ここがゲームの世界だと気づきました
にまにまにまにまにまにまにまにま
……どうしよう。緩んだ顔を直せない。
きっと伯爵令嬢にあるまじき顔をしているわ。
ゆるゆるに緩んだ顔で、膝枕に頭を乗せ寝息をたてている恋人をじっとりと見る。
寝顔……、綺麗……。
まつ毛長すぎ。
口がちょっと開いてる……なんてかわいいの。
彼は完璧な容姿をしている。スッと通った鼻筋に小振りな小鼻。少し薄めの形の良い唇。プラチナブロンドの髪はサラサラで、お肌は白くてツヤツヤ。更に瞳は透き通るような海の色で瞳孔の周りだけ黄色が入っている複雑な色をしている。少し低めで、穏やかで明瞭な声。
いつまでも見つめ続けられるわ。あぁ、顔が緩む……
私はセリーヌ・アルヴェーヌ。ここバスクート国の南に位置し、それなりに大きな領地を持つ伯爵家の長女として生まれた。現在は王都にある王立フォンティーナ学園に通う3年生で17歳である。
あぁ、こんな綺麗な顔が私の膝の上に乗っているなんて……幸せ。
そうしてまた顔が緩んでいくのだった。
ここ王立フォンティーナ学園は貴族が15歳から18歳までの3年間必ず通う場所で、男女共学の全寮制だ。入学できるのは貴族だけで、平民は各領地にある学校に通うことになる。
学園には領地経営学科や淑女教養科、魔道具科や将来文官や武官になるための専門学科などがあり、科目は多岐にわたっていて、自由に選択可能だ。
またこの学園は、将来の結婚相手を探す場所でもある。貴族社会でも恋愛結婚が増えており、将来の花嫁花婿を捕まえるのにこの学園は打って付けなのだ。政略結婚が必要ない子息、息女たちは家同士の釣り合いを考えながら相手を探す。
ありがたいことに恋愛結婚を許されている私は、2か月前から彼とお付き合いを始めた。
私の膝ですやすや眠っている彼はジェラール・グリュイニール。バスクート国の東側に領地を持つ侯爵家の次男で、私と同じ17歳。愛称はジェルだ。
今日は入学式があり、生徒会役員のジェルは朝から式の準備で忙しかったようだ。私も補助要員として駆り出され、お手伝いをしていた。
式が終わった今は、資料室で彼の枕役をしている。この資料室は滅多に人が来ず、閲覧用のソファもあり重宝している。
こんなキラキラ銀髪のイケメンが彼氏だなんて、前世の私が知ったら驚愕で顎が外れるんじゃないかしら。日本人だった私には縁遠かったもの。
かく言う私も金髪に緑色の瞳なのよね。たまに鏡を見てビックリしてしまうわ。
そう。私には前世の記憶がある。といっても大部分は思い出せないのだが、たまに何かの拍子に突然記憶が蘇るのだ。
思い出した記憶は妙に鮮明で、例えばお菓子のレシピだったら、レシピ本に書かれていた材料のグラム数まで含まれている。
前世の実家が有機野菜農家だったことを思い出した私は、その知識で領地の農業改革を実行した。
不思議なことに、この世界の野菜や果物は前世のものと全く同じなのだ。トマトはトマト、りんごはりんご。肥料などは前世の知識で対応可能だった。
そして前世で理系女子だった記憶も持つ私は、魔道具オタクの従兄と共に新しい魔道農具を作り出し、農産物の収穫量を飛躍的に向上させている。
「う……ん……」
私の膝の上でジェルが身動いだ。顔の角度が変わる。
あれ……?この角度のジェルの顔、見たことある……?
