杏梨達、女子会を開く。2
小学校五年の秋のこと。何も変わらない寒さ。時折りやってくる暖かさ。それらが全て混ざり合う秋。杏梨は、この季節が大好きだった。
やがてやってくるクリスマス。クリスマスと名のつく音楽の中に、杏梨の大好きな曲もある。冬頃になると自宅にかかる、寂しげでどこか感動を与えてくれる音楽。杏梨はその音楽が大好きで、だから、秋の寒さも好きになれる。
でも、今日の寒さは好きにはなれない。
今年一番の寒さ。学校に着くと、耳がきぃんと痛くなり、手の指と指が完璧に離れてしまっていた。
こうなってしまっては、ノートに式を書いたりするのもままならないだろう。ため息をついて、教室に入っていった。途端に、騒々しい空気が耳に飛び込んできた。
五年二組はいつも騒がしい。今だって、男子がもう一人の男子に、ヘッドロックを仕掛けている。杏梨は馬鹿な男子にまたため息をつきながら、ランドセルを肩からおろした。
「おはようございます」
「おはよ~杏梨!」
肩をとんっ、と叩かれる。振り向くと、そこにいたのは一年の頃からの親友、安藤香帆だった。
「おはよう、香帆ちゃん」
ニッコリ笑って、席に座る。今回の席替えでは、偶然同じ班になった。だから、今まで以上に仲良く接することになった。
「ねぇ杏梨、昨日の九時のドラマなんだっけ」
「あぁ、えっと……ごめん、見てない」
「あぁそっかぁ。まぁ良いんだけどさ。……それよりさ」
「東風谷、お前何してんだよ!」
それが、杏梨と東風谷の出会いだった。
廊下から、ドタバタと音がする。続いて、「うるせぇんだよっ!」と叫び声がする。
途端に、五年二組は静まり返り、ふざける男子を筆頭に、どんどん廊下に出ていった。杏梨も、香帆の手を繋ぎ、廊下に出ていく。
そこで、杏梨達が目にしたものは、想像を絶する光景だった。
「あっ」
そこにいたのは、泣きながら、必死に押さえてくれる人達を振りほどこうとする男子だった。
「うるせぇんだよ、だって、だってこいつ……」
男子はまた、誰かに殴りかかろうとする。男子が殴りかかろうとする方向を見ると、そこにいたのは、鼻血を出した女子だった。鼻血を出した女子は、うつろな目をして、殴りかかろうとする男子を見つめている。カーディガンにフレアスカートという可愛らしい服装で、目がぱっちりしている女子だ。だが、鼻血が出ていることが、可愛さを軽減させている。
「えっ女子?」
香帆は、ひっとうめく。杏梨も口を結ぶ。
「いいだろっ、ひかりは何も悪くねぇじゃん」
男子は、ひかりという女子を殴ろうとする男子を止めるのが、限界に近付いてきたらしく、顔が赤くなっている。
「お前、ひかりが好きなんだろ? だから庇うんだろ? どっからどう見てもひかりが悪いんじゃん、目がどうかしてんだよ!」
(大丈夫かな、この人。殴られてる人が可哀想だよ。鼻血出すまで殴ることないでしょ、馬鹿じゃん)
よく見ると、この人達は、五年生ではない人達だ。背が高い人が多いことから、六年生だろう。
六年生にこんなに騒がしい人がいただなんて。杏梨は心がキリキリ痛むのを感じた。
(女子を泣かすなんて、こいつ最低)
今日何度目かのため息をつきながら、杏梨はこの事件の行く末を見守る。完全に野次馬感覚である。
「……お前なんて、お前なんて死んじゃえばいいんだ!」
突然、彼は近くにかかっている画鋲をむしり取った。きゃあっ、と悲鳴が上がる。
(嘘、あの人……)
画鋲を、女子に突き刺そうとしているのではないのだろうか。
「嘘だろ、お前、ひかりに何しようとしてんの……?」
男子が戸惑った瞬間を見逃さずに、殴りかかろうとする男子は、ひかりさんに向かってダッシュしていった。
「きゃああああっっっ!!」
野次馬の女子が叫ぶ。続いて、「おいっ、ふざけんな!」「馬鹿? あいつ」と声が上がる。
(ひかりさんを、助けなきゃ……!)
