東風谷の語る真実。
篠塚が、「ここは杏梨ちゃんに任せて、私達は、向こうで隠れて待機していましょう」と言ったとき、俺は思わず「は?」と呟いた。
「正気かよ、杏梨をここに置いて行くって言うのかよ」
言い争っている……のかどうか分からないが、とりあえず言い争っている二人にバレないように、俺は篠塚に言い返す。
「違うよ。杏梨ちゃんがここでしばらくオジサンと話している間、私達は警察を呼ぶの」
あ、あぁ、何だ、そういうことか。
そりゃ、考えてみればそうだよな。篠塚が人を見捨てるなんて、そんなこと、するはずがない。
それこそ、俺の好きだった人の姿なんだ、とつくづく思う。
いつだって篠塚は、優しかった。
一年生の頃、近所のイチゴ農園に見学に行った。その時、イチゴを一人五個まで貰っていいことになってたのだが、一年の頃から派手な服ばっかり着てた海藤が、「イチゴが一個ない!」と帰り道で叫んでいた。
やがては泣きだし、先生も手に負えない状況にいた。海藤は泣き喚き、叫び、周りが困惑していた。
その時、篠塚は、自分の分のイチゴを、全て差し出したのだ。
「はい、どうぞー」
爽やかで、弾けるように元気な、真夏の太陽のような声。
その声が辺りに響き、海藤が「ありがとう、彩子ちゃん」と言った瞬間、あぁ、彩子って人、優しいんだなって初めて思った。
キラキラと輝いている篠塚の表情が、あの時の俺には、到底まぶしく思えた。あんな風に笑顔で自分の物を差し出す人を、今まで見たことがなくて。
三年生ぐらいになって、篠塚に、一年生の時のイチゴ農園でのことを聞いてみた。すると彼女は、「覚えてないなぁ」と苦笑いしながら言っていて。
だけど、一つだけ、言っていた。
「人を助けることって、相手も嬉しいし、自分も気持ち良くなるから、好きだなぁ」
篠塚はそう言って、あの日と同じように、光り輝いている、まぶしい笑みを浮かべた。
それが俺の初恋の記憶だ。
今、そんな人が、隣にいる。応援を待っている、今考えたら、杏梨にとって俺達は、到底無力な存在だろうが、篠塚は篠塚なりに頑張っている。
篠塚のことを今でも好きかと言うなら嘘になるが、篠塚のことをただの友達としか見ていない、と言えば嘘になる。少しばかりは、篠塚のことを、大切な人として見ているのだ。
俺はそんな篠塚を、真似したいと思っている。人に愛される人っていうのは、人を愛している人なのだ。周囲を大切にしていなければ、周りからは愛されない。
俺も、篠塚のような、周りに愛される人になりたい、と思ったことは、何度もあった。けれど、もう俺のことを大切にしてくれる人がいるから、そう思う必要というのは、最早なくなったようなものなのだ。
岡崎杏梨。杏梨は、俺のことを大切にしてくれた。他の誰よりも暴言を言うし、俺を殺そうとしたけれど、俺のピンチの時には、精一杯支えてくれたのだ。何より、俺が自殺しそうになった時、自分が怪我しても引き止めてくれた。今考えれば、言った方も言われた方も恥ずかしくなるぐらいの台詞を吐いて。
そんな杏梨は、今、絶望の淵に立たされている。これは、いつも日頃助けてもらったお礼として、一発、助けてやってもいいんじゃないか。そう思っていたけれど、恐怖心で、腰が動かなかった。
……そんな言い訳をしてしまったけれど、違う。
俺は、篠塚の隣にいたかったんだ。自分の大切な人と、少しでも隣にいたくて。
あぁ、俺ってクズだな。何で自分のことを大切にしてくれる人の危機的状況に、立ち向かってあげられないのか。
そんなときだった。
杏梨の背中に、ハンマーが振り下ろされたのだ。
杏梨は、悲鳴を上げることも、手足をジタバタさせるようなこともなかった。ただ一瞬うろたえて、頭を抱えていた。
「嘘!」
篠塚の叫ぶ声。篠塚は口を押さえて、目を見開いていた。
俺だって、心臓の動きが高鳴っていたさ。何だって杏梨は動こうとしないんだ。あのクソみたいなジジイが、杏梨に向かってハンマーを振り下ろしているというのに、杏梨はまるでそんなことに気付きもしないように、頭を抱えている。
