第53話 魔力の制御
朝、学院へ向けて走る王家の紋の入った馬車に乗っていたフィルジルは様々な感情で苦悩していた。
(昨日の俺のあの女への振る舞い方から、これまでのように義務的に振る舞う事はもう難しい……
そんな事をすればあの女だって俺に不信感を抱くだろう……
だが、俺のあの女への接し方の変化にミーシャは俺の自惚れでなければ確実に傷付く……
自分で決断した事とはいえ……)
「くそっ……」
フィルジルの後悔が含まれた呟きは馬車の走る音にかき消された。
(守りたい存在を苦しませて、憎い相手を喜ばしている今の現状は一体何なのだろうか……
そんな事を続けていたらミーシャの心は……)
ミーシャの傍に精霊王のジェドがいる現状にフィルジルは大きな焦燥感に駆られていた。
ジェドのフィルジルへの以前の言葉やミーシャへの態度からも少なからずミーシャへ厚意以上の感情を持っているのではないだろうかとフィルジルの中の警鐘が鳴っていた。
フィルジルはミーシャが自分のせいで傷付く度、ミーシャの近くにいるジェドがミーシャの心を癒しているのではと感じ、このままではミーシャの心をジェドに奪われるのではないかと怖れていた。
(しかし、ここで全てを無駄にする事なんて出来ない
漸く何かを掴みかけたんだ
昨日あの女が呟いた『あの方』という存在が恐らく核心なんだ
すまない……ミーシャ……後少しだ……
だから……
頼む……
俺へ向ける気持ちを消さないで欲しい……
精霊王へ気持ちを向けないでくれ……
お願いだ……)
「ミーシャ……」
フィルジルはこんな事を心の中で懇願する事しか出来ない今の自分が情けなくて憎らしかった。
朝、学院の教室でミーシャの傍らには精霊王であるジェドが居る様子が目に入ったフィルジルの心の中が闇に染まっていく事をフィルジル自身もわかった。
そんなフィルジルへキャロルが満面の笑みで近付く。
「フィル様おはようございます!
昨日のお茶会とても楽しくて幸せな気持ちになりました!
誘ってくれて嬉しかったです!」
フィルジルは歪む気持ちを押し込めキャロルへ笑みを向けた。
「おはようキャロル
私も君と一緒の時間を過ごす事が出来て、とても嬉しかったよ
これからも、もっと君の事を教えてくれるかい?」
「もちろんです!
フィル様と少しですが親密になれましたし……
もっとフィル様に触れてもらいたいです」
そんなフィルジルとキャロルの会話が聞こえてしまったミーシャは初め何も考えられなかった。
そして心が黒く染まっていく。
(……聞き間違い?
ううん……確かにフィルはキャロル様の事をキャロルと呼び捨てで呼んだ……
でも演技だもの……婚約者らしくしなくてはいけないから……
私は何て心が狭いの?
たかが名前を呼び捨てで呼んだだけじゃない……
それだけで……フィルには他に何の意図もないわ……
何も……)
自分に言い聞かそうとするミーシャの心はどんどんと真っ黒な染みが広がるかのようにドロドロとした気持ちが広がっていく。
(でも……演技……じゃ……なかったら?
傍で過ごす事でフィルの気持ちがキャロル様へ傾いていたら?
そうであったら……私は……どうするの……?)
印の刻まれた側の手袋をギュッとミーシャは握りしめる。そして、キャロルの最後の言葉が頭の中で繰り返された。
『フィル様と少しですが親密になれましたし
もっとフィル様に触れてもらいたいです』
(親密……? 触れて……?
フィルは私でない令嬢に触れた……の……?)
──ザワッ……
ミーシャの漏れ出た魔力に逸早く気が付いたジェドはミーシャへ声を掛ける。
「おい……どうした?」
そんなジェドの言葉すら聞こえないミーシャの状態を危惧したジェドはミーシャの両頬に手を添え自分へ顔を向かせると視線を合わせた。
「ミーシャっ!
