後日談① 忘れ得ぬ至高の味
───あの日、木の上から落ちてきた天使は、あまり執着心を持たずにこの世界を見ていた僕に本物の恋というものを教えてくれた。だけど天使が選んで手を取ったのは大人になった僕の差し出した手ではなく幼い時から僕の隣にいる従兄弟で友人で主君になる存在であった。
それは、悔しくて悲しい事のはずなのに、心の何処かで安堵した僕がいたのも事実……
◇*◇*◇
ある夜会で、次期宰相候補と言われている公爵家嫡男の子息に沢山の令嬢方が話し掛けていた。
「最近、わたくし色々なお茶を嗜んでおりますの
ルドルフ様のお好きなお茶はどんなものなのかとても興味があって……」
ルドルフの周りにいる令嬢の一人がそんな話題を出すとルドルフは表情に憂いを含みながら答えた。
「お茶ですか……僕はお茶には少しこだわりがありましてね
あるお茶を幼い頃からずっと好んでいましたが……今はもうなかなか口にする事が出来なくなって、それからお茶は食事の時には口にはしますが、普段はあまり口にする事はなくなってしまったのですよ」
「まぁ……そんなに珍しいお茶でしたの?」
「そうですね……気が付いた時には手に入らなくなっていましたので……」
(……そう
……もう、手に入らないあの至高な味と何にも代えられない至福の時間……
君のせいだよ……
どんなに高価な茶葉でも、美味しいと感じられなくなってしまったのだから……)
ルドルフは令嬢方へ当たり障りなく関わると、その場を一人離れ夜会会場のテラスへ足を進めた。そこには一人の青年が夜風にあたっておりその見知った青年へ、ルドルフは声を掛ける。
「リアン、君もこの夜会へ出席していたのだね」
「ルドルフ殿も出席なされていたとは気が付かず挨拶が遅れて申し訳ありません」
「そんな、畏まらなくていいよ
夜会の主催者であるヘイゼン家の長男とは同い年で学院時代からの仲なんだ」
「僕は母から半分強制的に出席させられたような感じです
成人したのに決まった相手がいない事を憂慮されているのだと思いますが、最近やたらと夜会へ行けと言われていまして……」
「フェンデル夫人らしいね
フェンデル公爵家嫡男の君なら、家柄的にも容姿的にも引く手あまたであるようにも思えるけど
まぁ、君の令嬢へ求める基準が他の子息よりも高くなってしまっているのは何となくわかるよ、その原因もね」
「………自覚はしていますよ、姉が原因である事は……
しかしそれは、僕ばかりではないのでは?」
「自覚しているなら、あまり問題ないのではないかと思うけど……
まぁ、僕も人の事は言えないけどね
そろそろ伴侶を決める気はないのかと両親から言われているから」
「そうですよ、あなただってスタンリー家の嫡男で今は王太子殿下付きの補佐官、将来は宰相と言われているのだから、後継の事も考えなければいけませんし伴侶は必要ではないですか
誰か目ぼしい方はいらっしゃらないのですか?」
「リアンが、どう感じるのかわからないけれど、唯一の存在だと思った相手がもう手の届かない存在になって、その存在と同じだけの気持ちを向けられる相手なんてそう簡単には見付けられない
それに、こんな風に他の相手に心を残している状態で伴侶を決めても相手に失礼というか不誠実であるだろう?
自分の立場を考えるとそんな事を言っている場合ではないのだろうけど、そんな中途半端な状態で生涯の相手を決める事が出来ないでいるんだよ」
ルドルフの言葉に何とも言えない表情をリアンは浮かべる。
ルドルフが自分の姉であるミーシャへ想いを寄せていた事はリアンも気が付いていた。リアン自身も自覚している自分がシスコンであるという事からミーシャのような相手を理想として探している自分とはまた違うルドルフの状況にリアンは何も言えなかった。
◇*◇*◇*◇*◇
数日後王城の回廊を歩いていたルドルフを呼び止める声が響いた。
「ルドルフ」
「妃殿下、どうされました?」
「……あ……っ……
えっと……今からいつものガゼボで久しぶりにお茶でも飲もうかと思って……
お仕事が立て込んでいないのなら一緒にどうかしら?
