ヒーローってかっこいいよな
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
1 宣戦布告
「~♪~~♪」
アメリカ、ケンタッキー州、リッチモンド。その郊外。公道から外れ、車で数時間、木々が生い茂る森の中をかすかに残った轍を頼りに進むと着く、誰も知らないような場所。少し切り開かれた空間にポツンと建てられた小さい家、その隣には主な移動手段であろう古びたトラックが置いてある。
人の気配も、動物の気配もない。聞こえるのは風が草木を揺らす音だけ。のはずだったが、一つだけ、場違いで陽気な鼻歌が聞こえてくる。
「あっれ~?ここにいるって聞いてたんだけどなぁ。もしかして、連絡ミス?」
声の主は十代後半の女。細身の白人で自慢の白髪は肩の少し上で切りそろえられている。ぶかぶかのジャージを着て前を全開にし、露出度の高い服が露になっている。女はジャージのポッケからスマホを取り出し、メールを確認しようとする。
「げ、ここ圏外じゃん。現代人からスマホ取り上げたら何もできなくなるでしょうが!」
「落ち着け、ベッキー」
女の後ろから、もう一人女が出てくる。こちらも十代後半の女。長い黒髪を後ろで一つに結わえ、白の着物を着て、左の腰に刀を携えている。
「そこを見ろ、車がある。標的が乗っていたものだ。ナンバーもあっている。恐らく家の中にいるはずだ」
「あ、ほんとじゃん。いや、メグミってば相変わらず目と記憶力がいいな。羨ましいよ」
ベッキーと呼ばれた女はメグミと呼んだ女に軽く手を振る。そして、家に振り返り、『どこから』か取り出したRPG―7を向ける。
「じゃ、あいさつ代わりに一発……」
「待て、ベッキー」
「ぐえっ」
メグミはジャージの襟を掴んで後ろに引き、踵に足をかけてベッキーをこかす。されるがまま尻もちをつかされ、痛そうに尻を擦りながら、ベッキーはメグミを睨む。
「いった~。何? いきなり」
「ここは市街ではないんだ。人が少ないなら、巻き込む人間はなるべく少なく済ませようと。ここに来る前に決めたはずだが?」
「えぇ? そうだったっけなぁ?」
ふいっと目を逸らし、ベッキーは愛用の兵器をそっとしまう。
「……ベッキー」
「あーハイハイ。あたしが悪かったよ。『スミマセン』。これでいい?」
メグミは覚えたばかりの日本語を使うベッキーに向かってため息をつき、軽く流す。
「攻撃するのは、標的が確認でき、尚且つ周りに誰もいない時だ」
「……あのさぁ、」
ベッキーは不満げな声で話しかける。
「なんだ,ベッキ———」
「そんなんだから敵に逃げられるんだよ! 前に慎重すぎて敵に逃げられて、十三時間も追いかけるはめになったの忘れてないからな!」
「うっ、それは……」
メグミは痛いところを付かれて、後ろに仰け反るが何とか体を起こして反撃する。
「それを言うなら貴様だって、先走り過ぎて、人の密集した路上で爆殺したではないか! あの時少なくとも爆発だけで十五人、パニックで車に轢かれたものを含めると二十人以上は死んだんだぞ!」
「うっ……あれはあたしも反省してるって、でもあそこにいたのほとんど犯罪者ばっかだったし」
痴話喧嘩、もとい言い争いをしていると、家の玄関から高速で、二人のいる方向めがけて何かが飛んでいく。
「はぁ⁉」
それに気づいた二人は、互いを突き飛ばし、その何かを回避する。
回避された投擲物は慣性に従って木々を二、三本なぎ倒し、地面をえぐって止まる。
二人は咄嗟に家の玄関に目を向ける。玄関は開いており、身長百九十センチを超える大柄の老人が一人、外へ出てきていた。
メグミは振り返り、飛んできた何かを見る。二人の頭を吹き飛ばさんとし、木々をなぎ倒していったのは、斧だった。持ち手が短く、刃が大きい、薪割り用の斧にしては少し殺意が高すぎる。
「……その顔に、この怪力、間違いない。貴様が、ヨーゼフ・フォン・ショップスだな」
そう言って、メグミは取り出した帯で、たすき掛けをして袖まくりする。
「なんじゃ? お主ら、わしを知っておったのか。てっきり、町の悪ガキが肝試しに悪戯でもしに来たのかと思ったわ」
「……これが、ガキにすることかよ?」
ベッキーが老人に引き気味に言う。
「罰とは、痛みを伴うものでなければ意味がないからな」
ヨーゼフはそう言い、自身の顎に蓄えた髭を撫で、さっき投げた斧と同じものを取り出す。ベッキーはヨーゼフを睨み舌打ちをする。
「キャプテンと同じ経歴なのに、こんなに違う結果になるもんなんだな。とんだ解釈違いだ」
「ベッキー。確かにキャプテンアメリカとヨーゼフは同じく人体改造されていて、第二次世界大戦にも参加していたが、彼はアメリカ人で、奴はドイツ人だ。立っている立場が違う」
メグミの言葉に、老人は軽く目を開く。
「驚いたな。まさかそこまで調べていたとは、だんだんと興味が沸いてきたわ。お主ら、名は何という?」
二人は少し言葉に詰まる。標的の老人がここまでフレンドリーに話しかけてくとは思っていなかったからだ。少しの沈黙の後、ベッキーがぶかぶかのジャージの裾をスカートのように少し持ち上げ、片足を引き、背筋は伸ばしたまま腰を少し下げる。
「地球防衛軍、軍事司令本部、参謀。ベッキー・セメノビッチ。気軽に、ベッキーって呼んでくれ」
「……地球防衛軍?」
「なんだベッキー、いつの間にそんな組織に入っていたんだ?」
ベッキーの名乗りに、首をかしげる二人。そして自分の名乗りに誇らしげなベッキー。
「こういうのは、ノリと勢いっていうだろ? いやぁ、一回名乗ってみたかったんだよな、地球防衛軍」
「奴に、その手のネタはわからないのではないか?地球防衛軍は日本発祥で、しかもマイナーよりだろう」
「……いいだろ、好きなんだから。はい、次メグミな」
横槍を刺され不機嫌になったベッキーは、投げやりにメグミを指差す。
「そうだな……」
メグミは、少し考えた後。
「海軍本部、大将、霧めぐみだ。特技は人体の切断と着付け、最近は漬物を作るのにはまっている」
「途中から、普通の自己紹介になったよ」
「海軍本部……ワンピースか」
「ワンピースはわかんのかよ」
「伝わった……!」
「喜ぶな! 敵だぞ」
二人のやり取りに辟易したベッキーはガクッと項垂れる。せっかく張り切って来たのに、出鼻をくじかれた気分だ。
「日本人と……フィンランド人か?」
「残念。あたしはロシア人」
「ロシア人と日本人……? ハハ、おかしな組み合わせだな」
「誰かの言葉を借りるわけじゃないけど、友情は国境を越える物なんだよ」
「フッ、それで、お主らは一体わしに何の用があって来たんじゃ?」
そうだったと、ベッキーはヨーゼフの質問で自分たちが何をしにここまで来たのかを思い出す。
「ヨーゼフ・フォン・ショップス。ナチス政府の政策に関与した容疑で極秘指名手配されている。DEAD OR ALIVE 『生死は問わない』だ」
「………ほう。つまり?」
質問に答えるように、メグミはヨーゼフの前から搔き消え、次の瞬間にはヨーゼフに切りかかっていた。ヨーゼフはそれをこともなげに斧で受け止める。
「その首、ここに置いていけ」
2 恋バナ
「首だけ置いてくなら、生かして返してやってもいいぜ」
「……? 人は頭がなければ生きていけないだろう」
「………」
