三
商業街は予想通り、官庁街とは比べ物にならないほど混雑していた。神皇祭が近いため遠くの都市や村から多くの人々が押し寄せているのだ。勿論目当ては今回が初披露目となる少年神皇だ。
「まさかその神皇が目の前に居るとは誰も思わないだろうな」
ソルアレクは悪戯っぽい笑みで声を潜めてイザークに耳打ちする。
「気付かないでしょうとは思いますが、おかしな一団として眼に留まっていることは確かですね」
確かにとソルアレクは自分の周囲を見回した。
「軍人が引くやけに立派な馬に跨った獅子人の子供と、付き従う眼鏡の蛇人か。確かに妙な取り合わせだな」
「ところで陛……アレク様、お腹は空いていらっしゃいませんか?この辺りは軽食屋が多くて味もなかなかですよ」
「食べる!」
ソルアレクが勢いよく頷くとイザークは馬を店先のほうへ向け、隊でも人気の高い軽食屋に入る。店内は時間をはずしている為か案外空いていて過ごし易い空間になっていた。
ソルアレクは店主から注文を聞かれるとメニューを手にぎこちなく応対する。
「どれが旨いんだ?」
「ミルク漬け厚切りローストビーフサンド、ここではこれに限りますね」
自信満々に答えるイザークにクライヴは嫌そうな顔をして首を振る。
「ボリュームきっつそうですねえ……。君本当に一角人?」
「種族に味覚は関係無いね」
「僕はこれがいいと思います。砂糖漬けエルア花蜂蜜サンド生クリーム大盛り」
「聞いてるだけで口が甘くなってきた……。生クリーム大盛りなんて聞いたことねえよ」
「本当においしいものはほんのり甘みがあるんですよ、と何処かの偉い人がいっていました」
「ほんのりってレベルじゃないことに気付け」
二人のやり取りに店主とソルアレクは苦笑いを交わし結局無難そうな香草ハムサンドを注文するのだった。
その後武器屋に入り一通り物色した挙句ソルアレクの気に入った業物を一振り注文。届け先にうっかりガルグイユ城と答えたがイザークが軍服を着ていたため店主が何とかと勝手に解釈して事なきを得た。
馬具店前では今度はイザークの方が動かなくなり、クライヴとソルアレクでなんとか説得してやっと店を離れる。
大通り沿いは人出も多いがその分大道芸人なども多く、行く先々で曲芸を披露して観客を賑わせ、商業街は見物に事欠かない。それら全てに眼を奪われ一々足を止めていたのもあって殆ど回ることは出来なかったが、それでもソルアレクは大満足のようだった。
ソルアレクについて回りともにはしゃぐイザークの二人の姿は同じような金髪ということもあって種族は違えど一見すれば兄弟のようで微笑ましい。クライヴは若い二人についていくのがやっとと言う感じだ。
夕刻になって街に長い影がさすようになり、空気が冷えてきた頃、丁度カインが迎えにやってきた。大通りの脇に黒竜が降り立つと俄かに場が騒然としたが、竜が降り立つこと自体は珍しいという訳ではないので騒動慣れした市民達はすぐにその場を立ち去る。
「陛下、そろそろお戻りください」
「……もうそんな時間か」
まだ遊び足りないというようにアレクは名残惜しんだが、しかし足はしっかり竜の方へ向かっていた。
「今日はご苦労だったなイザーク。『白鬣』の詰所には俺から声をかけておいた」
カインの言葉を聞いてイザークはいまさら仕事を放り出してきたことを思い出ししまったという顔をする。予想通りの反応だったのかカインは肩を竦め言った。
「……今更戻っても遅いだろうな。今日はもう屋敷に帰れ。帰りが遅いと……」
「兄上が心配する、だろ。まぁ仕方ないな。将軍のお許しも出たし真っ直ぐ帰宅します」
イザークは懐かしいやり取りに少し笑って言った。
あれから色々合ったがカインがあまり変わっていないことが嬉しかったのだ。皇都の女性を虜にする白銀色の頭髪と翼。満月のような金色の瞳に、長身に合わせてすらりと長い尾も昔のまま。幼馴染のクレアを気にかける素振りも変わらない。少し無愛想に磨きがかかったくらいだろうか。
「そうしろ。ではな」
カインはにこりともせず言うとくるりと踵を返して竜の背に跨る。
「今日は本当にありがとうクライヴ、イザーク。色々我侭に付き合わせたな」
ソルアレクも竜に乗ると手を振り言う。
「いえ陛下、またいつでも。……今度は遠乗りなど出来ると良いですね」
「遠乗りか……いいな! では約束だ!」
イザークの言葉にソルアレクは満面の笑みを浮かべた。
「はい、約束です。それではお気をつけて」
「ああ、またなイザーク!」
黒竜が小さく咆哮し、翼を動かした。辺りに強い風をもたらしながら上昇すると、暁色の空を横目に城へと帰還して行く。
それを見送ってからさて、と隣に立つクライヴに声をかけた。
「お前は?」
「僕は城に戻って研究再開ですね。早くあの魔具の量産の目途をつけたいですから。……それにしても馬車で来てくれればいいのに」
馬よりは大きいが流石に二人以上は乗ることの出来ない竜の影を恨めしそうに仰ぎ見てクライヴは溜息をつく。馬車なら馬車で盛大に酔うくせにそんなことを言うクライヴにイザークは肩を竦めるとエルシードを指差した。
「乗ってくか?」
「馬の背に二人乗りは揺れるんですよねえ」
クライヴはそういいながらもちゃっかりイザークの後ろに乗り込むのだった。
「カイン」
少年神皇は竜の切る風音にかき消されるようなか細い声で背後の元御付武官の名を呼んだ。
「今日は本当に、済まなかった。もうしないよ」
「……陛下はまだお若い。ああいったことを望まれていたのは薄々感じておりました」
カインは竜の手綱の引きを緩める。黒竜は翼の動きを止め、風に乗ってゆったりと城に向かう。二人はしばらく無言のまま竜の背に揺られた。
ソルアレクの耳は強風に、もしくは感情に煽られて低く臥せっていた。
黒々とした大城壁の向こうに真っ赤な夕日が沈んでゆく。
ソルアレクはぽつりと呟いた。
「……イザークが……だったらよかったのに」
その声はカインの耳にも届かず、上空の冷たい空気に消えた。