墓守りの番犬
エルフの商人であるギードとその家族の一行が、人族の町を出て早くも一ヶ月が過ぎた。
所々雪が積もる尾根をいくつ上り、下っただろうか。
「いい加減、飽きてきたなあ」
最初は感動したものの、いつまでも変わらぬ雪山の風景に、腹黒エルフは音を上げる。
「そろそろ子供達の二歳の誕生日だし、一回町に戻らない?」
開放した魔力を使えば、一瞬で町に戻ることは可能だ。まあ、その後にこの場所に戻れるかというと、目印がないので微妙だが。
ギードは傍らを歩く妻に問いかける。
「いや、ここまで来たんだから、がんばろー」
絶対に無理だと言われ続けた『魔法剣士』に辿り着いた努力家である人族の妻タミリアは、自分自身にも夫にも厳しい。
「う、うん」
ギードは助けを求めて双子の子供達の様子を見る。
籠に入れられた双子は、ギードの眷族である炎の精霊エンが担いでいる。
「主よ、もうすぐドラゴンの領域に入るぞ」
エンは回りに暖かい程度の熱を発している。子供達はぽっかぽかである。
「ええ、ほら、谷間に森が見えてまいりましたわ」
風の精霊リンは、上空で周りの警戒とエンの熱を利用して周囲の空気を調整してくれている。
「ドラゴンの用事が終わり次第、帰還いたしましょう。さあ、もう少しです」
土の精霊コンは籠の中の子供達を構いつつ、主を励ます。
味方がいない事を理解し、ギードはため息をつく。
三体の眷族を従えたエルフとその家族は、やがてドラゴンの領域といわれる場所に足を踏み入れる。
ケット・シー族にもらった地図は大雑把な上に、この領域に入った途端にもっとあやふやになった。
「あいつら、ここまで来てないんじゃないか?」
「まあ、そうかも知れませんねえ」
猫ですし、と眷族のコンとそんな会話をしながら谷間へと下って行く。
森の中に入ると雪はそんなに深くは無かった。
周囲は完全に山に囲まれており、昼間でも薄暗い森を進む。
そんな薄闇の中、遠くに灯りが見える。
「あれ、家かな」
ギードは子供達を籠から出し、眷族達を影の中へ戻す。
基本的には彼らは主とその家族以外の者に姿を見せることはない。危険を察知しなければ、指示があるまで影に潜んでいるのが普通だ。
ギード達はゆっくりとその灯りに近づく。
森の中にぽつんと一軒。みすぼらしいが、石造りで、頑丈そうな家が建っていた。
本来なら立ち寄る意味はないが、地図があまりにもいい加減なため、詳しい道が聞けないかと期待している。
分厚そうな扉を叩き、声を掛ける。
「こんにちは、どなたかいらっしゃいませんかー」
二、三度繰り返すと、ようやく返事があった。
「おやおや、本当に誰か来ていたのか。空耳だと思ったよ」
黒い髪に黒い瞳。重そうな暗緑色の服を着た男性が出て来た。
年齢はちょうどタミリアの父親くらいだろうか。彼は子供達を見ると目を細め、同時に難しい顔をした。
「こんな季節に、こんな場所に、こんな幼い子供連れとは」
どうやらギード達親を責めているようだ。タミリアとギードは顔を見合わせ、肩をすくめる。
とにかく入りなさいと言われ、遠慮なくお邪魔する。
壁が 厚いのだろう、中は外の寒さを全く感じさせない暖かさだった。
「ありがとうございます。私はエルフのギード、これは妻のタミリア」
そして子供達を紹介する。
「こんな所へ、何をしにいらしたのかな?」
自分の名前を名乗らない相手に、タミリアが眉をひそめる。しかしギードにはその理由は何となく分かる。このような場所にひとりで住んでいる者に、名前など必要ないのだ。
「ドラゴン様にお会いしたくて尋ねて来ました」
ギードはケット・シーにもらった地図を見せる。
「この地図では分かりにくくて。もしご存知であれば、少しでも教えていただきたいのですが」
彼はしばらくの間、地図を見たり、ギード達の顔を見たりして考え込んでいた。
「ケット・シーか、あいつらは知恵は回るが不器用な所があるからな」
そう言うと、地図に新しい道と印を書き込み始める。