冗談めかして言ったことに、馬鹿真面目に答えるメグミに呆れて、ベッキーは何も言えなかった。
依然として切りあっている二人に向かって、ベッキーはハンドガンで、横槍を刺す。
「お前って、日本のアニメとか見るのか?」
「いや、ほとんど見ないな。わしは専ら、アメリカ映画じゃ。ワンピースはたまたま知っとっただけじゃ」
放たれた弾は、真っ直ぐとヨーゼフだけに向かって飛んでいく。しかし、弾はヨーゼフの皮膚に当たった瞬間、何か硬いものにぶつかったときのように軽く火花を散らしてはじかれる。
「まじかよ。キャプテンでも弾は効いてたぞ」
「ふん、ならわしはキャプテンアメリカよりも強いということじゃな」
「ふざけんな! キャプテンはお前の百倍は強いわ! あと、お前みたいに老人でもないからな!」
「ベッキー、キャプテンはエンドゲームで最後老人になっていただろう」
ベッキーがヨーゼフに向かって、どこからか取り出したマシンガンで掃射する。二人はそれぞれ飛んで距離を取るが、ヨーゼフは何発か被弾する。
「メグミ、どんな感じだ?」
「まずいな。まず力では勝てない。鍔迫り合いをした場合、一度の衝撃で刀ごと折られてこちらが致命傷を食らう。先ほどまで、気合で何とか受け流していたが、私がどう流しても、すぐ切り替えしてきて、隙ができない。これが、人体改造による産物なのか、それとも単に戦闘経験の差なのかはわからないが、ベッキーが間に入ってくれなかったら危なかった。そっちはどうだった?」
「こっちも結構やばい。ハンドガンは反応してるけど、フル無視してる。マシンガンは一応よけてるし、出血もしてるけど、皮膚を薄く破ってるだけだな。しかも、もう傷ふさがってるし。キャプテンアメリカってより、ウルヴァリンと戦ってる気分だ。とにかく———」
「わしの攻略方法は決まったか?」
ベッキーの足元に斧が高速で飛来する。
「囮交代だ!」
「わかった」
ベッキーは横に走って斧を避け、ヨーゼフに向かってサブマシンガンを掃射する。ヨーゼフは一足目で斧を取り、二足目でベッキーを追いかけに走っていた。
「はっや⁉」
「そういえば、お主はキャプテン、キャプテンとよく口にしているが、そんなに好きなのか?」
「ああっ、そうっ、だよっ。あんなっ、正義漢っ、そうそうっ、いないからなっ」
ヨーゼフの猛攻を避けながら、ベッキーは答える。
「そんでっ、同じくっ、人体改造っ、受けてっ、第二次っ、世界大戦っ、行ってたって聞いたらっ、そりゃ期待するでしょっ!」
「ぬ⁉」
ヨーゼフの顔面に向かって、至近距離からショットガンを放つ。
弾のほとんどは咄嗟に反応したヨーゼフの手によって防がれたが、一発だけ右目に被弾する。弾ははじかれることなくヨーゼフの目を潰す。ヨーゼフが仰け反った隙にベッキーは置き見上げを残し距離を取る。
ヨーゼフは残った左目で、何が落ちたのかを確認する。それは、ピンの外れた手榴弾だった。
「ぐああ!」
爆発をもろに食らい、黒焦げになったヨーゼフに向かってベッキーは先ほど撃ち仕損じたロケットランチャーを向ける。
「ワイスピ然り、トランスフォーマー然り、やっぱり映画って、ど派手なアクションと、もっとド派手な爆発がないと面白くないよな!」
そう言って、引き金を引く。放たれた榴弾は、ぶれることなくヨーゼフに向かって飛んでいき、爆発する。響く轟音と揺れる大地、立ち上る黒煙。しかし、標的は依然として立っている。
そこに迫る、一つの影。一瞬の隙も与えない。相手の思考が終わる前にとどめを刺す。白銀の刃がヨーゼフの首を落とす、その瞬間———。
「ぐっ⁉」
黒煙から伸びた手が、刀を持っている手を掴み力任せに放り投げる。
回る天地と、揺れる脳。地上百数十メートル。高く飛び上がったメグミにはどこが地面かもわからない。そして、重力に従い落下し始める。
「メグミ!」
あの高さから落ちれば、軽傷どころでは済まない。ベッキーはメグミの落下地点に向かって走り出す。
「わしから、目を離したな」
「———⁉」
メグミに気を取られ過ぎていて、横から迫るヨーゼフに気づかなかった。ベッキーは咄嗟に左側頭部を守る。しかし、狙いは違った。ヨーゼフの拳がベッキーの左脇腹に入り、吹き飛ばされる。
「ヴッ」
水きりの要領で数回はね、地面を転がり、土と口から零れた血が水着とジャージを汚す。
時を同じくして、メグミが地面に落ちる音が耳に入り、そこでようやく、ヨーゼフは膝をつく。
「はぁ……あぁ……」
服は吹き飛び、右目は潰れ、左半身の皮膚が焼け爛れている。こんな窮地に陥るのは戦時中でもなかったことだ。ヨーゼフは今までにない疲労感と共に、大きくため息をつく。
この傷の回復にはしばらく時間を要するだろう。ヨーゼフは、血生臭い空気を吐き出し、新鮮な空気を肺に入れようとした瞬間、ヨーゼフの背中を一閃、横に切り裂く閃光が目に映る。
「んっ⁉」
「はっ、やはり刀は効くようだな」
ぼろぼろの着物を脱いで、さらしを露にしたメグミが、頭から血を流しながら、刀に着いた血を掃う。
「お主、あれだけの高さから落ちて、どうやって無事で済んだのだ」
ヨーゼフの問いにメグミはなぜか自慢げに答える。
「正確に言うと無事ではないが、簡単なことだ。受け身というものがあるだろう。それで、こう上手いことやれば、この通り軽傷で済むわけだ」
「……まったく。限度というものがあるだろう。そこで死んでおけばいいものを、わざわざ、最後まで苦しみに来るというのは、キャプテンアメリカ好きには碌なのがいないのか?」
呆れたヨーゼフはメグミに向き直る。不意打ちはもうできない。
「残念だが、私が好きなのはアイアンマンだ。あと、私はわざわざお前に殺されに来たわけではない。お前を殺すために来たんだ。それに、お前こそどうした?」
メグミはヨーゼフを嗤うように手で口元を隠す。
「あの時、空へ投げす地面に叩きつけておけば、私は受け身を取る暇もなく、全身の骨が砕け散っていた。ベッキーにも拳でなく、その斧で切っていれば、真っ二つになっていただろう。随分と余裕がないように見えたが?」
「チッ。今更、お主一人で何が出来る」
ヨーゼフは斧を振り上げ、メグミを狙う。
「どうやら、老いると記憶力すらも衰えてしまうようだ。私たちが何人で来たのかも忘れているらしい」
斧を振り下ろす瞬間、一発の銃声が空に響き渡る。
放たれた弾丸は、正確にヨーゼフの手の甲に当たり、貫く。
「⁉」
「よっしゃ、効いた! 一か八かだったけど、どうやら、徹甲弾は効くみたいだな」
地面に転がっていたはずのベッキーは、大型の対物ライフルを構え、ガッツポーズしていた。
ヨーゼフはジャンプしてメグミから距離を取る。
「……急所を外していたか。まったくしぶといのぅ。シビル・ウォーで、キャプテンアメリカとウィンターソルジャーにボコボコにされるアイアンマンの気分じゃ」
「照れるぜ」
敵の台詞に頬を赤くする相棒をメグミは冷たく見る。
「いや、別に褒めてはないだろう」
幕間1 記録資料『ベッキー・セメノビッチ』
あたしは、生まれた瞬間親に捨てられた。だから、親の顔も名前も知らない。捨てた理由はわからない、きっと育てる金も降ろす金も、頼るつてもないかわいそうな女が生んだんだろう。恨みはしないさ。
