この婚姻に他意はない。 〜元皇弟は平民妻を溺愛中〜
――この結婚に他意はない。
確かに私と夫には身分差があるけれど、紛うことなき恋愛結婚だ。
それでも周りがいつまでも騒ぎ立てるものだから、なんだか面倒な事が起きてしまった。どうして皆放っておいてくれないの。
「クロイツ夫人、貴方ご自分が恥ずかしくないのかしら?公爵夫人の役割も果たさず、好き勝手ばかりして。殿下がお気の毒です」
スミレは目の前の令嬢を睨みつけた。自身の見た目がキツい事は承知している。睨みつけただけなのに、相手は震えながら一歩下がった。
「私の事業も振る舞いも、夫が了承していることです。部外者の貴方が口を出すことではありません。それと殿下ではありません。私と結婚して、アイゼンハルト・クロイツ公爵閣下になったのですから。敬称を間違えないようお願いしますね」
「な、何を偉そうにっ···平民上がりのくせに···」
そこまで言うと、白い騎士服に身を包んだ人物が前に出て令嬢に囁く。
「リヴェラ伯爵令嬢、それ以上は閣下の逆鱗に触れてしまいます。貴方様を無事に邸へお送りする事が出来なくなります。お下がりください」
更に後ろから同じ騎士服を着た騎士が3人現れて、顔面蒼白になったリヴェラ伯爵令嬢を馬車まで連れて行った。
スミレはため息を吐く。
「この1週間で3人目よ?ちょっと。貴方の上司にしっかり言っておいてちょうだい」
「は。申し訳ありません」
白い騎士服に身を包んだこの集団は、ここアストラル帝国の聖騎士団だ。スミレの夫であり、公爵であるアイゼンハルト・クロイツが率いている。
アイゼンハルトは婚前は王弟の身分であった。結婚により皇帝に皇位継承権を返上し、クロイツ公爵位を皇帝から賜った。
そして、スミレは元平民だ。さらに言うと孤児である。更にその出生を深掘ると、彼女は転生者だった。スミレという名も、自分で名乗り始めた。孤児故に名前がなかったから。この世界に不似合いな名前だと気付く頃には、もう定着した名前だったので変えずに生きてきた。
転生者であったが故に、孤児でありながら上手く生きて来れたのだ。
10歳までは孤児院で暮らした。さすがに子供の身で生計は立てられない。
10歳を過ぎた頃に、目星を付けていた店に通い詰め、住み込みで働くようになった。
前世の菫は珈琲が好きだった。カフェを開くのが夢で、貯金をしながら暮らしていた。あっけなく事故で死んでしまったが、もう一度与えられた人生。例え異世界だろうと、珈琲がある世界なら夢を叶えられる。
スミレはその一心で実直に働いた。
スミレが住み込みで働くお店はカフェだ。アストラル帝国に限らず、この世界では珈琲より紅茶が好まれる。故に珈琲を扱うカフェは限られていた。
カフェのオーナーはマイアス子爵。子爵とはいえ、あらゆる事業で成功し、帝国内でも有数の資産家らしい。スミレが働くカフェ・グリーンは、子爵が趣味でやっている店だ。雇われ店長のサザーランド夫妻には子供がなく、スミレをとても可愛がってくれた。
スミレはやりがいのある仕事をしながら、10歳から16歳までの6年間、有意義に暮らした。
アイゼンハルトとの出会いは16歳、カフェの定休日にサザーランド夫妻と公園でピクニックをしていた時だ。日本食が恋しかったスミレは、6年の歳月で味噌に近い調味料を自作することに成功していた。とはいえ異国では受け入れられず、カフェのメニューに出すことはしなかった。
内輪での食事の歳に時々出す味噌スープ。これだけは夫妻の舌にも合い、好評だったのでこの時も持参していた。