「出来るならば、森の中を通らず、山に沿って森の外側を行く方が良い」
地図に注意事項まで書いてくれている。
「森の外、ですか?」
タミリアが不思議そうに問いかける。
顔を上げ、ギード達の顔を見回す。
「この森は墓場でな。あまり良くないものがさ迷っている」
え、っと声が出そうになった。
あまり良くない気配はあったが、雪のせいで表に出ていないのかもしれない。
子供達は意味が分からないのでポカンとしている。
タミリアは面白そうだと内心思っているのだろう。口元がゆるんでいる。ヤメテ。
ギードは納得したように頷く。
「なるほど、だからあなたが居るんですね。墓守りのクー・シー」
猫の姿をしたケット・シー族と対極をなす、犬の姿をした妖精クー・シー族。
何故かケット達は集団を形成するが、クー族は単独でこのような寂しい場所を好む。
墓守り。大切な者が亡くなったクーは、その墓を生涯守り続けるといわれている。
「ここはドラゴン様の領域の端になる。主であるドラゴン様が認めた者達の亡骸を埋葬し、護ってやるのが私の仕事だ」
このクー・シーはドラゴンの眷族のようだ。
亡骸を残す、ということは妖精族以外の者を指す。おそらくドラゴンに挑んだ人族の勇者など、実力が高い者達の墓なのだろう。全滅したり、遺体を引き取ることが出来ない場合、ここに埋葬する。
彼は、その亡骸を取り込もうとする悪霊などから護っているという話だ。
ギードは勇者と聞いてリーダーの顔を思い出す。彼は最強のダークエルフのイヴォンと同等の力を持っていた。
あんなのが悪霊化なんて、やっかい過ぎる。
しかしこの妖精族は完全に人族に擬態している。完璧な擬態は霊力の高さを表している。
きっと何千年もドラゴンと共に生きているのだろう。ドラゴンの眷族なら寿命も無いはずだ。
ギードは感心しながら、クーがじっとこちらを見ていることに気がついた。
「あ、えーっと、お礼をしたいのですが」
「礼には及ばない。ここに来る者達には皆同じようにドラゴン様の場所を教えている」
ふむ、きっとここで彼が第一次面接をして、弱すぎたり、態度が悪いものは弾いているんじゃないかなあ。
そんな話をしていると、ギードの服をつんつんと引っ張る者がいる。
「ぎどしゃー」「おなかぁー」
ああ、すまん、と子供達の頭を撫でる。
「申し訳ありません。お礼と言っては何ですが、食事を作らせてもらえませんか?」
「おお、すまん。いつもひとりなもので何もないがー」
ギードは台所を貸してもらえればーと勝手に入り込み、勝手に食事の支度を始める。
「もう時間も遅い。よかったら泊まっていきなさい」
いつの間にか外も暗くなっていた。薄暗いから気がつかなかったよ。
食事はいつも通りのパンケーキに、何かの肉を焼いたもの。そして乾燥した野菜を戻したスープだった。
そんなものでもクーはいたく感激してくれた。おそらく大人数で食べる食事が久しぶりで、楽しかったのだろう。
夏はそこそこ客は来るそうだが、冬に来る者は滅多にいないそうだ。
子供達は、お腹が膨れるとすぐに毛皮にくるまって眠ってしまった。
ギードは食後のお茶を入れ直し、少量の酒を落としたものをクーに差し出す。
彼はうれしそうに酒の匂いを楽しんでいる。
タミリアも同じお茶を飲んでいるが、こちらは酒の量が多い。ていうか、多過ぎないか?、それ。勝手に入れたね?。
ギードが落ち着くと、クーが話しかけてきた。
「お客人、なかなか珍しいモノをお持ちのようだ。見せてもらえないだろうか」
少し考えた後、ギードは懐から石の卵を取り出す。
「これの事でしょうか?」
ケット族から預かったと説明する。タミリアは、ナニソレイツノマニ、とギードを睨んでいるが、今は無視しておこう。
「本当に珍しい。こんな形の同族に逢うとは」
彼はうれしそうでもあり、悲しそうでもある。本当にこのクーは感情を読むのが難しい。それだけギードとの魔力の差が大き過ぎるのだ。
「詳しいことは聞いていないのですが、これはクー族のモノですか?」
