僕の覚悟 side ジェラール
翌日の昼、僕はセリーに会いに行くために廊下を歩いていた。
とにかく彼女と会って僕をどう思っているのかを聞きたかった。
廊下を急ぎ足で歩いていると、突然声を掛けられた。
「ジェラール」
「兄上!? どうされたんですか? 何か御用でも……」
普段から全く近づいて来ない兄のドリュートに呼び止められ、思わず大きな声を出してしまった。
同じ領地経営学科を専攻していながら、会話をしたのは本当に久しぶりだ。
ドリュートはこちらに来いと、僕を近くの空き教室へと連れて行った。
「……最近お前は、領地経営学の教授に頻繁に教えを乞うているだろう。授業終わりだけではなく、放課後も教授のもとに通っているそうだな。随分と勉強熱心なことだ。父上はもうお前を次期領主に決めたのか? お前は教授から最高評価を受けたからな。落ちこぼれの俺はお払い箱というわけか」
ドリュートが言った言葉の意味を考えて驚いた。
最近の僕の行動が彼に勘違いをさせてしまったことに気づいて、慌てて否定する。
「違います! 次期侯爵は兄上です。僕ではありません!」
「白々しい。お前は以前、父上に言われ仕方がなく領地経営学科を専攻したと言っていたが、お前が領地経営に興味を持っているのは分かっているんだ。本当は自分が領主になりたいんだろう?」
嘲るようにこちらを見るドリュートに、僕は言い募った。
「兄上、確かに僕は領地経営に興味があります。ですが侯爵領の領主になりたいとは思っていません。僕は恋人であるセリーヌ・アルヴェーヌ嬢と結婚して、アルヴェーヌ伯爵家の次期領主となれるように働きかけているところです」
ドリュートは一瞬虚を突かれたように僕を見たが、少し考え込んだあと、益々嘲るような表情になった。
「お前の恋人には婚約者がいるのではないのか? お前は婚約者からその座を奪おうとしているのか?」
ドリュートの疑問は当然だった。
後継の男子がおらず婿入りを希望する家は、すでに相応な者を婚約者として契約を結んでいるのが当たり前なのだ。
恋愛結婚で次期領主を目指すなど、到底考えられないことだった。
僕もまさかアレクさんから入り婿の提案が出されるとは思いもしなかった。
彼に画期的な魔道具を製作したから僕と二人きりで販路の相談をしたいと言われたとき、僕はセリーのことで何か言われるのではないかと身構えた。
セリーから聞いた彼は23歳で未だ独身であり、婚約者もいない。初めて会ったときも僕を牽制してきたことから、彼がセリーに特別な感情を抱いているのではと勘繰ってしまった。
だから彼の宿へ行き次期領主の座を打診されたときは、あまりの衝撃にしばらくは思考停止していた。そして思考が回復すると、これは何かの罠ではないか、騙されているのではないかと考えを巡らせた。
けれど訝しがる僕にアレクさんが見せてくれたモーターという魔道具はこれまでに無いほど画期的で、彼の類い稀な魔道具職人としての才能を目の当たりにした。
『俺は領主よりも魔道具職人の方が性に合っているんだ』と言う彼の言葉を僕は信じた。
アレクさんの提案は僕がモーターの売り方を考えて販路戦略を立て、それをアルヴェーヌ伯爵がお認めになれば入り婿として次期領主の座を譲るというものだった。
それから僕は領地経営学の教授に教えを請い、魔道具科の教授や商法に詳しい先生にも相談して販路戦略の概要をまとめたレポートを作った。このレポートは先日アレクさんに提出し合格を貰っているので、あとはより詳細なものを作り、伯爵に僕の次期領主としての資質を認めてもらわなければならない。
ドリュートには、この件は伯爵領の次期領主であるアレクさんからの打診であること、次期領主として認められるためには必要な条件があることを話した。
「次期領主の座を譲るなど、そんなことがあるのか? 騙されているのではないか?」
ドリュートは心配そうに僕を見た。
彼は僕を避けほとんど会話も無い状態だったが、彼が本当はとても優しい人であることは分かっている。
昔は兄としてよく僕の世話を焼いてくれていたドリュートの態度が変わり始めたのはいつのころだっただろうか。
僕たちの中途半端な立ち位置が彼の心を曇らせてしまった。