あたしを育てたのはホームレスのじいさんだった。名前は……忘れたけど、今でも顔は覚えてる。やり手の優しいじいさんだった。じいさんは、あたしにベッキーという名前とじいさん自身の苗字を付けでくれた。それに、少ない食べ物を小さいあたしに分け与えてくれた。ミルクとか離乳食とか入ってたのを今思えば、あれはきっと盗んできたもんだったんだろうな。損する性格してるぜまったく。
そんなじいさんも、あたしが十二歳の時に死んだ。手に入れた食べ物をあたしと暮らしてる住処に持って帰ろうとしたところ、同じホームレスに奪われそうになって、抵抗した挙句、撲殺。というのが事の顛末だ。なんてことはない。少し前のロシアだったらよくあったことだ。あたしも悲しかったが、別にそれだけだった。あの時のあたしには、それしかできることがなかったんだ。復讐に行ったところで、返り討ちにあって終わり。これが現実。
じいさんが死んでから、あたしも物を盗んで暮らした。じいさんは嫌がっていたが、物の盗み方を教わっていてよかった。金持ち、貧乏。盗める奴、できない奴。高いもの、安いもの。高く買い取ってくれる店、安く買い叩かれる店。いろんなものの目利きを教えてくれた。それでも、冬を乗り切るのはきつかった。十年以上も、二人分の食費を盗みだけで稼いでいたじいさんの手腕がうかがえるな。
十四歳で体を売った。冬を盗みで凌ぐのは限界だと思ったからだ。今まで暖を取るために潜んでた穴場の飲食店が不景気の影響で潰れて、いよいよ冬に殺されそうになったのが大きい。不景気の影響は店だけにとどまらず、市民自体が金目の物を持ち歩かなくなったおかげで、盗みの実入りが下がって、質屋も買い取ってくれないことが増えた。体を売るのに抵抗がないわけではなかったが、稼げるなら別にいいと思った。
体を売って、まず思ったことは「めちゃくちゃ簡単に稼げる!」だった。あたしが必至こいて盗んだ金数十回分を、一度寝ただけで稼ぐことができた。これだけあれば、数週間は何もしなくても生きていけるだろって額だ。どうやら、あたしみたいにガリガリで華奢なガキには、一定の需要があるらしい。その時は、もっと早く気づいてれば、今よりも、もっと高値がついて、じいさんごと養えたかもしれないし、死ぬことだってなかったかもしれない。じいさんは、何でこのことをあたしに教えてくれなかったんだ? 幼女趣味の特殊性癖者。こういうのを日本じゃ『ロリコン』って言うんだろ?
とにかく、あたしの体は割と高値で売れた。何回か繰り返して、金に余裕が出てきたとき、初めで銃を買った。もちろんロシアは銃規制の国。一般人は銃を持てないから、客から教えてもらった方法で買った。
十五歳で、初めて人を殺した。理由は、客とのトラブル。あたしと何十回も寝た客が、金が払えないが一晩付き合ってくれと言ってきた。そりゃ、ほぼ毎日、毎晩、あたしを買ってたんだ、無くならない金の方がおかしい。
あたしは、そりゃ断ったよ。そしたら、そいつ、逆上してあたしをレイプしようとしたんだ。あたしは咄嗟に背中に隠してた銃を取って客を撃ち殺した。
その場のあたしを示す証拠は残さないように消したつもりだったんだが、殺した場所がいつも使ってたホテルってのが悪かった。ほんの二、三日で警察に見つかって、あたしは逮捕された。罪状は、殺人に売春、銃の不法所持。
問題はそこから。普通ならば、あたしが未成年ってことを加味しても、懲役十五年は固いところだったが、あたしは生まれた時に捨てられたおかげで、出産届も住所も登録されておらず、あるのはベッキーという名前(自称)のみ。
戸籍が確認できないので、判決を先延ばしにされること半年、あたしが拘留されている留置所に一人の男が入ってくる。四十後半ほどの男で、高そうな服と高そうなズボン、高そうな手袋に高そうな帽子、高そうな腕時計に高そうな杖。全身が高そうな物で包まれたスーツの男。胡散臭い、いかにも狡猾なイギリス人っぽい風貌の男だった。
いつもなら、腕時計の一つでも盗んでやろうとするのだが、そんな気は起きない。あたしの本能が、こいつに手を出してはいけないと全力でアラートを鳴らしているからだ。
そんなあたしの感情を知ってか知らずか、男は常に薄気味悪い笑みを浮かべていた。
ロシア語でサイモンと名乗った。ファミリーネ―ムは難しくて忘れたが、なんかこう、盗む系の名前だったような気がする。男はあたしの牢を開け、手を差し伸べて来た。
初め、その男が言いていることが理解できなかった。そいつはあたしの知らない間に、身元引受人として現れ、勝手に釈放の手続きをしてきたのだという。売春や銃の件はともかく、殺人は金で解決できる問題ではないだろ、と後で聞いてみたら、警察の中にあたしの客がいたらしい。そいつを少し脅して、調書と証拠の一部を改竄させ、正当防衛が認められるようにしたと、サイモンは言っていた。いや、何であたしの客知ってんだよ。あたし帳簿どころか客の名前も聞かないでやってたんだぞ。
サイモンはあたしが思っていたよりも、大金持ちだった。留置所を出た瞬間、黒塗りの高級車が出迎え、そのまま飛行場へ、そしてそのまま検問にもゲートにも通ることなく飛行機に乗り込み、離陸する。乗ったのは、サイモンの自家用ジェットだった。飛行機に乗っている間、サイモンは何か語っていたが、空を飛ぶのが初めてだったあたしは、今まで過ごしていた町が段々と小さくなっていくのに大興奮でよく話を聞いてなかった。
飛行機は、あたしをどこかの小さな島まで運んでいった。その島は男の所有物で、あたしと似たような感じの子供が他に十人位いた。メグミともそこで出会った。
サイモンは言った。ヒーローを作りたいと、この世に蔓延る悪を根絶させたいと、あたしたちはヒーローになるために集められた選ばれし存在だと。
何言ってんだこいつ、と思っとが、すぐにサイモンの言っていることがマジだとわかった。
案内された島の地下は、とんでもなく広大だった。見たこともない機械に見たこともない武器、見たこともない施設。当時のあたしの知識と語彙力では、その空間の異様さは言い表せなかった。その空間に統一感というものは存在しなかった。近未来的な武器の隣には現代兵器っぽい物が置いてあって、そのまた隣には、これまた前時代的な投擲武器が置いてあったりした。例えると、スターク・タワーとヒドラの研究施設とアスガルドの文明を鍋に入れてかき混ぜた感じだ。
あたしたちはそこで四年過ごした。サイモンは、四年の間であたしたちにいろいろ教え込んだ。算術や歴史社会、理科などの一般教養に加え、人体の構造と機能、体術に銃器の扱い、大量の武器を服の中に隠す方法もその時に教わった。
島は居心地がすごくよかった。施設内は、常に空調が効いていて年中半袖半ズボンでも快適に過ごせる。食べ物も、買う必要も盗む必要もない。食堂で、好きなものを好きなだけ食べられた。訓練自体は地獄のようにきつくて、一歩間違えれば死にかねなかったが、寒くないのと、食うものに困らないだけで、あたしは全然耐えられた。
言語習得のためにいろんな国の映画を見せられた。そこで初めてヒーローの存在を知った。人々を守るため、己の命を顧みず敵の前に立つ。かっこいいじゃねぇか。サイモンの言ってることが、この時なんとなくわかった。