石を手に取った彼は、愛おしそうに撫で始める。
「ああ、そのようだ。石になるにはかなりの意志の固さが必要だが」
ケット族の中にクー族がいる。その事自体、稀らしい。母親の身体から出ても、こうして世の中に出ることを拒んだ。見上げた根性だと笑う。
そして卵の中身と話をしているのか、少し難しい顔をし始める。
「何ということだ。長い間この姿でいたために、元に戻る術を忘れてしまったらしい」
「はあ?」
ギードは呆れるというか、何だか笑いがこみ上げてきた。
馬鹿なんじゃないの、こいつ。まあ、産まれたのが何百年も前ってゆってたし、仕方ないのか。
しかしまあ、孵らなかったのはそんな理由だったのかと、がっかりして卵を見る。
「どうするかね?。私が孵すことも出来るが」
クーはギードを見る。
「いや、それは中身の者に聞いて下さい」
そして、生まれたとしてもこのまま同行するか、この場所に留まるか。好きにしていいよと伝えてもらう。
まあ、ケット族の所に帰るという選択はしないと思うが。
「いいのかね?」
卵が何と言ってるのか分からないが、契約の事なら心配いらない。嘘なのだから。
卵の件はそれでいいだろう。ギードはクーに訊ねたいことがある。
「ドラゴン様は私達と会ってくださると思いますか?」
先ほど書き込んでもらった地図を見ると、この先は谷を抜けるだけのようだ。
目的地はもう近い。
眷族であるクー・シーにも会えたのだから、ドラゴンに近づいていることは確かだ。
「それは理由にもよるだろうね。どうしても会いたいというならばー」
「あ、いえ。お願いしたいことがあるだけなので、お会いしたいわけではないんです」
確かに会ってみたいとは思っている。が、無理をしてでも、というわけでもない。
タミリアが「えー、会いたーい」と絡んでくるが、酔ってる振りをしてもばればれだからね。
「それならば、眷族である私が聞いてもよい事かな?」
もちろん、と首を縦に振る。
しかし今は黒い影の中から眷族を出すのは少々まずい。この森は墓場であるせいか、夜になってから色々やばそうな気配がしてきている。
この家の壁の厚さは、寒さ対策だけではないのかも知れないと思った。
せめて明日の朝、明るくなってからにしましょう、と提案する。
了解した、とクーが答え、その日は休むことにした。
翌朝、ギードはいつも通り陽が昇る前に起き出す。
背中に抱きついているタミリアの腕をほどき、子供達に毛布代わりの毛皮を掛け直す。
顔を洗い、髪を梳き、正装に身を包む。
扉を開けると外から禍々しい黒い気配が向かってくるのが見えた。
「コン、頼む」
虹色のエルフの騎士がギードの背後に現れ、家ごと結界を張る。
目を閉じ、深呼吸を繰り返す。大丈夫、怖くない。
そしてギードは、低く、ゆったりとした声で、古代エルフ語の祈りを捧げる。
墓場だと聞いたときから、ここは祈りの地だと思っていた。
どこまで自分の祈りが届くのかは分からない。確かに、ここに眠っているのはエルフではなく、歴代の人族の勇者達やその眷族達だろう。それでも彼らを憐れみ、その無念や憤りを癒してあげたいと思う。
ギードは、亡くなった者達を弔う祈りの言葉を紡ぎ続ける。
やがて朝日が昇り始め、森から一匹の、牛ほどの大きさの暗緑色の長い毛並の犬が現れた。
いつの間にか、周りの黒い気配もなくなり、森は昨日ほど薄暗くはない。
「お帰りなさい。お疲れ様です」
ギードは犬の足跡に血の跡があることに気づき、妖精の万能薬である飴を取り出す。
「良かったら甘いモノでもどうですか?」
その犬に差し出すと、その姿は昨日の男性の姿に変わる。
「ありがたくいただこう」
そしてドラゴンの眷族クー・シーは、ギードにドラゴンの元に行くよう勧めてきた。
「我が主はきっとそなたの願いを叶えてくれるだろう」
ギードはその言葉をありがたく受け取った。
その日一行は、一旦森を出て、クーから受け取った詳しい地図を頼りに歩き出した。