「僕は明日から2週間学園を休み、侯爵領と伯爵領に行く予定です。父上には手紙でアルヴェーヌ伯爵令嬢と結婚を考えていることは知らせてあります。あとは僕の領主としての資質が伯爵に認められるかどうかですが、アレク様には伯爵への働き掛けを約束していただきました」
「お前の母親もこの話は知っているのか? お前が侯爵領を継ぐことに執念を燃やしていたではないか。伯爵領など納得するのか?」
「母上が父上から聞いているかはわかりません。ですがアルヴェーヌ伯爵領は経済発展目覚ましい領です。モーターを売り出せば更に飛躍するでしょう。母上にも必ず認めていただきます」
ドリュートは得心が行ったようにひとつ頷いた。
「そうか……そこまで話が進んでいるのだな……」
いつも煩わし気な表情を僕に向けていた彼の、肩の力が抜けたような様子に、今ならば僕のことばが届くのではないかと考えた。
僕が自分の母親の溺愛や領主への固執を一身に受けていたように、彼も彼の母親からの期待を一身に背負っていた。
僕たちはずっと身動きが取れない状態で今日まで来てしまった。
「兄上、侯爵領の次期領主は兄上です」
僕は目に力を込めて兄のドリュートを見た。
ドリュートは息を呑んで僕を見る。
「僕たちはこの年になるまで次期領主がどちらになるのか分からないまま、お互い中途半端な立ち位置にいました。その中で僕は次第に領主の仕事がしたいと思うようになった自分の心を、どこに持っていけば良いのかわからずに悩みました。兄上もどうすれば良いのかわからず悩んだのではないのですか? でも、それも終わりにしましょう。僕は伯爵に認められるように全力を尽くします。兄上も侯爵領を良いものにするために、今できることに全力を尽くしてください」
「ジェラール…………分かった。俺も全力を尽くすと誓おう」
兄の顔は強張ってはいたけれど、その瞳は決意に満ちたものだった。
兄との邂逅で思わぬ時間を取ってしまった僕は、セリーに会うために急いでいた。
このあとは休めない授業があり、放課後は生徒会の仕事の最終調整がある。
この昼時間しか会うことができない僕は、ようやく食堂のテラスにひとりでいた彼女を捕まえた。
「セリー!」
「え!? ジェル?」
「やっと会えた。セリーごめん、すぐに資料室へ行ってもいい? 時間があまり無いんだ」
セリーのお昼ごはんが持ち運べるサンドイッチで良かったと思いながら、僕たちは資料室へ急いだ。
「セリー、会いたかった」
資料室へ入るなり、僕はセリーを抱き締めた。
久しぶりの彼女に連日の忙しさでささくれ立った心や疲れが吹き飛ぶ気がした。
「ジェル……苦しいわ」
「ごめん、久しぶりのセリーが嬉しくて、加減できなかった」
慌てて力を緩める。
「セリー、時間が無いからお昼ごはん食べながら聞いてくれる?」
「もう殆ど食べ終わっていたし、お腹もいっぱいだから大丈夫よ。何かあったの?」
僕は彼女の緑色の瞳を見つめた。
「実は明日から2週間、学園を休むんだ。僕は僕の望む未来を勝ち取るために頑張ってこようと思う。帰ってきたらセリーに伝えたいことがあるんだ。聞いてくれる?」
「…………ええ、わかったわ」
セリーの父上に結婚の許可をいただけたら、すぐにプロポーズすると決めている。
けれどその前に彼女の気持ちを確認しておきたい。
僕の腕の中で上目遣いに僕を見つめるセリーに問いかける。
「セリーは僕のことが好きだよね?」
「大好きよ」
セリーは僕の予想通りに大好きだと言ってくれた。
ここで何よりも確認したいことを尋ねる。
「僕とずっと一緒にいたい?」
「……ずっと一緒にいたい」
彼女はそれを切望するように僕を見つめた。
「じゃあ、いつまでも一緒にいよう!」
そう言ってぎゅうぎゅうに抱き締める。
ずっと一緒にいたいと望んでくれたことがすごく嬉しい。
不安だった心が晴れていくのが分かった。
「好きだよ」
僕はセリーにキスをした。
セリーを教室へ送りながら、昨日の生徒会室での出来事を思い出した。
「そういえばセリー、ミリティア・ラングレルに何か言ったりした?」
「え!? ミリティア様に!? な、なんのことかしら!」
急に狼狽え出した彼女に驚く。
「本当にミリティアに何か言ったの?」
セリーが嫉妬してくれたってこと? 本当に?
