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BLACK NOTE  作者: 綾瀬 綾
第二章
6/15



「おいっ! 起きろってクライヴ!」

 混血の魔術士は肩を思い切り揺すられてようやくその緑眼を薄く開いた。

「やっと起きた……寝起き悪いにも程が……」

 イザークはほっと溜息をついてその手を離した。時刻は朝の八時過ぎ。朝早くから動き始める町人達の一日はとっくに始まっている時間だ。

 実はイザークも陽が昇るころにはとっくに目覚めていたのだが、クライヴに声を掛けても起きる気配は無く、起き上がったと思ったらその瞬間に二度寝を始めるという始末なので自然に起きるまで放っておいた。しかしチェックアウト時間が迫るにつれてイザークも焦り始め、こうして気合を入れて起こしにかかっているというわけだ。

 そんなイザークの気も知らずクライヴはまだ眠そうに瞳を擦りながら綺麗な弧を描いて再び布団に体を沈めようとしている。

「……っおいおい、いい加減に……」

 またしても着地してしまう前になんとか抱きとめたイザーク。それに対しクライヴは迷惑そうに舌打ちをするとじろりと薄目を開けて睨み呟く。

「あー……? んん……ダレ……?」

 こみ上げる怒りを懸命に抑えつつイザークはクライヴを再び揺すり起こした。

「起きろって。出発時間過ぎたらもう一泊するはめになるぞ」

「そう……」

「もう一泊する金なんて無いぞ! とっとと出ないと……!」

「…………」

「シカトすんなっ!! 起きろっこの、馬鹿眼鏡!!」

 窓硝子が反響してびりびりと振動し外の鳥達が慌しく飛び去って行く。しかしそれでも魔術士の寝顔は安らかだった。

昨夜の考えはやっぱり撤回しよう。

 薄っすらとは気付いていたがこの魔術士、なかなかの難物だった。




 それから一時間後。

 眠り続けるクライヴを肩に背負い、どうにか時間前に宿を出ることに成功したイザークだったが、金も無くクライヴもこの状態ではどこにも行き様が無い。

 仕方無くそのまま広場まで歩くと、何やら町の規模の割りに人出が多かった。建物のあちこちにも装飾が施されて町全体に華やいだ雰囲気が漂っている。

 あの安宿の無愛想な店主は何も言わなかったがどうやら今日はこの町の祭の日だったようだ。

 これはまた間の悪い時に、とつくづく運の無い自分にイザークは肩を落とす。これだけ出店があって旨そうな匂いが鼻を掠めても何一つ買って食うことは出来ないのだ。

 追い討ちを掛けるように鳴り響く腹の音。耳ざとく聞きつけた出店の呼び込みが誘ってくるが全て無視してその場を過ぎ去る。

 ああ貧乏ってつらい。将家の次男らしからぬ実感の篭った声で思わずイザークが呟いた時だった。

「……ふぁあ……よく寝た……」

 背中の荷物が暢気な欠伸をかいて目を覚ました。

「…………」

 イザークはそれをじろりと横目で睨むと担いでいた手をぱっと離す。荷物クライヴはそのままずるりと背中を滑り落ちると固い地面に惜しみなく口付けをした。

「痛い!?」

「爽やかなお目覚めだな」

「あだだだだ……! 何するんですかイザーク君!」

 一気に覚醒したらしいクライヴが非難がましい視線を向けるがイザークは取り合わない。

「何するんですかじゃなーい!これぐらいやってもバチは当たらん!」

「も~何怒ってるんですか~?」

 ぶつぶつと文句を言いながら自分の顔に回復術を掛けるクライヴ。さっさと治してしまえるあたりがまた可愛く無い。

「あー痛かった。……それで、ここは何処です?」

「エタの町の広場」

 自身の回復力を促進させて傷を治し、何事もなかったように周りを見回すクライヴに、イザークは不機嫌な声で返す。

「へぇ~今日はお祭りだったんですねえ。で、なにしてるんですか?」

「お前が起きるの待ってたんだよ!」

「おや、それはすいませんねえ」