あたしたちの世界にも、キャプテンみたいなヒーローがいてくれたら、じいさんだって死ぬこともなったんじゃないかって、おかしなことを考えてた時期もあった。……わかってるさ、じいさんはアメリカじゃなくてロシアで死んで、大悪党に撃ち殺されたんじゃなくて、そこら辺のチンピラに殴り殺されたんだって。
別に憧れはしなかったが、なれるもんならなってみたいと思った。
あと、見た映画で一番面白かったのがアメリカ映画、一番眠たくなったのがフランス映画、一番笑ったのがインド映画だった。日本はアニメとゲーム以外パッとしなかったな。
四年たって、島を出る時、メグミとチームを組まされた。ヒーローは基本一人で活動するもんだって映画で学んでたから、サイモンに文句言ってやったら、何回かペアで仕事をして、互いに単独でも任務を遂行できると判断出来たらペアを解消してもいいと言ってきた。
サイモンの言っていることにも一理あったし、あたしはメグミとペアを組んだ。
そして、ヨーゼフを殺す任務があたしたちがペアでやる最後の任務。この任務が終われば、あたしたちは一人で動くことになる。
だからせめて、後悔の無いように精いっぱい戦うよ。
3 破損
「徹甲弾とは、また珍しいもんを。一般人じゃまず手に入らん、輸出入だって厳しく監視されておる。アメリカじゃ、見つかった瞬間テロリストとして捕まるぞ」
ヨーゼフは撃たれた方の手を押さえながらしかめ面をベッキーに向ける。
「承知の上だ。実際、あんたには効いたし、持ってきてよか———ッ」
何事もなさそうにヨーゼフと会話していたベッキーが唐突に吐血し、膝をつく。相手に余裕がなかったとはいえ、斧を投げただけで木をなぎ倒せる人間のパンチを食らったのだ、無事でいる方がおかしい。
「やはり、重症ではないか。ベッキー、けがの状態は? まだ動けるか」
メグミはベッキーに駆け寄り、ヨーゼフに聞こえないように話しかける。
「左側の肋骨が、全部折れてるだけ。内臓自体に損傷はない。ダイジョブ、動けはする」
丈夫に生んでくれた親に感謝したいよ、とベッキーは軽口を叩く余裕を見せる。
「それより、メグミの方こそ大丈夫か? 歩き方と手の振り方が変だぞ」
「着地の時、左腕と左脹脛の骨にひびが入っただけだ。安心しろ、利き手利き足ではないし、動きに支障はない」
「そんなんで済むなら、あたし別に走りに行かなくてもよかったんじゃないか?」
「何を言う。ピンチの友を助けに行くのは、友として当たり前の行動ではないか」
あっそ、と適当に流し、ベッキーは重い足取りでメグミから離れる。
「作戦は最初ので、あとは臨機応変によろしく」
「つまり、いつも通りということだな」
メグミが前衛で敵を抱え、ベッキーが後衛で敵を突きつつ、攻略法を探っていくのがここ数回の任務で二人が確立した戦法だった。
メグミは刀の切っ先をヨーゼフに向け、その幾百の戦場を勝ち上がってきた肉体に目を据える。
「なんじゃ、ここまでやられておいて、まだわしと殺り合う気か?」
ヨーゼフは余裕を取り戻したのか、毅然とした態度で答える。
「貴様こそ、とうとう考えることをやめたか? 先ほどつけられた傷で、自身の現状もわからんとは、人間は老いるに老いると、出荷直前で考えることをやめた鶏のようになってしまうのだな」
「その傷じゃが、お主らが数刻駄弁っているうちにもうほとんど回復してしまったわい」
確認すると、確かにヨーゼフが負っていたはずの皮膚の炎症、背中の刀傷、手の甲の風穴がほとんど塞がっていた。
「そんなことでは、私たちが屈する理由にはならないな。貴様に、インフィニティ・ウォーのサノスほどのどうしようもない感はない。それに———」
潰れた右目だけは回復していない。
「やはり、頭が弱点か」
初めに首を切り落とそうとしたのは正解だった、とメグミは笑う。
「……わからんのぅ。なぜお主らは、そう死に急ぐ。お主らはまだ若い。しかも、お主に至っては日本という先進国で、比較的治安もいい。なぜ、殺しという危うく険しい道に入った?」
ヨーゼフは純粋な疑問をぶつける。昔とは違い、今は大きな戦争もしていない。選択の余地があるのだ。わざわざ、自身の命をも危うくさせる道を行くのか、ヨーゼフにはわからなかった。
「貴様に語ることは何もない」
メグミは、至って落ち着いた、冷たい声で答える。
「私は、自分の生い立ちをわざわざ敵に語ってやるほどありきたりな、優しい主人公ではないからな。……まあ、一つ言うことがあるとするなら、貴様が思っているより、今と昔はそう変わっていないということだ」
「そうか」
それだけ言って、二人はまた打ち合い始める。互いの刃を、受け止め、受け流し、躱し、掠り、弾く。互いに引かぬ攻防戦。紙一枚、薄皮一枚で生死が決まる、肉薄するという言葉がぴったりなぶつかり合い。そんな中に、一発。メグミの数十メートル後方から迫った一発の銃弾が、ヨーゼフの脹脛を正確に貫通する。
「⁉」
まるで、大時化の中、船の上で数百メートル先の四方四十センチの的に当てるような神業。常に激しく不規則に動き回る戦場で、狙い通りに狙撃できるのは、天才的な狙撃のセンスと、ここぞというときに発動する豪運、そして、絶対に当たるという確信を持って引き金を引く圧倒的な度胸。どれか一つでもかけでいれば、当たっていたのはメグミの方だっただろう。
怯んだヨーゼフの隙をついてメグミは刀を振るうが、ヨーゼフは踏ん張ることなく流れるままに倒れ、刀を躱す。判断が早いのは、メグミの方だった。振るった刀は、ヨーゼフの左耳と左側頭部の皮膚をそぎ落とし、首を取る一歩手前まで行った。
ヨーゼフは、倒れた勢いを元に、ハンドスプリングの要領で後ろに飛び、メグミの追撃を回避する。
「チッ」
メグミは追撃を外したことに舌打ちをし、刀に着いた血を掃う。
「舌打ちを打ちたいのはこちらの方じゃ。まったく、危ない橋を渡りおって。もし弾がお主の方に当たっておったら、どうするつもりじゃった」
「ベッキーの弾が私に当たるなど、想像もしたことがないな。そうだな。もし当たったとしても、その時はお互い地獄で罵り合うとするよ」
左耳の失血を感じながら、ヨーゼフは目の前の少女たちに違和感を覚える。自分の命が軽すぎるのだ。死ぬことが当たり前の世界で生きてきたヨーゼフは、戦場で生きるために武器を振るってきた。生きるために銃を撃った。生きるために敵を殺した。しかし、彼女たちは違う。自身の命を顧みない、殺しを目的とした、殺すための殺し。しかし、その割には互いの命を心配していたりと、綻びのような矛盾もある。
気味が悪いな。ヨーゼフは、口にはしないがそう思った。同時に、この少女たちをこんな不完全な殺人兵器に仕立て上げた人間に興味が沸いた。人体改造はしていないものの、限りなく近い形で鍛え上げられている。しかし、インプラントを埋め込んでいるわけでも、特殊スーツを着ているわけでもない。ヨーゼフは、科学技術の発達に素直に感心する。
ヨーゼフ自身、科学技術によって現在まで生き永らえ、全盛期とは言わないまでも、戦うことができている。自身と少女たちを比べていると、あのうさん臭い科学者の顔がヨーゼフの脳裏にちらつく。
「悲しいことよ。わしらは時代を変えるため、世界を変えるために戦っとったと言うのに、実際は何も変わっとらん。わしらが負けた意味も、仲間たちが散らした命も無に帰したというわけじゃ」
