卒業シーズン。
時は三月。
彩子殺害計画が企てられ、杏梨がそれを見て大激怒し、更には入院してから、おおよそ五ヶ月が経とうとしている。
杏梨は既に退院し、「杏梨ちゃん退院おめでとうパーティ」がクラスで開かれ、非常に恥ずかしい思いをして、早四ヶ月。
杏梨達の小学校では、既に卒業シーズンに突入しており、杏梨達六年生は、卒業式の歌を歌うのと、門出の言葉とで、少々慌てていた。
「何か、もうすっかり卒業シーズンだねぇ」
「うん。そうだねぇ。ついこの間、六年生になったと思ったのに」
杏梨の親友、香帆が杏梨の肩に手を置く。杏梨も香帆を見つめて頷いた。
「……あ、香帆、もう検定終わった?」
「バッチリ終わりましたよ、もっちろん」
香帆はそう言って、もう片方の手に持っていた楽譜をひらひら振る。香帆は卒業式のピアノ伴奏担当で、音楽担当の教師に検定を受けていたのだ。
「検定全部合格しなきゃ伴奏は先生がやるって、またそんなふざけた話だよね。合格したくっても合格出来ない人がいるのに」
「でも香帆はもう合格したじゃん」
「まぁね~」
香帆は、形の良い顔を杏梨から逸らして、ちょっとすましている。
(いいなぁ、香帆は。ピアノも出来るし、運動も勉強も出来るし。まさに才色兼備じゃん)
今更ながら、杏梨は親友である香帆を羨ましく思った。
成績は常に上位、体育では大活躍、合唱でのピアノ伴奏は、香帆が何度かやっている。
それに比べて杏梨ときたら、成績は中の中、体育では大失敗ばかり、ピアノは「猫踏んじゃった」ぐらいしか弾けない。しかもところどころ間違える。これじゃ弾けているのか分からないレベルだと杏梨は自覚している。保育体験で「猫踏んじゃった」を披露した東風谷の方が、まだマシなレベルだ。
(中学の予習もしてあるって言うし……正負の数、だっけ)
杏梨は単元の名前もうろ覚えなのに、香帆ときたら予習までしてあるというのだ。
(うぅ……。中学に入ったら、離れちゃいそうだよぉ……)
杏梨は心の中でもんもんと悩み続ける。
「杏梨、東風谷と一緒の学校に通う心意気はどうですか?」
いきなり香帆がエアマイクを杏梨に向ける。杏梨はハッと我に返り、そのエアマイクを手に取るフリをして、答える。
「えー、何せほぼ片想い一年、その中に数々の事件、更には絶体絶命の危機までありましたこと。それを皆の前で話せば、私の中学校時代は恐らく輝くでしょう、多分、もしかしたら、だけど……」
「後半何で自信なくしてんのよ」
香帆のツッコミに、杏梨はプッと噴き出す。
「もー。何よそれー」
香帆も続けて笑いだし、「自信なくさないでよー。もう制服も来たんだし」と続けた。
そういえば、杏梨の通う中学校のセーラー服も、もう既に届いたのだ。
白いポロシャツに、青の襟。青のプリーツスカート。冬服は紺の長袖セーラーに、紺のプリーツスカート。男子は学生服で、夏は半袖らしい。これぞ制服、という印象のある制服だ。
(あんなクソダサい制服、何十年もよく変えようと思わなかったよね。……尊敬するよ、中学校)
心の中でそっと溜息をつき、杏梨は「それにしても」と香帆の持っている楽譜を見つめた。
「合唱の伴奏をするなんて、本当にすごいよ。何で出来るの? 才色兼備すぎるよ」
「そんなに褒めても、何にも出てこないけど?」
「何かを出そうとする気はないから」
杏梨と香帆は、そんなことを言い合いながら、卒業式の練習をしに体育館へ向かう。
体育館へ向かうと、既に在校生代表の五年生が、パイプ椅子を用意していた。
「おぉ、五年生、準備万端じゃん」
杏梨が言うと、「でしょー」と五年生きっての美少女、里桜が得意げに言う。