「あ、あの、怒鳴りつけちゃったことなら、ついカッとしてしまったの」
「セリーが怒鳴りつけたの!?」
「う……うん。……幻滅した?」
気まずそうにこちらを見る顔がかわいい。
「ううん、全然」
「そう……良かった……」
「でもミリティアがセリーに身分のことで貶められたって言ってたんだけれど、セリーはそんなこと言わないよね?」
「い、言わないわ! 言うわけがないわ!」
慌てて否定する彼女に僕は分かっているよと笑顔を向けた。
「そうだよね。セリーが言うわけないよね。そもそも何の話をしていてカッとなったの?」
「それは……」
彼女はそのまま黙り込んでしまった。
「言いたくなかったら言わなくていいよ。……もう教室に着いてしまうね。名残惜しいな」
思った通りだ。セリーと離れるのがひどく寂しい。
けれどもう次の授業が始まる時間だ。僕も急がないと遅刻してしまう。
「しばらく会えなくて寂しいけれど、僕とセリーの将来のために頑張ってくるね」
「え……?」
「それじゃあ!」
離れがたい気持ちを振り払うように、セリーに背を向けて駆け出す。
放課後は生徒会の仕事を片付けて、販路戦略の詳細なレポートも完成させなけばならない。
本当に時間が無いが、アレクさんは何かを急いでいるようだったし、短期間で戦略が立てられることも領主の資質があるかの見極めに重要だと言われればやらざるを得ない。
後ろ髪を引かれながら、僕は自分の教室に向けて急ぐのだった。
生徒会室で仕事を今日中に終わらせるために集中して作業をしていると、ルカリオ様とユミレア様、トゥーリが揃ってやって来た。
「すごいな、もうこんなに処理したのか。さすがジェラールだな」
「書類は粗方片づけたのですが、まだ処理できないものはこちらに一覧にしてありますので、よろしくお願いします」
「ああ、任せておけ」
「そうそう、僕たちに任せてよ」
「ジェラール様は心置きなく領地にお帰り下さいね」
笑顔でそう応じてくれることが有り難い。
「ありがとうございます」
そうして、また黙々と作業を進めていた。
「それにしてもミリティア様は遅いですわね。どうされたのかしら?」
休憩時間になり、ユミレア様がチーズケーキの準備をしながら問い掛けた。
最近の生徒会室では休憩のお菓子はチーズケーキが基本となっている。
以前はミリティアが作って来たときしか食べなかったし、もっと前は揃って休憩することも無かった。ユミレア様がルカリオ様とトゥーリの好みを聞いて用意するようになってからは毎日だ。
この頃ミリティアは僕の好きなレアチーズケーキを作って来ることが多く、僕は嬉しいは嬉しいのだけれど、そんなに気を遣ってくれなくてもいいのにとも思う。
そこへ勢いよく扉が開かれ、ミリティアが飛び込んできた。
「遅くなりました! すみません!」
「ミリティア、遅かったね~。何かあったの?」
トゥーリの問い掛けに、さっきまでの勢いが嘘のように大人しくなった彼女は困ったような顔をした。
「あの……教科書が無くなってしまって探していたんです」
「見つかったの?」
「それが……見つかったは見つかったんですけど……」
言いにくそうに口ごもり俯く。
そうして悲しそうに『ゴミ箱の中に捨てられていた』と言った彼女に、ここにいる全員が驚く。
「……私は元平民なので、私を良く思わない人がいるのは仕方が無いんです」
しょんぼりと肩を落とす彼女を気の毒に思う。
この学園はどの身分でも自由に学べるように配慮はされているが、身分が無くなるわけではない。
元平民でありながら生徒会入りをした彼女への風当たりは思った以上に強いのかもしれない。
そう考えていると、突然トゥーリが思い出したとばかりに声を出した。
「そう言えば昨日、ミリティアはジェラールの恋人に睨まれたって言っていたよね」
何を言い出すのかとトゥーリに目を向けると、彼も僕をジッと見ていた。
「ジェラール、どうだった? 今日会ったんでしょう?」
「……身分のことについては言っていないと聞いた」
今回の教科書が捨てられていた件とセリーを関連付けるかのように話すトゥーリにムッとする。
なぜこんな弁明をしなくてはいけないのか。
「じゃあ、睨んだのは本当なんだ」
なおも言葉を重ねてくる彼に苛立ち、声を荒げてしまう。
「セリーは教科書を捨てるような嫌がらせなど絶対にしない! それは僕が保証する!」
「そうですわ。セリーヌ様はそんなことはしませんわ」
ユミレア様がやんわりとトゥーリを窘めてくれ、彼は渋々ながらも引き下がった。
「とにかく今は様子見だな。ミリティア、もし今後も嫌がらせが続くようであれば言うように」
「はい……」
ルカリオ様はそう言ってその場を治めた。
僕は憮然としながらも、今後ミリティアへの嫌がらせが続くようであれば何か対策をしなければならないなと思っていた。
嫌がらせなどする筈もないセリーが、それに巻き込まれることなど考えもしていなかった。




