どうか幸せに side アレク
アレク視点を書いてみました。
「…………あいつら……スゲーな」
俺は手紙を読みながら嘆息した。
この手紙は現在王立フォンティーナ学園の魔道具科で助手として働いている俺の旧友のギュンターから送られてきたものだ。
手紙には先日俺の従妹のセリーヌ・アルヴェーヌが男爵令嬢ミリティア・ラングレルに陥れらそうになった事件のことや、その従妹が恋人のジェラール・グリュイニールから求婚されたことが書かれていたのだが……。
「大衆の面前で求婚した挙句にキスまでするとはね。しかも学園中にお祝いムードまで巻き起こすなんてラブラブカップルを通り越してバカップルだな」
俺は手紙を仕舞いながら、いま幸せの絶頂にいるだろう従妹を思い浮かべた。
俺がアルヴェーヌ伯爵領の次期領主として承認されたのは13歳の時だった。
伯父であるアルヴェーヌ伯爵に男児が生まれなかったことで、俺の次期領主としての立場が決まった。
俺は不満だった。
領主なんかになりたくなかった。
自分の父親のように自分の趣味に没頭して生きる姿が羨ましいと心底思っていた。
「セリーヌが男だったら良かったのに」
伯爵家の屋敷の庭で庭師の息子ルキアと共に土塗れになって遊んでいるセリーヌを見て思う。
あいつが男だったらこんな部屋に閉じ込められて領主になるための勉強なんてしないで済んだのに。今頃は街に繰り出して魔道具工房に入り浸っていられたのに。
どうしようもないことだとは分かっていたが、なかなか自分の気持ちに折り合いをつけることができなかった。
俺の家は市民街のすぐ近くにある。それなりに大きな家で、宝石や魔石を集めることが趣味の父親が経営している魔宝石店の近くだった。
俺は家を出ればすぐにいろんなもので溢れている市民街に行ける立地が気に入っていた。特に市民街の片隅にある魔道具工房は日用品の灯りや調理器具の魔道具だけでなく、新しい魔道具を発明しようと試行錯誤している姿を見るのが面白かった。
そんな俺が魔道具作りに没頭するようになったのはセリーヌのこんなお願いからだった。
「アレクお兄様、懐中電灯を作ってほしいの」
「……何だよ、カイチュウデントウって」
「遠くまで見える灯りのことなの。私、トイレに行くのが怖くてしょうがないの」
当時の灯りはボヤッと辺りを照らすだけで向こうの方までは照らせないものだった。
7歳になり夜のお付きメイドがいなくなったセリーヌは、トイレに行きたいときは一人で行かなければならなかった。
セリーヌがこんなのが欲しいと紙に描いた懐中電灯の形状はとても単純なもので、光る部分を曲面状の鏡で囲み光を一点に集中させるものだった。
当時の俺は曲面の角度が難しそうだとは感じたが、自分でも作れそうなその形状と光を集中させるという発想が面白いと感じた。
「魔道具工房によく行くってこの前お話ししてくれたでしょう?」
そう言って俺におねだりポーズをするセリーヌはまだ前世のことをそれ程思い出してはいない時期だったのだろう。年相応の振る舞いをしていた。いや、気のいい伯父とおっとりした伯母に育てられ、甘やかされていた彼女はより幼く見えた。
それからの俺は魔道具工房の一角を間借りし、暇を見つけては懐中電灯づくりに邁進するようになった。
簡単そうに見えたその形状も7歳でも持てる重さにすることがかなり難しかったが、何とか作り上げることができた。
この懐中電灯は夜中でも移動することがあるメイドや使用人達にかなり好評だった。俺が作った魔道具をみんなが便利そうに使う姿が嬉しかった。セリーヌもお礼を言いにやって来て『これで安心してトイレに行ける』と俺に笑顔を向けた。魔道具工房のみんなからも褒められ有頂天になった俺は、その後も魔道具づくりを続けると心に決め、それは今も続いている。
おそらくセリーヌは何か困難があったとき、その局面を打開できるような前世の知識を無意識に引き出しているのではないかと思う。だから、伯爵領の農地で不作が続いたあのとき、セリーヌは疲弊していた農民をどうにか助けたいと考えたことで、彼女の前世の記憶が大きく引き出されることになったのだろう。
ただそのときは、まさかセリーヌがその知識で領地の農業改革を行うなんて思ってもいなかった。ましてやそれを成功させるなんて想像もできないことだった。
16歳の夏、学園の長期休暇で伯爵領に帰省した俺は、ルキアと共に土塗れになって農地を飛び回っているセリーヌを目の当たりにして愕然とした。伯父からの手紙でセリーヌが前世の記憶があると言い出したことを知ってはいたが、すでに10歳にもなっているのに伯爵令嬢らしからぬ振る舞いをする彼女に本当に頭がおかしくなったのかと怒りが湧いてきた。
「ルキアは魔力暴走をいつ起こすか分からないんだぞ! お前は屋敷で伯爵令嬢らしく大人しくしていろ!」
