突然の参加。
遅れてすみません。
さて、いよいよ銀座行きも明日に迫った金曜日。
杏梨は、「ねぇ、兄ちゃん」と勉強中の海翔に尋ねた。
「何だ」
「もし、もしもだよ? もしも、私が彼氏とデートすることになったら、どういう服、着て行けばいいと思う?」
杏梨の発言に、少しばかり勘の良い海翔は、気付いたらしい。
「何だ、デートでもするのか」
「はっ」
半分合ってる。けど、半分、いや七割がた間違っている。
(デートじゃねぇよ! 好きな人+十数人と銀座行くんだよ! GINZA!)
英語風に語ると、普通にお洒落な銀座が更にお洒落に見える。
(歩行者天国行くんだぜ! 絶対羨ましいとか思うだろうな。連れていくかってんだ、親の敷いたレールにまんまと乗っかっている兄ちゃんなんて!)
勘の良さに杏梨は少しばかりムッとしながらも、「もしもの話だよ~もしもの!」と念を押した。妹のことを疑わないでほしい。いや疑いは大体合っているけど。
「う~ん。……まずは、女っぽい服を着ていけば良いんじゃないか? お前叫ぶ時男勝りだぞ、声が」
海翔が顎に手を当てて言うと、杏梨は兄をキッと睨みつけた。
「それ人前で言わないでね。はっ倒すよ」
アドバイスしてるのに……と呟く海翔。
「例えば?」
「例えば……う~ん。……ちょっと、俺も分かんないんだけどな」
ガシガシと頭を掻く海翔。首を捻って、考えているような表情を醸し出している。本当に考えているのかな。杏梨は密かに兄を疑った。
「今日この頃寒くなってきたじゃん? カーディガンを羽織っていけば良いじゃないか」
「おぉっ、兄ちゃん名案!」
ポン、と手を打つ杏梨。
「後はスカートだ。お前が着るやつは大体デニムやらミニスカートやら……。フリフリの男受けが良いやつ、全然着ないじゃん。俺の友達も言ってた。だからモテないんだよ」
「なっ」
最後の言葉はいらないんじゃない? 余計にも程があるんじゃない? と言いたいことが沢山あった杏梨だが、そこをグッと飲み込んだ。海翔はアドバイスしてくれるのだ。怒ったら話を中断どころか勝手に終わらせてしまうかもしれない。
(後で兄ちゃんの参考書全部隠すことにしよっと)
妹がそんなことを考えているとはつゆ知らず、海翔は人差し指を立てながら真面目に杏梨に向かってアドバイスしている。この人、もしかして女子に興味が湧いているんじゃないだろうか。杏梨の脳内にそんな考えがよぎった。
「後はお前、髪の毛「だけ」は綺麗なんだから、その日だけは結んで行くんだぞ」
「はぁ!?」
髪の毛「だけ」は綺麗、という言葉に、杏梨はムッと来たらしい。兄の勉強机に向かって、散らばっている参考書をガシッと掴むと、窓を開けた。
「はっ、お前投げ捨てるつもりじゃねぇだろうな!」
「投げ捨てるつもりですー。何だよ、さっきから私のことディスり過ぎなんだよ。これ破り捨てるよ?」
「てめーそれが兄に対する態度ってもんなのか? せっかくアドバイスしてやってんのに! もうこれから勉強教えねーからな!」
しばらく杏梨と海翔の言い争いが続く。
それが止まったのは、杏梨のスマホから鳴り響くLINEの着信音だった。
「……あ、友実ちゃんからだ~っ」
立ち上がってスマホを覗くと、友実からだった。
『東風谷から杏梨のLINE教えてってメールが来ました~』
『教えても良い?』
「えっマジ東風谷から?」
杏梨は参考書を持った手でベッドをばしばし叩いた。
「おいやめろ参考書を乱暴に扱うな! っていうか東風谷って誰だよ!」
「ふいふーい」
海翔の声を軽視して、杏梨はLINEを送った。
【もちろん大歓迎! っていうか東風谷スマホやってんのね】
『兄のらしいから、あんま変なことは書きこめないんだってさ』
(兄のなんだ。へぇ。ってことは銀座にスマホを持っていけないってことか)
軽くショックを受ける杏梨を見て、更に気になったのか海翔は「何だよお前、教えろよ。兄をないがしろにするなんて……」とぐちぐち言い始めた。
(正直思ったら、クソうぜぇんだよな、兄ちゃんは)
こうやってすぐいじいじする。だからモテないんだよ。ホントこういうところは兄妹ってそっくりだよな。
「あ、兄ちゃん参考書返すね~」
ぽいっと杏梨は参考書を後ろに投げ捨てた。
「お前、参考書投げるなよ。お前絶対後悔するぞ!」
何を後悔するというのだろう。後悔してるのは八割がた兄だよ。
「はいはい」
杏梨は、東風谷とのLINEが楽しみになり、海翔のことはどうでも良くなっていた。
『ふいふい。じゃあ明日、銀座行って、東風谷と交換してきな、リア充さん』
【も~、リア充なわけないじゃん! ただの友達、好きな人!】
(……ん?)
