最後の夜へ
一年以上完結していない物語ってこれが初めてかもしれません。
卒業まで残りあと二日というところ。
明日は卒業式、卒業式練習が五時間目にあるのだ。
杏梨は不安で胸がいっぱいだった。
一つ目は卒業式のこともあり、待機時間中に大号泣しないか想像したり、合唱中に泣かないか想像したり、去年の杏梨と同じように、誰かが誰かに告白して、謝恩会でいじられたりしないか、そんな想像もしてみたり。
だが、それ以上に杏梨には気にしなければいけないことがあった。
東風谷と友実のことだ。
保健室での一軒以来、二人は話しかけてくれなくなったのだ。LINEでは既読無視、電話にも出ない。そもそも電話をかけることなど滅多にないが、友実に関してはすれ違っても視線すらまともに交わしてくれなくなった。
あれ以来、東風谷の中学校生活がその後どうなったのかも杏梨は分からないことだらけなのに、東風谷は姿を現さないばかりか、あの日の悲しい視線の説明すらしてくれなかったのだ。
そんな不安を胸に抱えて、杏梨は小学校生活最後の昼休みを憂鬱に過ごしていた。といっても椅子に座って、ボーっと黒板を眺めているだけなのだが。黒板には何も書かれておらず、杏梨は心に溜まった複雑な気持ちを黒板に描きたいと思い始めていた。
そんなとき、杏梨の視界を遮るように、香帆が立ちはだかった。
「って、杏梨、どした? そんなに憂鬱そうな顔して。せっかくの小学校生活最後の昼休みなのに。皆外でちゃったよ」
「へぇ」
(昼休みいつもは皆、男子は廊下や教室ではしゃぎまわるやら、女子は話したりしているのに、今日ばっかりは皆外に出るんだね)
気付くと、残っているのは杏梨と香帆だけだった。先生も「今日こそは皆と遊びたい!」と意気揚々と外に飛び出していったことを、杏梨はすっかり忘れていたのだ。
「先生もいないし、誰もいない! ここで遊んでても大丈夫だろうけど」
「だねー」
香帆は大きく伸びをして辺りを見渡す。廊下も驚くほど静かだ。きっと、他のクラスも、男女皆外に出てしまったのだろう。
「私達も外出る?」
香帆が提案した。杏梨は正直、しばらく黒板を眺めていたかったが、仕方がない。親友に呼ばれて、「嫌だ」と冷めた声を出せるほど、杏梨は冷たくはなかった。
「あー。しばらくぶりだねー外出たの」
「香帆はピアノ伴奏者だったもんね。しょっちゅう音楽室にこもって、私もピアノ聴いてたっけ」
香帆が汗を額に貼り付けながら言う。杏梨も頷く。香帆は音楽室にこもって、杏梨に伴奏を聴いてもらう日が毎日続いたから、運動不足なのだという。
「ってか、もうそのまま体育館だよね?」
「あ、そうだったっけ」
香帆からそんなことを言われて、杏梨もハッとする。
給食中にそんなことを言われたような気がする。友実と東風谷のことを考えていたから、聞いていなかったというのが杏梨の言い分だ。
「ってことは、やばやば。楽譜持ってかなきゃじゃーん」
教室までバタバタと走りながら戻っていく親友を見て、杏梨は笑みを浮かべる。
(友実ちゃん達が事件起きた時に心の支えだったけど、日常生活での心の支えは、やっぱり、香帆だな)
杏梨が弾けない「猫踏んじゃった」を余裕で弾くことができて、いつもサポートをしてくれて、あの日はハッとすることを言ってくれた。観察眼が鋭く、明るく、陰でモテている香帆。
(今更だけど、何でこんな馬鹿みたいな奴と親友になってくれたんだろうな、香帆)
杏梨は脳内にもう一つ悩みを増やした。
(ま、香帆にしか分からない、私の良い所っていうのが、あるのかな~。うん、そうだよね)
すぐ解決した。
杏梨は、五六年生が体育館へ行こうと一つの方向へ進む軍団から離れて、香帆を待っていた。
すると。
ふいに杏梨は誰かに腕を掴まれた。
(ぎゃっ、誰、香帆?)
杏梨は腕を掴まれた方を振り向く。そこに、友実がいた。
「あ、友実、ちゃん!」
久しぶりに話しかけてくれたことが嬉しくて、杏梨は一瞬泣きそうになる。だが後輩、しかも恋敵の前で泣くのはプライドが許さないと杏梨の脳内が呼びかけ、泣くのを我慢した。
「今日、夜七時に東雲公園来て」
「え?」
杏梨が「何で?」と聞く前に、友実は体育館へ向かう五六年生の軍団の中に、姿を消してしまった。
残された杏梨は、さっきの質問の真意を一人考えるしかなかった。
(東雲公園に七時に来てってことは……つまり、東風谷とのことを話しあおうってことかな? えーでも夜だよ? いくら明るくなってきたからって、七時だよねぇ)
杏梨はうんうん悩んでいた。香帆が来て、杏梨の肩を揺さぶるまで、杏梨はずっとそのままだった。
◆◇
その日の、午後六時三十分。
海翔は帰宅すると、「卒業式が明後日あるから、お前も来いよ?」と杏梨に呼びかけた。
「はいはい、分かりましたよ。その代わり」
杏梨は友実に言われた言葉を思い出す。夜七時に東雲公園に来てほしいと言う言葉。心なしか、悲痛そうな声だったのは気のせいだろうか。
「今から、外に行っても良い?」
「はぁ?」
海翔は杏梨を見て眉を潜める。
「まーたお前、誰かと遊びに行くんだろう? 俺には分かるんだぞ」
「何でよ~。忘れ物だよー」
杏梨がぷうっと頬を膨らますと、海翔はニヤッと笑って両方の人差し指で杏梨の口から空気を抜いた。
「良いこと教えてやろうか。卒業式目前のお前に、宿題なんか出されているわけねぇだろ。持って帰るもんは明日持って帰ればいいんだし。お前が忘れものだって学校に戻る必要なんてない。
お前より何年も生きてる俺を、そんな嘘で誤魔化そうと思うな」
意地悪い笑みを浮かべる海翔に、杏梨は心の中で舌打ちをする。
(チッ、ばれたか)
「チッ、ばれたかって顔してる」
(なぬっ、そこもバレてたの?)
「ホント、お前素直。素直すぎ、馬鹿だよな」
海翔はけらけらと笑って、それから杏梨のおでこをツンっとつつき、「ま、行ってきな、俺から両親に言っとくよ」と杏梨にとっては頼もしい笑みを見せてくれた。
「ありがとう、兄ちゃん!」
杏梨はクスッと笑って、玄関まで駆け出して行った。
残された海翔は、ふっと切なげな表情になる。
「大丈夫かな、杏梨……」




