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BLACK NOTE  作者: 綾瀬 綾
第一章
4/15



「ブハハハハ!! おいおい小ーさな村だなァおい!!」

 遠眼鏡から混乱に陥ったドナム村を覗き、醜い猪人(いのししびと)の大男が抜き身の剣を肩に唾を飛ばして笑う。

「こりゃー収穫は期待できねえんじゃねぇですかい兄貴!」

「ゴアスを連れてきた意味も無かったな。まぁいい、食い物と金をちょっといただけりゃ上等だ!」

 猪人の盗賊が剣を掲げると、いかにも悪人面な者ばかり十人余りの盗賊が嬉々として村へと駈け出した。途端に悲鳴と怒号に小村が揺れる。川岸から駆けつけたイザークは槍を持ち、逃げる村民達とすれ違いながら殺到する盗賊の前に一人立ちはだかった。

「んぁ? 軍人っ!!」

 その蒼の軍服の姿を見て、何故こんな小さな村に軍人が、と、盗賊たちは一様に血の気を引かせる。が、それも一瞬のこと。

「って……オメェ一人じゃねえか!」

 イザークが一人きりであるのをみて再び強気に戻る盗賊たち。げらげらと爆笑しながら侮るような目でイザークを見ている。しかしイザークはそれをきっと睨みつけると無言のまま槍を構え、地を蹴る。

 盗賊たちの間に疾風が走った。

「うごぁ!?」

「うぎぃっ!!」

 同時に二人が血を噴出し倒れる。何が起こったのか理解できない盗賊たちは唖然としてイザークを振り返る。

「なっ……!!」

「まだだっ!」

 群れの中心でイザークが横薙ぎの一閃を繰り出した。力強い槍の一撃は周囲の盗賊の骨を躊躇わず砕く。たまらず悲鳴をあげる盗賊たち。

 その難を逃れた兎人(うさぎびと)の盗賊一人が身軽さを生かして跳躍、真上からイザークに襲い掛かる。が、イザークは素早くそれを捕捉し、猛る荒馬の角のように上空の盗賊へ槍を放った。

 どす、と低い音を立てて突き刺さった槍は運の良いことにその心臓ではなく足を突きやぶり、兎人は激痛に顔を歪めて失墜。

 すかさず今度は腰の剣を抜き、残りを掃討にかかるイザーク。一人斬り、二人目、鍔迫り合いが激しい火花を生む。

 その隙に三人目がイザークの背後を狙うが、逆に鍛えられた一角人の豪脚が盗賊の鳩尾に深くめり込み昏倒させた。

「こ……こいつ……!強ええ……!」

 彼らは気付くのが遅かったようだ。

 その軍服の襟首に光る銀糸で刺繍された一角馬。神皇国随一の騎士達のみが許される特殊兵団『白鬣』の紋章なのだ。小村を襲う小規模な盗賊団を一掃することなど愛馬を伴わなくとも造作も無い。

 その証拠にイザークは取り巻きの九人を今にも片付けんばかりの勢いである。逃げようにも、騎乗でも無い限り一角人である彼の追撃から逃れる方法は無いのだ。

「く……っ」

 猪人の盗賊が往生際悪くどうにかならないものかと辺りを見回した、すると、逃げ出しもせず近くでその戦いを見守る子供の姿。ベリルだ。

「待てぇい小僧!!」

「……! やべ!」

「待て待てェい! お前は人質じゃ!!」

「うわあ!」

 すばしこい猫人のベリルだったが、体格は子供。巨躯を誇る猪人から逃げ切れず、捕らえられてしまう。

「……! ベリル!!」

「おーっと! この小僧の命が惜しけりゃ仲間には……ワシには手を出さないでもらおう!」

 すでに他の九人を片付け終え、猪人に向き直っていたイザークの足が止まる。

「くっそ! はなせブタ野郎!」

 襟首を掴まれ吊るし上げられたベリルが悔しそうに空中でもがく。

「ブハハハハ! そうそう! そうして大人しくしてなっ!」

 猪は勝機を得、勝ち誇った顔で言うと、イザークを警戒しつつ倒れた仲間の一人の懐からおかしな形の笛を取り出し、思い切り吹く。冬の渓谷に響く風の音のような、甲高い音が響いた。

「来い! ゴアス!」

 ギュオオオオオオオオオオオオオオ!!

