山のきざはし
冬に向かう季節に雪山に向かう無謀な一家がいる。
エルフの商人であるギードは、人族である妻と、エルフの息子と人族の娘の双子の子供達を連れて旅に出た。
国の最北端の町を出て、魔物の森と呼ばれる森を抜けた。
道は上り坂が多くなり、木々はだんだんと低くなる。
ちらちらと降っていた雪は、やがて道に積もり始め、足跡がくっきりと雪道に残る。
「わざわざこの季節にしたの?」
魔法剣士である妻のタミリアは十代の頃、聖騎士団の遠征に参加し、各地を旅した経験があるため、かなりの強行軍でも平気らしい。
まあ、日頃から鍛えてるからなあ。
「ああ、うん。人も獣も減るしねぇ」魔物は知らんがなあー。
もうすぐ二歳になる子供達は、ギードの眷族である炎の精霊エンが籠に入れて担いでいる。
一行の周囲は、同じ眷族である風の精霊リンが警戒と空気の調整をしてくれているし、エンが発する熱で寒さ対策も完璧だ。
身の軽いエルフには、歩きながらの会話も軽い。
タミリアの指示でちゃんと定期的に休憩が入る。
眷族である土の精霊コンが簡易な建物を造り、その中でゆっくりと休む。
魔力の有り余る精霊が造る建物はすぐに壊すのがもったいないくらいである。
数日歩き続け、一行は山の頂上に出る。そこからは尾根伝いに移動していくことになる。
雄大な山脈が続く風景と青い空。時折雲が下に見える。ギードはそれらを目に焼き付けるように、ゆっくりと歩を進める。
「主様、少し吹雪いてくるかも知れませんわ」
周囲を警戒しているリンが空を見上げて風を読む。
山の天候は変わり易い。嵐の気配にギード達はしばらくの間、移動を諦めた。
吹雪は三日三晩続いた。
その間も一行は、いつも通り楽しげに日々を送っている。
「ぎどぉー」「ぃどーしゃー」
パンケーキを焼いているギードの足下に双子が引っ付いている。
食品や材料、調理器具などの魔道具は荷物として眷族達が運んでいる。
彼らは影の中という異空間に荷物を入れているので、見かけは何も持っていないのと同じである。
「ほおら、焼けたぞー。タミちゃんを起こしておいで」
「あーい」「ぁあーしゃーん」
森の遺跡の奥にあった家で過ごしていた時とあまり変わらない、四人だけの生活。
いや、今は三体の眷族達がいてくれるからこその旅である。ギードは彼らには本当に感謝している。
「これ、取って置きなんですが、どうぞ」
三つのコップに、大切に持ち歩いている瓶の酒を注ぐ。彼らは食事は取らないそうだが、酒は飲めるというので用意していた。
三体の眷族達はにこにことうれしそうにコップを手にする。
(つくづく変わった主だなあ)
(いいじゃないー。お酒、美味しいわあ)
(面白いであろう?。飽きないぞ〜)
眷族達はこっそりそんな会話をする。
食事が終り、静かになった外を見る。一面の銀世界だった。
「おぉー、すごいなー」
ギードと子供達にとって初めて見る光景である。
エルフ族の息子のユイリも人族の娘のミキリアも、その目を丸くして見入っている。
朝日に照らされ、刺すような冷たい空気の中、雪がきらきらと輝く。
風もなく、見渡す限り遠くまで青い空と白い山々が続く風景も、今までよりさらに白さが増している。
しばらくぼーっとしていると、急に何かが聞こえ始めた。
眷族達とギードとユイリ、エルフの耳にしか聞こえなていないようだ。
何故、こんなところでこんな音が聞こえるのか。ギードは訝しげに音の元を探して目を閉じる。
突然、ユイリが雪の中へ走り始めた。
「ユイ、ダメだ!」
ギードが止めようとするのと同時に、ユイリの姿が消える。
「ユイリー!」
悲鳴のようなタミリアの声が雪山に響き渡る。
訳が分からなくて驚いて固まるミキリア。
「雪の隙間に落ちたようだ」
エルフ特有の気配を探り、無事を確認したギードは、まずはタミリアを安心させる。
「リン、先に言ってユイを確保して守ってくれ」
「コン、エン、戻るまでふたりを頼む」
そう言うとギードは荷物から正装を引っ張り出す。
三体の眷族が頷き、風のリンがユイリの消えた場所から下へ降りて行く。
「大丈夫。すぐ戻るから待ってて」
タミリアの肩を叩き、ギードはリンの後を追って雪を蹴る。
「ユーイ……?」
ミキリアはギードが消えた方角を見つめたまま、タミリアの脚にしがみついた。
軽いユイリの身体を落下中に捕まえたリンに、ギードが落下しながら追いつく。
逆風で降下の勢いを殺してもらい、一緒に底に着く。身の軽いエルフは雪に埋まることがない。
「ユイ、大丈夫か?」
ギードは微笑み、眷族の手から、びっくりして固まっている息子を受け取る。父親の笑顔に安心したように子供も微笑む。
「うん!」
冷や汗を隠し、震える手でユイリを抱き締める。
