記憶に咲く青薔薇に幸福を
病院特有の獣臭さを無理やり消毒したような匂いは、1週間経っても慣れないものである。
俺は手持ち無沙汰なのでガサ医にちょっかいをかける事にした。
「先生、今日は外を散歩してきてもいいんですよね?」と切り出してみる。
余談だが、ガサ医とはガサツな医者の略で、つまり先生の事だ。
ガサ医は「いいよ」と無感情に言い、
「その質問もう3度目だぞ。仏の顔も三度って言うだろ。」
と、しかめっ面でため息を付き、地球温暖化に貢献した。
「仏様とは似ても似つかない顔…。」
俺はボソッと呟くとそれ以来喋らなかったが、
ガサ医は足で4拍子を刻んでいた。
15年と7日ぶりの外は、穏やかな風と暖かな日差しも相まって清々しいものだった。
病院前の雪残る川沿い。
所々フキノトウが顔を出していてどことなく風流だ。
川が途切れると、まだ蕾しかない桜の木が踏切の傍にそびえていた。
桜の木の根本には青い薔薇が5本束で添えられていた。誰か電車に轢かれたんだろうか、気味が悪い。
そう言えば、昔誰かに青い薔薇の花言葉を教えて貰った事がある。
ちょうど遮断機が降りてきたので、俺は自分の記憶の中に潜っていった。
小学生の時だったか、近所のお姉さんとよく遊んでいた。お姉さんと公園で遊んでいたある日、綺麗な花を見たのを鮮明に覚えている。
近々遠くに行くと聞いていたのだ。
咄嗟にお姉さんに渡すために、綺麗な花を引き抜こうとした。が、棘が手のひらに刺さり驚いて泣きじゃくる俺。
お姉さんがすぐ駆けつけてくれて、
「いたいのいたいの、飛んでゆけ」と、おまじないを掛けてくれた。
俺はしばらく泣き止まなかったのでお姉さんが必死に花の話をしてくれたのを何となく覚えている。
「綺麗でしょ。これは薔薇っていうの。チクチクする棘が生えてるのよ。」
棘があるなら綺麗じゃない、と思いぷくっと頬を膨らました。
「アハハっ、そうだ!君は確か青色が好きだったよね。」
「青い薔薇っていうのがあってね。でも、その花はこの世に存在しないの。だから花言葉は不可能。嫌な花言葉だよね。」
そう言うと彼女は微笑み、
「想像しただけで綺麗なんだから、どうせなら秘めたる可能性とかが良かったよね」と、どこか寂しそうに呟いたのだった。
そうだ、思い出した。
青薔薇の花言葉は「不可能」だ。
ロウソクを一気に吹き消した時のようにスッキリした時には、ちょうど電車が通り過ぎた後だった。
そして、俺は次の瞬間飛び跳ねていた。
青薔薇の傍で蕾だけの桜を見上げる女の子が現れたからである。
近くには脇道のない踏切。さっきまで確かに俺いがい人はいなかったのだ。
一息つき、女の子をよく観察すると、小学生高学年ぐらいだろうか。俺の腰ほどの高さしかない。
少女の後ろから覗く青薔薇がいつの間に束から一輪となっていた。
遮断機が上がる。
と、俺の視線に気づいたのかこちらに顔を向けた。
まだ幼さの残る、その垢の抜けていない顔には、
年不相応の無表情が張り付いていた。