 その咆哮を聞いた家屋に隠れる村人たちは、きっと嵐が巻き起こったとでも思っただろう。真夏の雲の切れ間からこちら向かって猛速で降下してくるその姿に、イザークは驚愕した。

「……竜、だと……!?」

「ブハハハハハ!!」

 先程過ぎ去って行った大きな影の正体。それは地上最大の生物、竜の姿だった。

 ゴアスと呼ばれたその竜は若いエラルユンクス森林竜のようで、竜の中でも体躯の小さい種類だが、それでも馬の倍の大きさはある。

 何よりその鋼鉄をも溶かす吐息と、剣のような爪牙、そして青鋼色の硬い鱗は脅威以外の何者でもない。大型の盗賊団が次々と軍に討伐される中、こんな小規模盗賊団が生き残っていられたのは、この切り札があったが故であった。

「やっちまえゴア……!」

 ギュオオ……!!

 猪人が何かを言おうとしたがゴアスの咆哮に打ち消される。さっきよりも少し高い、何か物悲しい声だ。ゴアスは倒れた盗賊たちの上をぐるぐると旋回し、何かを探すような仕種をとる。

 どうやら、ゴアスの主人はあの猪人ではないらしい。

 森林竜は頭が良く、人を乗せて飛ぶことも多いが基本的に主人と認めた者以外に心を許さない。神皇国軍にも竜使いの部隊があるが、イザークは戦闘中に竜が主人を亡くし、その死を悟ってあのように旋回しているのを何度か見たことがあった。おそらくイザークが倒した中にゴアスの主人がいたのだろう。

 殺してはいないが、イザークは少し胸が痛んだ。

「おいっゴアース!! さっさとそいつに攻撃しねえか! この馬鹿竜が!」

 猪人はなかなか命令を聞こうとしない竜に激昂し、地団太を踏む。それは偶然、猪人が先程笛を抜き取った仲間の体、おそらくはゴアスの主人の体を踏みつける形となった。

 重ねて記すが、竜は頭が良く、自らの主人に敬意を払っている。

 猪人の行動は竜にとって、その逆鱗に触れられるのと同等の禁忌だった。

 ギュオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 主人の骸(生きているが)を踏みにじられたと勘違いしたゴアスは、怒りの雄叫びを上げて猪人へ襲い掛かる。

「ひぃっ!?」

 びゅおお……と不気味な音を立て、ゴアスが息を大きく吸い込んだ。

「来るぞ!」

「えっ!?」

 イザークはその様子を見るなり叫び、身を竦ませる猪人の手からベリルを奪還。ついでに猪人のことも突き飛ばし、竜の照準から逃がす。

 直後、凄まじい灼熱の熱線がイザークの目の前を通り過ぎた。

 大気がじりりと音を立て、大地を黒く焦がし、緋色の直線が霧散。飛び散った炎が周囲の草原を一瞬にして燃やし、不自然な円形の荒地が露出する。

 それを目の当たりにしたベリルが短い悲鳴をあげて尾の毛を膨らませた。危うく直撃するところだった猪人は恐ろしさのあまり泡を吹いて昏倒し気を失っている。

 ゴアスはそれをみて満足したのか照準をイザークに切り替えた。

「やばいっ!」

 イザークはベリルを抱えたまま村と外の方向へ走り出す。

 このままでは村にも甚大な被害が及ぶ。

 しかし、竜を倒せるような装備をイザークは持っていない。剣と槍では竜には歯が立たないのだ。攻城兵器か強力な魔術でもない限り討伐はまず不可能。この時代剣を手に一対一で竜に立ち向かえるのは竜使いの長たる東神将家の者ぐらいだ。

 撃退は不可能でもなんとか竜の気を逸らす方法は無いか!

