セレクション
40分後。
残暑厳しい9月の空の下、二人は額に汗を浮かべながら目的地にたどり着いていた。
「……ここか、浅見大付属高校。専用グラウンドなんてあんだな」
「結構設備は整ってるみたいだね。あっちにウェイトトレーニング室があったよ」
「贅沢だな」
駄弁りながら、自転車に鍵をかけてグラウンドへ向かう。
既に何人かが集まっていて、ある人は黙々と素振りを、ある人は言葉を交わしながらキャッチボールをしている。
「あれか。荒羽シニアの四人組は」
それなりに居る同い年の中でも、一際目立つ大柄な四人。この人物達こそ、荒羽シニアの中軸だ。
「うん。左の一番でっかい人が四番の室井 慶太君。真ん中の細い人が五番の佐々木 由太郎君。右にいるのが一番の小峠 千里君。そして……」
その三人とは少し離れた場所でボールを見つめている少年を指差す裕香。
「中学No.1の投手と名高い、高槻 将悟君だね」
「よく覚えてるな、お前。フルネームまで」
「ふふ。これでも中学では名マネージャーって呼ばれてたんだよ?」
どや顔の裕香を横目に瑞穂は歩き出し、荒羽シニアの四人組に近づいていく。
何人かの中学生の横を通りながら、やがて3メートル程の距離まで近づくと、四人が瑞穂を視界に捉えた。
その時の四人の心境は、一致していた。
((((でかっ!))))
こちらに近づいてきた男は、優に190はあろうかという長身。それに、明らかに体つきが他とは違った。
太ももとふくらはぎは、あまりの太さにユニフォームがはち切れそうになっていて、投手だと一目で分かるほど、右肩の筋肉は隆起している。
中3の体じゃない。なら高校生なのか。いや、プロ?
そんな心境も知らず、少年は落ち着いた様子でバッグからグローブを取りだし、壁当てを始めた。
「「「は?」」」
なぜここでやる。
全員一致の疑問であった。
「あ、あのさ」
「ん?」
意を決して、一番バッター(切り込み隊長)の小峠が声をかける。
「なんでここで壁当てやってんの?」
「別に。特に意味はないけど……」
「場所ならいっぱいあんじゃん」
「壁あるのここだけだし、肩作っておきたいし」
瑞穂には、本当に他意は無かった。しかし、その言葉を聞いた荒羽シニアの顔がひきつる。
「……え、なに。まさか同い年? 高校の補助員って訳じゃないよね」
「同い年だ」
それだけ言うと、瑞穂は話は終わりだと言わんばかりに壁当てを再開する。
小峠は頬をピクピクさせながら三人の元へ戻る。
「聞いたかよ、同い年だってさ」
「聞いてた。あの体では勘違いするのも当たり前だろ」
「お前も大概だからな、室井」
「……あれ? でも、あんなやつ見たことある?」
小峠の言葉に、全員がハッとなり、首を横に振る。
「なあ」
「なんだよ」
「ちなみに、君の中学は中体連どこまで行ったんだ?」
「初戦敗退」
「あんた投手だろ? 投げたのか?」
「ああ」
その返答に、打者三人は瑞穂に興味を無くす。
ただの見かけ倒しか。そう結論付ける中、投手の高槻だけは木陰から鋭い視線を向けていた。
「浅村瑞穂……か」
「……?」
何か聞こえたような気がして瑞穂が振り返るが、誰もこっちを見ていなく分からなかった。
もやもやしてきたためグラウンドの隅っこに走ると、裕香が駆け寄ってきた。
「何話してきたの?」
「話してねえよ。ただ話しかけられただけだ。無駄にでかいから気が散る」
「それ、君が言う?」
先ほど、175~180程の長身達を軽く見下ろしていた瑞穂にジト目を向ける。
裕香も最初はあまりの体格にちょっと引いた。顔に少年時代の面影が無かったら、絶対に気づかなかっただろう。
「どう? あの三人、打ち取れそうだった?」
「バッティングは運も作用するんだ。分かんねえよ。まぁ、雰囲気は一流だったな」
「じゃあずばり、勝てる確率は?」
「知らん」
「……なにそれ」
「バッティングは水物なんだ。しかたないだろ」
そう言って、視線を手の中にあるボールに移した。
「……気になったんだけど」
「ん?」
「瑞穂君みたいな体格の子が居たら、実力関係なく話題にはなると思うんだけど、それって……」
「あ、わり、後でな」
見ると、グラウンドの人が固まり始めている。そろそろ集合時間なのだろう。
瑞穂は、何かを聞きたそうにしている裕香の話を遮って歩き出した。
「こんにちは。私は浅見大付属高校野球部、監督兼顧問の神野 美幸です。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
選手達にどよめきが走る。なんと、この黒髪の若い女性が監督だというのだ。
中学野球なら比較的よくあることだが、高校野球では前代未聞。
