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BLACK NOTE  作者: 綾瀬 綾
第三章
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 鮮やかな緋色の夕日が沈む、グライアス神皇国皇都ガルグイユ。統一皇の末裔たる神皇一族の住まうグライアスの中心地。

 それを取り囲む大城壁は外壁と内壁の二重になっており、何度か改修工事は行われているが基本的には建国時の千五百年以上前のものがそのまま使われている。

 都の中心には壮麗かつ壮大な皇城が聳え立ち、そこから東西南北の十字方向に内壁の四つの城門を貫き外壁の城門のまで届く大路が伸びる。東西を貫く大路をカルベロナス大通り、南北を貫く通りをグレイプニル大通りと言った。どちらも神皇国の中世の英雄の名前だ。

 皇城と城門の中間付近にはそれぞれの方位に対応した神将の邸宅がかまえられており、彼らはこことは別に自家の領地に先祖伝来の城を持ち一年の半分をそちらで過ごして領地を治めつつ、もう半分はこの邸宅で暮らして皇城へ出仕している。

 その他の貴族や役人も多くがここに屋敷をもっており、軍の詰所や各庁の役所も集まっているため内壁の内側は官庁街と呼ばれ、現在は迫る年に一度の祭りのためほとんどの貴族が集結していた。

 皇城の南には神皇が教皇を兼任する獣神教の最高神ソルレオンを祭るソルレオン大聖堂があり、皇都で行われる神事はすべてここが取り仕切る。獣神教は神皇国の国教であり、また土台となった神話が獣人の生活に古来より根付いているため熱心な信徒も多く、たとえ遠く離れた街に住んでいても毎年必ずここを訪れる者まであるそうだ。

 外壁の内、大城壁の外側は爵位を持たない軍人や多くの平民達が暮らす住宅街と大規模な商業地区だ。

 国中の商品が並び、そこで手に入らないものはないといわれるほどの規模を誇る。国外の商人も多く集まる市場は大陸最大の獣人国の名にふさわしい豊かな活気に満ちている。大まかな構造は官庁街と同じようになっているが、区画が綺麗に整理されている官庁街に対してこちらは好き勝手に作られているため裏道が多く非常に迷いやすい。

 また、神皇国随一の規模を誇る都とあってどこに行くにも徒歩だと時間がかかりすぎるため、主要の通りには格安の辻馬車が通り、庶民の足となっていた。

 さて、その皇都の官庁街グレイプニル大通りの北、アビス・イオ記念公園のほど近くに一つの邸宅がある。

 家芸である騎馬を養うための大きな厩舎と運動場とが易々と収まる広大な庭、白を基調とした清楚な造りの大きな屋敷。家紋であり、守護神である獣神クーデルリアが見守る、北神将ユニコス家の都屋敷だ。しかしその豪奢な屋敷は現在、深い悲しみに包まれ暗い雰囲気が漂っていた。

「神よ……」

 屋敷の中心部にある聖堂から嘆きの声が漏れる。その声の主は正面の祭壇に跪き、熱心に祈りを捧げている白い軍服を身に纏った年若い一角人の男。

「神よ、ソルレオン神よ、クーデルリア神よ! 我が幼い弟の命をどうかお助けください! 私の可愛いイザークをどうかお返しください! 愛らしいあの子を御許にお使えさせるのはどうかもうしばらく……!!」

 彼がクレア・ロス・ユニコス。齢二十五にして四神将の一人であり、神皇国軍中将、ユニコス家当主、特殊兵団『白鬣』の騎士総長。穏やかで誠実、職務にも忠実で部下を大切にあつかう、ある一点を除けば完璧な将軍だ。その一点とは、言うまでもないだろう。

 まともに食事もせず睡眠もとらずこうしているため、ユニコス家の者特有の柔和で女性的な顔立ちはやつれ、淡い金の毛並みのつやは鈍く、菫色の女性のような瞳は涙を流しすぎて充血している。

 この一週間、朝になると何かに操られているかのようにふらふらと仕事にはでるものの、帰って来るとすぐここに篭り狂ったように祈りを捧げていた。心なしか祭壇の奥に立つ一角獣神クーデルリア像も迷惑そうである。

 その背中を後ろの長椅子から見守っているのは黒い軍服を身に纏うことが許された南神将ログレス・バンハルト中将。クレアより年は一つ上だが仕官学校では諸事情あって同期であり、親友と呼べる関係だ。

 豊かな漆黒の髪と口の端からのぞく鋭い犬歯、そして頭髪と同じ色の尻尾をもつ狼人で、剣術の腕前は神皇国一、二を争う実力者である。

 ログレスはおよそ将軍らしからぬだらしない態度で長椅子にもたれかかると、いささか呆れたようにクレアを見やる。

 勿論彼としても盗賊の住み処で忽然と姿を消して一週間ほど行方不明のイザークの安否は心配であったが、隣でここまで大げさにされてしまうとむしろ冷静になってしまう。

 なんだかそのうちひょっこり帰って来るような気がするから不思議なものだ。

 やれやれ、とログレスは肩を竦めると、ふとクレアの陰気が篭った聖堂に外気が入り込むのを感じて背後の扉を振り向いた。

「おっ……!」

 開け放たれたそこに立っていたのは、ユニコス家の老家令、そしてその隣に立っているのはやや引きつった表情をしているが紛れもなく今回の騒動の中心人物、イザークだった。

 ログレスはさらにその背後にいる眼鏡の少年のことも気になったが、とりあえず祈り狂う兄の代わりにイザークを出迎えることにした。


 さてシュメルシュムルで自分が行方を眩ませてから、大体十日以上は経ってしまっただろうか。なんとなく予想はしていたがあまり考えないようにしていたのもまた事実だ。

 敬愛してやまない実兄の少々過剰すぎる様子と隣でぽかんとしているクライヴを見て、イザークは思わず目を覆う。

 そんな彼の帰還に気付いたログレスが人懐こく尾を振ってこちらにやってきた。クレアは全く気付いていないようだ。

「何処行ってたんだイザーク、心配したぞ! 主にあいつが」

「はは……すみません将軍。兄上が……」

「あいつのことはいいよ、慣れてるしな。ところでその将軍ってのやめろっていったろ? 仕事中でもあるまいし。まぁ生きてて良かったよ。……無駄に死人がでそうな勢いだったからな。衰弱死系で」

