八話 消えない傷
――私はキリサキ・レイカの事が苦手だった……というか嫌いだ。
それも当然だ。
アイツからは一時期いじめを受けていた。
黒板や机の上、教科書などに落書きや罵倒を書かれたり、靴や鞄、持ち物を隠されたり、有りもしないデマを流されたり……しかも途中からそれらを自分の取り巻きにやらせてアイツはその光景を遠くから眺めていた。
一年くらいでレイカが学校に来なくなり次の年にはいじめは直ぐ沈静化していったが、そのせいで私はめちゃくちゃ精神的に傷ついたし人間不信が加速したし、少なからず居た友達が一人だけになってしまった。
肉体的な暴力が無かったのは不幸中の幸い……とは言いたくないが、まあ、暴力は受けなかっただけまだ、良かったかもしれない。
いや、やっぱり精神的にキツかったので全然良く無いが。
そんな女が中三の夏頃、コンビニから家に帰ろうとしてした背後から突然声を掛けて来たのだ。
その声を聞きたくなくて、その顔を直視したくなくて、私は『キリサキ・レイカ』を認識した瞬間に走って逃げ出した。
背後から何か叫び声が聞こえたが、私は恐怖でそんなものは耳に入らなかった。
私はレイカの発した言葉をまともに聞かず、その顔もよく見ずに、反射的に逃げ出した。
……あの時、レイカはどんな言葉を吐いたのか、どんな表情をしていたのか、私は全然覚えていなかった。
「――たまたまコンビニから出て来たアンタを見つけて、私は声を掛けた。それは覚えてるよね?」
「……それは、覚えてるけど」
今まさにその時の話をレイカから投げかけられている。
それが、何なんだ。まさか、あの時、無視された事を怒っているのか。
仕方ないじゃないか、お前が怖いんだから。
発言を無視されて逃げられたって当然だ、自業自得じゃないか、そんなの。
「私……あの日の夕方、何されてたと思う?」
「……は? 何、されてたって……」
「父親から腹を何回も蹴られた……まあそれは昔からよくある事だったけど……」
「……え?」
「その後、馬乗りにされて……楽しそうに顔面を殴られて、首絞められて、母親はそれを気付かない振りして、殺されるかと思った。爪で脚を抉って何とか逃げ出したけど」
「は……?」
「アンタまともに私の顔見てなかったもんね。左目結構腫れてたと思うよ、あの時」
突如その口から次々と放たれる衝撃的な発言に戦慄し、私は言葉を失った。
正直適当な話を喋って私を混乱させて遊んでるんじゃないかと疑ったが……彼女の顔は悲痛の色に染まっていた。
嘘じゃないと、分かってしまった。
「で、でも……そんな、あり得ない、よ……家族が、親が、子供に、そんなこと……」
そんな話、信じられない。
私の両親は優しかったし、グランヘルム家の皆だってあんな温かくて、優しくて、皆が深い絆で結ばれていて……互いに、大事に思っていて……
「アンタはわからないんだね。そういう家もあるってこと」
レイカは絶望に染まったような乾いた笑いを見せた。
その乾いた笑いに……私の記憶が、掘り起こされた。
「あ……」
そうだ。
あれは小学校一年生の頃だったか。
ヒーローごっこをしていた時期、私の下駄箱に手紙が入っていた。
名前は……キリサキ・レイカ。
その手紙にはこう書かれていた。
『おとうさんとおかあさんをやっつけてください』だ。
あの時、その後、私はどうしたっけ。
あの子に何て言ったんだっけ。
何を、言ってしまったんだっけ……
『おとうさんとおかあさんをワルモノあつかいしちゃダメ! なかよくしなさい!』だ。
あの子は驚いた様な顔をした後に、悲しそうに、乾いた笑いを浮かべていた。
――あぁ……私、凄く残酷な事を言ってしまったんだな。
「あ……ぅ……」
思い出した。
思い出してしまった。
罪悪感に胸が締め付けられそうだった、呼吸が苦しい、目の前に居るのは私をいじめて来た最低で嫌いな女なのに……こんな感情が、湧き上がるなんて。
