プロローグ
そこは広大な海にポツンと浮かぶ……とある国の管理下にある島の中。
島民は百人にも満たない。しかし、生活に困らない程度の住まいに食料、生活必需品は揃っており、麦や野菜の畑もある。
静かで、のどかで、子供達の笑い声も聞こえる、平穏な光景が広がっている。
そんな平和な島に立ち並ぶ古びた家の一軒……その玄関の前に、一人の男が立っていた。
手足の先まで全身黒ずくめの衣装を身に纏う道化の仮面の男、アイザックだ。
その男は小さく息を吐いてからノックもせずに扉を開け、足を踏み入れる。
家の中に居るのは二人。
椅子に座り茶を啜る白髪の老人。そしてテーブルに足を上げただらしない格好で菓子を貪る少女。
老人はまさにどこの田舎にでも居る農家のお爺さんといった風貌。
女は黒かった髪を金色に染めており、耳にはピアス。そして手首にいくつもの傷跡がある。
白髪の老人は態度の悪い少女の姿にもニコニコとしている。端から見たら祖父と孫の様だ。
アイザックはそのまま床を踏み鳴らしながら歩き、老人の真横に立ち、見下ろして。
「よう。爺さん」
金髪の少女が睨みつけてくる視線を無視しながら声を掛ける。
そして老人はニコニコとした笑顔のまま顔を上げ、その呼びかけに答えた。
「やあ、アイザック君ですか。この前はご苦労様でした」
「あんなバカ共と僕を一緒に行動させんじゃないよ爺さん」
そう返しながらアイザックは乱暴に椅子に座り、まだ睨みつける少女が殺意の籠もった声をあげる。
「オイ、クソ仮面野郎。爺さんじゃねえ、ダイシキョウ様だろうが」
「ハハ、すっかり爺さんに懐いちゃってまあ。だいたい君だって、足をテーブルに上げて行儀悪いじゃないかぁ、えぇ?」
「なっ、だって、これは、ダイシキョウ様が、好きにしていいって言うから……!」
「僕もそうだよ」
「〜〜っ!」
「こらこら、喧嘩はお止めなさい二人共。良いんですよ、レイカさん。私は何も気にしませんから」
優しい声で仲裁に入る、ダイシキョウと呼ばれた老人の言葉に少女は舌打ちし悔しそうな表情を見せ、黙り込む。
「アイザック君も、あまりレイカさんをいじめないであげてくださいね」
「別にいじめてるつもりはないんだけどねぇ」
「二年前に召喚されて来たこの子がニホンと呼ばれる地で暮らしていた時の話を聞き、あまりにも辛く、私は涙を流しました。この子はもっと優しい世界で生きるべきなのです」
「その話ももう何回も聞いたよ爺さん。それであんたの自宅があるこの島に住ませてるって話だろ、もういいよ」
聞き飽きた老人の話を止め溜息をつくアイザックは、自分が来た用を喋り始める。
「あんたのお気に入りの一人……スズキバラさ。アイツは駄目だよ、多人数での作戦行動に全く向いていない」
「私も聞きましたよ。アメリアさんを私のところへ招待するだけで良いのに、その家族を殺そうとしたのだと……困った子ですねぇ」
「そのせいで結果的にアイツはピンチになって、僕はアメリアの拉致を捨てて加勢に向かわなきゃならなくなった」
「ですが、アイザック君も少々お遊びが過ぎたと聞いていますよ」
「それは反論出来ないな。ちょっと相手を舐め過ぎた……特に異世界人の子をね。あんなふざけた邪魔をされちゃ僕もどうしようもない」
「まあいいではありませんか。人は失敗をするものです。何度でもやり直せばいいんです」
「悪の組織の頭らしくない発言するなぁ、この爺さん」
「……? 悪の組織? 何の話です?」
「……いや、何でもないよ、ただの軽口」
老人は疑問符を浮かべた表情をすぐに優しい笑みへ戻し、言葉を続ける。
「それにアメリアさんはアイザック君が何とかしてくれるのでしょう?」
「うん。あの国の軍は正面から戦うのは厄介だ。だから向こうから来てくれる風に餌を撒いといたけど……」
「ありがとうございます。やはり君は素晴らしい子だ」
「ハハ、ドーモ」
棒読みのアイザックの返しにも老人は笑みを浮かべて、窓の向こうに広がる青空へ目を向けながらスズキバラへの思いを語り始める。
「彼は最初は控えめで消極的な子でした……でも今では、しっかり自分の意見を言い自分のやりたいことを率先してやれる。素晴らしい成長ではありませんか」
何か言い返したげなアイザックには目もくれず、老人は目を輝かせながら。
「罪を背負った子……心に傷を負った子……世の中から排斥されてしまった子……この世の中で苦しみ、上手く生きれない子達。私は彼等彼女等を救いたいのです」
「苦しむ全ての子が何にも縛られず自由に生きられる優しい世界! それこそが私の理想! スズキバラ君が自由に生きられるのなら、作戦など二の次で良い! 一度の失敗など何でもないでしょう!」
「私は……例え君達が失敗し、上手くいかなくても、皆を、全てを、許します」
その老人の熱の籠もった演説に少女は聞き入る。
そしてアイザックは沈黙する。なぜ沈黙しているのかは言うまでもない。
「……それより爺さん。その時に遭遇した異世界人さ、僕らが召喚に失敗した子の可能性があるよ」
「本当ですか! そうですか、無事で良かったです……。名前は何と?」
「ハジメって呼ばれてるのは聞いたよ」
『ハジメ』――その名前に。
一番最初に反応したのはレイカと呼ばれた女だった。
彼女は菓子を床に落とし、目を開き、食いつくような視線で名前を問う。
「ハジメ……? カミシロ・ハジメ?」
「さあ、全部の名前は知らないけど。ハジメとは呼ばれてたよ」
「……見た目は?」
「別に、特徴らしい特徴はない女の子だね。君と同い年くらいで、黒髪で、身長は君より少し低かったかな。まあ、おとなしそうな顔の普通の子だよ」
アイザックから返ってきた言葉に、女はみるみる目が、表情が、変わっていく。
最初に口が笑った。目は笑っていない……いや、喜び……怒り、悲しみ……色々か感情がゴチャ混ぜにになった様な熱の籠もった目になり、微かに涙を浮かべていた。
そして口がプルプルと震え――喜びの笑いから、憎しみの笑いに変化した様な歪んだ笑顔になり、顔が赤く染まり、彼女は憎悪とそれ以外の感情も籠もった声で喋り始める。
「ハジメ……ハハ……会いたかった……やっと、やっと…………殺せる……殺せる!」
「……どういう感情の表情と台詞なのそれ」
人の感情を読むことに自信があるアイザックでも、その日本人の少女の感情と思考が理解できなかった。
それでも老人は変わらずニコニコと彼女へ問いかける。
「知り合いなのですか? レイカさん。ハジメさんとはどういう方なのですか?」
「はい……ハジメは小学校の頃から憧れていたかっこいいヒーローで、偽善者で――私が、大っ嫌いな女です」