そのとき唐突に前世でやり込んだ乙女ゲームの記憶が流れ込んできた。
そして私は気付いた。この世界が乙女ゲームの世界だと。
私の大好きなこの人はゲームの中の攻略対象者なのだということを。
今見ているジェルの顔が、ヒロインの膝枕で眠るジェルのスチルと同じだったことも。
この世界は私が前世で夢中になった恋愛シミュレーションゲーム『dolceな男子』の世界なのだと思う。
シリーズものでチョコレートケーキ編、チーズケーキ編、スポンジケーキ編があり、そのスイーツに合わせてキャラ設定された男子が攻略対象者となる。
私がいるバスクート国はチーズケーキ編の舞台となる国であり、攻略対象者はこの国の第三王子、公爵家嫡男、侯爵家次男の3人。
俺様キャラで茶色の短髪、精悍な顔の第三王子がベイクドチーズケーキ、弟キャラでふわふわなミルクティ色のくせっ毛、甘い顔をした公爵家嫡男がスフレチーズケーキ、クールキャラでプラチナブロンド、秀麗な顔をした侯爵家次男はレアチーズケーキをイメージしたものらしい。
チーズケーキ編は『dolceな男子』シリーズの中では甘さひかえめなストーリーで、甘々なセリフが少し苦手な女子に好評だった。
この世界は全国民が魔力を持っており、調理や灯りなどは魔道具を使用して生活しているという設定だ。ほとんどの人は魔法が使えず、極まれに魔法を使えるほどの魔力を持つ者がいる。
ヒロインは男爵の隠し子であり平民として市井で暮らしていた15歳の女の子で、男爵家の正妻が亡くなったことで正式に引き取られ、学園に入学することになった。そこから物語がスタートする。
「………………ん……? おはよう……」
「おはよう……ジェル」
「ん~、よく眠れた。セリーの膝枕、気持ち良かった」
そう言いながら顔を近づけてくる。
「ありがとう」
唇に触れるだけのキス。
「もう暗くなって来てるね。そろそろ寮に帰ろうか」
学園から寮までは歩いて5分程だ。男子寮と女子寮に分かれており、学園に対して左側が男子寮、右側が女子寮になっている。
ジェルはいつも女子寮まで私を送ってくれる。
今日も私とジェルは一緒に女子寮への道を歩いていた。
「……今日の入学式、どうだった?」
「どうだったって?」
「面白そうな子とかいた?」
「うーん、面白いっていうより、危ない子ならいたかな」
「危ない!? どんな風に危ないの?」
「突然木から落ちてきたんだ。とっさに受け止めることができたけど、本当に危なかったよ。下りれなくなった子猫が木の上にいたみたいで、助けるために登ったんだって」
「…………へ~そうなんだー」
それだけ言うのが精一杯だった。周りが暗くて良かった。
私は今、人に見せられない顔をしているだろう。
「それじゃ、また明日ね!」
「うん、また明日」
ジェルの声を背中に聞きながら、すぐ向こうに見えている女子寮の玄関に向けて駆け出す。
早く自分の部屋に駆け込まなくては。
私は眉間に力を入れて、必死に走った。
自分の部屋に入った途端、私は崩れ落ちた。
涙が後から後から溢れてくる。
乙女ゲームはヒロインが入学式に出席するところから始まる。つまり今日がゲームの一日目だったのだ。
攻略の最初のイベントは入学式が始まる前。ヒロインは中庭の木の上で下りれなくなった子猫を助けるために木に登る。そして足を滑らせ落ちたところを、たまたま通りかかった攻略対象者が助けるという出会いイベントだ。
そう、やっぱりここはゲームの世界なのだ。そしてジェルは攻略対象者。
「イヤだ。イヤだよ、ジェル……」
私は乙女ゲームには登場しないモブだ。
けれど、たった一度だけ、セリフの中にその存在を匂わせるものがあった。
ヒロインが令嬢たちに囲まれたとき、一人の令嬢が放った言葉の中にそれはあった。
『貴方なんてすぐにジェラール様に飽きられますわ! ジェラール様は今まで数々のご令嬢とお付き合いされてきましたけれど、皆さま家格も品位も高い方ばかりですのよ。最近までは同学年の伯爵家ご令嬢でしたし、その前は一つ年下の伯爵家の方でしたわ! 貴方のようにマナーも教養も無い男爵家の方が、ジェラール様のお側にいられるなんて思わないことね!』
そう、そのご令嬢はジェルが付き合っている人は『最近まで同学年の伯爵家ご令嬢でした』と言った。つまりは、ヒロインがご令嬢たちに囲まれる未来には、すでに別れているということだ。
実際ジェルは私と付き合う前に一つ年下の伯爵令嬢とお付き合いをしていた。
ここがゲームの世界だというのなら、遠くない未来にジェルは私と別れるのだろう。
「……フウゥッ…………ウッ……」
私は床に蹲って、泣いた。