急に白服の騎士達に取り囲まれたかと思えば、後から身なりも顔も整った青年が現れた。どこかの偉い貴族の令息だろうなと思い身構えていると、その貴人の様な男から懐かしい単語が聞こえた。
「それは···味噌汁じゃないか?」
スミレにとっても晴天の霹靂。固まっていると青年は更に言った。
「良ければ、一口で良い。くれないか?」
これには周りを囲んでいた騎士たちも動揺した。
「殿下?何を言うのです」
「おやめください」
などと口々に止める。「殿下」という単語に身体が更に硬直するが、その殿下と言われた青年は周りの声は届いておらず、スミレの持っている味噌スープに意識が全て持っていかれているようだ。
スミレはカップに入れた味噌スープを差し出した。
「どうぞ。まだ口を付けておりませんので」
青年の澄んだ青空の様な瞳が輝く。
躊躇なくカップを口に運ふど、青年は一気に飲み干した。周りの騎士たちが蒼白になる。
「殿下っ!」「ひいっ」「なんてことを」「毒であればどうしたら」
善良な国民が毒など盛る訳ないだろう。と騎士を半眼で睨む。青年に視線を戻すと、驚く事に目から涙を流している。
初見では自分より歳上で、冷たい印象だった青年は、顔を歪ませて子供の様に泣き始めた。スミレを含め周りの騎士たちも動揺し、ただただ青年が泣き止むのを待った。
しばらく待つと、青年は泣き腫らした目をサザーランド夫妻とスミレに向けた。
「そなた達、名は?」
サザーランド夫妻が名乗ると、スミレも名乗らざるを得ない。
「スミレです。平民なので性はありません」
青年は微笑って言った。
「スミレ···スミレか。私はハルトだ。ハルトと呼んでほしい」
それから頻繁にアイゼンハルトは店に足を運ぶ様になった。最初は騎士を引き連れてくるので、目立つから辞めてほしいと言うと、護衛を1人に減らした。更に衣服にも気を使うようになり、平民のような姿で来るようになった。
スミレもサザーランド夫妻もアイゼンハルトが王弟である事に気付いたが、人の善い夫妻は何も聞かず、スミレもアイゼンハルトを受け入れた。
なんと言っても、アイゼンハルトも確実に転生者だ。それも日本人。スミレは嬉しくて堪らなかった。アイゼンハルトもそうだったのだろう。
2人きりでたくさん話した。アイゼンハルトが前世では「春翔」だった事や、自分が「菫」だったこと。お米さえ仕入れることが出来れば、おにぎりを作ってあげると言えば、アイゼンハルトが隣国からお米を仕入れたり、2人は前世を通してお互いなくてはならない存在になり、妙齢でもあることから一気に恋仲になった。
「スミレ。結婚してくれ。君でなければ考えられない」
神妙な顔で言うアイゼンハルトをスミレは一蹴した。
「無理よ」
アイゼンハルトは堪えていない。意図していた返答だからだろう。
「何故だ」
「何故?無理な理由しかないでしょう。私は平民だし、ハルトは皇族よ?しがない下級貴族ならまだしも····それに私はカフェを続けたいの。サザーランド夫妻が引退したら、私を店長にしてもらうのだから」
すでにサザーランド夫妻は引退も同然だ。時々しかカフェにも顔を出さず、カフェの運営や仕入れはほとんどスミレが行っている。
アイゼンハルトは好きだが、一緒になれるとは露ほども思った事はない。
「分かった」
アイゼンハルトはそれ以上何も言わなかった。
(な、何なの)
もう少し粘っても良いんじゃないだろうか?引きの良さに苛立ちながらもスミレも何も言わなかった。
それから半年、アイゼンハルトは姿を見せなくなった。店にも会いに来ない。
(私が断ったから、会うのも気まずくなったの?)
