第41話 日常の変化
王城でフィルジルから正妃の印を刻まれた次の日フェンデル家の屋敷にはフィルジルの名であるものが届けられた。
それは、ミーシャが学院等、人前へ出る時につける為の沢山の手袋であった。たった一晩で王国中の手袋から選んだのではないかと思うくらいの手の甲に印されている正妃の印を隠す為の様々なデザインの手袋にミーシャはフィルジルの想いを強く感じた。
「どれも……学院に行く為に使うなんて勿体ないくらいの代物ね」
そして、もう一つ届けられた籠をミーシャはそっと開ける。
「ミャア」
「久しぶりねミィ、今日からしばらくあなたのご主人様からお願いされたから私にあなたのお世話をさせて頂戴ね」
籠の中に入っていたのは真っ白な毛色の猫であり、フィルジルが可愛がっていて自分で世話をしている猫であった。本当の名前はミーシャと同じミーシャという名前で、紛らわしいからとミィと名前を変えてあの穏やかな頃皆で呼んでいた事をミーシャは思い出す。昨日、フィルジルはミーシャとの接点を少しでも残しておきたくてミィの世話を学院を卒業するまでミーシャへ頼んだ。そのフィルジルの頼みにミーシャは嬉しそうに了承したのであった。
ミィをミーシャが抱き上げ優しく撫でる。
「あなたが居なかったらフィルと再会出来ていなかったかもしれないと思うと、あなたにはお礼を幾つ伝えても足りないわね……」
ミィがゴロゴロとミーシャの撫でている手にすり寄る姿に寂しさを隠した笑みをミーシャは向けた。
フィルジルとキャロルの婚約は即日王国中へ周知されることとなった。
周知された翌日学院へ向かう馬車の中でフィルジルから贈られた手袋を無意識にミーシャは撫でる。正面に座っていた弟のリアンは表情を強張らせているミーシャを見て苦しそうに顔を歪めた。リアンの気持ち的には何故フィルジルが自分の姉に対し、ミーシャが周りから痛々しく見られる事がわかっていながら、執念深くミーシャに正妃の印を印してまで繋ぎ止めているのかが理解出来なかったというより理解したくなかった。姉をこんなにも苦しめたまま放置することになるのにどうして姉を自由にしないのだと、憤りしか感じられなかったのだ。
馬車が停まり先に降りたリアンはミーシャへ手を出す。その姿にミーシャはフィルジルとの日常を思い出した。フィルジルは何時もミーシャよりも早く学院に来ておりそしてこうしてミーシャが学院へ着いてミーシャが馬車を降りる時、手を差し出してくれていたのだ。その事を当たり前だとは思っていたつもりはなかったが、あまりにも日常的な事で自分の置かれている現状の変化をまざまざと感じた。
「姉上? どうかされましたか?」
「あ……ううん、何でもないわ
ごめんなさい
リアンありがとう」
リアンの手を借り馬車を降りたミーシャへ向けられた視線は憐れみが半分、侮蔑が半分といったような視線であった。その視線の奥に感じる生徒達の感情にミーシャは嫌な動悸を感じた。
「姉上、このような視線など気になされないでください」
「大丈夫よ
覚悟はしていたつもりだったけれど、貴族世界というのはやっぱり厳しい世界ね……」
「姉上、教室ではお一人で本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫よ
あなたは下級生なのだし、そこまで負担を掛けられないわ」
ミーシャは自分はやはりフィルジルの気遣いに守られていたのだなと改めて感じた。
ミーシャは教室に入りまだフィルジルもキャロルも来ていない事に安堵するような不安になるような感覚が綯交ぜになる。
そして先に教室に来たのはキャロルであった。
革新派寄りの貴族の子息令嬢方はキャロルへご機嫌伺いのように婚約の話をこちらへ聞こえるかのように話し始めた。
それに嬉しそうに返すキャロルの声をミーシャは聞きたくないのに聞こえてくるという苦痛を感じながら自分の席で身を固くしていた。そこへフィルジルとルドルフが教室へ入ってくるとキャロルは満面の笑みでフィルジルの傍まで掛け寄っていく姿がミーシャの目には入ってきた。
「フィルジル様おはようございます!」
「ああ、ストゥラーロ嬢おはよう」
「もうっ! フィルジル様、婚約が内定されたのにそんな他人行儀な呼び方はもうやめてください!
フィルジル様からは名前で呼んで欲しいです!」
「………そうだね……
それでは、今日から貴女の事をキャロル嬢と呼ばせて頂くよ」
「嬉しいです!!
それじゃあ、私はフィルジル様の事をフィル様と呼んでもいいですか?」
「それは……」
「婚約者なのに駄目なんですか?」
「いや……そう呼んでくれて構わないよ」
「ふふふ、フィル様今日はお城で婚約式のお話があるそうですね?
学院から二人で一緒にお城へ帰りましょう?」
「それは……こちらで終わらせなければならない執務が残っているから、それを終わらせてから私は王城へ帰城するよ
キャロル嬢は先に王城へ向かってほしい、貴女だけに対しての打ち合わせもあるようだからね
私も時間には間に合うように戻るよ」
「そうなんですか?
残念ですけど、それなら仕方がないですね」
そんなフィルジルとキャロルの会話が耳に届いていたミーシャは今、自分がどんな表情をしているのかわからない事がとても不安だった
苦しさに顔を歪めてはいないだろうか……
嫉妬に怒りを露にしていないだろうか……
悲しさに涙が浮かんでいないだろうか……
今までの貴族としての淑女教育と王妃教育で培った感情を表に出さない為の意識を強く持ってその場でじっと佇んでいた。
(泣くな……
感情を殺して……その場で表情を見せない訓練を何度もしたじゃない……
フィルはこれはお芝居だって言っていたわ……婚約して油断させる為の……フィルの気持ちを信じたい……だけど……)
ミーシャの心の中には暗いドロドロとした感情が沸き起こる。
(貴女はフィルの婚約者という立場だけでなく………特別に感じていたフィルという愛称までも私から取っていくのね………)
午前の講義が終わり、キャロルの声がまた教室に響く。
「フィル様、一緒に昼食へ行きましょう?」
「それは……」
「今日、一緒にお城へ帰るのを我慢するんですから、昼食くらい一緒に時間を楽しんでもいいじゃないですか!」
「……わかった
昼食を一緒にとろうか」
「早く行きましょう!」
二人の声が遠くなるのと反対にミーシャを呼ぶ声が近くでした。
「姉上、昼食の時間になりましたのでお迎えにきました」
「リアン……」
「姉上!?
どうしたのです!? その表情は!?」
「何でもないわ……迎えにきてくれてありがとう……行きましょ──」
「姉上っ!? 姉上っ!!」
(ああ……私は駄目ね……こんな事にも堪えられないなんて……
リアンにも心配をかけてしまったわ
こんな事で、重責が伴う王太子の正妃になんてなれるのかしら……)
ミーシャは薄れゆく意識の中でそんな事をぼんやりと考えていた。
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