 一応謝っているようだが全く誠意は感じられないクライヴの態度。イザークは疲れきったように溜息を吐いてその場に座り込んだ。

「……で? どうする、これから?」

「残りのお金は?」

「五十エンサ」

「塩も買えそうに無いですねえ」

 クライヴは他人事のようにけらけらと笑う。しかし確かに笑うしか無いような所持金だ。

「食い物は狩りでもして何とかする、水は川沿いを歩けば手に入る……まぁ、どうにもならんということは無いけど……」

 イザークがどこか開き直った気分で言うとクライヴは確かに、と頷きながらも残念そうに肩を竦める。

「このお祭り騒ぎを前にそれはいかにも寂し……」

 道端に落ちた祭のチラシを拾って目を落としながらそう言いかけた時だった。不意にクライヴの様子が変わり、イザークはちらりと視線を向ける。

「どうした?」

「……イザーク君、馬はお好きですか?」

「……? 好きだけど……?」

「乗るほうは?」

「……一応、これでも『白鬣』の第二騎士隊長だぞ?」

 その自信ありげな対応にクライヴはにやと笑うとチラシを手渡した。それを気の無い表情で受け取るイザークだったが、読み進めるうちに彼もまた顔色を変える。

「これは……!」


「エタ祭最大の目玉イベント、草競馬の勝ち馬投票はここだよー! 早くしないともう受付しめきっちゃうよー!」

 ずんぐりとした熊人の若者が「投票所」とかかれた簡素なカウンターの前に立ち威勢のいい声を張り上げる。その周りには大勢の人だかり。皆草競馬の観客だ。

 観衆を押しのけてカウンターの前に立ったのは白いローブの少年風の青年、クライヴだった。

「もうすぐ発走だよ! お。お兄さん投票かい?」

「あの八番の馬に五十エンサ」

 クライヴは小さな銅貨を一枚熊人に手渡す。

「八番、八番……ああさっき飛び入りで参加してきたあんちゃんか。五十エンサぽっちとはいえ無駄になっちゃうんじゃないかい?」

「倍率二百倍ですか」

 若者の後ろの黒板に殴り書きされた数字を見てクライヴは思わず笑ってしまった。

 五十エンサ懸けたところでこの倍率には響きもしないだろう。当たれば十ソル、十分だ。それにしてもイザーク君、自信ありそうだったしこの倍率は不服だろうな。

 クライヴのやけに不敵な態度に若者は首を傾げながらも諭すように言った。

「当たればな。でも飛び入り用の馬はあくまで余興用というか……はっきりいって勝ち目はないぜ」

「じゃ、記念馬券ということで」

 クライヴは投票券を受け取るとさっさと踵を返し、人混みの中に消える。

 残された若者は首を傾げてそれを見送ると、投票を締め切る前に逡巡した後、密かに自分の懐から一ソル程取り出し、八番の箱に入れた。





 この日の為にと町役人が時間の合間を縫って練習したお世辞にも上手いとは言い難いファンファーレが響き渡る。イザークは借り受けた鹿毛馬の背に跨りぽんと馬首を叩いて挨拶するとスタート地点へ向かった。わざわざ軍服を脱ぎ、一目で軍人と悟られぬ格好をしている。さし当たっての生活費、つまり賞金を得るためには努力を惜しまない様子だ。

 背筋をぴんと張って自在に馬を歩かせるイザークの姿は周囲と比較していかにも異質だったが、熱気に包まれた観客の中でそれに気付く者は無い。イザーク以外の飛び入り参加者(馬に跨るの自体初めての者も多い)が馬を歩かせることにすら四苦八苦している姿を本番前の余興として楽しんでいた。どうやら飛び入り参加を募る理由はこちらが本命らしい。一番面白い失敗をした参加者に贈られる賞まであるというほどだ。

 実際にレースを支配するのはその騒がしい飛び入り達の輪から離れてそつなく馬を操っている地元の参加者達。イザークはちらりとそちらの方に目をやった。

 なるほどそれなりの馬に乗っている。比べてイザーク達飛び入り参加にあてがわれた馬はというと、どれも平凡以下の農耕馬ばかり。あからさまな出来レースということだ。町から出た賞金は町人の手に渡る。