だとしても会いにも来ないなんて。アイゼンハルトが来てくれなければ、会うことも出来ない。平民は皇城に入る事すら出来ないのだから。
スミレは頭の中でアイゼンハルトを罵ったり、枕を濡らしたりして過ごした。
そして半年後、アイゼンハルトが再び訪れた。カフェのオーナーであるマイアス子爵と共に。
「あら、お久しぶりです。アイゼンハルト殿下。もうお会いする事はないと思っておりました」
ツンツンして言うスミレに子爵がハラハラした視線を寄越す。
子爵はカフェによくお忍びで視察に来る。スミレにとって気安い人で、親戚のおじさん状態だ。
(いくら子爵がいるとは言え、ハルトにニコニコ接する事など出来ないわ。私は怒っているのだから)
平民が王弟殿下に対する接し方ではないが、それは元々なので気にする所ではない。それにアイゼンハルト自身も、ここでは身分を伏せているのだ。
スミレはそのまま不機嫌を貫いた。
「半年も会いに来れずすまない。片付けたい案件が上手くいかなくてね。ようやく目処が立ったから来たんだ」
(あら?仕事だったの?)
以前と変わらず、空色の瞳が蕩けるように自分を見るので、スミレは少し軟化した。
「そう。仕事が上手くいったみたいで何よりだわ」
「ああ。スミレ、君の希望通り、臣籍降下して私は皇族ではなくなった。しかし流石に下級貴族とはなれなかった。だから君がマイアス子爵の養女になってくれ。それならば問題ないだろう」
「·····え?」
なにも理解出来なかった。何を言っているのだこの男は。
「んん?」
首をかしげながらアイゼンハルトを見る。真剣な顔をしている所を見ると、冗談ではなさそうだ。
「し、子爵様?」
マイアス子爵に助けを求めるように視線を向ける。
子爵は困ったような顔をスミレに向けたが、すぐににやりと微笑った。
「ふむ。私としては、君を養女に迎えることに抵抗はない。むしろ喜んで迎え入れたい。君の商腕もそうだが、君自身の事を気に入っているからね」
「気に入っているとは、人となりの事だろう?」
間髪入れずアイゼンハルトが口を挟む。アイゼンハルトの表情はスミレからは見えなかったが、マイアス子爵は何故か焦っている。
「当然です。私とスミレが何歳離れていると思っているのですか」
「ふむ」
アイゼンハルトは納得してスミレに向き直った。
「じゃあ問題ないな。スミレ、結婚してくれ」
問題しかないプロポーズに、スミレは狼狽えた。
「う、うぅ」
王弟殿下だ。今は違うと言っても、ついこの間まで皇位継承権第一位だった男。自分は平民。更に孤児。何を悩んでいるのか。断る選択肢しかないはずなのに。
スミレを悩ましたのはこの半年だ。アイゼンハルトに会えなかった半年は、スミレにとってとても辛い日々だった。転生して孤児院を見つけるまでの1年、食べ物にありつく事も難しく、空腹で意識を失いながら過ごしていたあの地獄の日々よりも。
無念のままに死んでしまい、新たに得た新しい人生。アイゼンハルトに会えなくなっては、夢を叶えたとしても果たして幸せを感じれるのだろうか。
前世でもまともに恋愛をしたことがなかったから、知らなかったのだ。会えない半年を知る前は、いくらでも断れると思っていた。
(····無理。無理だわ。ハルトのいない人生なんて)
決意したスミレは、アイゼンハルトのプロポーズを受け入れた。
夢も叶える為の条件をふんだんに追加して。
❉❉❉❉❉❉❉
「スミレ、本当にごめんっ!」
クロイツ公爵邸、夫婦の寝室にてアイゼンハルトは土下座に近いほど頭を下げた。
スミレは腕を組みわざとらしく少し頬を膨らませる。
「ハルト、言ってたわよね?私とハルトの結婚は絶対に他の貴族からの反感を買うけど、全部ハルトが黙らせるって!確かに高位貴族からの直接的な物言いはないけど、若い令嬢たちのやっかみがすごいんだけど?」
「も、申し訳ない。俺の力不足だ」
アイゼンハルトは王弟時代数多くの功績を残している。前世の知識を活かして疫病の蔓延を防いだり、川の氾濫に備えたり、育ち易い作物の開発に力を入れたり。幼い頃から帝国の繁栄に力を注いできた。