「頭を挿げ替えただけでは、何も変わらない。世界には、常に悪が手を差し伸べて人間が落ちてくるのを待っているのだからな」
「ではどう止める!」
ヨーゼフは斧を投げ、自身もメグミに向かって突進し始める。
「私たちが抑止力になればいい。私たちが悪に落ちた者を切り、悪に落ちる者を救う。そのために私たちがいるのだ」
メグミは斧を跳んで避け、迫りくるヨーゼフに刀を振り下ろす———刹那、ヨーゼフが腰から取り出したナイフの峰が刀を掴む(・・)。
「⁉」
そのナイフを見た瞬間、メグミの背筋に悪寒が走る。ソードブレイカー。主に、十六世紀から十七世紀に使われていた、その名の通り、細い剣を折るための古代の武器。ナイフの峰は凹凸が深くなっており、凸の部分には返しがついていて掴んだ剣を逃がさないようになっている。アイデアは画期的だったが実用性は低く、次第にすたれていった欠陥武器が、今回は遺憾なくその効果を発揮する。
ヨーゼフはナイフを刀ごと引っ張り、肘で刀の側面を打つ。縦の力には強い刀でも、横からの力にはめっぽう弱い。結果———。
キンッという甲高い金属音と共に、刀が半ばから折れる。
幕間2 記録資料『霧めぐみ』
私は、日本の長野県の山奥に立つ誰も知らない屋敷で生まれた。私の家、『霧家』は天皇が生まれた頃から存在する、天皇の懐刀。天皇の命だけに従い、天皇のために命を差し出す。……という設定で生まれたものの、為政者が貴族や武士、幕府になってからは、『霧』という家名は衰退し、大政奉還でやっと天皇主権に戻っても、その太刀は一度も振るわれることなく。その後、第二次世界大戦が始まり、一応、戦時中は工作員として活動していたものの、民主制になった後は、お飾りの天皇のお飾りの家来と成り果ててしまった。
お飾りと言っても、国内では『霧』の存在は秘匿中の秘匿だったのだ、今更世間に出て、どう生きていいかもわからず、大人の勝手な意地によって今も国所有の山奥に住み続けている。
私たちは、生まれても戸籍に登録されない。屋敷の敷地内で産まれ、その中で育つ。成人になるまでに一般教養を叩きこまれ、その後、仮の戸籍と苗字を与えられ、国家公務員、主に皇宮護衛官として天皇に使える。
私たちに戸籍がないのは昔からの名残で、明治初期に戸籍制度が明確化された時からずっと続いている。屋敷には大人子供を含め六十人ほどの人間が生活していて、外から養子を取って、家の者と子を作らせてなんとか家族として成立していた。
戸籍がないのと、成人まで一切外界と接してはならないこと以外はいたって普通の家だが、一つだけ、特筆すべき点がある。
それは、『霧』という苗字だ。『霧』は、家長だけが継ぐことが出来る名。
問題は、その襲名方法。家長は『霧家』で一番強いものに与えられる地位。この家では、互いの強さを剣によって決める。木刀ではなく真剣で、寸止めではなく本物の殺し合いを、どちらかが死ぬまで行う狂気に満ちた殺し合い。
参加条件は、十三歳を超えていて、尚且つ剣の才があること。性別は関係なく、女であろうとなかろうと、参加していれば容赦なく切りかかってくる。才のない者には、屋敷の家事をし、外界に出て皇宮護衛官として働くという役目が与えられていた。
死合いの申し込みは、下位の者が上位の者に挑む下剋上方式で、剣を持った直後から、家長に挑むことができる。位は初め年功序列として付けられるが、離れた順位の者を殺せば、その順位に繰り上がることができる。実際、私の父は二十五で家長になって、以来十五年間その座を守り抜いていた。
そんな中、生まれた私は四人兄弟の真ん中っ子だった。
木刀を持ったのは初めて歩いてすぐのことだった。真剣を持ったのは四歳の時。剣をまともに振ったのは五歳の時。打ち合いをしたのは六歳の時だった。
私には剣の才能があった。兄にも、姉にも、剣の才能があった。妹には、他と比べれば劣るものの、あると判断された。
私は、ただひたすらに剣を振り続けた。それしかすることがなかったからだ。たった二千坪の小さな世界は、私には退屈過ぎた。青い空を見上げるのも、蝶や小鳥を追いかけるのも、私は楽しいと感じなかった。剣を振っていた方がよほど面白い。
私の才能は、どうやら突出しているようだった。
十三になった冬、初めての死合いで一つ上の姉を殺した。
十四の夏には二つ上の兄を殺した。
十五の春には従兄を殺し、秋に叔父を殺し、そして、冬に家長である父を殺した。
……別に、殺したことには何とも思っていない。元々、妹以外とはそこまで仲良くはなかったからな。
私は、たった二年で『霧めぐみ』になった。母が私に家長なった事実を告げ、ひれ伏した。正直、気持ちが悪かった。姉を殺した時も、兄を殺した時も、いい気分ではなかった。努力が実った気も、強敵を打ち負かした気もしない。家族だったはずの人間を自身の手で殺めたのだ。そんな気が起こるはずもない。それに、今まで普通に接していたはずの母が父を殺した瞬間態度を急変させるのにも、強烈な嫌悪を覚えた。
そして、家長としての初めての仕事は、以外にもすぐやってきた。
妹が私に向かって剣を向けてきたのだ。二つ下の十三歳、ついこの間まで、私の背中をついてくるのがやっとだった、花を愛でるのが好きな心の優しい子で、一族の中では珍しく剣に興味がなかった。
そして、初めての死合いが家長。怪しく思い聞いてみると、やはり母が仕掛けたようだった。表では認めておきながら、裏で糸を引いて私を憎んでいる。今まで母のことは何とも思っていなかったが、この時初めて心底嫌いになった。憎んでもらうのは勝手にしてくれればいいが、妹を巻き込むのは間違っている。
妹は震えている。切っ先も震え、構えも甘い。これでは、構えているというより、ただ剣を持って突っ立っているのと同じだ。覚悟ができていない。まだ死ぬことが怖いということしか理解していないのだろう。
私は、妹に一太刀だけ浴びせ、医務室に運ばせた。結果として、妹の命は助かったものの、重症には変わりなく、一生消えることのない大きな傷をつけてしまった。
母は私を責めた。なぜ殺さなかったのかと。なぜ死合いのルールを破ったのかと。今からでも、妹にとどめを刺せと。それを聞いた時、私は無意識に刀を抜き、怒りのままに母を殺していた。
そこではたと気づく。この家は根底から間違っていると。この家は存在してはいけない。このまま妹をここに置いておけば、家の空気に飲み込まれて、再び剣を取り、危うい殺しの道に入ってしまう。
私はその日のうちに、家に住んでいた妹以外の人間、六十四人を切り殺した。弟を守るために一族を皆殺しにしたうちはイタチよろしく、女も乳飲み子も、家政婦も料理人も医者も区別なく殺した。逃げ回る者、悲鳴を上げてうずくまる者、腰を抜かして命乞いをする者、全員の首を跳ね飛ばした。
すべてが終わり、辺りに静寂が広がる頃には、私の服は返り血で真っ黒になっていた。
次の日、私が意識のない妹の看病をしつつ、庭に死体を埋めていると、四十代ほどの白人の男が一人、屋敷を訪ねてきた。ここは国有地で、一般人の立ち入りは禁止されているはずなのだが、男は悠然と、屋敷の門扉を開けた。
