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BLACK NOTE  作者: 綾瀬 綾
序章
2/15

 初夏、グライアス神皇国ソドム伯爵領シュメイアにある、双子山シュメルシュムル。

 標高がほとんど同じ東のシュメル山と西のシュムル山の間を通るのは南西の国境ニヴァルヘルム山脈を源とする大河イーゼ。元は同じ山であったシュメルシュムルの谷間を大きく隔てることとなったその激流は今日に限って不気味な程に静まり返っていた。

 その渓谷の端を行く、一団の騎馬隊がある。青い軍服と、空色の外套。淡く青光りする銀の兜には、角を突き出す馬が彫られている。

 グライアス神皇国軍の擁する随一の騎兵部隊、特殊兵団『白鬣はくりょう』の姿であった。

 その先頭を行くのは年若い葦毛のクーデルユニコーンに跨った金髪紫眼の青年。額には乳白色の角がある。馬の獣人、一角人(いっかくびと)である。名をイザーク・ユニコスと言った。

「霧が出てきたな。崖から落ちるなよ」

 イザークは前方に注意深く眼を凝らしながら、背後を行く副隊長以下の隊員に注意を呼びかけた。

 彼らはこのシュメルシュムルに巣食う盗賊団の討伐に赴いていた。調査によると、この渓谷の先にある滝の裏に、盗賊団の本拠はあるという。盗賊の住処としては定番だが、絶好の隠れ処だ。この道を行く際もう既に何度か盗賊団員らしき者共の襲撃にあっていた。取るに足らない新入り達だったらしく隊には被害らしい被害もでなかったが、一山全てを牛耳っているという報告もあるだけに気が抜けない。

 霧が濃くなりつつあったがなんとか誰一人脱落させずに進むと、滝の流れ落ちる音が近付いてきた。目的地が近いようだ。

 イザークは副隊長に目配せすると、隊から数名を選び下馬する。腰に掛けてあった携帯式の槍を元の長槍に組み直し、部下を引き連れながら霧にまぎれて用心深く進む。

 滝が見えた。あまり大きな滝ではなく、音はそれ程激しくない。その裏に洞穴らしき影と、人影。間違いなくそこが盗賊の巣窟だ。

 見張りは四人。ただの盗賊団にしては人数が多めだが、まだこちらには気付かない。イザークはある程度まで近付くと、一角人特有の強靭な脚で地を蹴り、見張りへ殺到する。部下もそれに続く。選んだも全員一角人だ。

 見張りは最後まで襲撃に気付くことなく、くぐもった悲鳴を滝の音に掻き消されながら地に伏した。間もなく、後続の騎馬隊が入り口を囲む。

「突入するぞ」




「と、頭領!」

「討伐隊が来たか」

 盗賊団の頭領は欠伸をかみ殺しながら慌てふためく強面の熊人くまびとの部下の訴えを先取りした。部屋は近隣の村落で奪い取ってきた金品で埋め尽くされている。まるで神皇の玉座の間のような赤絨毯の先でその男はだらりと寝そべっていた。

 盗賊団の頭領というにはあまり似つかわしくない優男風の体躯に、立派な二本の巻き角。両脇には同じく二角人にかくびとの美女が侍っていた。遠くに聞こえていた悲鳴と怒号が段々と近付いてくるが、二人の美女はまるで人形のように動じることなく頭領の側に付き、伽をしている。

 頭領、ガーゲイルはもう一つ欠伸をすると大儀そうに立ち上がった。微塵も動揺しているような気配は無い。むしろ楽しんでいるかのように見える。

「この狭い巣穴に一体何十人で押しかけてきたんだ?」

「それが、たったの十人程で……」

「十人?」

 それを聞いてようやく少し意外そうな声が漏れた。だが表情は相変わらず余裕をたっぷり含んでいる。

「たった十人に……なるほど、さすがは特殊兵団だな」

「ご存知だったんで!?」

「そろそろ皇都の軍が来る頃だろうとは思っていた」

 ガーゲイルの盗賊団はソドム伯爵の領内を中心に行動していた。当然何度もソドム伯の兵が討伐に訪れたが、尽く撃退してきたのだ。それに業を煮やした伯がついに皇都へ派兵を要請したのだろう。

