クレアと値切り
地平線の上に沈んでいく夕日。空が赤く染まっている。
夕食前で賑わいを見せていた市場も、7時を過ぎてひっそりとした佇まいになってくる。
この景色を見るのは何度目だろうか。
私も今年で齢60となった。子供の頃からこの果物屋を手伝い始めて、ずっとこの店と共に日進月歩でやってきた。だが、それも今日で最後になる。
もうやり残したことはないかな。
店頭に並んでいる残りの果物をしまっていた時だった。
「なぁ、この果物ちょうだい」
いつの間にか小さな女の子が店の前に立っていた。綺麗な黒髪を、後ろで赤い紐のようなものでまとめている。
「ごめんね。お嬢ちゃん。今日はもう店じまいなんだよ」
「・・・でも、そこにいっぱい果物あるよ」
たしかに、売れ残りがたくさんある。昔は「ステマ女王」と言われ、果物を運びながら次々と売りさばいていたが、もうこの歳になると、そんなことは出来ない。
「お嬢ちゃん、7時を過ぎたらここでは物を売り買いしちゃあダメっていうのがここの決まりなの。だから、ごめんね」
「・・・いやだ!今日はメロン食べるの!」
え?
「食べたい食べたい食べたい!」
女の子が寝そべって絵に描いたような駄々をこね始めた。
「ちょっとお嬢ちゃん、やめておくれ。周りの人が見とるよ」
「欲しい欲しいほしーい!くれるまでクレア動かない!」
「・・・しょうがないわね」
「やった!・・・お婆ちゃんありがとう!」
女の子が勢いよく立ち上がった。
ま、今日で終わりだから。
「内緒よ?お嬢ちゃん。えーっと・・・はい。メロン。5000ジェニーだね」
女の子が右のポケットに手を突っ込んだ。ガサゴソとお金を探していると、その手を止めて言った。
「高い!」
「え?」
「せめて10ジェニー」
女の子は、キリッとした顔で言った。
「いや、さすがに10ジェニーは無いんじゃないかい?」
「いや!10ジェニーじゃないと嫌!」
少し、昔の血が騒ぎだった。
「お嬢ちゃん、なめてんのかい。こっちが買わせてあげるんだよ?それで10ジェニーっていうのはないんじゃ無いのかい?」
ちょっと強めに言ってしまった。言った瞬間、冷や汗がにじみ出る。
しかし、目の前の女の子は気にもせず言う。
「じゃあ、せめて30ジェニー」
「そんなの有り得ないよ。帰った帰った。もう買わせてやんないよ」
「やだ!買う!」
「買うんなら、その誠意を見してみな」
「・・・500ジェニー」
「駄目だね」
「700ジェニー」
私は首を振った。
「800ジェニー」
またしても首を振る。
「850ジェニー」
「ダメだよ。いくら値切ったとしても、3000ジェニーは譲れない。ほれ、ちゃっちゃと出しな」
なんだか意地が悪いようだが、それでも2000ジェニーもまけている。昔だったら、有り得ない話だ。可愛い女の子だからって、今の私もそう甘くならない。例え店じまいの日だったとしても。
女の子を強い眼光で見つめる。
すると、女の子の顔がくしゃくしゃになってきた。
「・・・う゛えーーーーーんう゛えーーーーーん。メロン食べたいよー。何で買わせてくれないんだよーーーう゛えーーーーーん」
女の子が大声で泣きわめいた。周囲の目が突き刺さる。
「あ・・・ちょっと・・・・泣いてもダメだよ!私は一度言ったことは曲げないからね」
「う゛えーーーーーんお婆ちゃんがクレアをイジメてくるーーー」
さらに周囲の目が突き刺さった。
はぁ。昔の私だったらこんなに甘くは無かったのに。老いがきて尖ってたトゲも丸くなったかな。
「しょうがないね。お嬢ちゃん、そこまで欲しいのかい。じゃあ、持っていきな。お台はいらないよ」
