ジェラールの過去
「セリー、体調はもう大丈夫?」
「うん。朝ちょっと気分が悪かっだけで、今は大丈夫」
「良かった。本当はお見舞いの花だけ寮母さんに渡して帰ろうと思ってたんだけど、もう大丈夫だからってここに案内されたんだ。わざわざ来てもらってごめんね」
ここは女子寮の面会室。テーブルとソファが置いてあるだけの簡素な部屋だ。
男子生徒が女子生徒の部屋に入ることはできないから、どうしても面会が必要なときはここに通される。
本当は寮母の立ち会いが必要なのだけれど、マルチーヌさんは気を利かせて退出してしまった。
ジェルの横に座り、気合いを入れて口を開いた。
「ううん、ジェルに会えてうれしい」
「えっ!」
「ジェル大好き! お花ありがとう!」
「……セリーがそんなこと言うなんて珍しいね」
「うん……今まで恥ずかしくて言えなかったけれど、これからはちゃんと大好きって言葉にしようと思ったの」
「ふふふっ、僕も大好きだよ」
そう言って、ジェルは私を抱き締める。
「お昼に迎えに行ったらお休みだっていうからビックリしたよ。昨日まで忙しかったから疲れがでたのかな?」
「ジェルの方がよっぽど忙しかったのに不甲斐ないわ」
「僕はけっこう鍛えてるからね。セリーはこんなに華奢なんだから、気を付けないと」
キュッと腕に力を込めて、私の頭にキスを落とす。
そうしてしばらくお互いの体温を感じるように抱き合っていた。
「名残惜しいけど、そろそろ寮に戻るよ。あんまり長居すると寮母さんに怒られてしまう」
残念そうに腕を開くジェルに、甘すぎて心が挫けそうになった私は努めて明るい声を出した。
「今日はありがとう! おかげでさっきよりずっと元気になったわ。ジェルのおかげね」
「僕もセリーには元気をもらっているよ。大好きって言ってくれて嬉しかった。それじゃあまた明日」
私の唇にキスをしてジェルは面会室を出て行ってしまった。
「………………頑張って気持ちを素直に伝えてるのに、それ以上になって返ってくるってどういうこと? 私は今までの彼女たちと同じように数か月付き合っただけで別れる予定の女なのに。ジェルは完璧な彼氏だから前の彼女たちにもそうしてたの……?」
ジェルの甘すぎる対応に泣きたくなってくる。
けれど、もうすぐ私は別れを告げられるだろう。
なぜなら彼は自分の評判を落とすために今までの彼女たちと付き合ってきたのだから。
ジェラールは複雑な状況の中で誕生した。
グリュイニール侯爵家では侯爵夫妻が7年間子宝に恵まれなかったことで後継問題が浮上していた。
不運なことに近い血筋には後継指名できるような男子がおらず、ジェラールの父親である侯爵は苦渋の決断をした。それは第二夫人を迎え、跡取りを誕生させようというものだった。貴族にはよくある話で、ジェラールの母親も悲しみを堪えながら従った。
そうして迎えられた男爵令嬢はすぐに子供を身籠り、生まれたのは待望の男児だった。
後継の誕生に沸き立つ侯爵家の中で、第一夫人の妊娠が判明したのはその1ヵ月後、妊娠4か月だった。幸か不幸か、半年後に公爵家出身の第一夫人が産み落としたのも男児だった。
後継が長男であることは揺るがない事実であるはずだった。後継を作るために男爵令嬢を娶り、子を成したのだから。しかし半年程しか年の離れていない次男が優秀すぎたことで侯爵家は混迷していく。
長男のドリュートは男爵家出身の母を持ち、その容姿は母親に似て凡庸で、美丈夫と評判の父親には似ていなかった。
次男のジェラールは公爵家出身の母を持ち、母譲りの美しい容姿に、父譲りの髪と瞳の色をしていた。
父である侯爵は自分と同じ色合いを持つ次男を特に可愛がった。
ジェラールの母親も美しく優秀なジェラールを溺愛し、何とか次期侯爵にできないかと考えるようになってしまった。その考えは二人が大きくなるにつれ強くなっていく。
ジェラールが次期侯爵はドリュートだと、男子が生まれれば後継にすると男爵家と交わした約束を今さら反故にしては貴族社会からの信用を失ってしまうと何度訴えても、頑なにジェラールの方がふさわしいと言って聞いて貰えなかった。
幼いころは同い年の兄弟ということで仲良く遊んでいたドリュートとジェラールだったが、学園に入学するころにはすっかり冷えた関係になっていた。優しかったドリュートが自分に冷たい目を向け、避けるようになったのが悲しかった。
そんな中、こちらの迷惑も考えず次々と言い寄ってくるご令嬢たちに嫌気がさしていたジェラールは、どうせならこの状況を利用しようと考えた。女癖が悪いのも醜聞になる。母親の考えを変えられるかもしれない。結局のところ、みんな自分の家格と容姿にしか興味がないのだ。そんなに自分と付き合いたいのならば付き合ってもらおうではないか。
そうしてジェラールは学園に入学後も数々のご令嬢と付き合うことになる。
ゲームでのジェルの過去はこんな話だった。
高位文官を目指していて成績は下げられないから、いろんなご令嬢と付き合って醜聞を立てることで自分の評価を下げようとするんだよね。
レアチーズケーキをイメージしたジェルは、冷たそうに見えるが、実は中身が真っ白で純粋だというキャラ設定だったはずだ。
最終的にはヒロインと本当の恋に落ちることになる……。
私はジェルのかりそめの恋人のひとり。
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「ちょっと! どういうことですの!」
「そうよ! ジェラール様に買い物をさせて女子寮まで届けさせるなんて、何を考えているのよ!」
「ジェラール様が生徒会のお仕事でお忙しいのはご存じでしょう!」
「あなた! いい加減にしなさいよ!」
……えーっと、なんでこうなってるの?
