第19話 愛称
入学祝いパーティーの次の日の朝、朝食を終えたミーシャが食後のお茶を手にしながらぼんやりとしていた。
昨夜のパーティーで突然聞かされたルドルフの気持ちに未だ動揺がおさまらなかった。
そんなミーシャへ声を掛けたのはミーシャより一つ年下の弟のリアンであった。
「姉上、昨夜から様子がおかしいのは何かがあったからなのでしょう?
姉上のエスコートに名乗りを挙げた殿下は何をやっていたのですか?
こんな事ならやっぱり父上か僕がエスコートをするべきでした!」
「リアン、殿下はきちんとエスコートなさって下さったわ
そんなに心配しなくてもいいのよ
それに、お父様はまだしも貴方はまだ入学する前の未成年なのだからエスコートする事は難しかったわよ」
「そんな事を言って、今日から例の令嬢が同じクラスにいるのでしょう?
王国の取り決めがあるなら、殿下は姉上との婚約を解消すべきだと思うんです!
それを姉上との婚約もそのままにしておくなんて姉上に対して無責任すぎます!」
(リアンのフィルへの敵対心は年々酷くなるわね……)
フェンデル家嫡男でミーシャの一つ違いの弟でもあるリアン・フェンデルは、肩にかからないくらいの長さのミーシャと同じ銀色に輝く髪色と、灰色の瞳を持つ中性的な容貌を持ち、ミーシャととても仲良く幼い頃からミーシャの事を慕っていた。
その関係が少しずつミーシャへ過度な程の慕い方になっていったのは、ミーシャがフィルジルの妃候補へ名前が挙がった頃からである。ミーシャがティアラの思惑で令嬢方から嫌がらせを受けている事がわかると幼いながら王城へ抗議すると言うほどで、そんなリアンにとってフィルジルのあの鉄壁な理想的王子の仮面はあまり通用しなく、ミーシャより過敏ではないが相手の内面を察するような感覚をリアンも僅かながら持ち合わせており、フィルジルの姿を「胡散臭い」と不信感を持ち警戒していた。
そして、今回の光の魔力を持つキャロルの存在が明らかになった事にリアンのフィルジルへ向ける不信感と敵対心はさらに大きくなった。
「殿下はその事はしっかりとお考えだと思うわ
私がぼんやりしていたのは昨日のパーティーでダンスを踊ったせいもあって少し疲れてしまったからよ
心配してくれて、ありがとうリアン
もうそろそろ邸を出ないと学院に着くのが遅れてしまうから、私は学院へ向かうわね」
「姉上は優しすぎます!!
もっと自分を大切にすべきです!」
リアンの言葉にミーシャは胸が痛む……
(自分の気持ちを優先してこの仮初の婚約者という立場を続けているのは私の方……
フィルの立場を考えたら学院に入学する前に婚約を解消するべきだったのに……
フィルと離れたくないっていう私の勝手な我が儘をフィルは見ない振りをきっとしてくれているのだから……)
「リアン、心配しなとも大丈夫よ
私も自分の立場を弁えているから……
それじゃあ、いってきます」
ミーシャはまだ言い足りないようなリアンを背に食堂を出ると身支度を整えて馬車に乗り込んだ。
昨日のパーティーの後フィルジルはミーシャを家まで送り届けてくれたが、ルドルフの言葉のせいか殆んど会話という会話をしなかった。
そして、ミーシャの脳裏にはパーティーで満面の笑みで踊るキャロルの姿が離れなかった。
恐らく、ミーシャの代わりにフィルジルの隣に立つのは彼女なのだろうと……何ともいえないドロドロとした感情がミーシャの心を荒ませた。
馬車が学院に着き降りる準備が整っているのにも関わらず、馬車の扉を御者が開けようとしない事にミーシャは不思議に思い、馬車内から御者の名前を呼んで声を掛ける。
「ダン? どうかしたの?」
馬車の外側で御者が誰かと話す声が聞こえたかと思うと扉が開かれ、扉前にいた人物にミーシャは驚き、人前だというのにいつものように思わずその人物の愛称を呼んでしまった。
「フィル……?」
「ミーシャおはよう」
フィルジルはミーシャへ手を差し出す。
ミーシャはグッと胸が苦しくなる感覚を覚えたが、表情を引き締めフィルジルの手に自分の手を乗せ馬車を降りる為に馬車の下に置いてある踏み台に足を乗せようとした時、ミーシャの手を握っているフィルジルの手に力が入りその瞬間ミーシャの心臓が波打った。
───トクンッ……
フィルジルが浮かべたミーシャへ向けた柔らかな笑みは外向きの笑みではなく自分だけに向けられる笑みだとミーシャでも気が付いていたが、最近向けられるその笑みに慣れないミーシャは顔が熱くなる事がわかり落ち着かなかった。
「あ、あの……殿下……」
「その呼び方はこれからはしないでくれ」
「え?」
「ミーシャには学院でも二人きりでなくとも、普段私の事を呼んでくれる時のようにフィルと呼んで欲しい」
「ですが……」
「私がそう呼んで欲しいのだ
それに、ミーシャは私の婚約者で他の者との関係の違いを周囲に見せる為にもこれからは学院内ではフィルと呼んでくれ」
後に引かないフィルジルにミーシャは困惑する。
「それは……王太子殿下としての望みでしょうか?」
「………そう……捉えてもらっても構わない」
そう人前でフィルジルから言われてしまったら臣下の娘としては従わなければならないことはフィルジルもわかっているはずで、フィルジル自身権力を振りかざす事は好まないのにも関わらず、こうも人前で強く求める理由は何なのであろうかとミーシャは思ったが、あまり躊躇しても不敬にあたるのでフィルジルの望み通りにする事にした。
「わかりました……公的な場以外では王太子殿下の望み通り殿下の事を『フィル』と愛称で呼ばさせて頂きます」
ミーシャのその言葉にフィルジルが安堵の表情を浮かべた事にどうしてそんな表情をするのだろうかとミーシャはさらに困惑した。
そんなフィルジルはミーシャの手を自分の腕に置く。
「それでは、まだ授業が始まるまで時間があるから執務室へ同行してもらっても構わないかい?」
「え……ええ………」
執務室へ入った瞬間ミーシャは口を開く。
「フィル! さっきのはどういうつもり!?
あんな往来で私が断れない事をわかっていて、何であんな事を言ったの!?」
そんなミーシャの言葉を予測していたかのように余裕の表情でフィルジルは言葉を発した。
「今までどう言ってもそう呼んでくれなかったから最終手段を使わせてもらった
それに、お前は俺にとって他の令嬢とは違うのだということも見せつけたかったからだ
俺の望みで愛称呼びするという事がわかっていたら誰も何も言えないだろう?」
「見せつけるって……誰によ………その……ルドルフとか……?」
「まさか……
それに、あいつの前ではお前は昔からずっと俺の事を愛称で呼んでいるだろう?
昨夜……あいつがお前に自分の気持ちを伝えるとは思っていなかったが、ルドルフにはこんな小細工は通用しない……」
「フィルは……ルドルフの……その……気持ちを知っていたの……?」
「かなり前からな」
「そう……私………全然気が付かなくて……」
「お前らしいと言えばお前らしいけどな」
「じゃあ、見せつけるって……誰に……?」
ミーシャの言葉にはやはりフィルジルは何も答えずに笑みを浮かべただけであった。
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