ヒロインの罠
ユミレア様と会ってから2日が経った。
私は悪役令嬢にされてしまうのではないかという恐怖を抱え日々を過ごしている。
どうしよう。どうすれば良いのか全く分からないわ。
知らないうちに嫌がらせをしていることになっているなんてどうすれば良いの?
面会室で相談したときにアレクは万が一悪役令嬢に仕立てられても国外追放や修道院送りになんか絶対にさせないって約束してくれたけれど、学園を退学なんてこともあり得るのかしら。……不安だわ。
ユミレア様には嫉妬する理由が無いと訴えたけれど、生徒会の方々に伝えてくれたかしら。
そんなことを考えながらひとりで食堂に向けて歩いていると不意に横から人が現れた。
「セリーヌさん、こんにちは」
「ミ、ミリティアさん!?」
「フフフッ、幽霊でも見たみたいに驚かないでくれる? こんなにかわいい子なのよ」
そう言って制服のスカートを持って華麗にターンした。
彼女の少し癖のある艶やかな黒髪もふわっと広がり、その白皙の顔を浮き立たせる。
その軽やかな様子に私の不安は大きくなっていった。
「ねえセリーヌさん。あなたジェラール様とラブラブカップルなんですってね」
にっこりと笑いながら近づいてくるこの愛らしい女の子に恐怖を感じ、身体が強張っていく。
「あなたはもうすぐフラれるモブでしょう? ユミレア様が頬を染めながらラブラブカップルなんて言うもんだから、ルカリオ様はデレちゃうし、それを見てトゥーリ様は機嫌が悪くなるしで大変だったのよ。なんでそんな嘘をつくの?」
幼い子供を諭すようにゆっくりな口調で話すヒロインに逃げ出したくなったが、いま逃げても状況が良くなることは無いだろうと踏みとどまる。
とにかく、私を悪役令嬢にしようとしていることを止めさせなくては夜も眠れない。
「嘘をついているのはあなたでしょう? 人を嫌がらせの犯人にするなんてどうかしているわ!」
「あら、まだ犯人にしていないわよ。あなたの名前を出していないもの。トゥーリ様はあなたが犯人だと思っているみたいだけどね」
フフフと笑うヒロインに、なぜこんな風に笑って人を陥れられるのかと不思議に思う。
「それでね、あなたに見てもらいたいものがあるのよ。私の少し後をついて来て。来なかったら犯人があなただって名前を出すわよ」
そう言ってヒロインは歩き出してしまった。
私は渋々追いかけるしかなかった。
「この場所よ」
人通りのない階段の踊り場でヒロインは立ち止まった。
たどり着いた場所を見て私は恐怖に慄いた。
ここはトゥーリ様ルートでヒロインが突き落とされる階段だわ!
「うざいあなたには消えてもらうことにしたの。さようなら悪役令嬢さん」
そう言ってヒロインはにこりと笑ったかと思うと、突如駆け出した。
「キャーーーーー!!!!!」
ヒロインは悲鳴を上げながら階段を駆け下りて行く。
そして一番下に到着すると、もう一度私ににこりと笑い掛け床に寝転がりそのまま動かなくなった。
私はただ茫然と階段の踊り場からその光景を見ていることしかできなかった。
「どうした! あの悲鳴は何事だ!」
「ミリティア!? ミリティアが倒れている!」
階下では悲鳴を聞いて何人もの人が駆けつけてきていた。
ルカリオ様とトゥーリ様もヒロインに駆け寄っている。
そうだ、この階段は使用する人は少ないけれど食堂の近くにあるという設定の階段だった。
ゲームで悪役令嬢ユミレア様がヒロインを突き落としたときも、すぐにトゥーリ様やたくさんの人が悲鳴を聞いて駆けつけ、悪役令嬢の悪事が明るみに出るという展開だったはずだ。
私は悪役令嬢にされてしまったの?