「十人でこの有様では、分が悪いな」

 ガーゲイルは呟くように言うと漆黒のローブを翻す。

「逃げやしょう! あの抜け穴で!」

 部下は頭領の視線の先にある凶悪な猛牛の描かれた盗賊団旗を指差した。あの裏にはぽっかりと穴が開いており、そこはシュメル山の麓まで続いている。この場所を築く際ガーゲイルが幾人かを犠牲にしながら掘らせた緊急時の抜け穴だ。盗賊団の中でも一部の者しか知らされていないが、ついにそれを使う時が来たのだと熊人は訴えた。しかしガーゲイルは静かに首を振る。

「あそこも恐らく討伐隊が入り込んでいるだろう」

 そう言って部下に背を向け部屋に大量に置いてあった宝石箱の一つから何かを取り出した。

「ここへ続く道は馬が二頭並べられるかどうかの狭い崖一本。その道を討伐隊で埋め尽くされては逃げる道などない、そのために抜け穴を作った。だが、ソドム伯の兵はともかく、特殊兵団は馬鹿じゃない。道を見れば抜け穴の存在にも当然気付くだろう。もはや逃げ道は無い」

 部下に絶望的な状況を説明してやりながらしかし、ガーゲイルはにやりと口の端を歪ませる。

「長いこと世話になったなお前達」

 ガーゲイルがぱちんと指を鳴らすと、側に侍っていた美女達が操り人形の糸を切ったようにばたりと地面に転がった。熊人の部下は何が起こったのか解らず二つをただ見比べる。

「と、頭領……? 何を……」

「俺は逃げる」

 ガーゲイルはさらりと言って、先程取り出した小指の爪ほどしかない極小の宝石の付いた指輪、ただ一つだけを愛しげに手のひらで転がすと、指に填めた。

「そんな……! 俺らも連れて行ってくだせえ!」

「もうこの盗賊団に用はない。欲しかったものは手に入った」

 部下の懇願にも首を振り、ガーゲイルは何かに取り付かれたような恍惚とした表情で言うと、一箱で一生遊んで暮らせる程の金貨の詰まった宝箱を蹴り転がす。

「これらはもういらん。お前達に全てやろう。無事に逃げ切れたら、な」

「てめえ……一人だけで逃げる気かっ!」

 熊人の部下はようやくガーゲイルが何をする気か気付いたのか、手斧をかまえて裏切りの頭領に襲い掛かった。

「馬鹿が」

 ガーゲイルは大男が飛びかかってくるというのに平静な表情を崩さず、手のひらで丸く円を描く。

「うごっ!?」

 その直後、円から赤い光と共に凄まじい衝撃波が発生し、体重百キールを優に超える熊男が部屋の壁に深々とめり込んだ。

 ガーゲイルはそれをちらりとも見ず、先ほど填めた指輪を恋人の肌に触るように指で撫でる。そして再び手のひらで陣を描こうとした時だった。

「動くな!」

 討伐隊がついに頭領の間へ到達した。先頭に立ちガーゲイルに槍を向けるのは隊長、イザークだ。ガーゲイルは小さく舌打ちするが余裕の構えを崩さない。

「遅かったな『白鬣』、俺の部下は楽しめたか?」

「数だけあっても質があれじゃな」

 そう答えるイザークの軍服は血に染まっていた。全て返り血だった。

「お前も大人しく縄につけ!!」

「嫌だね」

 いきり立つイザークを前にガーゲイルは愉快な余興をみるようにくつくつと笑う。

「これがわかるか?『白鬣』の。この指輪」

「……?」

「ふん。知らんか。『魔王の瞳』……といえばわかるか?」

「はっ、そんな御伽噺の指輪がそれだとでも?」

 何を言い出すかと思えば、イザークは一笑する。『魔王の瞳』といえば確かにその名を知らぬものはいない。神皇国でも広く親しまれる童話に登場する、悪の王の持つ宝だ。それを手にすることが出来れば、国中の魔術士の魔力を集めたよりも大きな魔力を手にすることが出来ると言われているが、あくまで御伽噺。実在のものではないとされている。

「……無知とは不幸だな」

 ガーゲイルは僅かに哀れむように呟くと簡単な陣を空中に描いた。

「近付くな。火傷するぞ」

 ガーゲイルが静かに宣言する。と、突如ガーゲイルの周りに真紅の炎が燃え上がる。

「なっ、魔術士か! 詠唱も無しに……!?」

 イザークは激しい熱風から肌を守るように腕を掲げながらもその姿から目を離さない。ガーゲイルは燃え上がる炎の中で心底楽しそうな笑みを浮かべていた。

「ただの魔術士ではない。魔王の生まれ変わり……だ」

「何を……!」

 イザークは吸い込むと喉が焼け焦げるような熱風に咽こむ。その隙にガーゲイルが再び空中に陣を描いた。今度はかなり複雑な陣だ。その陣は具現化するように真っ白な光を帯びるとガーゲイルの足元に滑り込む。