あのときの俺は、セリーヌが農地に隔離されているルキアと遊びたいがために前世の記憶があるなどと嘘をついているのではないかと疑っていた。
「伯爵令嬢らしくって何よ! 私はルキアと一緒にこの農地を豊作にするんだから! 私の前世の記憶は絶対に役に立つわ!」
「子供の遊びでどうにかなるわけないだろ! お前はもう少し周りのことを考えろ!」
こちらの言うことに聞く耳を持たないセリーヌに無性に腹が立った。俺は学園でやりたくもない領地経営学の授業をまじめに受けているのに、こいつは領地でわがまま放題に遊びまわっているだなんてあんまりだと思った。俺が何度セリーヌを咎めても、彼女は頑として受け入れなかった。
「伯父さん! なんでセリーヌの好き勝手にさせているんですか! 子供がどうにかできる問題ではないでしょう!」
業を煮やした俺は伯父に詰め寄ったが、元来娘に甘い彼では娘のわがままを抑えることができないようだった。その様子に俺は益々腹を立て、その長期休暇中はセリーヌに近寄らなかった。
「セリーヌが男じゃなくて良かった」
もしあいつが男だったら、あんな頭のおかしい奴がこの伯爵領の後継ぎだったんだ。そう思ったら、まだ自分が領主になる意味があったかと少し気が晴れた気がした。
16歳だった俺はセリーヌの行動の理由も目的も考えずに、ただ彼女を否定しているだけだった。
「よう、長旅お疲れさん」
先日手紙をくれた魔道具科の旧友ギュンターが伯爵領を訪れた。
モーターを先行して王立フォンティーナ学園の魔道具科に卸す約束をしているため、その契約にやって来たのだ。
「アレク、次期領主の座をジェラール・グリュイニールに譲ったんだろう? これからどうするんだ?」
開口一番、ギュンターが俺に尋ねたのは今後の身の振り方だった。
「お前は領主になるのを嫌がっていたものな。ジェラール・グリュイニールは優秀だとどの教授も口を揃えて言うような奴だ。お前の従妹がそんな男を射止めるなんて良かったじゃないか。これからは魔道具の研究に専念するんだろ? 教授はお前が魔道具科に舞い戻るならそれなりのポストを用意すると言っていたぞ」
学生時代の俺はギュンターに領主ではなく魔道具職人になりたいとよく話していた。子爵家の次男であるギュンターは卒業後も魔道具科に留まり研究を続けていくことが決まっていて、それを俺は羨ましく感じていたし、自分も魔道具科でずっと研究をしたいと思っていた。
だけど違ったのだ。俺が本当にやりたかったことは魔道具科の中には無かった。それに気づけたことが良かったと思う。
「俺はこれからもこの領で研究を続けていくよ。この領が好きだからな」
俺が魔道具科に舞い戻ると疑っていなかったギュンターは目を瞬いた。そんな彼に俺はにやりと笑顔を向けた。
今から5年前、学園を卒業した18歳の俺が久しぶりに領地に帰って目にしたものは、整然と野菜が植えられている畑だった。そこには大きくツヤツヤとした野菜が育っていて、農民たちは忙しなく動きながらも嬉しそうに収穫していた。
セリーヌが前世の記憶があると言い出したあのときから領地に帰っていなかった俺は、そのあまりの変わりように驚き、しばらく言葉を失った。そして俺の卒業式に参列しに来た伯父が言った言葉を思い出した。
――領地に帰ったら、アレクはものすごく驚くと思うよ。
そう言ってにやりと笑った伯父はどこか誇らしげだった。
……これはセリーヌがしたことなのか?
一直線に並べて野菜が植えてある土は一列に高く盛られていて、その脇には溝が掘ってあった。今まで見たことが無いその野菜の植え方に、前世の記憶で豊作にすると言っていた従妹の顔が浮かんだ。俺は早く話を聞かなければとセリーヌのいる伯父の屋敷へと急いで帰って行った。
「あれは畝っていうものよ。前世ではああやって土を盛り上げて野菜を栽培していたの。水捌けが良くなるし、根っこがよく育つのよ」
そう言ってセリーヌは屈託なく笑った。今日帰る予定だった俺が到着するのを待ってくれていた彼女は、落ち着いた濃紺のワンピースを着ていて、12歳の少女であるはずなのにひどく大人びていた。
「前世の記憶があると言っていたのは本当だったのか……」
「そうよ。今はもうみんな信じてくれたわ。アレクお兄様も信じてくれたみたいね」
「あのときは悪かった……」
「いいのよ。普通は信じられるわけがないわ。私もムキになってしまったもの。ごめんなさい」
俺は頭ごなしに否定していた過去の自分が途端に子供っぽく思えた。
「アレク様はこれからは旦那様に付いて領主の仕事を勉強されると聞いていますが、このお屋敷に住まわれるのですか?」
……こいつも随分大人っぽくなったな。
11歳になったルキアは小柄な体格ではあるものの、堂々とした佇まいをしていた。魔力暴走を起こしていたときのオドオドとした様子は微塵もない。彼は魔法使いとしての才能が開花してきているらしく、将来が楽しみだと伯父さんは目を細めていた。