男は、黒のシルクハットにフロックコート、その下には白いシャツと蝶ネクタイ、少し明るい色のズボンをはいて、左手にはステッキを持っていた。二十世紀前半ならよくある服装だったが、今は二十一世紀。明らかに異質。私は、刀を抜いた。六十四人も切った刀は、刃こぼれし、刀身が欠け、もはや人一人の首も切り落とせない状態にまでなっている。私は男に、貴様が誰で何をしに来たのか訊いた。
男は丁寧な日本語でサイモン・E・スティルマンと名乗った。
サイモンは、転がる死体と、穴を掘っていた私を見比べて、私をスカウトしに来たと言った。
初め、何を言っているのかわからなかったし、胡散臭すぎて、さっさと切ってしまおうかと思った時。サイモンは、妹のことを言い出した。背筋が凍る勢いで寒気が走った。こいつは危ないと、私の体が全力で殺気を放つ。だが、結局サイモンに切りかかることはなかった。
サイモンが、スカウトに応じるなら、妹の治療をしてやると提案してきたからだ。
私としても、今後、どうやって妹の傷を治せばいいのか前途多難状態だったので、この提案は渡りに船だった。それに、こんなことをしでかして、私たちがこれから日本で平穏無事に暮らせる理由もないので、日本を出て海外の小島で暮らすといったサイモンの条件は、あまりにも都合がよすぎた。
疑う余地や、気になる点はまだあるものの、私にはその手を取る以外の選択肢は用意されていなかった。
私は屋敷を出る前、敷地中に暖房用に備蓄していた灯油を撒き、火をつけた。エドワード・エルリックのように、過去との決別や決意の表明ではなく、単純に私たちが生きていることを発覚させるのを遅らせるため。死体も、埋めるのではなく、解体して屋敷のあちこちにばら撒いた。
サイモンが乗ってきた車に妹を乗せ、私も隣に乗り込む。車は対面シートになっており、サイモンは私たちの前に座った。運転手に合図を出して車は発進する。
空港へ向かう道中、サイモンは私にヒーローを語った。ヒーローがいかに崇高で、完成された存在かを、それはもう拳を握り締めるほど熱く語っていた。そして、私もそういう存在になると言われた。
馬鹿げていると、その時は鼻で笑ってやった。ただの大量殺人鬼の私がヒーローになれるわけがない。だが、サイモンの目は本気だった。
空港に着き、保安検査をスルーして、自家用ジェットに乗り込む。離陸前にサイモンがどこかへ電話しているのを横目に、妹を人一人が横になれるソファに寝かせ、私はその前に座る。
離陸後、私はサイモンに訊いた。なぜ私なのかと。
サイモンは答える。都合がいいからだと。サイモンは、世界中で戸籍のない者を探し回り、素質のある者を選んで一人一人迎えに行っているらしい。日本で見つけるのが、一番骨が折れたとも言っていた。サイモンが一体どうやって日本でもごく一部の人間しか知らない『霧家』にたどり着いたのかは、訊いても教えてはくれなかった。
私たちの活動は、世界中で行われるらしい。そこで、各国が協力して身元を調査しても絶対に見つからない、いないはずの人間を使う必要があったらしい。
島について飛行機から降りた時、医療班と思われる白衣を着た連中が妹を回収していった。きっと離陸前にサイモンが電話して用意していたものだろう。離陸した方向、フライト時間、島の植生からして、島は太平洋の真ん中、赤道付近に存在している。私がついた時には、すでに十一人の子供が連れてこられていた。年は、私とほとんど変わらないくらいの子供だ。
サイモンは、彼ら彼女らに私が新しい仲間だと説明して、また飛行機に乗り込み、とっとと離陸してしまった。私は基本的な教養は叩き込まれているが、話せても英語くらいで、地域による訛りならともかく、スペイン語やポルトガル語、さらにはアラビア語で話しかけられれば、対処できない。とりあえず、英語が通じる人物に話して、周りを落ち着かせてもらった。
肌の色、髪の毛の質、それに言語、何もかもが違う。サイモンの言う通り、本当に世界中から連れてきているようだった。
数日後、周囲の人間と英語やボディランゲージでコミュニケーションが取れるようになってきた頃、サイモンが戻ってきた。一人の少女を連れて。白髪の白人、純白のドレスが似合いそうな彼女は、私たちの中で一番小さく細かった。一度でもこければ、卵の殻のように容易く割れてしまうのではないかと思うくらいには華奢だった。
サイモンは、これで全員そろったと言った。私を含め十三人で、サイモンのヒーロー育成計画は始まった。教えるのは基本サイモン一人で、施設の管理、食事の配給、装備品の点検は雇われた職員が行っていた。
最初は円滑にコミュニケーションを図るため、最初は英語を学んだ。その時に、初めて映画というものを見た。存在自体は知っていたのだが、今までそんなものと関わる縁がなかった。ヒーローという存在の具体例も、その時初めて知った。
その中で私の目を引いたのは、アイアンマンだった。彼は、その昔武器商人で、売った武器でたくさんの人間が死んだ。その後、改心して、アイアンマンとして活動し、最後には世界を救い。誰しもがヒーローと呼ぶ存在になった。エンドゲームは涙なしでは見られなかった。
私もヒーローになれる。そういったサイモンの言葉が、ここで理解できた。
授業とは関係のないところで、最後に連れてこられたあの華奢な少女が話しかけてきた。彼女はベッキーと名乗った。ベッキーは、華奢な割には我が強く、日本の映画やサブカルチャーに興味が沸いたから、いろいろ教えてくれと、他数名の同じく興味を持ったものを連れてきた。
私自身、世間から隔離された世界にいたせいで、それらの知識は持ち合わせていなかったが、サイモンに頼んで、日本の代表的な映画やアニメ、ゲームのいくつかを手に入れ、彼女らに分かるように訳してやった。そのおかげで、私も日本のサブカルチャーに造詣が深くなった。
妹が目覚めたのは、私たちが島について半年後のことだった。何度か危ない峠を越えたが、目覚める頃にはバイタルは常に安定するようになっていた。
私は、家のことを包み隠さず話した。妹は私の話を静かに聞き、最後には謝罪と感謝を言ってくれた。
数日後、施設探検をしていたベッキーたちに妹が見つかって、打ち解け合うのは、また別の話。
四年経って、私とベッキーが初めて任務に就く時には怪我はほとんど癒え、管に繋がれることもなく、両足で立って歩けるようになっていた。
ヒーロー育成計画には参加させなかったが、今は機械整備や情報管理の後方支援として、私たちをサポートしてくれている。
ベッキーといろいろな国を回った。フランスのマフィアのボスを爆殺したり、イギリスの麻薬王の首を切り飛ばしたり、アフリカの麻薬生産工場に火を放ったり、与えられた任務はすべてこなした。
これがベッキーとやる最後の任務。私がまだヒーローに相応しい人間になれたかはわからない。それは、この任務が遂行された瞬間に証明されるのかもしれないし、或いは、私が死んだ瞬間にわかることなのかもしれない。
私にできるのは、ただ敵の首めがけて剣を振ることだけだ。
4 勝敗
折れた刀身を見つめ、メグミはあっけにとられていた。人間と正面から殺り合って、刀を折られたのは初めてだったからだ。
メグミは、ヨーゼフが振り翳す斧にも気づけない。
今までで最大のピンチ。しかし、そのピンチをチャンスに変える一手がヨーゼフの後方十数メートルから放たれる。
「⁉」