あまりの恐怖に逃げることも階段を下りて弁明することも出来ず、ただその場で手すりに縋って立っていることしかできなかった。
それからはゲーム通りの展開だった。
意識を取り戻したヒロインが、悪役令嬢から突き落とされたことを告げ、その場で悪役令嬢の断罪が始まった。ただゲームと違うところは悪役令嬢が私だということだけだった。
あまりのことに私は首を振ることしかできず、声を発することも出来なかった。
「これは何の騒ぎですか!」
「姉上! ミリティアがセリーヌって女に階段から突き落とされたんだ!」
踊り場にいる私を見上げたユミレア様は困惑の表情を見せた。
「そ……そんな……。何かの間違いではないのですか」
トゥーリ様に抱きかかえられ、上半身を起こされていたヒロインが弱々しくユミレア様へ問いかけた。
「ユミレア様……、この状況でまだセリーヌ様をかばうなんて……。まさか、ユミレア様がセリーヌ様に私を突き落とさせたなんてことは……」
「「そんなわけあるか!」」
「ミリティア! 姉上に馬鹿なことを言うな!」
「そうだ! ユミレアに謝れ!」
「ご、ごめんなさい!」
ヒロインはあわよくばユミレア様も悪役令嬢として共犯にしたかったのだろうが、攻略対象者二人に一蹴されて、怒られていた。
私はその様子をただただ見ているしかできなかった。
「これは何の騒ぎですか?」
不意に、私が聞きたくて堪らなかった声が聞こえてきた。
人垣の間から、制服姿のジェルが現れる。
「ジェラール、帰るのは明後日ではなかったのか?」
「早く帰れましたので、昼時間に間に合うように学園に来たのですが、何があったのですか? セリーがあんなところで一人で立っているようですが」
間髪入れず、トゥーリ様が捲し立てる。
「あの女はミリティアを階段から突き落としたんだ! 今回は軽傷で済んだようだけど、死んでもおかしくないことをしたんだ!」
「セリーヌ様は私に嫉妬したんだと思います。だからこんな恐ろしいことを……ううっ」
泣き崩れるヒロインを見ながらジェルは「嫉妬ね……」と呟いた。
「あの女はこれまでもミリティアに足を掛けて転ばしたり、上から水をかけたりと、嫌がらせを繰り返していたんだ」
「けれど、まさか階段でいきなり押されるなんて思いもしませんでした……うううっ」
益々泣き崩れるヒロインの言葉に、周囲の人の中から声が上がった。
「さっき、セリーヌ様がミリティア様の後をつけて行くのを見たわ!」
ヒロインに連れられていた私が、後をつけていたことにされてしまった。
「この前なんて女子寮の面会室で言い争っていたのよ!」
「やはりジェラール様を取り合ってのことだろうか」
「女の嫉妬は怖いな……」
「それにしても階段から突き落とすなんて、最低な女だな」
周囲の人々が口々に私を罵り出した。
絶望に打ちひしがれていると、こちらを見上げたジェルと目があった。
ジェルは無表情だった。ただ私を見つめて、そしてこちらへ向けて歩き出した。
カツンカツンと靴音をたてながら階段を上ってくる。
階段を上るジェルを私はジッと見つめ返していた。
少し前の私だったら、ゲームの断罪シーンを思い出しジェルからの糾弾を恐れて逃げ出していただろう。
どうせ何を言っても無駄だと、すべてはヒロイン次第なのだと。
けれど、今の私はひどく安堵していた。
さっきまでの心細さが無くなって、もう大丈夫だと思った。
ジェルは私の話を聞いてくれる。
ジェルは私を信じてくれる。
断罪シーンみたいに一方的に糾弾したりしない。
そんな確信が私にはあった。
目の前まで来たジェルは私に微笑みかけた。
「セリー、遅くなってごめんね」
「お、遅いわ。ずっと待っていたのよ」
私は恐怖で固まっていた体が解れていくのが分かった。
涙腺も緩くなって、涙が溢れてくる。
ジェルはそんな私の涙を指先でそっと優しく拭ってくれた。
そうしてお互いに見つめ合う。
不意に、ジェルは私の前に跪いた。
手を取って私を見上げる。
「セリーヌ・アルヴェーヌ嬢、あなたを愛しています。どうかこのジェラール・グリュイニールと結婚してください」
「え!?」
ポカンとしてジェルを見る。
え、これってプロポーズよね……。空耳なんてことはないわよね……?
周囲からも「え? なんでプロポーズ……?」てどよめきが聞こえてくるわ。
そうよね、プロポーズでいいのよね。
私を見つめる青い瞳、少し黄色が混じったその瞳を煌めかせているジェルは、私が了承することを確信している顔で返事を待っている。
その表情を見て、私は自分の顔が緩むのを感じた。
そうよ、私たちはラブラブカップルだもの。
返事は一つしか用意されてはいないのよ。
「はい。私もあなたを愛しています」
私は満面の笑みで、跪くジェルを見つめた。
ジェルは立ち上がると、私を抱き寄せて、キスをした。