悪役令嬢からの忠告
ジェルと最後に会った日から10日が経った。
私はあの日のことを思い出しては嬉々としたり、悶々としたりする日々を繰り返している。
ジェルはいつまでも一緒にいようって言って私を抱きしめたわよね……普通に聞いたらプロポーズ……よね? キャー! そうよね! きっとそうよね?
あの時はびっくりして聞き返せなかったけれど空耳だったなんてことは無いかしら……。
イヤイヤ、そんなはずはないわ! だってその後に僕とセリーの将来のために頑張るって言ってたもの……。
まさか僕とセリーそれぞれの将来のためになんて意味じゃないわよね? ふたりの将来のためにってことよね?
ああ、何度も同じことを考えてしまうわ……。
とにかく! ジェルが帰ってきたら聞けばいいのよ! そうよ、話したいことがあるって言ってたもの、それを待てばいいだけよ!
けれど……別れ話だったら……。
ダメ! 弱気はダメよ! アレクが自信を持てって言ったじゃない!
ゲームのことが無ければジェルに不安になる要素なんて何ひとつないのよ。いつも私のことを大切にしてくれたし、大好きだって抱きしめてくれた。いつまでも一緒にいようって笑ってくれたもの。
私だって普段からジェルに大好きって抱きしめ返したりしていたわ。
普通に考えたらアレクが言ったようにラブラブなのよ!
グッと拳を握って顔を上げる。
そこにはスッキリと抜けるような青空が広がっていた。
ああ、またやってしまったわ……。
私は食堂のテラスに座って、ひとりで拳を握っていた。
あの時のジェルのことを考え出したら、周りが見えなくなってしまう。
ジェルに会いたいな……。
この10日間、何度もジェルのことを考えた。
堂々巡りの考えが何度も頭を過ったけれど、何度も考えるうちに思ったことは、ジェルが私のことを好きなのは間違いないということだった。
そして私はジェルが大好きだっていうこと。
私だってジェルが好きになってもおかしくないくらい素敵な女性のはずよ! 淑女教育だって頑張っているもの!
私は拳を握って空を見上げるのだった。
「セリーヌ様」
突然声を掛けられ横を見ると、ユミレア様が神妙な顔をして近くに立っていた。
「ユミレア様? どうされましたか?」
「あの、こちらに座ってもよろしいかしら……?」
了承すると、ユミレア様は向かいに座り、徐に口を開いた。
「セリーヌ様、ミリティア様が最近嫌がらせを受けていることはご存知ですか?」
「え? 嫌がらせですか?」
ポカンとしてユミレア様を見る。
「ええ。教科書を捨てられたり、足を引っかけられたり、上から水をかけられたり」
聞いた瞬間、ゲームの中の悪役令嬢ユミレア様がヒロインをいじめるシーンを思い出した。
殿下とユミレア様の不仲は解消されたのではなかったの?
結局ユミレア様は悪役令嬢になってヒロインに嫌がらせをしてしまったの?
私は何と言っていいのか分からずに口ごもってしまった。
「そう……セリーヌ様はご存知ですのね……」
私の様子を凝視していたユミレア様はそう言って目を伏せた。
「あの……ユミレア様……?」
しばらく沈黙したあと、ユミレア様は意を決したように私を見た。
「セリーヌ様、ミリティア様への嫌がらせはすぐにお止めになって」
何を言われたのか分からず、私はまたポカンとしてしまった。
嫌がらせを止めろとはどういうことだろうか? ユミレア様のことではないの?
訳が分からずにいる私にユミリア様が語ったのはこんな内容だった。
ヒロインは誰かから度々嫌がらせを受けていて、その影響で生徒会に来るのが遅くなるときがあるのだという。生徒会では誰が嫌がらせをしているのかを探そうとしているが肝心のヒロインが犯人については濁しているのだそうだ。ただトゥーリ様がヒロインの言動から私が犯人だと感じ取っているようで今にも私を糾弾しそうな勢いだということだった。
私は恐怖で膝が震えた。
椅子に座っていなければ崩れ落ちていただろう。
まさかヒロインは本当に私を悪役令嬢にする気なの?
