東風谷、事故に遭う。
「楽しかったね、昨日のお泊まり会」
「まぁ……な」
「何でそんな嬉しくなさそうなの?」
「お前が俺に向かって包丁を突き刺そうとしたからだろうが! 危うく東風谷家が殺人現場になるところだったんだよ!」
東風谷と杏梨は、自転車を漕ぎながら、話していた。
今向かっているのは市立図書館だ。杏梨は保育体験の資料を借りに、東風谷は小説を借りに、だ。
「……はぁ、ホント、あれは災難だったよ。包丁突き刺されるかと思ったよ。黒歴史晒されたぐらいで自分の好きな人刺す?」
「刺す」
「……お前友達からサイコパスって言われない?」
「言われない」
「もしかしてその面俺にだけ見せてる?」
「かもしれない。他はそんなにウザくはないから」
「それ遠まわしに「お前ウザい」って言ってる?」
「遠まわしでも何でもなく最早直球ドストレートで「ウザい」って言ってますけど?」
漫才のような会話に、通りかかった何人かが噴き出したが、二人は気付かない。
(ホント、東風谷は面白いなぁ)
杏梨はフッと笑う。
もうすっかり寒くなった。今は月曜日。学校が終わり、二人は偶然、東雲公園で会ったのだ。
そして、東風谷が図書館に行こうと言いだし、今に至る。
(っていうかさ。……東風谷、私がいて迷惑だと思うよね?)
杏梨は唐突な想像をし始めた。
東風谷は、中学でも「告白されたんだろ?」と噂されていると聞く。杏梨の告白だけで、縛っていたのだ。東風谷を。東風谷だって、杏梨以外に好きな人がいるかもしれないのに。それなのに、「俺、好きな人いるんだ、この中学に」と友達に打ち明けただけで「浮気? 浮気?」と冷やかされる羽目になっているのは、少々杏梨も気にかかる。
(でも、何も言わずに、ただこうして二人でいても、何も嫌な顔をしないって言うのは……つまり、まぁそういうことだよね?)
杏梨の発展途上な頭では、そういった幼稚な考えしか出来ない。
(私のこと、迷惑だと思ってないってことだよね……?)
そんな都合の良い考えしか湧いてこない杏梨。東風谷はそんな杏梨を気にも留めていない。
「あっ、紅葉だ、綺麗だね~」
「そうだね。もう本格的に冬に入るのに、まだ紅葉なんかが咲いているんだね」
「なんかって言うの、やめろ。なんかって」
どうでもいいことに突っ込む東風谷に、杏梨はたまらず噴き出し、「はいはい」と返事をした。
(紅葉、まだ咲いているんだ。……結構しぶといな、なんて)
しぶといだなんて失礼も甚だしい。しかし杏梨はそんなことを気にも止めず紅葉を見つめていた。
(しぶといって言えば、私の恋? 何日も会ってないときだってあるのに、恋心は枯れず……って感じ?)
自分で言っといて、自分で恥ずかしくなる。
「あ、もうそろそろ図書館だよ?」
「ホントだ」
杏梨達は、笑いながら自転車を降りた。
◆◇
本を借り終わり、二人が帰路につくところで、事件は起きた。
「杏梨、まさか折り紙とかの本を借りるだなんてね。ウケ狙った?」
「は? 狙うわけないじゃん。保育体験の為に、折り紙を折れるようになりたいって思ったの!」
(まさか、私まだ鶴も折れませんだなんて言えるわけがないよ)
杏梨達のクラスは、近所の保育園で保育体験をする。一組、二組に分かれて、保育体験をするのだ。杏梨達は来週担当である。主に三歳児を担当するため、三歳児の発育や発達、三歳児が好む遊びについて調べるのだ。
それなのに、杏梨はまだ、「やれよ?」と言われた折り紙が出来ないでいる。もっと折り紙が折れる人がいるのに、その人は他の所にいるのだ。
「折り紙折る役なんだ。俺去年ピアノ弾いたよ」
「うっそマジで? 東風谷ピアノ弾けるの? すごいじゃん」
杏梨がぴょんぴょんと飛び跳ねると、東風谷は胸を張って答えた。
「あぁ、聞いて驚くな、猫踏んじゃったを弾いたんだ」
「あっ、はい……」
杏梨は、あまりのしょぼさにため息をついた。
(あまりに自信満々に答えるから、東風谷がマジですごいのかと思っちゃった。東風谷がすごいわけないか。うん)
勝手に失礼な納得をして、杏梨は「あ」と視線の先にある物に目を向けた。
「自販機だ」
