絶体絶命
いつも誤字報告ありがとうございます。
助かります。
着た道を戻りながら、私は先程目にした物について考える。
頭から袋を被せられる寸前にチラリと見たそれは、蛇口に施された薔薇の装飾だ。
ここは、まさか王城?
化粧室に薔薇の花を模した装飾を使用しているのは、王城だけだと、ランが言っていた。
それは、建国の王が王妃のために新種の薔薇を開発したことが発端だとか。
だから、王都に住まう貴族のご令嬢が使うトイレの隠語は『薔薇を摘みに行く』だと。王城に出入りできる身分、自分は高貴な生まれなのだと周りに主張するためらしい。
そうだ……先程イリスは何と言っていただろうか?
冥界と繋がっているという逸話……それに、黒魔術……。
連想するのは……死者蘇生の禁術だ。
はい、確定。
ここ、シャーナス国の王城だ。
しかも、300年前に狂愛の王が、死者蘇生の禁術を施行した部屋だ。
王城のどこらへんなんだろう?
でも、王城にイリスや聖騎士が簡単に侵入できるだろうか?
「ちょっと、もたもたしないでちょうだい。今日中に秘術を行うんだから」
考え事をしていたものだから、足の運びがスローになっていたようようだ。
それにしても……袋を被っているため、周りを見ることはできないけど、イリスの足は迷うことなく進んでいるみたい。
それに、誰にもすれ違うようすもない。
ああ、そうか。イリス達はこの国でも活動していたんだ。
呪詛の卵で少女の若さを搾取しながら、この国に根を張っていたとしても不思議はない。
180年前からこの世に存在していたイリスには、120年前の赤の賢者事件も知っているはず。
あの事件の時、マウリッツ王子の部屋は、今の王城図書室の裏側だった。
この王城の間取りもだいぶ変わったんだろうな。
あれ? でも先程、イリスは『扉が封印されていただけだった』と、言っていた。
あの記憶鏡で見た『赤の賢者の真実』を必死で思い出す。
そういえば、悪霊に体を乗っ取られたカナコさんを連れて、王妃様の部屋に訪問していたっけ。
じゃあ、王城の本館の地下にある可能性が高い?
時折、聖騎士の一人に縄を強く引かれながら歩いていると、どこからとも無く、煙の匂いが漂ってきた。
「イリス様、何かが燃えてるような匂いがします!」
「え?! まさか火事?! どこ?!」
イリスと聖騎士の一人は匂いのする方へ向かった。
ま、まさか、これってベリーチェがやったの?
暗闇に紛れて、マジックポケットにあった録音用の魔石を起動させて、イリスたちを撹乱する作戦だったんだけど。
しかも、私達が例の部屋に入ったら行動開始という段取りのはず。
口パクで会話したから上手く伝わらなかった?
そこで、はたと気づく。
王族が住まう城に火をつけたらまずいんじゃ……。
確か、放火って重罪じゃない?
江戸時代だったら、市中引き回しの上火炙りの刑だよ。
やだ、どうしよう! 火を消さなきゃ!
くるりと、体の方向を変えて走り出そうとする私の手が引っ張られる。
あ! 両手を縄で拘束されていたんだった。
思いっきり両手を振り回してみたけど、緩むどころか食い込んで痛い。
でも頭に被せられた袋は、外れた。
「おい! 小娘。逃げようなんて考えるなよ」
考えたけど、これじゃあ、逃げられない!
聖騎士を睨みつけていると、イリスともうひとりの聖騎士が戻って来た。
「このタヌキが化粧室で火遊びしてたぞ。ふざけた真似しやがって」
ベリーチェの片耳を掴んで振り回す聖騎士に向かって叫ぶ。
「やめて! ベリーチェに乱暴しないで!」
「ベリーチェ、たぬきちがいましゅ!」
ベリーチェ、今それ言うところじゃないから。
どうしよう?!
ベリーチェを助けなきゃ!
**********
「もうこれ以上、世話を焼かせないでちょうだいね」
そう言いながら私の手足に鉄製の枷をつけるイリス。
結局、私は逃げるどころか、ベリーチェも巻き込む形で元の場所に拘束された。
この部屋には、先程、飛行酔いでダウンしていた神殿長に三人の聖騎士もいる。
ベリーチェは、聖騎士の一人に腕を掴まれて身動きでない状態。
絶体絶命の状況に、涙がにじむ。
ごめんね。ベリーチェ。
「あら、あら。泣いちゃったわ。さっきまで気丈に振る舞っていたのに。まさか、このタヌキが捕まったから泣いてるのかしら? これってただのゴーレムなんでしょう? ふふふ……そうねぇ。あなたの憂いを払拭してあげましょう。ライマー、そのゴーレム処分してちょうだい」
え?
イリスの言葉に理解が追いつかない間に、それは起こった。
ライマーと呼ばれた聖騎士が、ベリーチェの首をナイフで切り裂いたのだ。
「きゃー! やめて! ベリーチェが死んじゃう!」
「はあ? 死ぬですって? これは、ただのぬいぐるみのゴーレムよ。そもそも生き物じゃないわ。でも、あなたのその慌てようを見る限り大切な物だったようね。あなたと入れ替わった後の記憶喪失設定に大いに役立ちそうね」
ちがう。ベリーチェはただのゴーレムなんかじゃない。
どうして……なんで……ポロポロと涙を流す私を尻目にライマーはベリーチェの体を切り刻んでいく。
中から綿が出て、胴体部分に入れてあった核魔石がゴロンと落ちた。
その途端、先程まで動いていたベリーチェの体がぐったりと動かなくなった。
「ベリーチェが……なんで……どうして……ひどい」
「さあ、今から、秘術を行うわよ。ライマー達三人は部屋の外で見張りをしてちょうだい。ロイスナー神殿長は、秘術の補助をお願いするわ。入れ替わりが済んだら、段取り通り行動するのよ」
「イリス様、このぬいぐるみの残骸はどうしますか?」
「そうねぇ。とりあえず、そのままで良いわ。マリアーナの姿でボロボロのぬいぐるみを手に持ってたほうが、周りの同情を誘えるもの」
イリス達の会話が耳を通り過ぎる。
一本の蝋燭の明かりが揺らぐ部屋に、イリスが唱える呪文が響く。
ベリーチェ、助けられなくてごめんね。
マリアーナ……あなたがくれた二度目の人生……何もできなくてごめんね。
お父様やアンドレお兄様もマリアーナの分まで孝行するつもりだったのにごめんね。
『満里奈』としての人生は、ストーカーに刺されて幕を閉じ、『マリアーナ』としての人生は、訳の分からない理由で、いま奪われようとしている。
本当に……私の人生って何なんだろう。
この世界に来てからの生活が、次々と思い出される。
最初は戸惑って、少しづつ周りの優しさに支えられて馴染んでいった。
その感謝もまだ返せてないよ。
結局、この世界でも想いを寄せる相手には、気持ちを伝えることができなかった。
後悔しかない……悲しいし、悔しい。
意識が段々と落ちていく。
『マリナ……マリナ! しっかりして! 私達が助けて上げるから!』
だ、誰?
落ちかかった意識が、何者かの呼びかけで浮上する。
すると、イリスと神殿長の悲鳴が響いた。
「きゃー! な、なんなの?! やめて、こないで!!」
「何だこいつらは?! やめろ!! あっちへ行け!」
何事?!