また背中を殴られて、今度は篠塚も、「もういや!」と思いっきりしゃがみこんだ。
俺だって……俺だって、嫌だ。
何で、杏梨がこんな傷付けられているのを、俺だけ見なくちゃいけないんだ。
篠塚のように、こんな惨い光景から目を逸らしたかった。……でも、決して逸らすことは出来なかった。
杏梨は、震えに震えて、殴られた背中に手を伸ばしていた。
とその瞬間に、俺は叫んで、杏梨のいる方に向かっていった。
「杏梨!」
そう、叫びながら。
◆◇
杏梨が目を覚ました、との情報を聞いた時、俺は中学だったにも関わらず、するすると座り込んでしまった。
あの後、俺が杏梨の名を叫んだ頃。ちょうど公園で、ざわざわと聞き慣れた声が聞こえたのだ。
俺が杏梨を支えて振り返ると、そこには、いつものメンバーがいた。友実、咲希、里桜、透、雅弥、雅樹達。一体何でここにいるのだろうと、俺は少々びっくりしたが。
篠塚も立ちあがって振り返り、安堵の表情を見せた。
今考えたら、その時、一瞬友実の顔が曇ったのは気のせいだっただろうか。……まぁ、そんなことを考える暇など無しに、俺は、「皆、このクソジジイをはっ倒せ!」と叫んだ。
すると、真っ先に友実が動き、持っていたリュックサックで、クソジジイを殴ったのだ。
続いて咲希と里桜がクソジジイを殴り、透達が踏んだり蹴ったりしている。
どこからか、誰が呼んだのか、パトカーと救急車のサイレンが鳴る。
良かったな、と俺は思いながら、俺から顔を逸らして小刻みに震えている杏梨を、そっと撫でた。
「杏梨、元気?」
「元気だよ。結構背中痛いけど、轢かれた時よりかは随分とマシだと思いますけど?」
杏梨は相変わらず悪態をつくなぁ。俺は笑ってしまうしかない。杏梨は病室のベッドに座っている。
どこから買ってきたのか、ペットボトルのスポーツドリンクを飲んでいる。運動していないのに。
「にしてもこのスポーツドリンクって、運動してなくても美味しいね」
「そりゃそうだろ」
杏梨は「あれ? そうなの?」と首を捻った。この天然っぽい動作をどうにかしてほしい。杏梨は随分と真面目にやっていても、周りからはおかしいと思われてしまうのがオチ。
そんな感じで今もなお緩く入院している杏梨だが、いやはや本当に、助かってよかった。助からなくて背中の骨を折って死んでしまったなんて言われたら、俺はそれこそ、どうなってしまうか分からない。
「東風谷も買ってきたら? 病院の売店は一階だよ」
「飲まないよ。さっきコーラ買ったし」
「え、いいないいな。何で東風谷ってコーラ飲めるの? 私炭酸無理なんだけど」
「聞いてないんだけど」
ボケをかましながらゴクゴクとスポーツドリンクを飲む杏梨。ぷはぁっと声をあげて。お前はおっさんか。
しかし、杏梨は炭酸飲めないのか。ソーダとかサイダーとか、飲めないのか。損してるな、杏梨って。
「私だって、CMでやってるリンゴ味のサイダーとか、桃味のコーラとか、飲みたいよ!」
ばたばたと足を揺らす杏梨。一瞬ぶりっ子動作かと思ったが、杏梨に限ってまさかぶりっ子なんていうことはしないだろうから、恐らく素なのだろう。
「ねぇねぇ、炭酸ってどんな感じなの? 東風谷」
「杏梨さーん、お時間ですよー」
杏梨が俺に尋ねた瞬間、女の人の声がした。すると杏梨は一瞬顔を曇らせて、「えー」と声を上げた。
「もーちょっと東風谷と一緒に炭酸談義していたいですー」
「ワガママ言うなって。もうそろそろ検査なんだろ? 行って来いってば」
俺がなだめると、杏梨は「むーっ」と言いながら立ちあがった。
「じゃあね、東風谷」
杏梨はその曇った顔を引っ込めて、すぐ笑顔を見せた。
その笑顔が、真夏の太陽のようにキラキラ光ったように見えて、俺はそっと、「おぅ」と目を逸らして呟いた。
軽くスキップしながら立ち去る杏梨の後ろ姿は、いつもと同じ明るさを、取り戻していた。




