彩子とオジサン。
「ごめんね、杏梨ちゃん。こんな時間に、集まってもらって」
「いえ、大丈夫です」
申し訳なさそうに謝る彩子に、杏梨は真顔で答える。恋のライバルに隙を見せては、勝つことは出来ない、と何故か杏梨はそう言う自身に満ち溢れていたのだ。
「それに、東風谷もありがとう。私のこと、気遣ってくれて」
「いやいや、友達を助けるのは、当然のことだろう?」
杏梨は、無駄にかっこつける東風谷を見て、ハンッ、と鼻で笑う。
(なーにが友達よ、さっき、初恋の人……とか呟いてたくせに。はー、馬鹿みたい)
その中に、小さな嫉妬が紛れていることに、杏梨は少しだけ、気付いている。
「そして、皆も。こんな私と透のために、こんな夜遅いのに集まってくれて。もう夜九時を回ったのに、皆、大変だったでしょ?」
「大丈夫ですよ」
そう言ったのは、五年生きっての美少女、里桜。続いて咲希が「平気です、私は」と微笑む。
「……友実ちゃんは?」
「べっ、ぜんっぜん平気です」
彩子がそう聞くと、友実は強がるように何度も頷く。恋のライバルに聞かれて、強がるしかなかったのだろう。女子特有の微妙な空気が流れる。
「何でも話せよ、篠塚」
「……ありがとう、東風谷」
杏梨は「おっ、東風谷が調子に乗っております」と思わず実況中継する。途端に上原兄弟が吹き出し、それが透、里桜、咲希、友実、最後には彩子にまで伝染し、東風谷は杏梨を睨みつける。
(しかし、さっきの男の人は、一体何だったんだ?)
思い出す度、背中にぞくっと悪寒が走る。東風谷の両親の事件の時に、こんな経験をした気がする。
男は杏梨を見て、すっと手招きしたのだ。
杏梨が、注目が彩子と東風谷に集まったのを見て、男に近付く。男は杏梨を見ると、ニヤリ、と底意地の悪そうな笑みを浮かべ、こう言ったのだ。
「君、結構可愛いね。名前は、何て言うの? 今度お茶しない?」
その時、杏梨はこう思った。この人は篠塚彩子の親族ではない。誰か、赤の他人なのだと。
「……私、可愛くもないしお茶する時間もありません」
そそくさと断ると、男は寂しげに目を逸らす。
「残念、君なら、彩子以上に僕と話が合うと思ったのに」
(は? ちょっと待って、何なのよ、こいつ)
杏梨は本気で男の精神状態を気にしつつ、男を見つめる。
髪の毛はボサボサで、天然パーマかのようにうねっている。それだけならいいのだが、背が杏梨と殆ど変わらないのだ。ヤニで黄色くなった歯に、一重の目が印象的で、東風谷とはまるで大違い。杏梨は、男から目を逸らして、友実達のいる所に走り去っていった。
男が少々気にかかっているのも事実だが、それよりも、家族を捨てたり、親族ではない男と歩いていた彩子が、実に気にかかる。何か、とんでもないことがあるのだろうか、と杏梨は興味津々だ。他の五年生も、興味津々らしく、彩子をまじまじと見つめている。
(しかし、彩子さんって、本当に美人だなぁ。透明感があって。私とは大違いだ。東風谷が惚れても、しょうがないよね、うん)
杏梨は、少しだけ彩子に嫉妬しながらも、そばに置いてある麦茶を飲む。
時刻は夜九時。場所は篠塚家の一階。透の住む、一戸建ての住宅。そこに杏梨、東風谷、友実達五年生、そして篠塚彩子と透が、リビングの床に座っている。
「……じゃあ、今から話すね?」
「お、おぅ」
急に改まった彩子に、東風谷は少しだけ戸惑いながら、お茶を飲む。
彩子の長い睫毛は伏せられ、透明感のある白い肌に、影が映る。
「さっき、公園の前にいた男の人……お父さんじゃないの。もっと別の、透の、知らない人」
「えっ」
驚きの声を上げたのは、透だけではなかった。
東風谷が、目を見開き、彼女をまじまじと見つめていたのだ。
だが、杏梨は何も言わずに、ただじっと、彩子を見つめている。
(知ってたよ。私に声をかけてお茶をしようって誘うぐらいのお父さんなんて、どこにもいないでしょ。ってか、じゃあ彩子さんと一緒にいた男は誰なんだよ)
心の中でそう思っても、杏梨は口には出さず、お茶を飲む。
「じゃあ、誰なんだ?」