俺の瞳を見ろっ!」
「え……?」
僅かに我に返ったミーシャは何が起きているのかわからず困惑する。
「今から俺と共に来い」
「えっ!? 何を仰有っているのですか?
これから講義が──」
「これは命令だ
今から、俺と共に来るんだ」
「ジェド……様……?」
まだ困惑しているミーシャをジェドは引っ張って連れて行くように教室を後にした。
その様子を怒りを含ませた表情で見ている存在など気にも止めずに。
ジェドがミーシャを連れて来たのは食堂のテラスであった。
「俺に茶を淹れろ」
「ジェド様!?
急に何を仰有っているのですか!?
もうすぐ講義が始まるのですよ?
それなのにお茶だなんて──」
「これは命令だと言った
俺はお前に精霊王として命令している
逆らうと言うのか?」
突然ミーシャの前にジェドが現れてから今のように精霊王という立場である事を出され命令口調で言うような事がなかったのに突然人が変わったかのように横暴な態度で自分の望みを押し通そうとするジェドにミーシャは困惑するが、精霊王は国王よりも尊重しなければならない存在である事も理解しており、ミーシャはこれ以上言い返す事を止めた。
ミーシャ自身フィルジルの執務室でお茶を淹れる事がなくなってから茶器や茶葉など持ち合わせていなかったので、食堂で茶器類や茶葉などを貸してもらいミーシャの手ずからお茶を淹れジェドの前にカップを置いた。
「ジェド様のお口にお合いになるかわかりませんが……お茶をジェド様のお望み通り淹れました」
ジェドはミーシャの淹れたお茶に視線を落とす事もなくミーシャの顔をじっと見詰める。
「ジェド様?」
「落ち着いたか?」
「え?」
「お前の好きな事をさせれば気持ちも落ち着くかと思ったから茶を淹れさせた
気持ちは落ち着いたのではないか?」
「気持ちが落ち着く?」
ジェドは一つ息を吐くとミーシャの淹れたお茶の入ったカップを持ち一口口にする。
そして、再度ミーシャを見詰めた。
「ミーシャ
お前は先程、王子とあの娘の会話を聞いて気持ちが黒く染まり己の魔力が溢れ出しかけた事に気が付いているか?」
「魔力が……溢れ出しかけた……?」
「そうだ
お前が持っている精霊と同じ魔力は、人間が制御する事はかなり難しい
俺の抑制の力もあるのだろうが、それでもお前はその力を暴発させる事なく日々を過ごせるだけの力は持っている
だが、精神面の起伏はその制御さえも失い大きな危険を孕むんだ」
「ですが……封印具の取り外す試験は一応合格を頂いて……」
「人間界の封印具などお前の持っている精霊の魔力には無意味だ
ただの飾りでしかない」
「無意味……?
それならば、何故幼い頃から今まで私は魔力を暴発させる事がなかったのですか!?」
「その……お前が何時も髪に飾っている髪飾りに付いている石は何だと思っていた?
お前はそれを幼い頃からいつも髪に付けてはいなかったか?」
「髪……飾り……?」
ミーシャは自分が幼い頃から毎日付けていた髪飾りに触れると髪から外した。
その髪飾りには幾つものキラキラと輝く宝石が飾られており、ミーシャは宝石だとずっと思い疑っていなかった。
そして、その髪飾りは母親のルーシェが気に入っているものでミーシャに良く似合うから毎日つけて欲しいとルーシェからミーシャが幼い頃に言われた事を朧気ながらミーシャは覚えていた。ミーシャ自身もとても気に入り特に深く考える事もせず毎日侍女が髪を結った後に付けていた事を当たり前だと感じていた。
「それに、お前の体質だと感じている相手の悪意を察する力
それは、只の自分の特性だと思っていたのか?」
「え……どうしてその事を知って……」
「それらは全て、幼い頃お前の事を案ずる両親の願いもあり、俺がお前に与えたものだ」
ジェドの言葉にミーシャは何も言葉を発する事が出来なかった。
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