先ほどとは違う、ヨーゼフが全く予期していない方向、そしてさっきよりも近い距離。撃たれるとわかっていても、ここまで条件が変わってくると、ヨーゼフにできるのは、どっちに向かって飛んでくるか、勘を頼りに体を逸らすことだけ。
ヨーゼフは振り上げた斧を止め、全力で体を上に逸らした。ヨーゼフの勘は当たる。弾は、ヨーゼフの喉を少し抉り取り、二人の間を通過する。もし止まらずにそのまま突っ込んでいれば、ヨーゼフの首に風穴があいていただろう。冷や汗がヨーゼフの背中を伝う。
一瞬の戸惑い、一瞬の躊躇、一瞬の怖気。それは、メグミがショックから回復するのに十分な時間だった。
メグミは、今の位置から一番狙いやすい、振り上げている腕めがけて下から上に刀を振る。
「くッ!」
メグミの動きに反応して、ヨーゼフも後ろへ跳ぶが、刀の射程範囲からは逃れられなかった。振り上げられた刀は、ヨーゼフの腕を切り進め、切断———できない。
「⁉」
刀身が半ばから折られていたため、腕を切断するために必要なリーチが足りなかったのだ。腕はまだ皮一枚で体とつながっている。
結局、ヨーゼフは大きく後ろに跳び退き、また二人から距離を取る。
ヨーゼフとメグミの二人は息を荒くし、睨み合う。
「いい加減。お主らとのこの応酬も飽きたぞ。老人を労わることを教わらんかったんか」
「はっ。ほざけ、老害が。少子高齢化社会の中、気を使われるのは若者であるべきだろう。貴様ら先の時代の骨董品は、さっさと自分で墓穴を掘って、頭でも突っ込んでいろ。まったく、そんな卑怯者が使うような武器を隠し持っているとは、見損なったぞ」
予想以上の罵倒が飛んできたことに、ヨーゼフは少し笑いを零してしまう。
「奥の手は、ここぞというときに使うから奥の手というんじゃよ。それに、口汚い女にヒーローは寄り付かんぞ」
「まさか、デップーを知らないのか? 今のヒーローは、少し口が悪くて下品でメタい方が人気が出るんだぞ」
嚙み合っている様で噛み合っていない会話を広げながら、互いに息を整える。その間に、森から対物ライフル抱えて出てきたベッキーがメグミに近づく。
「メグミ、大丈夫か?」
「ああ、体はな。しかし、刀が折られてしまった」
メグミは、柄から三十センチほど残して折られた刀を見せる。
「まあ、頑張れ。タンジェロだって折れた刀で鬼の首切ってただろ?」
「タンジェロじゃない、炭治郎だ」
微妙な顔でサムズアップし、フォローになっていないフォローをするベッキーに呆れ果てるメグミは、手を差し出す。
「それに、リーチが変わって慣れるのにも時間がかかる。今まで接戦を演じてきた相手に、不慣れを見せると命に係わる。何か武器をくれ。こう、日本的なもので頼む」
「日本的って……」
極めて抽象的なオーダーにしばし悩み、ベッキーはジャージの奥から取り出した武器をメグミに渡す。
「これは……鎖鎌?」
メグミが手にしたそれは、片手用の鎌とその柄から伸びる十メートル程の重しがついた鎖だった。鎖鎌にしては鎖が長く、まとめても地面に着くほど長い。
「何? なんか違った?」
「もっとあったろう。薙刀とか槍とか」
「いや、そんな長いもんあたしのジャージに入るわけないだろ。四次元ポケットじゃないんだわ」
「ライフルは入っているだろう」
「いや、ライフル解体できっから」
「それでも限度というものがあるだろう⁉」
何言ってんだこいつ、と互いに呆れる。
「鎖鎌か……」
「何? やっぱダメだったか?」
「いや、投げ物が苦手なだけだ。使えはする。一応聞いておくが他には何がある?」
「えっと、十手とか?」
「こっちの方がましか……」
仕方ないと諦めて、折れた刀を鞘へしまい、鎖鎌を握る。
「じゃ、頑張ってな」
ベッキーがまた重い足取りで、森に入っていく。
腕がくっ付くのを待っていたヨーゼフは、その光景にふと、違和感を覚える。ベッキーの足が遅すぎるのだ。ヨーゼフの拳を受けてから、一発目を脹脛に受け、二発目の喉を抉る弾が飛んでくるまでほんの十数秒。その間に、ベッキーはヨーゼフとメグミを跨ぎ、険しい森の中を、少なくとも百三十メートルは歩かないといけない。怪我をして、走ることができない状態では、そんなこと不可能なはずだ。
だから、ヨーゼフも意識から外していた。ベッキーがメグミから離れる時の足の遅さが頭に残っていたから。今も、ベッキーがメグミから離れる時の足は遅かった。これが、ベッキーが仕掛けたヨーゼフに対する罠だったら。もし、ベッキーが普通の速度で走ることができるのなら。……なかなか、粋なことをしてくれるわい。とヨーゼフは怒りと興奮が混じった視線で、森へ消え行くベッキーの背を睨みつける。
腕がほぼくっ付いたことを確認し、ヨーゼフは斧を握り締めて、利き手の感触に違和感がないことを確かめる。
メグミも、鎌を持ち重しの方をぶんぶん回している。
「では、これが最後の衝突としようかのう。お主らのキンキンと五月蠅い声が、頭に響いて敵わん。そろそろ、黙ることを教えてやらんとな」
「教えてやるとは、随分と自分を上に見ているようだな。その老いた瞳ではまともに鏡も見れんらしい。首を切り落とした後、貴様の墓前に水仙でも添えておいてやろう」
言い終わった直後、最初に動いたのはメグミだった。爆発的な脚力で一気に近づき、重しを投げて、斧を持っていない方の手に掛け固定する。
ヨーゼフは、掛けられた鎖を掴んで引きちぎろうとしたり、斧で切断を試みるが、簡単には外せないことがわかると、足に力を入れ、鎖を思いきり引く。
メグミは一応抵抗してみるも、ヨーゼフに綱引きで敵うわけもなく、そのまま鎖につながれた鎌ごと引き寄せられ、足が宙に浮く。
迫るメグミを、野球のフライを打つ感覚で横なぎに斧を振るう。
メグミは鎖を使って斧を防ぐが、勢いは殺せずそのまま高く打ちあがる。しかし、鎖に繋がれているおかげで、前回投げられた時ほど高く飛ぶことはなかった。
こうなることを予期していたメグミは、ヨーゼフがもう一度鎖を引き、今度は地面に叩きつけられる前に、自ら鎖を引いてヨーゼフに近づく。鎌を振り上げ、ヨーゼフに刺そうとするが、鎌の刃はヨーゼフの皮膚を裂くだけに止まった。
刀のように特別鍛えられた刃物でないとヨーゼフに効果はないようだった。
「チッ」
メグミは舌打ちを一つ打って、すぐに切り替える。今度は鎌の柄を振って、鎖を首と、もう片方の斧を持っている腕にかけ、動きを制限する。そして、着地したその足で、もう一度地面を蹴り、ヨーゼフの懐に入り込む。ヨーゼフの首が目の前に迫り、メグミは鞘に手をかけ、刀の柄を握る。姿勢を低くし、抜刀の構えを取る。この距離なら、リーチ関係なく首を狙える。ベッキーは確信し、ヨーゼフに冷えた視線を送る。
ベッキーの態度にキレたヨーゼフは怒りのままに鎖を引きちぎり、斧を振り下ろす。
「舐め腐りおって、クソガキが!」
しかし、森に響く発砲音がヨーゼフの怒りを遮る。ヨーゼフの斧はベッキーが放った徹甲弾によって、粉々に打ち砕かれた。ここまでは、ヨーゼフも想定内。いや、この状況を狙っていたと言ってもいい。ベッキーが持っていた対物ライフルの名はPGMへカートⅡ。一昔前には対戦車ライフルとまで言われていた古い武器だ。古い武器なだけあって、装填もショートリコイルではなく、ボルトアクション方式。次弾装填には、平均で三秒、短くても二秒は掛かる。それだけあれば、メグミを縊り殺せると、ヨーゼフは確信して、手を伸ばす。
