かわいいあなた
最終話です。
私が断罪されそうになったあの日から、3週間が経った。
学園内はしばらくの間、ミリティアさんの偽装工作やジェルの突然の求婚に騒然としていたが、ミリティアさんが学園を退学したことと、ジェルと私の婚約が広く知れ渡ったことで、私たちの婚約をお祝いしてくれる風潮になり、一部やっかみはあったものの今は和やかな雰囲気になっている。
ジェルの元カノの皆さんもお祝いに駆け付けてくれた。
「あなたはジェラール様の心を捕まえられたのね。おめでとう」
「求婚しているジェラール様とそれを受けているあなたは、一幅の絵画のようにお美しかったですわ。ご婚約おめでとう」
「卒業後にご結婚されるんでしょう。末永くお幸せにね」
「ご婚約おめでとうございます。セリーヌ様を横抱きにしながら階段を下りてくるジェラール様は素晴らしかったですわ。今回は見逃しませんでした。眼福でしたわ」
そう言って笑い合えたことがとても嬉しかった。
ミリティアさんは学園を退学となり、すでに男爵領へ帰ってしまった。
聞いた話では、退出の際はミリティアさんのご両親が直々に迎えに来たそうだ。
彼女の目がこの世界の優しいところに少しでも向いてくれたらと思う。
ミリティアさんが退学になる前に、私は彼女に会いに行った。
それは風紀委員の取り調べに対し、彼女はモブが邪魔だったから排除しようとした、ヒロインではなくなってしまった自分は今後どう生きていけば良いか分からないと言って、風紀委員長を困惑させていたと聞いたからだ。
私はなぜ彼女が生き方が分からなくなっているのかをどうしても知りたくなった。
ジェルは心配して止めたけれど、私は懇願して一対一で会うことを了承してもらった。
「何をしに来たのよ。もうあなたなんかに会いたくなかったわ。私はもうヒロインじゃなくなったの。今までヒロインになるためだけに生きてきたのに、もう終わりよ。なんて惨めなのかしら」
部屋に入ってきた私を見て、彼女は心底嫌そうな顔をした。
そして、全てを諦めたような投げやりな様子を見せた。
私はそんな彼女の態度に疑問を持った。
「どうしてヒロインでなくなったら終わりなの? 確かに『dolceな男子』という物語は壊れてしまったわ。ストーリーが全く変わってしまった今となっては、決められたヒロインも悪役も攻略対象者もいない。誰が誰を愛するかなんてわからないし、未来は何も決まっていないわ。あなたはこれからただのミリティア・ラングレルになるのよ」
そうして、自分が自分を主人公にして人生を生きていくのよ。そうでしょう?
「ただのミリティア・ラングレルね……」
彼女は私に嘲るような表情を見せて、話し出した。
「ねえ、あなたは知っている? 元平民が貴族ばかりのこの学園で上位の成績を取ることがどれほど大変か。私が生徒会に入るためにどれ程の努力をしてきたか、あなたには分からないでしょうね。あなたは私と同じ転生者だけれど、全然同じじゃないわ。生まれたときから伯爵令嬢だったあなたには、私の苦労なんて分かる訳がないのよ」
言われて初めて気が付いた。
幼いころから教育を受けている貴族は平民に比べて格段に知識レベルが高いはずだ。
そんな中で彼女は生徒会に入れるほど優秀だった。
「7歳で前世をすべて思い出した私は、それからが地獄だったわ。不便な生活、不衛生な家、質素な食事、何もかもが嫌だった。父親は居らず、私を我儘だと叱ってばかりの母親と二人きり。私は優しい両親がいた前世とは何もかもが違う生活に何度も絶望しかけたわ。この世界のヒロインだという希望だけに縋って何とか生きてきたのよ。ようやくゲーム通りに男爵家に引き取られて、平民とは比べものにならない程の快適な生活ができるようになったわ。この王立フォンティーナ学園でヒロインとして恋をして、愛されて結婚して、高位貴族として生きていくという将来だけが私の希望だったの」
――そんな希望は絶望に変わってしまったけれど……。
彼女は自嘲気味に笑った。
私の知らない彼女の過去。
私に罪を被せたことは決して許されることでは無いけれど、彼女は物語に縋るしか生きていくことができなかったんだ。
そしてヒロインではなくなった自分に絶望し、全てを諦めてしまっている。
自分の人生であるはずなのに物語にすべてを委ねて、それが壊れてしまったからと全てを投げ出してしまった。
それは私がモブ令嬢だと気づいたときに諦めてしまったことと、どこか似ている気がした。
私がモブとしてジェルと別れる運命を受け入れていたとき、私は自分の人生の主人公ではなかった。ヒロインにその座を明け渡していた。
あのときの私は気付いていなかったけれど、それはなんて惨めな生き方なのだろうか。
自らモブになっていた私を、ジェルとアレクが私が主人公である人生に引き戻してくれた。
「私はヒロインになんてならなくていいわ。モブも悪役もごめんよ。私はただのセリーヌ・アルヴェーヌとして、自分の人生を自分の責任で生きていくの。自分の人生の主人公としてね。それだけよ」
決まっている人生を生きるだなんて、それこそ惨めではないの?