杏梨は、一つおかしなことに気がついた。
【お兄さんのスマホなのに、銀座に持ってって良いの?】
【お兄さん、その間絶対不便だと思うんだけど】
『何言ってるの。お兄さんも行くに決まってるでしょ』
(はぁああぁああぁぁぁぁ?)
「はぁああぁああぁぁぁぁ?」
思考と言動が思わず一致する。長いため息に、海翔は「今度は何だよ」と呆れたような口調で言った。
「な、何でもないっす」
「何だ、その言い方。アホか」
海翔は、杏梨に向かってそっと苦笑した。
杏梨は、海翔に反論する余裕もなく、スマホの画面を覗き込んだ。
【マジかよ。銀座行き前日にして初耳なんですけど】
【お兄さん何歳なの?】
【場合によってはまとめ役になるって感じだけど】
杏梨の呟きに、思いのほか早く返事が来た。
『う~ん……。まぁ、そうだよね~』
『ちなみに中三』
【おぉ! ってことはまとめ役ってなるね! しっかりしてるの?】
『東風谷と同じで天然要素入ってる』
『勉強が好きだけど、根は馬鹿だから』
『まとめ役にはならないかも』
「うぉ、マジか~」
東風谷家は天然が多いのか。
そんな下らないことを想像している杏梨に、海翔からのチョップが飛んだ。
「うぐぇっ」
慌てて壁に手を付ける杏梨。
「なっ、何すんのよ兄ちゃん!」
「何すんの? それはこっちの台詞だよ! この馬鹿妹がよぉ! てめぇ俺がせっかくアドバイスしてやってんのに、いつの間にかスマホに没頭しやがって!」
海翔は目を見開いて、唾を飛ばすように杏梨に向かって叫んだ。
「はぁ? 何言ってんの兄ちゃん。私は今のLINEのためにアドバイスを頼んだんですけど!? 明日友達と遊びに行くからアドバイスを聞いたんですけど?」
杏梨も負けじと言い返す。
「だからって、偉大なる兄のアドバイスを、聞き流していい理由にはならないだろ!?」
「うるさいっ、兄ちゃん、私明日ぎん……」
ハッと口をつぐむ杏梨。言い返そうとして、言ってはいけない言葉が出てしまったのだ。
「あぁ? ぎん……何だよ!」
「いいじゃん別に! 妹のプライベートに乗り込むなんて、最低!」
海翔は、意味が分からないと言った様子で、杏梨を見つめた。
「はぁ!? お前が言いかけておいてそれは何だよ!」
「間違えましたー、兄ちゃん、妹がオブラードに包んで言った言葉を、聞き流しておいてくださいます?」
杏梨の挑発態度に、海翔は、「あぁ!?」と怒りを露わにした。
「何が聞き流すっつうんだよ! 言い方気持ち悪いし、お前絶対「オブラード」の意味知らないだろ!」
(バレたか)
「もしかしてお前、銀座に行くのか?」
「はっ?」
(嘘、ばれちゃった?)
今までにないほどの「何か」が押し寄せてくる。
その「何か」が何かは、杏梨自身もよく分かってなかった。
「お前、何その『はっ?』って。分かりやすっ」
海翔は、何が面白かったのか、ブッと噴き出した。
「わっ、兄ちゃん、絶対お母さんに言わないでね?」
杏梨は、隠すこともないと直感したのか、海翔に必死に懇願した。
「ど~しよっかな~。お前、お泊まりに行くって誤魔化したんだろ? 遊びに行くからアドバイスくれって俺に言ったんだろ? どーしよっかな」
駄目だこいつ、マジで調子乗ってやがるぜ。
杏梨はそっとため息をついた。
「じ、じゃあ、兄ちゃんも一緒に、銀座、行きますか?」
「は?」
もったいぶった顔をしていた海翔は、一瞬にして、素の顔に戻った。
「は? じゃなくって、一緒に行こうって! 絶対楽しいよ?」
「……いやいや、誰しも「は?」とは言うだろ。何だよいきなり銀座行こうって。どっかの金持ちかよ」
素の顔から慌てていつもの顔に戻した海翔は、おどけた口調でそんなことを言い始めた。
「お前らみたいに暇な奴らは、夜の世界に行けるだろうけどな、こちとら親から期待されてるグループは、夜にそんな所出歩いたら即刻ビンタ食らうの。分かる?」
(分かるかよ、そんな経験してないもん)
杏梨は、心の中で悪態をつく。
そして、それを思い切り言葉にした。
「だってさ、兄ちゃんみたいに、勉強が忙しい受験生になる前に、こういうこと経験しといた方が、絶対良いと思うんだよね」
杏梨のいきなり発せられた言葉に、海翔はぽかん、と口を開けていた。
「ほら、大人に近付くにつれて、一つのことにしか集中できないって、どんどん視野が狭まっていくでしょ? 現代なんか特にそうだもん。
子供は部屋にこもってスマホばっかり。私達みたいに外で遊ぶ子供達が少なくなって。ネットで仕入れた情報ばっかりで、実際に体験せずに、そんなんで知ったかぶりしちゃってさ。ネットで調べた昆虫より、生で見た昆虫の方が、絶対どこかが良いに決まってる。
兄ちゃんだって、そんな感じじゃん。華の十代なのに、勉強に奔走しちゃってさ。もっと、こう、新しいことをしてみたい、経験してみたいって気持ちはないの?」
海翔は、まだぽかん、と口を開いたままだ。
(き、決まった~!)