そして、二発目の銃声がヨーゼフの耳に入る。
「⁉」
放たれた弾は、脇下から体内に侵入し、筋肉を裂き、肋骨を砕き、肺を貫通し、最後には心臓に達する。
「ゴフッ———」
口から血が溢れ、足に力が抜ける。何が起きているのか理解できなかった。一発目が斧を砕き、二発目が心臓に届くまで、二秒どころか一秒も経っていない。いったいどうやって……と、ふとベッキーが森へ戻っていく時の光景が思い浮かぶ。あの時、足の遅さにばかり意識を取られていたが、ベッキーはヨーゼフに見えるように対物ライフルを持っていた。そして、自然と消えた二つ目の存在。ヨーゼフは知らずのうちに、対物ライフルが二つある可能性を排除していたのだ。
メグミとヨーゼフの目が合う。メグミが放つ殺気はとても冷たく、ヨーゼフは吐く息が白く染まって、身震いするほどまで気温が下がったと勘違いする。
メグミは刀を抜く瞬間、こんな言葉を思い出す。それは、生前の父に教わった言葉だ。父は祖父に、祖父は曽祖父に、そうやって受け継がれてきた、言わば霧家の家訓。家長が代々その言葉を胸に剣を振るってきた。メグミ自身、聞いた当初は何とも思わなかったが、今はその言葉が妙にしっくりくる。それは、メグミが根っからの『霧』の人間である証なのかもしれない。
『切れ。己が前に立つ全ての敵を』
友の期待に応えるべく、妹に格好のいいところを見せるべく、ヒーローとして、刀を抜く。
抜かれた刀は、真っ直ぐとヨーゼフの首に吸い寄せられ、肉の抵抗など全く感じていないように首に入り、勢いが衰えることのないまま、首を切断する。
幕間3 記録資料『ヨーゼフ・フォン・ショップス』
わしは、軍人として国のために戦っていた。戦地は銃弾や大砲、敵や仲間の死体が飛び交う、死屍累々という言葉が相応しい、まさに地獄であった。
敵の死体の下に隠れ、敵の塹壕に潜り込み手榴弾を投げ入れたり、油をまいて火をつけたりしていた。戻るときは、仲間の死体の下に隠れ命からがら帰還した。
そんな功績が認められ、一度だけ前線から下がって、後方勤務に当たることがあった。内容は、当時の最新技術をフル活用し、不死身の強化兵を作ること。
わしはこの強化兵を作るという体のいい人体実験の第一被験者だった。わしのことを改造するのはサイモン・E・スティルマンという科学者だった。わしと同じく二十代前半で、希望にあふれた目をしておった。サイモンはわしに必ず成功させると言ってくれた。そして、実験は成功した。しかし、その成功はわしが最初で最後だった。まさしく、キャプテンアメリカというわけじゃな。
その実験に再現性がなかったのだ。同じ場所、同じ環境、同じ時間。限りなく当時と同じ状況を作っても、第二のわしが生まれることはなかった。
わしとしては、すぐに前線に戻りたかったが、上層部がそれを許さなかった。
結局、わしを派遣したのは戦争の終盤。ステルス潜水艦でアメリカに潜入し、大統領とその他首脳陣を暗殺するのが目的だった。しかし、任務を遂行する前に、ドイツが降伏し、わしは人体改造後一度も実践投入されることなく、戦争は終わった。
わしと同じくアメリカに潜入していた者たちは途方に暮れた。終戦したとはいえ、今の今まで戦争していた国の人間に、現地の住民が優しくしてくれるわけもなく、わしらはアメリカ人の振りをするしかなかった。幸い、戦後の不景気と失業者のどさくさに紛れて、それぞれ、ばらばらに暮らし始めた。
しばらくして、冷戦が終わり、ベルリンの壁が崩れる頃、帰ることができるようになったが、わしは帰らなかった。
まだ諦めていなかったわしらに諦めろと言ってきた母国に、どうしても帰る気にはなれなかったからだ。それに、アメリカの肉と映画は、ドイツのそれとは比べ物にならないほど素晴らしかった。
5 生還
両手に担いだ二丁のへカートを捨て、地面に転がったヨーゼフの頭を拾い、ベッキーは同じく地面にうつぶせに転がっているメグミに近づく。
「おーい。生きてっかー」
メグミはベッキーの声を聴くと、右手を振って答える。
「助けてくれ。動けない。仰向けにしてほしい」
「何? どっか折れたの?」
「元々ひびの入っていた左腕と左脹脛の骨がさっきの攻防で完全に折れたんだ」
「あたしも怪我してんだけど」
「さっきは元気に走り回っていたではないか」
「結構無茶してたんだぞ、あれ」
ヨーゼフの頭をジャージにしまって、いやいや言いつつもベッキーはメグミに肩を貸し立たせる。
「じゃ、帰りますか。えっと、あたしたちが乗ってきた車って……」
「森の外だな」
自分たちの車を探し、見当違いな方向を見回すベッキーにメグミは車の正しい場所を教える。
「何で⁉」
「欲張って、サイモンにフェラーリなんてものをねだるからだろう」
フェラーリの車高では森の舗装されていない道は走行不可能だった。
「あたしたちって、何時間くらい掛けて徒歩でここまで来たっけ?」
「そうだな、準備運動もかねて軽く走っていたから、掛かったのは三時間ほどだな」
ベッキーの背中に冷や汗が伝う。
「それって、今の状態でだと、いったい何時間かかるのかな?」
「そうだな、単純計算で三倍。路面の状態や、森を出るまでの道の複雑さを考慮すると、半日あれば出られるだろう」
「まじでか……」
ベッキーが肩を落とすと、つられてメグミも滑り落ちる。
「いだっ」
「あっ、すまん」
地面に転がったメグミは、転んだ時に視界の端に映ったものをもう一度見返す。
「ベッキー、いいものを見つけたぞ」
「何?」
メグミは右手で見つけたそれを指す。
「おお!」
ベッキーもメグミと同じものを見つけ歓喜する。それは、ヨーゼフが使っていたトラックだった。
「いやぁ、あのじじいにしちゃ、気の利いた送りもんだな」
「ありがたく使わせてもらうとしよう」
ベッキーはメグミを担ぎなおし、トラックへ向かう。
「こんなケガして帰っちゃ、またあの子が心配するぜ」
「……それは今後の課題だな。それよりも、私はサイモンにまた小言を言われるのが嫌で仕方がない」
二人はそろってため息をつく。
「今日はやけに顕著だったよな。敵を前にすると妙に饒舌になる癖」
「そんなことはない。それを言うなら、ベッキーの敵の前で推しを語る癖も目に付いたな」
二人とも師であるサイモンに、戦闘中に会話が多すぎると再三注意を受けていた。メグミも初めは喋らない方だったのだが、元々口数が多かったベッキーと訓練を重ねていくうちに、自然と放すようになっていた。今ではサイモンによく注意されるうちの一人になってしまった。質が悪いのは、この二人がそのことを全く悪いと思っていなことだった。
メグミを助手席へ乗せ、ベッキーは運転席へ乗り込む。
「じゃ、改めて帰りますか」
トラックは発進する。彼女たちが行く道の先にあるのは、ヒーローへの決められた道か、犯罪者に用意された険しき贖罪の悪路か、それは、彼女たち自身が決めることだ。
春秋冬と書いて『ナツナシ』と言います。作品の感想はお気軽に。一応校閲はしていますが至らない所もあると思いますので、誤字脱字の指摘・不明点の質問についてもしていただけると助かります。出来る限り修正・解答いたします。
また、「つまらない」「面白くない」といった中傷コメントは私の心が耐えられませんので出来る限りおやめください。




