」
「フリードリヒは伝染病で亡くなる民を減らそうと望み、衛生という分野に取り組んでいます」
「…………」
「川の水を運ぶ水路や、下町に溢れる汚物を流す下水管の配置や設計を考えながら、よく下町にまで足を運んでいるわ」
「…………」
「あなたは、その隣を歩けるかしら?」
「…………」
「エスターはフリードリヒと一緒に歩き、孤児たちの暮らしに心を痛めたの。どうにかしてあげられないかと、四苦八苦しながら孤児院の経営に尽力しているわ」
「…………」
「エスターは婚約が決まった時から妃教育の為に城にあがっています。でもそれは優雅にダンスをしたり、お茶を飲む為ではないのよ」
「???」
「一番大切なことは御前会議に出席すること。歴史を知ることは現実を知ることよりも大切ではない。今の世界情勢、今の経済と産業、今の政治を知らずして国は守れぬ。幼い頃は、ただ会議を聞いているだけでも許されたけど、妃になれば意見を求められるわ。会議の後は自分の足りない知識の勉強よ。王が不在の時には代理を勤め、王がみまかられた後は摂政になるやもしれぬ。妃とはそうした存在です」
「…………」
「いくら外国語を覚えても使わぬ言葉は忘れていく。使わぬ知識も忘れていく。妃は夢のゴールではない。努力というスタートラインなのです」
「…………」
「例えエスターでも努力を止めたなら、フリードリヒは失望するでしょう」
「…………」
「あなたが夢見た、皆にかしずかれる優雅で贅沢な暮らしはどこにもないのよ」
イーリンの夢はガラガラと崩れ落ちていった。
憧れと現実。
下水管に熱中する王子様なんて嫌。
オヤジたちが唾を飛ばしながら延々詰まらない話をする会議なんて、船をこいで毎回怒られるに決まってる。
大嫌いな勉強地獄の日々が死ぬまで続く。
(私はどこが好きだったんだろう?)
恋に恋していただけなのか?
(……私の理想の王子様はどこにもいなかったんだわ……)
長い時間考え込み、ようやく落ち着いたイーリンが顔を上げると、院長が見守っていた。
「では次にあなたの心の傷について話しましょう」
「心の傷?」
「体についた傷は誰の目にも見える。だから治療してもらえるわ。でも心についた傷は誰にも見えない。誰にもわかってもらえない。そうしてやがて心を殺してしまうことがあるの」
妃教育とは何かを調べましたが、よくわかりません。
「メアリ・スチュアートは数ヵ国を話しリュートを巧みに弾き、ダンスも乗馬も優美であった」という教養部分は基準として、こうあって欲しい理想を入れてみました。
フリードリヒの上下水道等の公衆衛生&エスターの孤児院訪問の伏線がやっと生きました(^-^)