そう言ってメロンを差し出した。
すると、クレアが泣き止んだ。
「いいの?」
「ああ。今日でこの店もお終いだからね。いいよ」
「この店終わるの?」
「え?ああ」
「なんで?」
「何で?って・・・お婆ちゃんね、もう体が言うこときかなくってね。もう果物を売ることが出来ないんだよ」
「え?じゃあそのメロンが無くなったら、もうここのメロン食べれない?」
「・・・まあ、そういうことになるね」
「ずっと?」
「え、ええ・・・」
「やだ!」
「え?」
「まだまだクレアにそにメロン食べさせて!」
何、この子。
その女の子は、ポケットから何かを取り出した。
「これでまだお店続けて!」
そう言うと、女の子は台の上に数枚の硬貨を置いて走りだした。
「え?ちょっと!」
呼びかけるが、そに女の子は構わず走っていった。
手に持っていたメロンを、力が抜けたように台の上に置く。
なんだか、ポツンと一人、取り残されてしまったようだ。もう辺りは薄暗く、穏やかな波の音だけが聞こえる。既に他の店は片付けを終えていて、残っているのはこの店のみだ。
台の上に置かれた数枚の硬貨を手に取った。数えてみるが、330ジェニーしかない。
「これじゃあ初値が10ジェニーでもしょうがないね」
そう言って私は、330ジェニーをポケットにしまった。
☆★☆
「へいらっしゃい!お客さん、何にします?」
「ワーイ!今日はご馳走だ!」
夜ご飯前の午後5時頃。この市場が、最も賑わう時間帯だ。
そんな中で、重そうなフルーツが入った大きな籠を台車に乗せて売り歩くお婆さんがここに一人。周りが心配そうな目で時々こちらを見てくる。
今日はまだ一度も売れていない。フルーツは、なかなか高価なものだ。何かの記念日じゃないと誰も買ってくれない。
昨日の女の子がくれた330ジェニー。あれを見て、なんだか今日も来なければならないような気がした。しかも、昔のような売り方で。
歳がいもなく、こんなことをしている自分を少しおかしく思うが、案外イケるもんだなぁと、軽く台車を引く自分に感心したりしている。
もしかしたら、売れ行きが悪くなったのを勝手に歳のせいにして、自暴自棄になっていただけなのかもしれない。
時間は刻々と過ぎていった。気付けば、日が暮れかかっている。昨日、あの女の子が現れた時と同じシチュエーションだ。
やっぱり、昨日の女の子は来ないか。最後にメロン取っていかなかったから、もうメロンのことはどうでもよくなったのかな。
そう、思っていた時だった。
「あ!あったぞ!」
後ろから、聞き覚えのある元気な声が聞こえた。
振り返ると、こちらに走ってくる昨日の女の子。そして、その後ろに冒険者の恰好をした男が二人と女が一人。その女の横には見覚えのある奴が一人いた。
「メロン買いにきたよ!」
女の子が元気な声で近づいてきて言った。
「とーちゃん!はやく!」
女の子が呼びかけた男は髪があるほうだった。
「わかったわかった」
その男は、ポケットから大量の紙幣を取り出した。
「えっと・・・6個下さい」
「え!?6個も!?」
「はい・・・。なんか迷惑かけちゃったみたいなんで、お詫びを兼ねて」
「は~そうかい」
こんなに一度で売れたのはこれが初めてだ。
「あの・・・その梨もついでに6個下さい」
メロンを台車から取り出そうとすると、男が指を指した。
「え、ええ・・・でも何で?」
「いや、梨が旨いって聞いたんで」
「そうよ、ここのフルーツは全部、絶品なんだから~」
後ろでエルフが腕を後ろにくんでピースを送って言った。
そうか。私にはまだ価値があるのかもしれない。
その日の人々の足音は、やけに静かに聞こえた。
「やった!」