死者界
――死者界。
『死者の門』を通って地下界に入った場合の第一層を指して、死者界と呼ばれることがある。何とも仰々しい名前であるが、見渡してみたところでゾンビやゴーストが闊歩しているわけでは無い。
もっとも、下層へと向かっていけばそのような生ける屍に出会えないことはない。彼等のことを指して『死者の門』であることに間違いはないのだ。
ただ、のろまで鈍臭いアンデッドが上層域にいたところで、探索者の格好の餌食になるには充分過ぎるのである。入り口付近では、仮に早朝であってもモンスターの姿を見かけることはなかった。
「本日のルートはこちらになります」
そう言って、フランシスはコートのポケットから紙切れを2枚取り出した。ウラルとヘーゼルがそれぞれ1枚ずつ受け取り、その内容を確認する。魔法光により照らされたそれは、大まかな死者界上層の地図と、複数の危険な場所がフランシスらしい緻密さで手書きされており、目的地は赤い線で丸がつけられていた。
この手の地図は、探索初心者向けに露店商が取り扱っていたりするものだが、ぼったくりも良いところの値段がするか、全くデタラメな物が置いてあるかの2択である。それらを購入してどういう目に合うかは、大体お察しの通りだ。
とは言え、迷宮と呼ばれるもの程ではないが、広大な地下洞窟を前にして自分が今いる場所を正確に把握するのは難しく、さらにはモンスターの出現ポイントなども日毎に異なるために、探索者にとって地図の用意は必須である。自前で用意するか、最低でも信頼できる人が書いた地図を使わなければ、あっという間に徘徊する死者の仲間入りを果たすだろう。
「それでは行きましょうか」
フランシスの声に顔をあげ、地図をポケットにしまう。これはあくまで迷子になってしまったときの保険であり、今日の探索は3人揃って行動する予定なのだ。
フランシスが先頭に立ち、その後ろにヘーゼルとウラルが付く形で、目的地へと向かって歩き始めた。
死者界は、他の大半の地下界と同様にほぼ一切の光がない。そのため、魔法が使える者が常に魔法光を灯し続けるか、油提灯を持ち込んで足下を照らしながら進むのが一般的である。
風変わりな者の中には光源を持たずに地下界に入る者もいるようだが、あちこちに岩塊や崖がある上に、音を立てずに忍び寄ってくる何者かに対処する術がないのであれば、それは無謀無策と呼ばれることだろう。
しかしながら、光源を持つということは他者に自分の存在を知らせることにもなるので、誘蛾灯のように招かれざる客を呼ぶこともある。
しばらく歩いていると、魔法光の範囲内に動く死体と呼ばれるモンスターがのろのろと這ってくるのが見えた。
薄汚くなった肌に、ほぼ抜け落ちた髪。眼窩と口蓋は空虚に開け放たれたままになっている。纏わり付いているボロは、局所を辛うじて隠しきれていなかった。
あー、とか、うー、とか呻きながら明後日の方向へと這っていく半死体の背中にゆっくりと近付き、細身のサーベルを突き刺して動きを止める。一瞬ピクッと動きが止まり、それから1割り増しくらいの速さで――恐らく、彼等にも"慌てる"という感覚があるのだろう――呻きながらもがき始めた。
動けば動くほど腐った肉が崩れ落ちていき、余計に苦しいような気がしなくもないが、想像してやる必要はないだろう。
「首元あたりにあるようです」
後ろから、何をするでもなく眺めていたフランシスから指示が飛ぶ。一旦背中からサーベルを引き抜き、言われた場所を横薙ぎに斬り裂く。一瞬、キラリと光を放つ物体が半死体の肉ごと首元から飛び出し、あぁー、と残念そうな声を出しながらリビングデッドが生き絶え(?)た。
どうやら、上手いこと一発で魔晶石を切り出すことに成功したようだ。
動かなくなった完全な死体をフランシスが魔法で完全に焼却し、飛んで行った魔晶石をヘーゼルが回収しに行った。
虹色に輝く透き通った結晶は、それと言われなければ絶対に分からない程の大きさしか無かったが。
「まあ、上層のモンスターじゃこれくらいだよね」
砂つぶ程のカケラを受け取り、小袋に入れて封をする。小さいとは言え、貴重な収入源であることに違いはないため無駄にはできない。