一方で前世の記憶を持ちながら、陰謀渦巻く皇室で暮らすには感情を殺すしかなかった。その為、アイゼンハルトの仮面を被っている時と、スミレの前でのハルトとの差が激しい。
皇城で見たアイゼンハルトは、とても今スミレの前で反省している(そぶりを見せている)人物と同じとは思えない程だった。
「明日から護衛の聖騎士を増やすね。貴族がスミレの前まで近づけないように徹底させるよ」
「いえ、聖騎士はこれ以上増やさないで」
今でも十分多いのだ。聖騎士団を私物化していると言われても言い返せない。
ため息を吐き、手元の書類に目を戻す。
「それカフェの書類?」
「ううん。これは公爵領の」
「しなくて良いって言ってるのに、スミレは真面目だな」
膝の上に乗せられたが、書類は意地でも離さない。アイゼンハルトが呆れた声を出す。
「仕事し過ぎじゃないか?労働基準法を整えるべきだな」
冗談なのか本気なのか。スミレは微笑った。
「こっちもやりがいがあるのよ。カフェ経営も軌道に乗ってきたし、社交はしないけど、領地経営には携わりたいわ」
「そう?スミレの思うようにしてね」
アイゼンハルトが額にキスをしながら言うので、くすぐったい。キスが頬に移り、首筋に移り、どんどん下がって来たので、スミレも流石に書類を置いてアイゼンハルトの肩に腕を回した。
❉❉❉❉❉❉❉
「きゃあ!クロイツ夫人!なんですのその格好は。流石にわたくしも看過できません」
看過してもらわなくて結構なのだが。スミレは辟易した表情を引き締めた。アイゼンハルトにはああ言ったものの、分かっている。文句を言う輩など、いくら止めようとしても無限に湧き出て来るのだから。
現に数刻前、喚き散らしている令嬢を護衛の騎士たちが離れた場所まで連れて行き、手薄の時に現れたのがこのご令嬢達だ。
今日は引退したサザーランド夫人が、久しぶりにカフェグリーンに足を運ぶと聞いたので、平民風の衣装を身に着け下町を歩いて向かう所だった。
(夫人と行き違いになりたくないな)
「貴方に看過されなくて結構です。私は先を急ぎますので、私にご用があるのでしたら公爵邸に一報くださいませ」
くるりと向きを変えようとすると、驚く事に髪を掴まれた。
「お待ちなさい!」
「うっ」
「平民のくせに、調子に乗らないで!」
髪を思い切り引っ張られ、痛みが走る。と同時に怒りも湧いてきた。
髪を握る手を強めに叩く。女にしては力は強い方だ。叩かれた令嬢は顔を歪めた。
「きゃあっ!い、痛いじゃない!」
「平民だからって貴方に髪を掴まれる覚えはないわ。いくら私の髪が綺麗だからって妬まないでくれる?」
髪を整えながら悪態をつく。
赤くなった手を抑え、令嬢の顔も怒りで赤く染まる。
「ちょっとお前!あの女を捕まえなさい」
1人の令嬢が付き従っていた侍従に言った。
言われた侍従は戸惑っている。
「しかしクロイツ公爵夫人にそんな事は出来ません」
(私がクロイツ公爵夫人じゃなくてもそんな事はしないでよ)
「全く。何が気に入らないのよ。時間はないけど聞いてあげるわ。言ってみなさい」
いらいらしてスミレは言った。
「な、何をえらそうに!貴方、自分の身の上を分かっているの?平民でしょう?」
「貴方こそ何を言っているのよ。平民だったのはもう3年も前よ。その後マイアス子爵令嬢になり、今はクロイツ公爵夫人なのだけど?偉そうじゃなくて、事実、身分では貴方より偉いのよ」
「公爵夫人が聞いて呆れるわ!その平民の様な格好は何よ?自覚がないにも程があるわよ。下町でカフェを営むなんて下級貴族でもしないわ」
「カフェ経営はクロイツ公爵閣下との契約よ。平民の様とは言うけど、閣下が見繕って仕立てた衣装よ。きっと貴方の普段着よりは上等だわ。私のカフェは、皇室御用達のマイアス商会が営んでいるカフェを引き継いだのよ」
「〜っ!埒が明かないわ!お前、あの女を連れて来なさい!ゆっくり分からせてやるのよ。殿下と結婚だなんて分不相応な事だと」