 あまり詳しくない竜の知識を総動員しながら逃げるイザークを、ゴアスは地面に降り立ち、四つ足になって追いはじめる。

 その巨体に反してゴアスの脚力は驚異的で、ベリルを抱えたままのイザークなどあっという間に追いつかれてしまった。

 するどい竜の爪が高く振り上げられる。

 決死の瞬間。イザークは咄嗟にベリルを離れた場所へ投げて逃がす。

 重量を伴った巨大な爪が振り下ろされるのに合せて剣を抜き放つが、しかし、タイミングが一瞬間ずれた。

 喰らう、とイザークが覚悟しかけたその時。目の前が白く弾ける。

 ギュオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 地鳴りのような悲鳴を上げたのはゴアスだった。

「!?」

 見ると竜の腕が極太の氷柱によって地面に繋がれている。

 氷はぺきぺきと音を立てて見る間に地面に広がり、あっという間に竜の巨体を大地に縫い付けた。

「間に合いましたか……!」

 村のほうからこちらへ歩み寄ってくる姿があった。それは真白なローブを着た亜麻色髪の眼鏡の男。

「クライヴ……!?」

 そう、真夏の草原に巨大な氷柱を召喚したのは、クライヴだった。

 氷の侵食が止まると同時にクライヴは掲げていた腕を下ろし、イザークより少し離れた場所に倒れるベリルを揺り起こす。

「……ベリル、ベリル君!」

「……あ……せんせ、い……?」

「ここは危ないから、村の中へ逃げなさい。これは僕とイザーク君がなんとかしますから」

 氷柱に捕らえられ目を血走らせてもがく凶暴な竜を目前にして、まるで散らかった部屋を片付けるだけのことかのように軽く言ってのけるクライヴ。

「でも……!」

「いいから。村の前に倒れてる盗賊、捕まえておいてくださいね」

 ベリルは何か言いたげだったが、やがてこくんと頷くと村のほうへ走り去っていった。

「なんとかするって……なんとかなるのか?」

 二人のやり取りを見届けたイザークは、妙に緊張感の無いクライヴに呆れたように言う。するとクライヴは不敵な笑みを浮かべて竜を見上げ答えた。

「大丈夫ですよ。剣じゃあ歯が立ちませんけど、君は足が速いみたいですから」

「……囮かよ」

 察したイザークがやれやれと溜息を吐く。クライヴは悪びれもせず肩を竦めて見せた。

「三十秒で十分です。……来ますよ」

 ゴアスが長い首をうねらせる仕草をとる。再びの熱風。楔となっていた氷を熱線で溶かしたのだ。

 二人は咄嗟に飛び退くが、急速に解かされた氷が濃い霧になって辺りを包み、視界を奪われてしまう。

 自らが発生させた白い煙に竜が驚いたように巨大な身体を跳ねさせた。霧を振り払うように盛んに翼を動かし、尾を振り回す。

 おかげで視界はすぐに戻ったが、霧が晴れた瞬間イザークが見たのはクライヴに直撃の軌道を取る竜の尾。

「クライヴ!!」

 間一髪、イザークはクライヴを抱えて倒れこみ小柄な身体が粉砕されるのを防いだ。と、その衝撃でクライヴの眼鏡が地面に落ちる。

 クライヴがしまった、という表情で目を覆う、が遅かった。他意も無くその眼鏡を拾い上げ、持ち主に返そうとしたイザークは見てしまったのだ。

「お、前……」

 危うく眼鏡を取り落としかけた。そこに曝け出された魔術師の両眼が湛えていたのは穏やかな夕焼けの色ではなく、吸い込まれるような深い緑の色。

 動揺するイザークの青紫の瞳と交錯し、悔やむような表情を浮かべる。それは獣人ならざる者の持つ瞳。

「お前、人間……!?」

 驚きを隠せず唖然とした表情でイザークはクライヴを見つめたまま固まった。しかしその間にも竜は咆哮をあげ、お構いなしに襲い掛かってくる。

「イザーク君、話はあとで必ずしますから今は……!」

「……っ!」

 クライヴに促され、イザークは困惑気味の表情のままだったが気持ちを切り替え戦闘へと集中することにした。

 素早く跳躍しクライヴから離れすぎない距離をあけ、ゴアスを誘い込む。

 ゴアスの爪が鋭く大地を抉る。イザークは動きを見切って左へ飛び、それを回避。