「……本当にご迷惑をおかけしたようで」

 一体兄は自分のいない間何をしでかしたのだろうか……?

 冷や汗をかきつつ平謝りするイザークだったが、ログレスの尾の様子を見る限り怒っている訳では無さそうだったのでとりあえずほっとする。

「まぁ細かいことはいいから、早くあいつに顔を見せてやれ」

 ログレスに促されるままにイザークはクレアの背後に歩み寄る。クレアはまだ気付いていないようだった。

 祈りに集中しているのかと思いきや何やら聞き慣れない怪しげな呪文まで唱え始め、慌ててイザークは声をかける。

「兄上!」

 返事がない。

「あ、あにうえ?」

 聞こえていないのか?とイザークが何度か呼びかける。するとクレアは振り返りもしないまま祈りを止めてぽつりと虚ろな声で呟いた。

「ああ……ログ、ついに幻聴が二千回を突破しました……」

「おいクレア、後ろ向いてみ」

「なんですかまさか君まで幻覚が……?」

 遠くからログレスに示唆され、溜息がちに振り向いたクレアの顔が硬直する。

「い、イザーク?」

「ご心配をおかけしました兄う……!?」

「イザァーーーークッ!!」

「おぶっ!!」

 イザークの挨拶が終わるのを待たず、クレアは熱烈にイザークに抱きついた。

「イザーク、イザーク! 本当に? 本物? 本物なのですか!? ああ本物だ! イザーク! 良かった! 本当によかったぁぁ~!!」

「あ、に、兄上! 痛い、痛いです!」

 本物の感触を確かめるようにきつく抱きしめる兄に、イザークが思わず悲鳴を上げる。

「イザーク、君が突然消えたと聞いて私はもうどんなに心配したことか!ああ、神よ!私はもうこの手を離しません!何があっても!!」

「あだ、あだだだだ!痛いホントに痛いです!ごめんなさいすいません離してください!」

「はっ……!ご、ごめんなさいイザーク、思わず力がこもってしまって……」

 突然我に返り手を離すクレア。服の下は真っ赤になっているだろう両腕をさすりながらイザークは苦笑する。一体あの細身のどこにあんな力がしまってあるのだろうか。

 正気に戻り、生気も戻ったクレアがつと目尻の涙を拭いながら柔和な笑顔で改めて言う。

「イザーク、お帰りなさい」

「はい、ただいまかえりました」

 よかったいつもの兄上だ……。その様子をみてイザークはほっと胸を撫で下ろした。

「でも一体、これほどの間何処で何を……」

「それは……話すと少し長くなります」

「そうですか、ではそれは後で……」

 そう言うとクレアはふと入り口のほうへ顔を向ける。

「ところであちらの方は?」

 いつの間に気付いていたのか、聖堂の入り口でログレスと共に談笑を交わしているクライヴを指してクレアは言った。

「ああ、そうだ。兄上、紹介します」

 兄の言葉にイザークはクライヴを手招く。

「皇都に帰還する際、色々と世話になった友人です」

 その代わりに散々世話をさせられた、と紹介するとこれまた長くなりそうなので省略する。クライヴは二人の元に静かに歩み寄ると、簡単だが丁寧な動作で礼をしてみせた。

「初めまして閣下。クライヴ・フォーネストです」

 クレアはにこりと人の良い笑みを浮かべると礼を返す。クレアの隣でイザークが胡散臭そうな顔をしていたのは言うまでもない。

「そうでしたかクライヴ殿。この度は弟がお世話になりました。私は兄のクレア・ロス・ユニコスと申します」

「いえいえ、僕もイザーク君には色々助けられました」

「そうでしたか。我が弟がお役に立てたのならそれは何よりです。もしよろしければ今夜は当家にお泊り下さい。お恥ずかしいことにまだ準備は整っておりませんが、今しばらくお待ちいただければ晩餐をご用意いたしますので」

「では、お言葉に甘えて」

 クライヴが頷くとクレアは嬉しそうに頷き、扉の前に控えていた家令に部屋の用意をするように伝える。

「ログレスさんも、食べていってくださいよ」

「ん、そうだな。そうさせてもらうかな」

 イザークが声をかけると狼人は腹の具合を確かめるようにそこを撫で擦りながら言う。

「……と、ヴェヴェルザーク子爵の使者を待たせているのでした。では、私はお先に失礼します」

 クレアは思い出したように手を合わせると一礼していそいそと聖堂を出て行く。どうやら完全に元に戻ったようだ。その姿が完全に消えてからクライヴがくっくと笑い出した。

「……面白い方ですねえクレア将軍」

「こ、後半は普通だったろ?」

「その変わり身がまた……」

「世の中完璧な奴はいねえもんだ」

 ログレスの言葉に二人はうんうんと頷くのだった。




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