見ると、道路を挟んだ向こう側に、自動販売機があった。何か飲み物でも買おうかと、杏梨は自動販売機に歩み寄る。信号はなく、人通りも少ないが、一応確認したのだ。
(コーンポタージュあるかな。寒いから買いたい)
二百円を投入すると、殆どの飲み物がきらりと光った。買えるというサインである。
「あ、じゃあ、俺も飲むわ~」
東風谷は、小走りで自動販売機の所まで走っていく。
そのときのことだった。
ききーっ、どんっ。
「は!?」
杏梨は、思わず叫ぶ。コーンポタージュのボタンをタップした瞬間、後ろからものすごい轟音が聞こえたのだ。
何が起きたのか分からなかった。
「うっ、嘘?」
視線を下に向けて目に入ってきた光景。
東風谷が、道路に横たわっていた。
さっきまでの元気はない。ただ、青白い顔をした、東風谷がいた。
「東風谷っ!?」
杏梨は、横たわる東風谷に駆け寄る。
その時、無情にも自動販売機から、ゴトッという音がした。
◆◇
「本当にごめんなさいっ、ウチの息子がっ」
「……風真」
都内の有名な病院。
そこに、東風谷の家族、杏梨、東風谷を車で轢いた張本人、一井昭喜とその家族。
そして、当の本人、東風谷は、集中治療室の中で、眠りについている。
一井昭喜は、飲酒運転で東風谷を轢いた。
杏梨が急いで病院に通報。一井昭喜は逃走しようとしたが足元がおぼつかず、すぐ転んでしまう。そこを杏梨に取り押さえられ、救急車に一緒に乗り込んだのだ。
そこまでして東風谷を助けた杏梨は、東風谷が生死の境を彷徨っているという事実を、信じられずにいた。
(何で……? ねぇ、嘘でしょ? さっきまであんなにはしゃいでいて、猫踏んじゃったを弾けることを超ドヤ顔で話していた東風谷は、一体どこに行ったの?)
信じられない。杏梨の心には、そんな感情だけが渦巻いていた。もし、東風谷が死んだと言う話が舞い込んできたら、杏梨は正気ではいられないかもしれない。辛かったのだ。
「飲酒運転なんて、する子じゃないと思ってたのに!」
「……あぁ」
「聞いてるの? 昭喜!」
「あぁ……」
さっきから東風谷の両親に平謝りしているのが、昭喜の母親、一井登紀子という。まさか息子が人を轢くだなんて思いもよらなかったらしい。
「結局はいつも父さんの脛ばかりかじって、働かずじまいで、今度は父さんの車で事故? どこまで落ちぶれば気が済むの!?」
(そんなことをくっちゃべって良いのか、一井さん)
だが、昭喜は一言も詫びなかった。それもしょうがないのかもしれない。何しろ、気を失って血を流している東風谷を一瞥して逃げたような奴なのだ。謝らないのもしょうがないと言えばしょうがない。
「子供の頃はそんな子じゃなかったのに! どこまで父さんと母さんを失望させれば気が済むの!? どこまで落ちぶれれば、どこまで迷惑かければ気が済むの!?」
キンキンと泣きわめく登紀子。どちらかと言うならば被害者家族に謝るより、加害者を叱っている時間の方が多い気がする。
だが杏梨には、キンキンと泣きわめく声は、聞こえないに等しかった。先ほどまでは突っ込む余裕もあったのだが、祐真の顔を見てから、突っ込むに突っ込めなくなったのだ。
弟が生死の境を彷徨っているからか、彼の表情には「絶望」の二文字がへばりついている。ズボンを何度もぎゅうっ、と掴み、泣くのを必死で我慢している。
一方の東風谷の父親は、兄のように泣くのを我慢するのではなく、号泣していた。ただ、一井家を責めるようなことはしなかった。「風真、生きろよ、絶対」と何度も何度も呟いている。
しかし、当の杏梨は、涙さえ出なかった。
酷い惨劇のようだった。自動販売機まで走ろうとしただけなのに。ただ飲み物を飲みたかっただけなのに。飲酒運転のドライバーに轢かれ、挙句の果て飲酒ドライバーは謝らなかった。それどころか、轢き逃げしようとした。
それに怒りを覚え、悲しみを覚え、悔しさを覚え……。何を強く感じたのかは分からず、ただ杏梨の心にはぽっかりと穴が開いていた。
不思議と、一井昭喜に恨みは覚えなかった。ただ、東風谷のことだけを想っていた。
一度は刃物を向けた相手ではあったが、それでもやっぱり好きな人だ。好きな人が死んで、嬉しい人なんていないだろう。杏梨も、それと同じだ。ただひたすら、生きろと願っていた。