 続いて長い首を生かして噛み付きにかかるがそれもすんでのところで避けきる。歯が立たないと解っているが竜の目がクライヴへいかないよう適度に攻撃することも忘れない。

 イザークが曲芸のような動きで見事な一進一退の攻防を進める中、クライヴは低い響きで詠うように詠唱を始めた。

 その声は一体どの器官から発音しているのか、蒸気の噴出する音のようで、人の声のようで、金属音のようで、獣の声のような音。

 二本の指ですうっと空中に陣を描く。全くのでたらめのようでとても緻密な、不思議な図形だ。それはクライヴの詠唱に呼応して黄色に、赤に変色するとゆっくりと具現化し、やがて強い光を放ち始める。

 三十秒が経った。

「イザーク君! 離れて!」

 クライヴが叫び、イザークは思い切り後ろへ跳躍。低く大きな音をたて竜の足元に突然二つの穴が開いた。

 竜はそれに気をとられ、下を向く。その直後、先の音を遥かに上回る轟音とともに、竜をまるまる一頭飲み込んでもまだ余るほどの巨大な穴が地面に穿たれた。ゴアスは突然地面に引きずり込まれ、混乱する。

 これが、たったあれだけの間に完成させた魔術か?魔術は門外漢なれど肌で感じるその魔力の強大さにイザークは目を瞠り息を呑む。しかしそれはまだ終わりではなかった。

 きらきらとした、何かが周辺を支配する。氷の粒だ。

 粒はゆったりと雪のように辺りを舞っていたが不意にその速度を速め、大穴に向かって結集しだす。真っ白な光が一瞬周囲を照らした。

 そして次にイザークが見たのは、大きな穴に分厚い氷の蓋がなされている光景だった。

「……!」

 最早、言葉も無い。大穴の中もびっしりと氷で満たされているようだ。氷漬けとなった竜はピクリとも動かない。

 強制的に眠りに付かされた竜はこの強力な氷の牢が溶けるまで目を覚ますことはないだろう。魔力で作り上げられたそれは術者が死亡するか同じく魔術で作り上げられた炎で溶かさない限り、決して溶けることは無い。

 終わった。あの竜をこんなに手早く片付けることが出来るなどとは考えもしなかった。

 イザークはふと魔術士に視線を向ける。

「クライヴ……」

 まだ眼鏡はかけていなかった。その手にきちんと握られ、瞳はあくまで露出されていた。

 緑色の瞳。それは獣人とは一線を画す存在、人間のみが持ち得るはずの瞳の色だった。

「お前……」

 イザークが口を開きかけたとき、村の方から血相を変えて近付いてくるものがあった。ベリルだった。彼もまた、師の異変に気付いている。

「イザークさん! 違うんだ!」

「ベリル?」

「先生は、先生は人間なんかじゃない!」

 ベリルは二人の間に立つと、クライブを庇うように手を広げた。

「先生は……先生は!」

「大丈夫ですよ、ベリル君」

 クライヴはベリルに優しげな笑みを向けると、真っ直ぐイザークに向き合う。しばらく躊躇うようにそうしていたが、やがて意を決したように、静かに言った。

「イザーク君。僕は、混血なんです」

「……!」

「人間と蛇人の」

 神皇国で生まれ育ち、神皇国の倫理観の中で生活を営んできたイザークにとって、それは大きな衝撃だった。

 混血児。それは、ありえないはずの存在。

 そもそも神皇国を含め、この大陸に存在する獣人は獣が人型に進化した生物だ。しかし獣といってもそれぞれは一様ではなく、イザークのように馬から進化した人種もあれば、ベリルのように猫から進化したものまで様々である。

であるためか、体の内部の機能は同一といって差し支えないほど差が無いにも関わらず、異人種間の交配は成功率が極端に低い。加えて異人種間では恋愛感情が生まれることも稀なので、他国と違い多様な人種を擁する神皇国であっても混血児はまず生まれないのだ。

 しかも、クライヴに流れる血の半分は人間。獣人族の天敵だった。

 彼らは魔力を持たないが、繁殖能力の高さと適応能力の高さは他の追随を許さず、驚異的な速さで文明を築き上げ大陸の南半分を掌握した。現在神皇国も含めて大陸の北方にある獣人国も、もとは南を追われて移住した獣人達の末裔。南に辛うじて残る獣人国も全てが人間国の干渉を受けており、人間国に住む獣人達はそれこそ人とは呼べないような生活を強いられていると言う。