フィルも来ると話していたし、そろそろ執務時間も休憩に入る頃でしょう?」
「妃殿下のお誘いは断る訳にはいきませんよ
殿下も来られるという事でしたら、僕で良いのであればご一緒させて頂きます」
ミーシャとルドルフは幼い頃から使っていたガゼボでお茶を飲む事にし、護衛や侍女達は少し下がった場所で待機させてミーシャは手ずから淹れたお茶をルドルフへ差し出した。
香りを初めに楽しんだルドルフはお茶を口にすると僅かに口角をあげる。
「妃殿下のお茶を頂くのは久しぶりですね
以前と同じように美味しいです
腕は鈍っておられませんね」
「それ……」
「どうしました?」
「公共の場では仕方がないと思うの
ルドルフと私の立場もあるのだし……
だけど、こうして私的な空間だけでも以前と同じように接して欲しいなって……
なんだか、ルドルフと距離を感じるのは寂しい……」
「一応……僕なりにけじめを付けていたつもりなのだけどね
君は僕の将来の主君の隣に立つ存在で国母となるのだから…
まぁ、フィルに対しては執務室では以前と変わらないような関わり方はしているけど
でも、今はいいのかな……?
この場所で以前と同じように振る舞っても……」
「私は……そうして欲しい……
せめて、この思い出の場所でだけでも以前と同じように語り合いたいわ」
「本当に……ミーシャは変わっていないよね……人の気も知らないで……」
「え……?」
「いや……
それで、身体は大丈夫?
順調だとは侍医から聞いて知ってはいるけど、大分大きくなったね」
ルドルフはそう言うとミーシャの腹部へ目を向けた。
ミーシャは膨らみが大きくなった腹部を優しく撫でると笑みを浮かべる。
「ええ、最近は動きも活発になってきたの」
「フィルが執務中も、ずっとそわそわしているからさ
それに、休憩になると幾つものある書物を調べているよ」
「そう……」
フィルジルはミーシャの懐妊がわかってから、命を繋ぎ止める事に関した書物を、片っ端から探し調べていた。
「僕に言われなくてもミーシャも痛いほど感じているだろうけど…
それでも……
フィルを置いていく事だけはしないでほしいと僕は願っている
自分でどうにか出来る問題ではないが、しかし万が一でもそんな事があったら、きっとあいつは壊れてしまうと思うから……」
ルドルフのその言葉にミーシャはギュッと手を握りしめる
「それは……」
「物事を器用にこなせる奴だけど、心は繊細で傷付きやすくて、それは昔も今も変わっていない
あいつは昔から周囲の心無い言葉に傷付いてあんなにも頑なな仮面をかぶるようになったんだ
その心を癒したのはミーシャ、君だよ
何でもそつなくこなせる完璧王子の唯一の弱点があるとしたらそれは君だ
あいつはミーシャの事になると感情をコントロール出来なくなる
それくらいあいつにとって君は自分よりも大切な存在で、その存在を失った時の喪失感は計り知れないし、それはあいつ自身も自覚があると思う
だから……あいつを一人で置いていかないで欲しいと僕は願っているんだ」
「少し妬けるわね……
そんなに、フィルの事を理解している存在はきっとルドルフぐらいよね
そんな貴方達の関係が羨ましい
うん……私もずっと願っているの……この幸せが1日でも長く続いて欲しいって……
だって私は欲張りだもの、この子を抱き締めてあげたいし、成長も見守っていきたい、それに何よりフィルの隣に誰よりも長くいたいと思っているから──」
「俺がそう簡単に運命の悪戯っていう奴を好き勝手させてお前を王子の傍から離すような事をすると思うか?
ルディとライラのような悲劇と同じようにはさせないさ」
そんな言葉が聞こえたと思ったらミーシャに影が差しミーシャの手にしていたティーカップは大きな手に取られた。
「ジェド様っ!?
それに、そのカップは飲み掛けっ……」
ミーシャが口にしていたカップを手にしたジェドがそれを口にするといつものお茶と違う味に気が付く。
「ん? 何時ものでないな……これも旨いが……」
「ジェド様、飲み掛けのものを口にするのはお止めください……
それは、ハーブティーというものなのです
子を宿している時はあまり紅茶等は良くないと聞いたので、妊娠中でも安心できるものを選んだのですよ
ですから、ジェド様には何時ものお茶をお淹れ致しますので」
「このハーブティーやらも、悪くはないぞ──」
「何が悪くないだ、ミーシャのカップをわざと狙って手に取りやがって」
そう言ってもう一度カップに口を付けようとしたジェドへ低い声をかけたのはフィルジルであった。
「この王国では精霊王は誰よりも尊重しなければいけない存在なのであろう?