何を血迷ったのか、杏梨は廊下に向かって大きく足を踏み出した。香帆は、止めることも忘れ、ただひかり達の行く末を見ていた。
そして、男子が、ひかりに画鋲を使って殴りかかろうとした。
その時。
杏梨は、男子の腕をがしっと掴んだ。男子が、目を見開く。
続いて、止めようとした男子も目を見開いた。
「……あ、ありがとうございます」
杏梨の後ろで、蚊の鳴くような声が聞こえる。ひかりの声だろう。
「やべぇ、杏梨マジ勇者じゃん」
「カッコつけたいだけだろぉ? 良い五年アピールぅ?」
五年二組の教室からは、そんな声が聞こえてくる。
「……お前、誰だよ!」
ひかりの声とは正反対に、男子が叫ぶ。そして、杏梨の手を振り払った。
その瞬間、杏梨の服の袖と腕に、大きな切り傷が出来た。
「ひっ!?」
杏梨が袖をまくると、思いのほか深く突き刺さっていたのか、杏梨の白い腕に、一直線の傷が出来ていた。
そこから、傷のように細長い赤い血が、どくどくとあふれ出ていた。
それにビビった杏梨は、壁に激突して。いつの間にか、泣いていた。
だぁん、という間の抜けた音が聞こえると同時に、「杏梨~!」と香帆が叫んだ。
「本当に、ごめんなさい!」
保健室に、大きな声がこだまする。
「はぁ……。まぁ、私も飛び出したのがいけなかったんですけど……、でも、ひかりさん? に謝った方が良いですよ?」
「そうですよね、ごめんなさい!」
杏梨は、殴りかかろうとした男子に、必死に謝罪されていた。
いつの間にか、保健室に運ばれていた杏梨は、ベッドに入り、静かに眠っていたのだと言う。目覚めたら、杏梨は謝罪されていた。
「ごめんっ、海藤!」
「……別に」
海藤ひかりは、そっぽを向いて、謝罪を受け止める。鼻血はもうすっかり止まっていて、可愛らしいツインテールを揺らしていた。
「でも、私も悪かったよ。チビガリだなんて言って」
(そりゃあ悪いかもしれんなぁ)
杏梨は男子に同乗して、こっそり頷いた。
「ごめんね、東風谷」
(へぇ、東風谷って言うんだ。性格共々変わってるなぁ)
杏梨はクスッと笑いながら、東風谷を見つめる。
背が小さく、華奢な体型。顔を赤くさせている。
(あ、もしかして、ひかりさんが好きなのかな?)
初々しいなぁ、でもそういうところが嫌われるんだよ、と杏梨は想像しながらも、二人の会話に耳を傾けた。
「……いや、こっちもごめん」
そう言いながらも、何故か杏梨にちらちらと視線を送る東風谷。きっと見知らぬ人に傷を付けたことを心残りに思っているのだろう。
「あと、そっちの……」
東風谷は、杏梨を見て、必死に何かを考えている。知る由もないくせに、と杏梨は思った。
「岡崎杏梨って言います。あんずの杏に、梨で杏梨」
遅れた自己紹介をすると、東風谷も受け取ったように、右手を突き出す。
「俺は東風谷風真。東に風の谷の、風に、真実の真で、風真。
これから、宜しくな」
「はい」
(こんな状況下で何が宜しくだ、こいつアホか)
そう毒舌を吐きながらも、杏梨は東風谷の手を握り締めた。
憎しみと、恨みを込めて。
もちろん、これから彼を好きになるだなんて、想像もしなかった、小学五年生の冬のことである。
◆◇
「っていうのが、私の恋の始まりかな、いつの間にか気になってたの」
「うわぁ~、あったねぇそういうの」
友実が、転げるようにして言った。
「嘘、そんな話題になってた?」
「あ、そうだったよ、私もそれで杏梨の存在気にするようになったもん」
咲希がさりげなく冷たいことを言ったような気がする。
「そうそう、私も」
里桜が同意するように頷く。何故だか杏梨は、同意してもらってもさほど嬉しくはなかった。
「そっかぁ~。それで皆さん、東風谷のことどう思いましたか?」
杏梨が聞くと、三人は共通点のある言葉を口にした。
「馬鹿、アホ」
「クソ人間」
「キチガイ」
(うわぁ皆、先輩に言っちゃいけない言葉を使ってるよ)
人のこと言えないけどな、と杏梨は付け足す。
「おーい皆! 食事の準備が出来たぞ~」
「はーい!」
東風谷の父親の声に、隣の男子グループからも声が上がる。
いよいよ夕食が出来上がったようだ。
杏梨達は意気揚々と下に降りていった。
初めての出会いを思い出して、東風谷の顔を見るだなんて。くすぐったい話だが、杏梨は構わず笑いながら階段を駆け降りる。
美味しそうなハンバーグの香りが、杏梨の鼻を刺激した。




