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三文芝居の綻び

超記憶術と千代子のことを一通り話し終えると、再び僕は引き出しに鍵をかけた。


「それが君が知りたかったことだろ」と僕は言った。


シャーリーは反応に困っているようだった。


気づいていながら、僕はずっと見ないふりをしていた。でも現実はいつでも追いかけてくるから、いつかは向きあわなければらない。


「こんなことをいえば、きっと僕たちの関係性に日々がはいるだろう」静かに僕は言うのだ。波の音にかき消えそうなほど自信がなく、か細い声だと自分でもわかった。「君は超記憶術の関係者だね。そして僕に近づいてきたのは、判別術と忘却術についての研究が目的だった」


知らないふりをしたまま生きていくこともできるのではないか。そんな希望じみた甘い考えを持っていた。人と人が一緒に生きていこうとした時に、心の底から信頼がおけないということは大きな障壁となる。そんな単純なことに気づいたのはつい最近のことだった。


シャーリーとの出会いのことを思い出す。


千代子がいなくなってからしばらく、僕は人生というものの不条理さを受け入れることができずに、意味もなく街をさまよっては、意味のない数字や文字列を記憶して回っていた。それは、車のナンバープレートの内容であったり、本屋の棚に並ぶ本の背表紙だったりした。中でも僕の気を留めたのは、証券会社がディスプレイをしていた株価の変動だった。覚えた次の瞬間には内容が変わっているのがよかった。どんなに覚え続けても、すぐに移ろっていくのだ。それは人生を揶揄しているかのように思えてならなかった。


その一時期は、雨の日も、晴れの日も、毎日のようにディスプレイの中の株価の変動を眺め続けていた。はたから見れば、頭のおかしな人間だと思われても仕方がないだろう。そんな変人にシャーリーは声をかけた。


「何をしているんですか」と。無邪気な笑顔で。


最初は証券会社の人間かとも思ったが、店の中で叩いている人たちがスーツ姿なのに比べると、フリルのついたスカートはあまりにも異質だった。


「暇つぶしに株価を眺めていたんだ」


「ふうん」そう言ってシャーリーは去っていったけれど、それから毎日のように僕らは話をするようになった。というより一方的に話しかけられるようになった。それから一緒に食事を摂るようになり、気がつくと一緒の部屋で眠るようになっていた。


株の取引を実際に始めたのもシャーリーのアドバイスがあったからだ。パソコン越しに株の売買をしていると、それまで蓄積した株価の変動や、ニュースなどから導き出される予測がよく当たり、口座上の数値、つまり資産は爆発的に増加した。こんなに上手くいくなら就職する必要もないと思い、もらっていた内定は辞退した。シャーリーと二人なら、何もかもが上手くいくような気がしていたし、だいたいのことは実際に上手くいった。


資産が2000万円を超えた日に、僕らは打ち上げと称して、スカイハイツという高層ビルの最上階にあるフレンチレストランでディナーをとることにした。見晴らしがよく、東京のきらびやかな夜景を存分に楽しむことができた。


「こんなに上手くいってばかりで怖いぐらいだよ」子羊のソテーをナイフで切り分けながら、僕は言った。


「君の才能のおかげだよ」とシャーリーは赤ワインが注がれたグラスを傾けながら言うのだった。


「才能というほどのものでもないよ」それは謙遜ではなく事実だろう。僕が使っていたのはただの技術だ。ただ、そのことをシャーリーに伝えるのは難しかった。なぜなら、彼女にはまだ超記憶術のことを一度だって話したことがなかったのだ。だからきっと彼女は僕のことをただの才能に溢れた頭の良い人間か、もしくはサヴァン症候群の疾患者としか思っていたはずだった。


「どんなに素晴らしい技術でも、それを使いこなす才能がなければ活かせないし、成功を手にすることもできないはず」シャーリーはそう言って、僕のことをまっすぐに見つめるのだった。


僕が最初に疑惑を抱いたのはその時だった。ただ核心には至らなかった。技術と聞いて、僕はすぐに超記憶術のことを想起したけれど、シャーリーは何か別のものを技術と呼んでいたのかもしれないからだ。


だが、すぐに僕の中にあった疑惑は確信へと変わった。それはきっと彼女の気の緩みのせいだったのだろう。アルコールと美味しい食事と綺麗な夜景の前では、人は演技を貫き通すことができないのかもしれない。


「私も君と一緒のセミナーに通おうかな」とシャーリーは確かに言ったのだった。

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