 それゆえ全ての獣人は人間を憎み、また人間は獣人を蔑む。神皇国、いや獣人達の住む国全てにおいて、人間の証である深緑の瞳は嫌悪の対象に他ならない。

 だからこそベリルはその憎悪を超えて尊敬するクライヴを庇うのだ。

「イザークさん、先生を捕まえるのか?」

 イザークを見上げるベリルの目が懇願するように潤む。

「……」

 イザークは再びクライヴを見つめる。

 混血であるというのは恐らく事実だろう。ただの人間には魔力はないはずだが、先程のクライヴの魔術は本物だった。むしろあれ程の使い手は神皇国でもそうはいない。

 しかし神皇国騎士であるイザークの仕事の本分は神皇国に刃を向ける者を打ち倒すこと。そして人間は紛れも無く神皇国の敵。ならばどうするか、それはもう決まっていた。

 誰のおかげで、ドナム村は救われた?

「眼鏡、かけろよクライヴ」

「……?」

 イザークの言葉にクライヴとベリルは顔を見合わせる。

「俺の仕事はもう終わった。盗賊は捕まえたし、竜は氷の中だ。……他になにかあったか?」

「イザークさん……!」

「いいんですか?」

 クライヴは眼鏡をかけ直しながらもまだ警戒するように尋ねる。

「いいもなにも……お前は村を守るために戦ったんだろ?」

 それで十分だ、とイザークは笑ってみせると、気丈にクライヴを庇っていたベリルは気が抜けたように地面にへたり込んでしまった。

「良かった~……!」

 クライヴはそれを見て警戒の表情から一転し、愉快そうな笑い声を上げる。

「はははっイザーク君って意外と格好つけなんですねえ」

「うるさい」

 イザークは照れ隠しにそっぽを向き村のほうを眺めた。危機を免れたことを知った村民達が互いに喜び合っている。何人かはこちらに向かって手を振っていた。

「さて。騒ぎは落ち着いたけど……村に戻ったら面倒くさそうだな……」

「さっさと姿を消したほうが得策かもですねえ」

 照れくさいですしね?とクライヴがからかう様に口の端をあげると、絶妙のタイミングでイザークがクライヴの頭をはたいた。

「痛ったいなあ、暴力反対ですよ」

「お前うるさい。準備は済んでるのか?」

 クライヴが頷く。元々その身一つで旅に出る気であったようだ。

「……先生達、もう行っちゃうのか?」

 二人のやり取りを見ていたベリルが寂しさを堪えきれない声で呟いた。するとクライヴが思い出したように背中に手を回し、ローブの中から何かを取り出すと、それをベリルの手元に落とす。突然重量のあるものを持たされてベリルがうわっと声を上げた。

「あげます」

 それは分厚く黒い皮表紙の本だった。それともう一つ、赤い宝石の付いた腕輪。少しサイズは大きめだがベリルはそれを大事そうに手に取ると恐る恐る腕に填めた。

「……これ」

 そして自分の胸板ほどあるその本をぱらぱらとめくる。中にはイザークにはさっぱり理解できないような様々な魔術理論がびっしりと書き込まれていた。

「僕の書いた研究書です。熟読して完璧に理解できるようになったら、一番後ろに挟んである紙に書いた人物を訪ねなさい。君が医者になるのに十分な援助をしてくれるはずです」

 じゃあね。クライヴは愛弟子とろくに目も合わせず素っ気なく言うと、くるりと踵を返し、さっさと歩き出す。

 全く、どっちが照れてるんだか。苦笑したイザークもその後に続こうとする、と。

「何……」

 ベリルがその外套の裾をひっぱり引き止めた。

「イザークさん、先生のことよろしくな」

 そして小さくイザークに何かを耳打ちすると、すっと立ち上がる。

「先生、ありがとうございました!」

 クライヴは振り返らない。だがベリルはその後姿を満足そうに見送っていた。ぶかぶかの腕輪を填めた腕に黒皮の本を抱きしめながら。




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