「誰なんだよ、姉ちゃん」
東風谷と透が声を揃える。同時に二人は立ち上がった。杏梨は不謹慎だと思いつつ、クスッと笑う。
すると彩子は、目をつぶり、二人と同じ目線になるように立ち上がった。
「……近所のオジサンだよ。よく、お金をくれるんだ」
「はぁ!?」
東風谷は思いっきり声を荒らげる。杏梨はお茶を噴き出す。口の周りがお茶だらけ。ハンカチで拭こうと、ハンカチをポケットから取り出すと、妙なデジャヴ感も覚えた。
東風谷の剣幕に、皆は驚いたのか、目を見開いて、奇異の目を東風谷に向けている。
「お金をくれるって、まさか、変なことされてるんじゃあ、ないよな!?」
透が今までにないような剣幕で彩子の肩を揺さぶる。
「……変なことは、今のところは、されてないよ?」
「……そっか、なら、ならよかった」
彩子が遠慮気味に言うと、透は、ホッとしたのか、へなへなと床に座り込んだ。
だが、東風谷は声を荒らげたっきり何も言わない。ただ、肩を震わせて、何故か、床を見つめていた。座ろうとも、彩子を見ようともせず、床をじっと見つめたまま。段々、「何やってんの? 東風谷」とざわめき始めた。
ここでこそ私の出番だ、と杏梨は立ち上がって、東風谷の肩を掴んで、震えを押さえる。こうでもしておかないと、初恋の少女の彩子が、東風谷と良い雰囲気になってしまいそうだったから。
(何でだろう……。私より彩子さんの方が、何倍も美人で綺麗で性格も良いのに、何で私、彩子さんに嫉妬しているんだろう。東風谷が彩子さんを心配しているからかな? それとも、悔しいから?)
東風谷に何か声をかけようかと思ったが、かける言葉が見当たらない。どれもこれも、「何で東風谷が心配する必要があるの」とか、「彩子さんのこと、透君の方が心配しているのに、家族でもない、付き合ってもない東風谷が心配するのは、お門違いなんじゃないの?」とか、彩子を非難する言葉ばかりだった。
でも、その言葉を発しようとして、杏梨は気付いたのだ。自分も、付き合ってもいない東風谷のことばっかり心配する少女だったということに。
そんな杏梨を無視して、彩子は話し始めた。
「中学で、私、どうにも馴染めなくて。クラスに、それなりに友達がいるんだけど、全然、上手く話せないんだよね。困ってる私に、手を差し伸べてくれたのが、近所のオジサンだったの」
「……確かに、篠塚は、あんまりクラスに馴染めてなかった。グループ行動も、移動教室の時も、全然、友達と、一緒にいなかったし」
東風谷が、やっと口を開く。杏梨は、自分が慰めてくれたこと関連の話ではなかったため、少々辛い気持ちがあったが、そんなことを、口には出さなかった。
「オジサンは、いっつも優しかった。お母さんが仕事で夜遅く帰ってくるとき、いつも寂しかったんだけど、オジサンが、塾からの帰り道の私を、よく家に招き入れて、オジサンの子供とゲームさせてくれたの。とても嬉しくて、よく、お小遣い代わりとしてお金をくれるんだ。だから、全然、今のところは、変なことはされないよ。優しくって、明るくて、だからよく、ここら辺を一緒にブラブラしているんだ」
「……な、なんだ、そういうことか」
透が、はあ、と安堵らしきため息をつく。その途端、張り詰めていた空気が、一気に和らいだ気がした。
友実や里桜、咲希達が、「そんなオジサン、いてよかったですね~」などと話している。友実だけは微妙に頬が引き攣っているが、それを気にしなければ、皆、何も不思議なことなどない、純粋に良いオジサンだと思っているのだろう。
杏梨も、良いオジサンなのだと思っている。だが、妙に気にかかるところがあるのだ。気にかかるところがどこなのかも分からないまま、杏梨はオジサンを流しそうになる。
だが、そこで、東風谷は流さなかった。皆が安堵の気持ちになっているところに、東風谷は空気が凍りつくような言葉を放った。
「……変なことは、『今のところ』は、されていないんだろ? なぁ、篠塚。それって、あともう少し経ったら、されるかどうか、分からないってことだろ?」