 イザークの背後から足音が聞こえた。副隊長達が追いついてきたのだ。

「隊長!? これは一体……!」

 副隊長以下の兵達はその情景を目にして一様に目を瞠る。何が起こっているのか、まるで理解が追いつかない。

「それでは……さらばだ」

 ガーゲイルが白い光に包み込まれる。

「待てっ!!」

 その瞬間、イザークが決死の覚悟でガーゲイルの懐に飛び込んだ。

「なっ!?」

 ガーゲイルが初めて驚愕したような表情を浮かべる。直後、室内が強い閃光に包まれた。

 副隊長達に視界が戻ったのはそれから程無くしてからだった。

「……隊、長?」

「ガーゲイルもいないぞ!」

 二人は忽然と、頭領の間から姿を消してしまった。





 ……あと五秒……三、二、一、……。

 突如山林に太陽が落ちて来たのかと思うほど眩過ぎる光が襲った。野生の獣たちが異変を察してその場から逃げ去っていく中、男は瞬間的に目を庇い目が眩むのを避ける。すると光の中心から人影が現れた。

 ……二人?

 男は慎重な足取りでその光の中心へ近寄る。光はゆっくりと勢いを失い闇に掻き消えて、残ったのは地に倒れ付す二人の男。

 一方は黒いローブを纏った二角人。もう一方は神皇国軍の軍服を纏った若い一角人。一角人は気を失っているのかぴくりとも動かず、二角人はゆっくりと確かめるように腕を動かすとのそりと立ち上がった。

 さて……どっちだ?

 男は品定めするように倒れた二人を見つめる。

「くっ……ここは……どこだ?くそ……こいつか付いてきたせいか……?場所がずれた……」

 二角人は男の存在に気付かず一人でぼそぼそと悪態をつくと、突然思い出したように両手指を見つめる。そして我が指にきちんと指輪が嵌っていることを確認すると堪えきれないような笑みを漏らした。

 あいつか。

 男は目当ての物を見つけ、さっと二角人の前へ姿を現した。

「だ、誰だっ!?」

 二角人は憔悴しきった表情で、息も荒い。何かに生気を吸い取られたようにげっそりとやつれ、立っているのも辛そうだというのに目だけが爛々と妖しく光り輝いていた。

「その指輪、渡してもらうよ」

「これは……俺のものだ!」

「僕のものだよ」

 問答するのも焦れったいかのように二角人が素早く陣を描く。紅の陣から男に向かって火炎弾が無数に放出された。

 しかし男はそれに何をしたのか、全ての火炎弾を瞬時に消し去ると驚く二角人との間合いを一気に詰め、耳元で静かに詠いあげるように呪いの言葉を紡ぐ。

 その言葉は聞き取れない。一体体のどの器官から発音しているのか、金属音のようで、蒸気の噴出する音のようで、人の声のようで、獣の声のような音を発している。最後にやっと人の言葉に戻って呟いた。

「返してもらう」

 男が何をしたのか。その場で瞬きもせず見ていたって何も解らなかっただろう。

 男が呟くと二角人は突然がくんと膝を折り曲げ、口と鼻から血を吐き出し、腕はだらりと垂れ下げたまま、硬直してピクリとも動かなくなった。既に息はしていない。

 男は二角人が死んだのを見て取るとその指から指輪を抜いた。そうしてから今更のようにもう一人地面に転がる一角人の方へ目を向ける。しかしその顔を見て驚愕に目を見開いた。

 まさ、か……?

 男は一角人のすぐ側にしゃがみ込むと確認するように顔をよく覗き込む。しかしやがて顔をあげ何かの見間違いだったとでもいうように苦笑まじりに首を振った。

 よく見ると一角人は苦しそうに顔を歪めている。どこか怪我でもしているのか、触診してみるとやはり腕がぽっきりと折れていた。

「馬鹿牛が転移したときの反発かな……」

 男は思わずといった風に呟くとちらりと二角人の骸を見た。下手くそめ。

 男は溜息を吐くと一角人に肩を貸すようにして立ち上がらせる。そして空中に陣を描くと、声も光も発さず跡形も無くその場から消え去った。




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