女性を顧問にせざるを得ないまでに、浅見は追い込まれているのか。それが荒羽シニア一同の見解だった。
「やっぱり戸惑ってる? でも、時間がないので早速試験に移ります。とはいっても、実力を見たいだけだから試験項目はひとつだけよ」
いまだに状況を飲み込めていない選手達をよそに、神野は荒羽シニアの四番、室井と五番佐々木を指差した。
「キミ(室井)から右が紅組、キミ(佐々木)から左が白組で紅白戦を行います。先攻は白組。20分後に試合開始なので、急いでアップをしてください。以上です」
一気に言い終えた神野は、バックネット裏にあるテントの下に戻っていった。
ポツンと残された選手達は、オロオロとして全く動けていない。
……1人を除いて。
「なにぼーっとしてんの? さっさと走れよ」
「な……」
「室井だっけか。お前有名シニアの四番だろ、ここは仕切る所だろうが」
「なに言って……」
「いい、室井。お前が仕切ってやれ。それと、浅村」
室井を制したのは、荒羽シニアのエース、高槻将悟。
整った顔に乗った切れ長の目を、瑞穂に向けている。
「高槻……? なんで俺の名前を?」
「お互い様だろ。それと、あとでキャッチボールの相手をしろ」
「は? ちょ……」
そう言い残し、高槻は走り始めた。仕方なく瑞穂も走る。
そうして瑞穂と高槻が走り出すと、他の選手達もぞろぞろと後をついていった。
お互い無言のままグラウンドを三周し、準備体操、柔軟を終えた瑞穂と高槻は、グラブをはめて硬式球を握った。
「行くぞ」
「おう」
まずはお互いに近い距離で山なりに、少しずつ離れていきながら、力を込めていくのが常識だ。
それにしたがって、高槻も緩いフォームから球を投げる。指からボールが離れる瞬間、パチッと切る音が聞こえ、きれいな縦回転のボールがグラブに吸い込まれる。
「ナイスボール」
「…………」
声を出すのはいない。高槻も瑞穂も無言ながらも、しっかりとした球を瑞穂に送っている。
それを10分行い、最後にクイックをやってキャッチボールを終えた。
「コントロールが悪いな」
「お前が誘ったんだろうが。文句言うな」
「関係ない。投手ならコントロールは磨け」
瑞穂にそう言い残して、高槻は三塁側紅組ベンチへ戻っていった。瑞穂はそれを一瞥し、反対の白組ベンチへ駆けた。
「どうだった? 中学No.1ピッチャーの球は」
「良い球だったんじゃねえの。つーか、本気では投げてねぇだろ」
「へー。見てるだけなら、瑞穂君も負けてないと思うけどね」
「そりゃあどうも」
「浅村」
頭に響くような野太い声が耳に入り瑞穂が振り向くと、レガースとプロテクターを身に付けた室井がボールを投げ渡してきた。
「っと。室井か。お前はやっぱりキャッチャーだったか」
「どうでも良いだろ。それより、お前が先発らしい。ビッチングやっておけ」
「俺か……いいのか?」
「ピッチャーはこっちに2人しか居ないんだよ。しかも1人は『俺は抑えだ』と聞かない」
「ん、そうか。じゃあ投げる」
「頑張れー」
「はいはい」
振り向かずに返事を返し、グラブをはめた。軽く肩を回してみると、驚くほど軽かった。
「……お前、真面目にやる気あるのか?」
「ん?」
「真面目にやる気、あるのか?」
投球練習の前のキャッチボールで、室井はそう呟いた。この質問の答えはわかっているが、聞きたかった。
「ないわけないだろ……何でそんなことを?」
「ベンチにいるあの女子、お前の連れだろう? なんで女を連れ込んでるんだって、普通は思うぞ」
「それは仕方ないんだよ。……悪いな、誤解させちまったか」
「なに?」
「あいつは昔の同級生なんだ。ここのセレクション教えてくれた奴だ。この学校の場所が分からなかったからな、案内してもらった」
「そうか……」
「こればかりは俺が悪いな。他の三人にも謝っておいてくれ」
「いや、俺が勝手に聞いただけだ。元々疑ってもない」
「なら聞くなよ……」
実力はともかく、体つきは熱心な練習からのものだという事が、キャッチボールやランニング、体の柔らかさから分かった。
ここまで鍛え込める人物が不真面目な訳はない。
「そろそろ座っていいぞ」
「分かった」
マスクを付け、緩く構える。特に気構えたりはしなかった。
確かに体つきは目を見張るものだが、所詮は一回戦敗退投手。
そう考えていた。
「…………」
「よ、将悟。どうしたんだ? スプレーなんかして」
同じくキャッチボールを終えた佐々木が紅組ベンチに戻ると、左手にタオルを巻いて冷やしている高槻が目に入った。
「いや、なんでもない。それよりも肩を作りたい。行ってくる」
そう言ってタオルを外した高槻の手のひらは、真っ赤に腫れ上がっていた。
──なんなんだ……あいつの球は……