杏梨は、兄に勝った、という謎の幸せを噛みしめて、海翔をジッと見つめた。
すると、何を思ったのか、海翔は、プッと噴き出した。
「あははっ、杏梨って、面白れぇ~! 我が妹ながら、めっちゃ笑えるんですけど!」
その言葉は、杏梨の感情をたちまち怒りへと導きだした。
「なっ、ふざけないでよ! 私せっかく今決まったと思ったのに!」
自信満々の態度が、更にツボに入ってしまったのか、海翔は案の定笑い続けていた。
「何よ、何がおかしいの!?」
海翔は、やっと笑い終わり、杏梨に言った。
「お前、それ、確かにって感じだけどさ、それだとどういうことを俺に伝えたいのか、全然分かんねぇし。もっとちゃんと伝えろよって思ったら、急に笑えて来ちゃって」
(はぁ? 兄ちゃんって、笑いのツボが結構独特だなぁ)
もちろん否定するわけではないが、何で、と考えてしまう。
「だっ、だから、銀座行こうって! 絶対楽しいから! 何で親の敷いたレールに、そらなくちゃいけないの? そんな決まり、ないじゃん? だからちょっとぐらいは、銀座行って発散しようよ~」
杏梨は、尚もニコニコと笑い続けていた海翔に、そう説得した。
「あぁ、いいよ。行ったる」
「えぇっ!?」
海翔らしからぬ、即答&親の敷いたレールから思いっきり外れるほどの回答に、杏梨は一瞬面喰う。
「マジすか! えぇえぇ、何で!?」
「一緒に行きたいんだろ? 俺、通学と参考書買う時以外、カード使ってないからさ、すっごく貯まってんのね。バイトとかで貯まったお金もあるから、結構な額になると思うんだよね、俺の予算。だから、銀座で一夜遊ぶのには、多すぎるって感じかな?」
「何かイラッっとすんな。……まぁいいや、宜しく!」
海翔の、自慢なのか、そうでないのかの話が繰り広げられる。杏梨はうざったいと思いながらも、礼儀正しく頭を下げた。
「じゃあ、友実ちゃんにLINEしときます~」
「おぅ、宜しくな」
スマホをケースから取り出し、LINEの画面を開く杏梨。
「あ、ちなみに兄ちゃんがまとめ役だからね」
【兄ちゃんも行くって】とLINEで送った杏梨は、海翔にさらっと伝えた。
「はっ? 何でだよ。お前らがリーダーシップとるんだろ?」
海翔は、訳が分からないと言った様子で杏梨に尋ねた。
(リーダーシップ? 私達、はちゃめちゃ騒ぐだけですけど)
「何言ってんの? 兄ちゃん高二じゃん。東風谷の中三のお兄さんも来るけど、東風谷家揃いも揃って天然要素入ってるし、成績優秀でスマホも扱いこなせる、一番年上の兄ちゃんがリーダーに最適に決まってるじゃん。
ってなわけで、兄ちゃんリーダー決定」
反論の余地もなくし、最後まで言い切った杏梨は、更にLINEの文字をタップした。
【兄ちゃんがリーダーシップ取るからさ、何かあったらうちの兄ちゃんに言ってね!】
杏梨はLINEを送った。その後ろから、海翔の悲痛な叫びが聞こえる。
「ちょっと待った! お前、何で俺を勝手にリーダーにしてやがんだ、この野郎!」
海翔の叫びも空しく、画面には、「既読」の文字と、『了解!』のスタンプが見えていた。