「今のあなたはヒロインでも悪役令嬢でもましてやモブでもないわ。あなたは自分がヒロインだと思っていたんでしょうけれど、私を陥れようとした時点でゲームの優しいヒロインとはかけ離れているのよ。あなたは最初からゲームの知識があるだけのただのひとりの女の子だったの。生徒会に入るために必死に努力したのも、自分が幸せになる為に私を陥れたのもあなた自身よ。あなたはこれからもただのミリティア・ラングレルとして生きていくの」
ミリティアさん、いままで必死に生きてきたあなたは、ヒロインとなる為に必死に努力してきたあなたは、物語のヒロインなんかじゃなくてもそれだけの価値があるの。主人公の座を誰かに明け渡すような、そんな惨めな人生を送るような人じゃないのよ。
「ただのミリティア・ラングレルとして……」
彼女は戸惑うような表情をしているけれど、この部屋に入った当初のような、すべてを諦め自分が主人公であることを放棄したような投げやりな雰囲気は無くなっていた。
「ジェル、なんでこんな体勢になってるの?」
「…………」
放課後の資料室で、私はジェルに横抱きにされてソファに座っていた。
彼はしっかりと私を抱き締めている。
最近のジェルは以前にも増してスキンシップが増えてしまった。
それは、私が悪いから仕方がないことなんだけれど、これが続くようなら私の心臓は持たないのではないかしら。
ジェルにはゲームのことをすべて話した。いや、言わされたという方が正しい。
あの断罪があった後、ジェルはその後処理や2週間休んだことで溜まった提出物や書類を片付けるため、しばらく忙しくしていた。
ようやく二人でゆっくりと会えるようになったのが1週間前。
「どうしてミリティアのことをアレクさんが知っていたのか教えてくれる?」
そう言ってジェルが微笑んだとき、私はこれまでにない不穏なものを感じた。
もしや、今日までずっと気になっていたのだろうか?
ジェルがそんなことで嫉妬したりするの?
疑問に思いながらもどう誤魔化そうか思案に暮れる。
ゲームの内容は攻略対象者だったジェルにとっては受け入れ難いものだろうと思うからだ。
自分の出生の状況や兄との確執などがゲームの設定として決められていたなどと、どうして言えるだろう。
まずは私に前世の記憶があることを言ってみることにした。
婚約した以上、伝えておかなければならないことだ。
多分これでジェルはびっくりするだろうし、それで有耶無耶になるだろう。
「前世の記憶があることならセリーのお父上に聞いたよ。驚いたけれど、モーターもセリーの前世の記憶から作られたって聞いて納得した。伯爵領に面白いものがたくさんあるのはセリーの記憶によるものだったんだね」
お父様がすでに話していたと聞いて脱力する。
ほんのちょっとだけジェルがどう思うか怖かったのに、杞憂だったようだ。
「その話はまたじっくりと聞かせてほしいな。今はそれよりもなんでアレクさんに話して僕には話さなかったのかってことを教えて。僕の方がミリティアには面識もあるし、近くにいたんだから相談するなら普通は僕の方だよね?」
そう言いながら少し寂しそうな顔をするジェルに申し訳なさが出てきて、何とか誤魔化しながらも少しずつ話してしまった。
ジェルは風紀委員からの報告書に目を通していて、ミリティアさんが言ったヒロイン、悪役令嬢、モブ、攻略対象者といった言葉も認識していたため、私の下手な誤魔化しでは有耶無耶にすることができなかった。
そのうちに彼は、私が言葉を濁すのは自分が関連しているからだと気づいたらしく、僕は大丈夫だからすべて話してほしいと何度も哀願された。
ジェルはズルいと思うの……!