「俺はこの屋敷に魔道具研究のための部屋を用意してもらうことになったから泊まることは多いだろうけど、基本は俺の家に帰るつもりだ」
俺の言葉に、ルキアは少しホッとした様子を見せた。魔力制御ができるようになった彼はこの屋敷に戻ってきている。俺が居ては何か問題があるのだろうか。
「なんだ? 俺がここに住むと都合が悪いのか?」
「い、いえ! そんなことはありません!」
「そんなわけないわ! アレクお兄様が一緒に住んでくれたらきっと楽しいわよ! ここに住めばいいのに!」
俺がこの屋敷に住むことを期待しているようなセリーヌの様子にルキアは困った顔をした。
――ルキアにとってはセリーヌが女で良かったってことか。
俺はルキアの思いが何も伝わってなさそうなセリーヌを見ながら、何故か安堵していた。
それからの俺は毎日セリーヌに連れまわされる日々だった。
農民たちから意見を聞いたり、各地から人を呼んで農業指導をしたり、堆肥や肥料を作ったりと忙しい毎日を過ごした。
俺は自分が学園でいやいや領地経営学を学んでいる間に、セリーヌやルキアが毎日領地を豊かにするために立ち働いていたことに愕然とした。
俺はいつも友人のギュンターに領主なんか嫌だと、ずっと魔道具科で研究していたいと愚痴を言っていた。何よりも従妹が最悪だと、従妹に逢いたくないから領地に帰りたくないんだと臆面もなく不満を漏らしていた。
それなのにその従妹は何よりも領民のために行動していた。俺が何を言ってもどんなに非難しても頑として受け入れなかったのは、自分の行動が領民を幸せにすると確信していたからだ。実際に領民たちの顔は明るく、笑顔を浮かべていることが多い。セリーヌやルキアが現れると途端に集まってきて困っていることから世間話まで様々な話をしていく。俺はその姿を少し後ろから眺めることしかできなかった。
「セリーヌが男の方が良かったのは領民たちだな……」
セリーヌが男だったらこんなに頼りになる領主はいないだろう。俺が次期領主なんて領民たちにとっては不幸なことなのかもしれない。今まで領主になる未来に真摯に取り組んで来なかった俺は、今なにをすれば領民たちのためになるのか分からなかった。
俺はセリーヌやルキアが羨ましいと思った。
領民たちと信頼関係を築けている彼らが。
自ら動き、領を盛り立てていくことができる彼らが。
人を笑顔にできる彼らが心底羨ましいと思った。
「アレクお兄様には土を耕すことができるような魔道農具を作ってほしいの」
きっと作るのに何年も掛かってしまうと思うのだけれどと申し訳なさそうな顔をするセリーヌに、俺は二つ返事で了承した。俺もこの領のために何かしたいと心の底から感じていたから。
初めて懐中電灯を作ったあのとき、嬉しそうに受け取ってくれた姿を見て俺が感じた幸福感を思い出した。俺が魔道具を作るようになったのは、周りにいる人を笑顔にさせたかったからだ。この伯爵領の領民を幸せにすることが、俺が本当にやりたいことだとようやく気づいた。
それからの俺はセリーヌの前世の記憶と魔道具科で培った技術を基に、街の魔道具工房とも連携して様々な魔道農具を生み出すこととなる。
そんな生活の中で、俺はセリーヌにお兄様呼びを止めさせアレクと呼び捨てにさせたり、セリーヌを愛称で呼ぶようになったり、ルキアを牽制したりしたが、実を結ばなかった思いが有ったかどうかは秘密だ。
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白に統一された調度品が並ぶ教会の控室で俺は感嘆のため息をついた。そこには純白のウエディングドレスを身に纏い気恥ずかし気に微笑むセリーヌがいた。
今日はセリーヌとジェラールの結婚式だ。
伯爵領で一番大きな教会にはすでに多くの領民たちが彼女の花嫁姿を一目見ようと詰めかけている。
セリーヌは真っ白なドレスに天窓から燦々と降り注ぐ日の光を受けて、キラキラと輝いていた。
「セリー、お前が女で良かった」
「へ!? なんで?」
緊張しているだろうセリーヌは唐突な俺のことばに素っ頓狂な声を上げた。そんな姿を見ながら、俺はにやりと笑う。
「こんなに綺麗な花嫁姿を見ることができたんだからな」
掛け値なしの俺の本心だ。
「おー、セリーお前一瞬で真っ赤になったな。俺がこんなことを言うのが意外だったか?」
俺の思わぬ賛辞に、セリーヌは恥じらうように俺を見た。
「……うん。アレクありがとう」
そう言って微笑む花嫁姿のセリーヌは本当に綺麗で、俺はそんな従妹に精一杯の笑顔を贈る。
どうか幸せに。
領主と魔道具職人どちらも兼任できるほど器用じゃない俺は、これからは魔道具職人としてこの伯爵領のために骨身を削っていくだろう。
この世で一番幸せであってほしいと願うお前が、いつまでも幸せな顔をしていられるように。
お読みいただきありがとうございました。
誤字脱字報告もありがとうございます。