「なに、その顔。まさか今更思い出したの?」
「ご、ごめ、ん……なさい」
「……」
「あの時、私、バカで、そういう家族も居るとか、想像できなくて……」
「それは今もだよね」
何も反論できない。
正直そんな話を聞かされたところでやっぱりコイツは苦手だし嫌いだ。たぶん一生許さない。
でも、昔の……小学校当時のレイカには、謝りたかった。
その時の彼女には、まだ、何の罪も無かったんだから。
「あの時は本当に、ごめん」
「――もういいよ」
「え……」
顔を上げ、レイカを見ると、その顔は……もう何もかもがどうでもいいというような表情で。
「謝罪されたところで私の過去も、今も、何も変わらないから」
次の瞬間、殺気の籠もった目を向けられて背筋が凍りついた。
嫌いなのに、こんなやつ大嫌いなのに、同時に罪悪感が胸を締め付けて、どうすればいいのか分からなくなってしまった。
そんな私達の間に、桃色髪の女ジュナが変わらぬ笑顔のまま「はいはい」と割って入り。
「お話はここまでにしましょう。そろそろここまで衛兵さん達が来るかもしれませんし」
「……邪魔すんな」
「連れ帰ればもっとゆっくりお話できますよ、レイカちゃん」
「チッ……あぁ、もう……わかったよ」
レイカは渋々納得した様に殺気を引っ込めた。
私は――路地に膝を着いてしゃがみ込み、手足が動かなくなってしまっていた。
頭が回らない。
そして動けなくなった私をジュナは蔓で拘束した。
不味い、どうしよう、頭がちゃんと働かない、私どうすればいいんだっけ、駄目だ、このままじゃ駄目だ、動け、このままじゃ連れて行かれる、『神の使い』の思い通りにさせてしまう……
「さて、森林地帯に速く移動しましょう。それから拠点に連絡を入れ、スズキバラさんが来るのを待てば任務完了です」
「……うん」
スズキバラ……
その名を聞いて、違う感情が心の底から湧き上がって来た。
怒りだ、強い怒り、大事な人達を奪った。
グランヘルム家の皆を、レイチェルを、アンナを、ウィルフレッドを、ルシアンを、カーリーを、シュタールを、遠くまで飛ばし、家族をバラバラにした。
クラウスとアメリアとミシェルに悲しい顔をさせた、元凶。
そうだ、私は……
皆を助けなきゃ、いけないんだ。
「あああぁぁぁぁぁっ!!」
突然吠える私に、ジュナとレイカが視線を向ける。
罪悪感はある、レイカに対しどうすればいいのかまだ心は何も決まっていない。
けれど、それはそれで、これはこれだ。
レイカの言う通り、救えない人間も、無意識に傷つけてしまった人間も居る、偽善者でも構わない。
私は皆を助けるまで、止まらない。
「――レイカちゃん、下がりなさい!」
「――っ!?」
その叫びの直後、何かを感じ取ったらしいジュナがレイカを引き寄せながら数メートル後退した。
それとほぼ同時、真上から落ちて来た小さな影が私に巻き付く蔓をバラバラに切り裂きながら地面へと舞うように着地した。
そこに現れたのは私も知っている人物。
両手に持っているのは刀。着物を羽織った水色髪の、私より少し背の低い、額から二本の角が生えた鬼族の女――今日は仮面を被っている様だが、その姿は、間違いなく。
「シズクさんですね? ――都市のどこかに居るとは思っていましたが……ゲオルグさんはどこですか?」
ジュナの探る様な問いかけはスルーし、鬼族の女シズクはこちらへ振り返りながら喋りかけてきた。
「クラウスさんからの救援要請がありました」
「――っ!」
クラウスが助けを呼んでくれていたらしい。
そうだ、過去がなんだ、私には今ちゃんと周りに私を想ってくれる人達が居る。
「ありがとうございます、シズクさん」
「あー……いえ、私はシズクじゃなくて鬼仮面です」
「今更誤魔化しても遅くないですか!?」
頼りになる助っ人の微妙に締まらない登場だった。