自分の顔の綺麗さを分かっているから、それを最大限に発揮できる表情をしてくるのよ!
なかなか口を割らない私にムキになっているんだわ。
悲しそうな寂しそうな表情で私をジッと見る彼は、誤魔化すことが一切できないことを私に教えていた。
とうとう洗いざらいしゃべらされた私は、ジェルの反応が心配だった。
おずおずと彼の反応を窺うと、あっけらかんとした顔で『それでミリティアがモブが邪魔をするとか、攻略対象者と幸せになるとか言っていたんだね。なるほど』で終わってしまった。
お兄さんとは和解しているから、気にする必要もないのかしら。
そう思って安心していたら、再び不穏な空気が漂ってきた。
見るとジェルは考え込むようにブツブツと何か呟いている。
『それでユミレア様があんなことを……』とか『だから何も言わなかったんだ……』とか聞こえてきた。
急に変わった雰囲気に私は戸惑ってしまう。
アレクにしか相談しなかったのは、ジェルにゲームの話をする訳にはいかなかったと伝えたし、それにジェルは納得したはずだ。それなのになぜだろうか。
ジェルは私の頬に手を添えて、顔を近づけてじっと私を見つめた。
その目は陰っていて、いつもは煌めく美しいジェルの瞳が悲しみを湛えていた。
今までジェルがわざと私に見せていた悲しそうな顔とは全く違うそのやるせない表情に、私はなんだか不安になって身動ぐこともできなかった。
「僕と別れるつもりだったの……?」
そう問われた瞬間、私はヒュッと喉を鳴らしてしまった。
「やっぱりそうなんだね。だからミリティアのことを僕に何も言わなかったんだ。僕がミリティアと仲良くしても良かったんだね」
そう言ってジェルは資料室を出て行ってしまった。
私はどうすることも出来ずに、その場に留まっていることしかできなかった。
それからジェルは私へのスキンシップが多くなってしまった。
普通に迎えに来てくれるし会話も普段通りだけれど、どこか違う。
彼は今もしっかりと私を抱き締めている。
私はジェルに自分に自信が無かったこと、ゲームの知識でジェルが自分の評価を落とすために令嬢たちと付き合っていたと知っていたことも伝えたけれど、ジェルは『分かったよ』というだけで何も変わらなかった。
けれど私はここ最近、彼のことでなんとなく分かったことがある。
「ジェル、ちょっと苦しいわ」
「…………ごめん……」
そう言って、私を抱き締める腕を緩めた。
私は顔を上げてジッとジェルを見つめる。
さらにジーッと見つめると彼は不貞腐れた顔をした。
なんて可愛い人なんだろう……!
結局ジェルは拗ねてしまっているのだ。
私が自分を好きなことは分かっている。けれど、一度は別れを覚悟されていたことをなかなか許すことができないのだ。私のことが大好きだから。
自分にこんな考えができることが嬉しい。
ふふっと笑いながら私は顔を近づけてジェルにキスをする。
私からの初めてのキスにジェルは一瞬呆けた顔をした。
「愛してるわ」
私はジェルが愛しくて堪らない気持ちで彼を見る。
そんな私の顔を見て彼は目を見張った。
彼の青い地球のような美しい瞳が煌めいている。
そうして彼は満面の笑みを浮かべた。
「うん。僕も愛してる」
そうしてお互い微笑み合って、唇を寄せ合った。
最後までお読みいただきありがとうございました。