それが、王太子というお前がそんな態度でいいのか?」
「こういう態度にあんたがさせるんだろ!?」
「フィ、フィルっ! 落ち着いて!」
目の前の光景に笑みを浮かべているルドルフに気が付いたミーシャが声を掛ける。
「ルドルフも黙っていないで二人を止めてよ」
「誰かに迷惑がかかるわけでもないのだから、別に止めなくてもいいんじゃない? いつもの事だよ
それより、お茶のお代わりを貰ってもいい?」
「え……あ……うん、そうね……いつもの事だものね
ジェド様もフィルの事をからかって遊んでいるようにしか見えないものね
お代わり、今淹れるわ」
(からかってというか……精霊王が今も向けている君への想いにミーシャは気が付いているのかいないのか……
成婚式を向かえたら自分の気持ちに区切りが付くと思ったのに……
本当にどうしたらいいのだろうね……君のせいだよ?)
ミーシャの動きに気が付いたフィルジルはジェドとの絡みを止めてお茶を淹れ直す為に新しいお湯を貰おうとするミーシャの手を止め王太子であるのにも関わらず自身で侍女へ声を掛ける。それからミーシャの座っている椅子にクッションやら何やらを添えブランケットを彼女へ掛けたりと甲斐甲斐しく世話をしているフィルジルの姿にルドルフは目を伏せ、手にしていたもう冷めてしまったお茶を口にした。
温くなってしまっても、甘くその優しい味はルドルフの心を癒していく。
(それでも、やっぱり安堵した気持ちがあるのも確かなんだ……
大切な友人が幸せそうな顔を愛する相手に向けている姿が見られた事も、その相手……僕自身の大切な存在でもある彼女の幸せそうな笑顔が見られる事も……
あの二人の表情を奪ってまでこの想いを通そうと思わなかった自分はただの偽善者なのかお人好しなのかわからないけれど、このままでずっといられたらと願うばかりで──)
「はい、ルドルフお茶がはいったわ」
物思いに耽っていたルドルフの前に新しく淹れたお茶をミーシャが笑みを浮かべ差し出した事に、温かい気持ちにほんのり憂いも含んだような複雑な心境を心の中に閉じ込めルドルフはミーシャへ笑みを向けた。
「ミーシャありがとう」
───僕に愛しいという気持ちを教えてくれてありがとう
僕の大切な天使の幸せをいつまでも願うよ
だからフィル、お前が誰にも渡したくないと考えている彼女を心の中で想い続ける事は許してほしい……
心の箱に君への思慕を閉じ込めたとしても恐らく僕はこの思慕を生涯持ち続けるのだと思う……
ここまで読んで頂きありがとうございます。
後日談一つ目でありました。
ミーシャが懐妊してしばらくしたある日の出来事なお話です。
リクエスト頂いたルドルフの心情+リアンの心情も軽く入れてルドルフ視点で作らせて頂きました。
ルドルフは本来は最後までフィルのライバルにするつもりのキャラクターでしたが、彼の性格からなのか強引にグイグイいけなく一歩ひいてしまい、さらにその立場をジェドが奪ってエンディングのような形になってしまった心残りのキャラクターでありました。
生まれながらに自分の立ち位置を理解しながらフィルの傍にいたのかなと彼を分析しています。
ルドルフにとってはミーシャも大切だけれどフィルの事も大切な友人であり、その事でも強気でいけなかったのかな?とエンディングを向かえて思っておりました。
そして、ありがたくもリクエストも頂けて今回ルドルフの密かに隠しながらミーシャを想い続ける思慕を表現してみました。
上手く表現できたかはわかりませんが、少し寂しさ悔しさも含みながらも大切な二人の幸せを願うルドルフであります。
早くそんなルドルフの心を癒してくれる相手と出逢えればいいのですが…優しいルドルフだからこそその見付けた相手を大切にするのだろうなと思っています。でも、きっとミーシャへの想いは忘れないまま……
それと、ミーシャの弟のリアン。
彼は一言でいうとシスコン。
それ故に彼の理想はミーシャでそれ以上の令嬢でなければきっと好ましいと思えないまた拗れた気質の持ち主であります。
彼も一途なので姉以上に想える相手と出逢えればその相手をとっても大切にするのだろうなと思いますが、なかなかそんな相手に出逢えなく、結婚してしまった姉を複雑な感情で慕っているというような分析でした。
素敵なリクエストありがとうございます!
後日談は数回に分けて更新予定であります!
これからも宜しくお願い致します。