「チョー頑張ったんだからね!? 雅弥も、頑張ってくれたし! ねっ」
好きな人に急に振り向かれ、しどろもどろの雅弥が、「えっ、あ、ああ、そ、そですね……」などと声を出す。
「どうしたの雅弥。急に戸惑っちゃって」
憧れの里桜に話しかけられたのが嬉しかったのか、どんどん顔が赤くなる雅弥。
五年生きっての美少女であり、五年生きっての鈍い天然である里桜は、「どうしたの? 風邪?」と雅弥のおでこに手を当てる。
「ふぇ……あ、あのぅ……」
男子らしからぬ声を上げて、雅弥はへなへなと座り込んだ。
「ま、雅弥……?」
こてんと首をかしげる里桜。それを見て咲希は、「天然美少女は、男子を落としたことにも気付かないのか」と呆れながら言う。
こんな光景を日常的に見るのも最後になってしまうのかと、杏梨はふと寂しく思った。
「もう、さよならだねぇ」
杏梨がしみじみ言うと、背後からぽんっと誰かが杏梨の肩に手を置いた。
「何寂しいこと言ってんのよ! これからもまた、連絡取り合えばいいでしょ? 何たって杏梨は忙しい運動部に入れるほど運動が上手くないもん!」
「……と、友実ちゃん……」
言ってくれることは嬉しいけれど、半分失礼。杏梨はそう思ったが、言わないでおいた。
「杏梨はいつだって私達の先輩であることに変わりはないんだから、またいつでも遊びに誘ってよね!」
「友実ちゃん……」
(私のことをこんな風に大切に想ってくれる後輩がいて、私は幸せ者だよ……)
涙を堪えた杏梨は、「ありがとう、友実ちゃん。六年生になっても、頑張ってね」と言って、六年生用のパイプ椅子に座った。
「この小学校で出会った、大切な人達と」
「協力し合い、支え合いながら、ここまで来たこと」
「そして、今日、ここで卒業を迎えるということ」
「一つ一つの思い出が、まるで太陽のように輝いていて」
「自分達は、ここまで成長できたんだと、感じることが出来ました」
六年生は、全員壇上に立って、門出の言葉の練習をしている。
それを見ているのは、五年生。
観客はまだいない。卒業式の日、親が沢山見に来るのだ。
杏梨は、ついに六年間いたこの学校を離れてしまうのかと、不安でしかなかった。
だけど、こんな風に、「いつでも戻ってきて」と言ってくれる後輩がいること。そして、親友と一緒に中学へ入学できること。
そして、東風谷に会えること。
この三つが、杏梨の中で嬉しさに変わる。自分のことをこんな風に想ってくれる人がいるなんて。いくら両想いじゃあなくたって、僻むなんてことはない。
友実達は大切な友達だし、香帆はもちろん大切な親友だ。東風谷も大切な人だし、別に両想いじゃなくたって、楽しい時間を好きな人と共有できれば、それでいいと思っていた。
「はい、はい、ストップ。そこさ、佐藤さんと鈴木さん、もうちょっと声大きくしてくれる?」
先生の止めが入る。佐藤と鈴木は、「分かりました」と簡潔な返事をして、もう一度喋り直した。
(佐藤と鈴木、やる気なさそうだな……。もうちょっと頑張ればいいのに)
杏梨は、そんなことを思いながら、正面を見据えた。
門出の言葉と、香帆の伴奏する合唱が終わった。
アナウンスが流れ、卒業生全員が席に着こうとする。慌ただしく席に座る人や、喋る人も数人いた。
「もう一度」と先生が言い、皆が舌打ちをしたり、「えー」と言いながら、座った人も、立っているままだった人も、しぶしぶ立ちあがって、門出の言葉の立ち位置に戻り始めた。
(しょうがないよ。皆喋ってたんだもの。卒業式だっていうのに)
杏梨は少しだけ先生の味方をしながらも、これから始まる中学生活に、浮き足立っていた。
その時だった。
杏梨の真上めがけて、体育館の電気が落ちてきたのは。