(何故結婚後に煩く言うのかしら?前に言えばいいものを)
躊躇している侍従に令嬢たちは更に喚いた。
「ほら、早くしなさい」
「平民の女なんて殿下は本気ではないわ」
「連れて来るだけでいいのだから!」
1人の侍従がしぶしぶスミレに近付く。身分社会だから仕方ないか···とスミレが諦めた時に、低い声が響いた。
「少しでも触れば腕を切り落とすぞ」
どすの利いた声に振り向くと、見覚えのあるアッシュブロンドの髪に冷たく光る蒼い瞳。声をかけるのを躊躇うほど冷ややかに令嬢達を見据えるアイゼンハルトが立っていた。
「ハルト」
「すまないなスミレ。こう何度も続くとは···私の信用はもう取り戻せないだろうな?」
スミレの後ろに控えた護衛の顔色も悪い。
「えっと、護衛騎士さん達はしっかりやってくれてたから、そんなに怒らないであげてね」
「それは約束出来ない。――さて」
アイゼンハルトは令嬢たちに向き直った。
「君は、リベル・アシュクロフト伯爵令嬢に、アイリーン・ロベルタ伯爵令嬢。リーリア・レグナール侯爵令嬢か」
名を呼ばれた令嬢達は顔を赤らめた。
「私達の事を覚えてらしたのですね。嬉しいです殿下」
アイゼンハルトは冷ややかに嗤った。
「ええ。私は一度お会いした方を忘れません。ですがレディ達は私の事を覚えていらっしゃらないのですね」
1人の令嬢が慌てて言った。
「あ···!閣下。申し訳ありません」
アイゼンハルトはスミレの護衛の騎士に近付き、低い声で言った。
「3人すぐに連れて来い。時間をかけるな」
そしてスミレに自分の上着をかけてエスコートの手を差し出す。
「少し時間がかかりそうだ。場所を移そう」
「え?ハルト。私はサザーランド夫人と····」
「サザーランド夫人は今日来れないそうだよ。それを伝える為に君を探してたんだ」
「そうなの···」
気を落とすスミレにアイゼンハルトはニヤリと嗤って言った。
「時間が出来たから、このレディ達には見せしめになってもらおう」
悪い微笑みを称えた夫を見て、令嬢達に同情した。
❉❉❉❉❉❉
アイゼンハルトはレストランを貸し切った。窓の外に視線を落とし、待ち人を待つ。
スミレは着替えが終わると、騎士に案内されアイゼンハルトが待つ部屋に向かう。扉を開けると異様な光景が広がっている。
長いテーブルに椅子が五つ。3人の令嬢は立いっているし、アイゼンハルトも座らずに外を眺めている。
スミレに気付くと、アイゼンハルトは笑顔で迎えに来た。
「やぁ。先ほどの服も魅力的だったけど、ドレス姿も美しいね。さあこっちにおいで」
「うん····彼女達は座らないの?」
「ああ。彼女達の席はない」
「ーッ!アイゼンハルト様···」
1人の令嬢が痺れを切らしたのか口を開く。アイゼンハルトは一瞥して黙らせた。
「名前を呼ぶ許可は与えていないよ。ああ。ちょうど着いたようだ。君たちのお父上が」
数人が廊下を早歩きで駆けてくる音がする。
扉を開けていたので、彼らは部屋に入るなり絶句した。
「かっ···、閣下!うちの娘が何か失礼でも」
「まあ座れ。レグナール侯爵」
アイゼンハルトが言うと、3人のレディ達の父親は大人しく席に着いた。令嬢たちは震えながら父の後ろに立った。
「貴殿たちを呼んだのは、他でもない私の愛する妻をそなたらの娘に侮辱されたからだ。子の不始末、親のそなた達に責任を取ってもらおう」
「そんなっ···!」
すぐに口を開いたのはロベルタ伯爵令嬢だ。3人の中で一番年若く見える。
ロベルタ伯爵はすぐに娘を諫めた。
「アイリーン。黙りなさい。閣下、もう少し詳しくご説明願えますか?」
「何故だ?何故私がせねばならない。娘が当事者だ。娘に聞きなさい」
アイゼンハルトもぴしゃりと言った。
アイリーン・ロベルタは恐る恐る口を開く。
「わ、わたくし達はクロイツ公爵夫人がお一人で歩いていたので、お引き止めしただけでございます···」
スミレはぽかんと口を開けた。
(あ、呆れた。どうしてすぐにバレる嘘を?)
