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ナイト・チルドレン  作者: けふまろ
杏梨達、銀座へ行く。
5/40

事件の始まり。

「兄ちゃん、いつまで寝てるんだよっ、起きやがれ!」

 土曜日、午前十一時三十分。

 昨日も夜遅くまで必死で勉強していたのか、海翔は布団にくるまって、目を閉じていた。

「起きろつってんだろ! てめぇ!」

 杏梨は、海翔を蹴る。それに答えるかの如く、海翔はそっぽを向いたり、うつ伏せになったり、色々な体勢をしている。

 その対応が、杏梨の怒りに火を注いだらしい。

 杏梨は、力の限りでジャンプして、海翔の上にダイブした。


「ぐぉっ」

 

 小さな悲鳴が杏梨の耳に届いたが、杏梨はお構いなしに、手足をぶらぶら動かした。

「起きろ、起きるんだ、海翔よ。今日は、今日は行くんだぞ……。置いてくぞ、置いてくぞ……」

 呪いの言葉を延々と繰り返す杏梨が鬱陶しくなったのか、海翔は「だぁ!」と飛び起きた。

「うるせぇな! 何に行くって言うんだよ!」

(こいつ、覚えてねぇのか……)

 杏梨ははらわたが煮えくりかえるような気持ちになりながら、叫んだ。


「銀座だよぎ、ん、ざ!」


 一瞬の沈黙の後、海翔は悲鳴を上げた。

「あぁ、そっか! 今日銀座行くんだった!」

「何してんの!? 私めいっぱいお洒落したんですけど!? 十二時半に駅前に集合なんですけど!? あと一時間しかないんだよ!? 夜更かしして寝坊なんてアホにも程があるだろ!」

 うっかりにも程がある。杏梨は、朝六時に起きて事細かに綺麗にしたというのに、この海翔という人物は、だらだらと寝ていたのだ。

(信じらんない! 私、今日をすっごく楽しみにしてたのに! 必死にお洒落したのに、こいつ、きっと普通のお洒落しかしないだろうな……)

 杏梨は、自分の姿を、部屋に設置されている鏡で窺った。

 下の方で小さな二つ結びにした髪の毛は、ほんのりカシスの香りが漂っている。しかも結んでいるのはヘアゴムではなく、親友二人との買い物で、ノリで買った可愛らしいシュシュ。

 化粧水を塗り、母親の色付きリップをこっそり使って、肌を傷つけない程度にメイクもした。

 白いフリルの長袖に、編みこまれた黒いキャミソール。母親が乗り気で買っていた今風の黄色のガウチョパンツ。

(スカートと悩んだけど、ガウチョの方が似合ってるんだよなぁ)

 無理に兄の指摘通りにやらなくてもいい。杏梨はそう感じたのだった。

「ねぇ兄ちゃん、今の格好似合いますか?」

「何だよ改まって」

 海翔は杏梨の服装に眉をひそめる。

「ってか、お前、俺のリサーチ真に受けすぎだろ」

 妹のコーデを見てそれかよ。

(お前のリサーチどおりにしてやったんだからな。もっと何かあるだろ)

 髪は女の命だという。髪が綺麗な杏梨にとって、この言葉はかなりの自信にも繋がる。髪すら否定されて、杏梨は少しだけ、悲しみを覚えた。「ダメージ」というものだろうか。頭の中にそんな言葉が浮かんだ。

「はぁ? とにかく、行くんだからね!?」

「ふいふい……」

 今になって、乗り気でなさそうな雰囲気を醸し出す海翔。杏梨は、更に怒りを覚えた。

「行くよ~」

 杏梨は、クローゼットの方に歩み寄り、服を取り出して、小さめのリュックに詰める。一応母親には「お泊まり会」で通しているので、そこら辺は用意しておくのだ。

(流石に何も持ってなかったら怪しまれるもんなぁ)


「ってかお前、割とクローゼットは綺麗にしてるんだな。尊敬したわ」

「尊敬するとこ、そこなんだ」

 ムッとしながらも、杏梨は引き続きリュックの中に服を詰め込んだ。

 去年の誕生日に海翔に買ってもらったそのリュックは、白と水色基調だった。杏梨はそれをすぐに気に入り、大切に使っていたのだが、少しだけ薄汚れてしまっている。


「それ、使ってくれてんだ。ありがとうな」

 不意にそんなことを言われ、杏梨の体は一瞬で熱くなった。

「なっ、兄ちゃん、それは……」

 少しだけ気恥かしそうな杏梨とは対照的に、海翔は冷めた口調で言った。

「二年前ぐらいに買ったやつなのに、それだけしか汚れてないだなんて、よっぽど大切に使ってくれてたんだな。ありがとう」

「……………っ」

(何かメチャクチャ恥ずかしいんですけど! っていうかその格好で言わないでよ!)

 言ってくれることは嬉しいのだが、灰色スウェット姿で言わないでほしい。杏梨は素直にそう感じたのである。

「さ、もう準備してよ。忙しいんだから」

「はいはい」

 海翔は布団からのそのそと起き上がると、クローゼットの扉を開けた。


 ◆◇


「お待たせ~」

 杏梨は公園にいる少年少女に手を振った。

「あ、杏梨~」

 友実が、バッグを持った手と反対の手を、杏梨に向かって振り返す。

「遅かったじゃない。待ちくたびれたよ」

「ごめんね~、ちょっと色々あって」

 兄ちゃんがスイカ忘れたんだよ!

 杏梨はそう叫びたかったが、男子と話している東風谷を見付けて、急に大人しくなる。


「ってか、今日の杏梨、何かいつもと違うね~」

 咲希が目ざとく反応する。

(咲希ちゃん、ナイス! ありがとう!)

 これで少しだけ東風谷にアピールできただろうか。

「そうなんだ! 今日は銀座行くから、お洒落したんだよ!」

 その言葉で、東風谷は杏梨の方を向いた。

 そして、サッと目を逸らした。

「は!? ちょっと何よ東風谷! まさか私がキモいとか思って……」

「思ってねぇに決まってんだろ!」

 東風谷はすぐ杏梨に食ってかかる。

「目逸らさないでくれますか!? めっちゃ気になるんですけど!?」

「気になっとけ。別にお洒落なんかしても意味ないし」

「なっ、東風谷、おまえっ」

 杏梨は、東風谷に飛びかかる。そのまま手首を、まるで蛇口を捻るかのように動かした。

 ぎゃあっ、という悲鳴が公園に響き渡る。

(やっぱ、東風谷が、私が来るの嬉しいって言ってたの、嘘なんじゃん……)

 こんなの、東風谷はきっと来ないでほしかったと思っているに違いない。

 両想いなんてまだほど遠い。

(というか、一生来ない未来かもしれないな)

 杏梨は心の中でそっとため息をついた。

 東風谷は、「優しさ」というものを杏梨には見せてくれない。

 他の女子だったら、いくらでも見せてくれるだろう。それこそ、東風谷を極度までいじり続ける友実や、咲希や、里桜にだって。

(やっぱり、私が告白したから、嫌いにならないって、確信したのかな……)

 ふっと東風谷の腕を捻る力を緩め、空を見上げる杏梨。

「東風谷……」

 その声に、東風谷を含め、その場にいた全員が反応した。


「私のこと、何だと思ってるの?」

 その呟きは届かなかったようだ。

「何だ?」と尋ねたきり、東風谷は何も聞いてこなかった。

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