 しかしその八百長に付き合う気は今のイザークには毛頭無かった。

 わざわざ公平さを主張するために何十頭と駄馬を用意し、その中から飛び入り参加者自身の目で選ばせたのが主催者の運の付きだ。

 再びイザークは鹿毛馬の首を叩く。一見毛並みの悪くぱっとしない鹿毛馬はそれに答えるように鼻を鳴らした。

 二十五頭、全馬がスタート地点に並びいよいよ発走時間が迫る。

「よーい……」

 カーン、と小気味良い鐘の音が鳴り響いた。と同時に一斉にレースが始まる。

 直後、イザークの鹿毛馬が絶好のスタートを切り、観客がどよめいた。主催者席に座る役員達は一瞬呆然としたが、すぐに苦笑が広がった。

 どうせすぐに下がってくるだろう。

 偶然一頭抜け出した一騎を除いて、他の飛び入り参加者達十二騎はスタート地点に立ち止まったまま、もしくはスタート直後に落馬してレースは終了している。良い馬を与えた地元参加者達は先頭馬から少し遅れて二頭、さらに後ろに十頭程の馬群が追走していた。

 レースは町の外周をぐるりと一周する長丁場。しかしイザークの駆る馬は、最内を回って距離を稼ぎながら手綱を緩めてペースを落とすという先頭に立った馬の常識に反してぐんぐんと速度を上げ馬群を突き放してゆく。

「ありゃ、途中で自滅するぞ」

 観客の中からもそんな声が多数あがった。皆前の一頭は放っておき、後ろの馬群に注目した。レースに参加している騎手たちも同様だ。

 あの馬鹿は放っておいて俺達はゆっくり行こう。

 しかしレースも終盤に差し掛かり、その期待は全く裏切られた。八番のゼッケンを背負った鹿毛色の農耕馬は未だマイペースで悠々と一人旅を楽しんでいる。

「逃げ切っちまうのか!」

 観客のどよめきはやがて歓声に変わる。

 後方に固まっていた騎手たちはようやく焦り、次々と鞭を入れて猛追をはじめる。だが差は徐々にしか縮まらなかった。

 何であんな馬が。騎手たちには理解できなかった。ただの農耕馬しか見えない。

 そうイザークの選んだ鹿毛馬は本当にただの農耕馬だった。しかし持ち主が愛情深い人物なのだろう。他の馬達に比べて日々の耕作作業の疲れを感じさせない健康さだった。また農耕馬であるだけに筋力や体力に不足は無い。

 何より、この馬は人を信頼していた。それだけでイザークにとっては十分だった。

 必要以上に鞭で叩かれ無理やり速度を引き出された後方の馬はレース前半で培った余力を帳消しにし、疲労困憊している。鹿毛馬も同じくらい疲れていたが、気力が違った。

 イザークがこれまでの仕上げとばかりにただ一発鞭を入れる。鹿毛馬が一頭完全に抜け出し、勝負は決まった。

「うおおおおお! 八番が勝っちまった!!」

 大歓声とはずれ馬券の紙吹雪がイザークと鹿毛馬を祝福した。




「賞金百ソル、馬券は十ソル!」

 馬券を払い戻して手に入れた金を手に、クライヴがイザークの元へ駆けつけた。

「やったな!」

 イザークは晴れやかな笑みで馬首を叩いた。鹿毛馬が力強く嘶く。

「お前もがんばったなあ!えらいえらい」

「しかし、あれ程とは正直思いませんでしたよ」

 イザークを見ていると他の者は全て馬乗りのなんたるかを全く理解できていないように見えてしまう程だ。町人と神皇国騎士を比べ物にする方が間違っているといえばそれまでだが。

 とにかくクライヴは手放しの賛辞を贈っているようだったのでイザークは素直に受け取っておくことにした。

「まぁな」

 イザークは馬を降りると持ち主に返しに行く。

 鹿毛馬の持ち主はイザークを見るなり感激して抱きついてきた。どうやら馬が勝つとその所有者にも賞金が出るらしい。今まで可愛がって育ててきた様子だからその喜びもひとしおのようだ。

 一通りの感謝の言葉と賛辞の言葉を送られイザークは少し照れくさそうにやっとその場から離れた。賞金を受け取り、金貨のずっしりした嬉しい重みを懐に仕舞い込む。

「これだけあれば皇都までは余裕だな。でもとりあえずは……」

「腹ごしらえ」

 二人は全く完璧な二重音で言うと笑い、軽やかな足取りで広場へ向かうのだった。




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