今日ジェルは生徒会役員の入学式お疲れ様昼食会に行っているので、お友達と楽しく昼食を食べていた。そこへ呼び出しがかかり、この裏庭まで連れて来られたのだ。
裏庭では他に3人のご令嬢も待機していて、囲まれてしまった。
ゲームでヒロインを囲んでいたご令嬢方とは違う顔ぶれのようだ。
この内の一人はジェルの前の彼女である一つ年下の伯爵令嬢だ。もう一人のご令嬢もかなり前にジェルと一緒にいたのを見たことがある。ゴージャスな美少女だから記憶に残っていた。他の二人は知らないが、もしかして全員ジェルの歴代の彼女達だろうか。
ジェルと付き合って2ヶ月、今まで何も言ってこなかったのに急にどうしたのだろう。
「あの、買い物というのはどういう……」
「昨日、ジェラール様が花を持って女子寮に歩いて行くのを見ましたの」
「ええ、私も見ましたわ。花を持つジェラール様はまるで一幅の絵画のようにお美しかったですわ」
「本当に。周りにいた女生徒たちは皆うっとりと眺めていましたもの」
「私は見逃してしまいました。昨日は授業が終わってすぐに寮に帰っていましたの。本当に口惜しいですわ!」
そうか、昨日ジェルは学生街の花屋で花を買ってから女生徒が多く行き交う女子寮への道を歩いて来たんだ。それは皆さん色めき立つわね。でも、買い物させたってどういう意味かしら……
「あの、買い物をさせたというのはどういう……」
「ジェラール様が面会室であなたに会っていたことはわかっているの。大方あなたがお花を贈って欲しいとねだったんでしょう? 別にお花を買っていただくことはいいのよ。私たちも花屋に連れて行ってもらったことがあるもの。けれど、ジェラール様お一人に買いに行かせて届けさせるなど、あまりに度が過ぎているのではなくて?」
「そうよ。私たちはジェラール様からお付き合いのチャンスを貰った仲間ですもの、ジェラール様がある程度のおねだりにお付き合いくださることはみんな知っています。けれど、あまりお手を煩わせるのは良くないですわ」
「ええ。私も期間内に好きになっていただけるよう、あの手この手を駆使して精一杯がんばりましたけれど、度を越さないようにと自分を戒めておりましたわ」
「そう、自分を戒めることは大切だわ。ジェラール様とお付き合いをしていると思うと舞い上がってしまうもの。お願いしてお昼をご一緒していただいたことがありましたけれど、まったく味がわからないほどでしたわ。まあ、ジェラール様のあの雰囲気にそんな気持ちも長くは続かないのですけれど」
「そうよね。私は期間終了を待たずに諦めてしまいましたわ。どんなに頑張っても変わらない態度に心が折れてしまいました。あなたもあと2か月ほどしかなくて焦りが出てきていると思うけれど、悔いが残らないように頑張ってね」
「2か月……」
「そうそう、終盤が特にきついのよ。最初は私のことを好きにさせてみせるって意気込むんだけれど、上手くいかないことばかりで焦ってしまうのよね。4か月もあれば私を好きになってくれるはずだという甘い期待は失望に変わっていくの。でも私、後悔はしていないわよ」
「ええ、精一杯頑張ったんですもの。私も後悔していないわ」
「私も」
「私もよ」
「あなたも頑張ってね。あなたがジェラール様の心を捕まえられるように応援しているわ」
「ダメだったら私たちのところへいらっしゃいよ。一緒にお話ししましょう」
「ではまたね」
「ごきげんよう」
そう言ってご令嬢たちは仲良く帰っていった。
すごい、ほとんど口を挿むことができなかった。完全に置いてけぼりにされていたわ。
でもそうか……ジェルは4か月って期間を区切ってご令嬢たちと付き合ってきたのね。
私がジェルに告白したときは、まさか受け入れてもらえると思っていなかったから、舞い上がって聞き逃してしまったのかもしれないわ。
とにかく私にはあと2か月しか残されていないのね……。
フラれると決まっている私には、あのご令嬢たちとは違って甘い期待なんてないけれど。
「応援してるって言われたの、嬉しいな……」
2か月と期限を切られたことで、いつ別れを告げられるか恐れていた気持ちが少し楽になった。
「私も精一杯努力して、後悔しないように頑張るわ!」
私は拳を握るのだった。