どういう理屈なのかは分からないが、モンスターと呼ばれる地下界の生植物は、大なり小なりこの魔晶石を体内で生成しているらしい。この結晶が大きければ大きいほど、長く生きていたり、強力なモンスターである証と言われている。
ほぼ純粋な魔力の結晶であるこれらは、ウラルのように何の取り柄もない人間にとっては等しく無価値だが、フランシスのように魔法や魔術といった類の技術を持つ人々にとっては、一定以上の価値があるものとなる。
よって、探索初心者は自分で倒せる程度のモンスターから魔晶石を掠め取り、魔術師やそれらを相手に商売をする露店商などに売却することにより日銭を稼ぐこととなる。
低級モンスターから魔晶石を掠奪しつつ、フランシスの後をついて行くだけで、体感的にはお昼前には目的地に到着してしまった。
「着きました。ここですね」
地図も見ずにフランシスが言う。魔法光が照らす先は、洞窟の口が暗く開いていて、入ってくるものを全て飲み込んでしまいそうな恐ろしさがある。
フランシスの杖の動きに合わせて魔法光がふわりと飛んで行き、洞窟全体を明るく照らし出した。入り口の向こう側は開けたドーム状になっており、魔法光が輝く天井は相当な高さがあった。
「うわー、これは・・・」
見渡す限りの死者の軍団を前に、ウラルは思わず言葉を失った。動く死体のように、自立するだけの力もないアンデッドとは違い、彼らは少しだけ上等な鎧を身につけ、それぞれに武器を持ち歩き回っていた。それは、彼らが生前に身につけていたものなのだろう。
「以前からこの辺り一帯において、初心者狩りが行われているという噂がありました。恐らく彼らはその犠牲者、といったところでしょうか」
あまり感情を感じさせないような、それでいてやや深みの増した声で、フランシスは言った。
「ここに死体を集積して、後から処分するつもりだったのか、それとも死者界の異常性を知らなかったのか。はたまた、死者の軍団も罠の一部としていたのか・・・」
胸糞の悪さと嫌悪感、そして、滲むように僅かな怒りを感じる。
「何にせよ、この死者の軍団達がこれ以上犠牲者を増やす前に対処する必要があります。これが今回私達に課せられたマスターからの任務です」
フランシスとヘーゼルの顔を交互に見て、洞窟の中に視線を戻す。数えるのも億劫な程の影は、突如として照らし出されたことに反応しつつも、それが意味するところを理解できてはいないようだ。――則ち、もうじき安寧が訪れるということに。
「さて、今回の作戦ですが、まず――」
「――フランシスがメテオ落とせば一瞬で終わるよねー?」
やけにニコニコしたヘーゼルの発言に、一瞬だけ空気が凍りつく。分かってはいるのだ。これは予定通りなのだと。
「・・・まあ、それは確かにその通りなのですが」
フランシスは、呆れ顔と微笑みの真ん中くらいという絶妙な表情を作り出した。
「それをしてしまうと、彼らの装備とか魔晶石ごと吹き飛ばしてしまいますので、今回の収穫はほほゼロになりますね。それでも良いのでしたら、やりますよ?」
ヘーゼルからウラルに視線を移しながら、フランシスは杖を持ち上げてみせた。"メテオ"という魔法がどういうものなのか、ウラルは知らなかったが、察するに死者の軍団くらいなら消し炭にできる程の威力がある魔法なのだろう。
「収入が全部飛ぶのはちょっとなあ」
どちらかというと、その日暮らしに近い暮らしをしてきたウラルにとって、収入が減ることはあまり歓迎できる話ではなかった。できることなら避けなければいけない。
「それに、折角僕のために上層探索に付き合って貰ってるんだから、あまりフランシスに頼るわけにはいかないよ」
ヘーゼル――というより、クランの上位層――は、こうやってフランシスを弄るのが好きなようだ。それはフランシスの強さが皆に認められていて、好かれているからに他ならないだろう。つまり、親愛だとか、信頼だとかそういった類の感情から出ている言葉であって、本気でそうして欲しいわけではないのだ。
「では、改めて今回の作戦を言いますね。まず――」
人に信頼されるほど強く――。そこに至るまでにどれほどの努力と経験が必要なのか。それを望みながらも、ウラルには全く想像が付かなかった。