「フハハッ」
隣でアイゼンハルトが魔王の様に笑う。顔を覆った手を下げると、顔も魔王の様な表情だ。スミレはサッと顔を逸らした。
「私が聞いた報告と違うな?ロベルタ伯爵。確か皇族への虚偽報告はどんな罰だったかな?鞭打ち500?手首の切断?」
「か、閣下!」
ロベルタ伯爵の顔が蒼白になり、令嬢はかくりと膝が折れ座り込んだ。
「冗談だ。伯爵も知ってのとおり、今は皇族ではないからな」
アイゼンハルトは冷たく見据えたまま、口角だけ上げて言った。
「だが虚偽の証言は看過出来ないな。ロベルタ令嬢、君はもう口を開くな。それで?誰が私の妻の美しいピンクブラウンの髪を掴み、引っ張ったのだ?」
もう誰も口を開けない。スミレは小さくため息を吐く。
「閣下、もう良いのです。私もその方の手を叩きましたし、これ以上は問いません」
咄嗟にレグナール侯爵令嬢が赤みを帯びた手を抑えた。
空色の瞳が冷たく光る。
「我が妻は優しいな。レグナール侯爵。慈悲深い妻に感謝するように」
「はい···ありがとうございます」
アイゼンハルトは長い足を組み直し、優雅に手を顎に添える。
「侯爵、ロベルタ伯爵もアシュクロフトも聞いてくれ。君達に限らず、私が彼女をクロイツへ招き入れた理由を無駄に勘繰っているようだが、全て見当違いだ。マイアス商会との癒着もないし、マイアス子爵子息を宰相に推薦する思惑もない。見当違いな所で勘繰って余計な事をするのは止めてくれ」
(マイアス子爵子息を?そんな噂があったの?確かに彼は優秀だけど···)
マイアス子爵家は子爵自身もそうだが、子供たちも有能であらゆる分野で頭角を現している。そこに王弟であったアイゼンハルトと関係のあるスミレが養女として加わった事により、上級貴族達は危機感を感じたようだ。
「――はぁ」
なんにしても、貴族のしがらみは面倒が多そうだな、とスミレは他人事のようにため息を吐いた。
横で優雅に足を組んでいたアイゼンハルトはスミレのため息にびくりと身体を揺らす。
「もう帰っていい。令嬢たちにしっかりと言い聞かせるように。二度目はない」
アイゼンハルトがそう言うと、伯爵達は娘を連れてそそくさと部屋を出た。
視線を感じ、スミレが横を向くと縋るような目でアイゼンハルトが見つめている。
(さっき貴族たちに凄みを効かせていた人物と同じ人なの?)
捨てられる子犬のような目だ。
「なに?ハルトには怒ってないわよ?」
「この生活にうんざりしたか?お前が辟易して去ってしまうのではないかと気が気ではない」
「·······」
「出ていかないよな?」
泣きそうだ。スミレはふふっと微笑う。
「行かないわよ。確かにあんまり言ってないけど、私はハルトが好きなのよ?」
アイゼンハルトはスミレを抱きしめる。
「俺のどこが好き?」
「顔」
「·········この顔に産まれた事に感謝しないとな」
「あと、優しい所と、責任感があるところと、私を好きなところ」
腕の力が強くなる。
「――はぁ。小悪魔め」
2人は唇が合わさる距離で愛を語り、にっこり微笑ってキスをした。
元皇族と平民なのだから、私たちの結婚が恋愛結婚以外ないでしょう?
読んでいただきありがとうございます。
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