怖かった。今頃になって、子供を亡くすかも知れないという恐怖に襲われる。良かった、本当に。
改めて回りを見回す。
雪に覆われて見えなくなっていた崖のようだ。
少し落ち着いてきた。上を見る。周りの壁は高いが、ギードには指輪があるので、一瞬でタミリアの元に戻ることは可能だ。
しかし、ギードには気になることがあった。
あの音だ。まだ微かに聞こえている。
ユイリもギードの腕の中で身動きしながら音の方を見ている。
「行ってみるか」
息子の顔を見ると、目がきらきらしていた。間違いなくこいつは、あの音を追いかけて走り出したのだろう。
(はぁ、やっぱりエルフは子供でも騒動を起こす種族だなあ)
ギードは持ってきた正装を羽織り、ユイリを胸の中に抱き込んだ。
「こっちだな」
しばらく歩くと、雪の中から崖の岩がむき出しになっている場所に出る。
よく見ると、その壁面の一部分に階がある。下の方は雪に埋もれているが。
「リン、あそこの、見える階まで飛ばしてもらえる?」
岩肌に自然に出来た凹凸のようにも、何かの巣か窪みが連続しているだけのようにも見える。
ギードが指差す場所を確認し、リンが頷く。ユイリを抱いたギードの身体がふわりと浮き上がる。
「よっとー」
思わず声が出たが、うまく階に足を掛けることが出来た。
エルフの身軽さを発揮して、どんどん駆け上がる。
あの音は、この上だという予感があった。
階の終わりは、何故か雪の無い、緑があふれる場所だった。
そこだけは風さえ春のように、やさしく暖かい。崖の中腹にぽっかりと開いた、外界から切り離された、小さな世界。
おそらく何らかの魔術結界か、魔道具が働いているのだろう。
「だぁーぇー?」
ユイリが、誰かが居ると指を差す。一本の木の下に、誰かの影がある。
ギードはユイリを降ろし、手を繋ぐ。
「驚かせてすみません」
和やかな笑みを浮かべ、親子はゆっくりとその影に近づく。
その影は驚いた様子もなく、ゆっくりと立ち上がる。
それは頭に小さな角、顔は人族の若者に近いが体はしなやかな茶色の獣のようで、下半身は鹿だった。
「……フォーン族、ですね」
男性とも女性ともいえない、ぼんやりとした顔の半獣人のような姿。それはただ頷く。
妖精族のひとつであり、おとなしく、かなりの平和主義者。大戦の前にはその姿は森からも消えた一族。
ギードも資料でしか知らないが、その姿は平和そのもののように見えた。
「失礼ですが、ここには貴方おひとりですか?」
やはり黙って頷く。
もしかしたら長い間ひとりで、ずっと話す事も無かったのかも知れない。
つまり、言葉を話せない……。
ギードはうら寂しさと、言い知れない哀しみを感じて黙り込む。
そのフォーンは手に笛を持っていた。
ギード親子など目に入らない様子で、元通りに座り込み、その笛を吹き始める。
(ああ、この音だ)
雪の山にひっそりと響いていたのは、この笛の音だった。
きっと古い、もしかしたらたくさんの仲間がいた頃の曲なのだろう。楽しげな感じの曲なのに、演奏者からは何の感情も感じられない。
ユイリも首をかしげている。
これはもう曲ではない。ただの音だ。
ギードは心を決めて、もう一度、フォーンに話かける。
「おひとりでは寂しいでしょう?。よかったら一緒に町に行きませんか?」
少し強めに、笛の音より大き目の声を出したつもりだ。
相手の目の前に手を差し出して、答えを待つ。
しかし、しばらく待ってみても反応は返って来ない。
フォーンの意識はすでに、ここには無いのだろう。
仕方なくギードは立ち上がる。
しっかりと息子の手を握り、指輪を発動した。
タミリアは戻った息子をきつく抱き締める。
とりあえずコンが造った建物の中に入り、暖かいお茶を入れて落ち着く。
他の眷族にはリンから影の中で説明してくれるように頼む。
タミリアにはユイリが一生懸命、身振り手振りで説明している。ミキリアはユイリの隣で、彼を突いたり引っ張ったりしている。
おそらくあの話し方では何も分からないだろうが、タミリアは笑みを浮かべ、何度も頷きながら話を聞いている。
やがて話し疲れ、子供達が二人とも眠ってしまうと、タミリアの顔がギードに向く。
「なんですぐ戻って来なかったのかなー」
ぐいっと顔が近寄る。
「あ、いやー、それはさっきユイリが説明したとおりー」
言い訳しようとしたら、タミリアの目から涙がこぼれた。
「ごめん、タミちゃん!。殴っていいから泣かないで」
慌ててタミリアを力いっぱい抱き締める。泣き止むまでずっとそうして抱いていた。
その後、ギードは雪の中に立たされ、その周りで魔法が炸裂するという実験を手伝わされた。
実験、だよね?。……拷問じゃない、よね?。ひぃぃー!。