「ち、違います! 私は嫌がらせなどしておりません! 本当なんです! 信じてください!」
あまりのことに大きな声になってしまった。
慌てる私をユミレア様は静かな目で見る。
「ええ、私も信じていました。セリーヌ様がそんなことをされるはずがないと。けれど、先ほど嫌がらせをご存知でいらっしゃいるご様子でしたわ。無関係ではないということですわね?」
「そんな……私は無関係ですわ。一度ミリティア様と女子寮でお話はしましたけれど、それ以降は一度も顔を合わせておりません」
嫌がらせを知っていたのはゲームの知識があるからだと言うわけにもいかず、苦しい弁明をする。
「それは女子寮の面会室でのことでしょうか」
「ご存知なのですか?」
まさかそこまで把握されているとは思わず、言い当てられたことに驚いた。
「噂を耳にしたのですわ。そのご令嬢によると面会室から言い争う声が聞こえてきたので、寮母のマルチーヌさんを呼んだ方がいいのか迷っている間に、ミリティア様が面会室から出て来たそうですわ。その後にセリーヌ様が出て来られたと教えていただきました。会話の内容はわからなかったそうですけれど、何を言い争っていたのかと女子寮ではちょっとした噂になっていたと聞きましたわ」
噂になっていただなんて知らなかった。
私とヒロインが仲違いしていると多くの人が思っているってことよね。
このままでは私は悪役令嬢にされてしまう。
ここは落ち着いて対応しなくてはいけないわ。
「私にはミリティア様に嫌がらせをする理由がありません。生徒会ではなぜ私が嫌がらせをしたと考えているのですか?」
ユミレア様は言葉を濁しながらも、特にトゥーリ様はジェルと仲が良いヒロインに私が嫉妬しての犯行だと考えていると教えてくれた。
そう認識されるほどヒロインと仲が良いのかと暗鬱な気分になりかけたが、ずっと一緒にいようと私を抱き締めたジェルの腕の強さと温もりを思い出してそんな気分を振り払った。
ユミレア様がいうには、最近のヒロインは甲斐甲斐しくジェルの好きなレアチーズケーキを作ってくるようになっていて、彼女がジェルに好意を持っているのは周知の事実だったそうだ。それをルカリオ様とトゥーリ様は微笑ましく見守っていたのだという。ジェルも嫌がるわけでもなくチーズケーキを食べているし、席も隣同士でよく話していることから、次に交際するのはヒロインになるだろうと考えられていた。
そこへヒロインへの嫌がらせが始まったことで、別れを嫌がった私の犯行ではないかと考えられたそうだ。
ジェルが4か月程で恋人と別れることを知っているのね。
そろそろ私と付き合って4か月が経つもの、いつ別れてもおかしくないと思われていたわけか。
私はその誤解を解かなければと思った。
私とジェルがそろそろ別れるだろうというその誤解を。
「私とジェラール様は別れたりしません。私たちは俗にいうラブラブカップルなのです」
微笑みながらこんなセリフが言えることに嬉しさを覚える。
ジェルが私を抱き締めた腕の強さと、見つめる眼差しが私に力をくれた。
「ラ……ラブラブカップル……」
突然の私の言葉に呆然としているユミレア様に畳み掛ける。
「ええ、ラブラブなのです。私にはミリティア様に嫉妬する理由は何もありません」
「……以前ジェラール様との別れを覚悟していると仰っていましたが違うのですか?」
「あのとき私は自分に自信がなくて、ジェラール様を信じることができませんでした。けれど今は違います。私は自分もジェラール様も信じることを決めました」
言葉にしてスッキリした。
今までグダグダと考えていたけれど、私は信じることにしたのだ。ジェルのことも自分のことも。
私の強い意志を感じたのだろう。ユミレア様は分かりましたと言って帰って行った。
私はジェルのことを考える。
私は前世のコンプレックスが邪魔をして、恋愛に積極的にはなれなかった。
告白はなんとかしたが、ゲームを思い出し思いを伝えると決める前は、好きの一言も言えなかった。
けれどそんな私にジェルは優しかった。
好きだと言ってキスをしてくれた。
抱きしめてくれた。
甘やかしてくれた。
嬉しそうに笑ってくれた。
私を信じてくれていた。
私は自分を信じたいと思った。
ジェルが好きになってくれた私を私も好きになりたいと思った。
アレクが言葉を尽くしてくれた自分の価値を信じてみようと思った。
前世のコンプレックスにこだわっている私がバカなんだって、そう思えるようになった。
早くジェルに会いたな……。
早く会ってジェルに大好きだって伝えたい。
今までみたいに、後悔しないために伝えるんじゃない。
ただジェルが好きって伝えたい。
私は拳を握るのだった。