二十三話 崩壊
酷い頭痛だ、身体が全く動かず歩く事も、立つことすら出来ない。本当に、全てを出し切ってしまった。
そして、長年剣を握り続けてきた右腕が……無くなった。
「……安いもんか、腕一本なら……」
「安くないわよ!」
本心から出た言葉だったが、レイチェルから即答で叱られてしまった。
彼女には昔からよく心配をかけてしまう、申し訳ない。
彼女は右腕に止血薬をかけてから包帯で巻きつけてくれる。彼女には昔から心配ばかりかけて申し訳ない。
「いつもすまない」
「謝るべきはいきなり攻撃してきた人達だと思うわ。ありがとう、皆を守ってくれて」
「あぁ」
レイチェルと言葉を交わしてから、シャーロットと戦っているアンナは一人で大丈夫なのだろうかとそちらへ視線を移す。
すると……そこも、決着はついた様に見えた。
アンナとシャーロットは互いに息を荒げ、力尽きた様に膝を着いていた。
ずっと強力な魔法を使い戦い続けてきた、互いに魔力も体力も限界に達したのだろう。
だが、アンナも無事で良かった。
心配そうにこちらを見たので、心配ないと目で返した。伝わっただろうか。
そして、眼前には『転移』で降りてきたスズキバラがら立っていた。
グレイトアーマーは無くなり、元の姿に戻っている。鎧の力を果たしたのか……今の奴の脅威は、もう魔法だけだ。
残る敵は無敵の力が無くなった奴一人だけ。
顔に怒りを刻み込みながら歯ぎしりしているその男に、声をかけたのは父からだった。
「……バスターカノンを使用したあとは、長期間鎧を使用出来んようになるのだったな?」
「うっせぇよ、うっせぇよジジイ……テメェら、全員……っ……あ?」
その時、スズキバラは突如表情を変え、『何か』と喋っているかのように、一人言を始めた。
「あ……あぁ? んだよ、作戦変更? そうかよ、ダイシキョウ様が望んでるならしゃあねえわ」
唐突な一人言……いや、何かで誰かと話していたのか?
何かと話し終えた男は再びこちらを向き。
「全員クラウスの目の前でぶっ殺してやろうかと思ったけど……まあいいや」
その後に続く言葉と男の表情に、嫌な予感がした。
「そっちもそっちで、面白そうだからなぁ」
醜悪な、下劣に歪んだ笑顔を見せてきた
「レイチェル、持っている護身用のナイフを貸しなさい」
「お義父さん?」
「アレは危険な奴の目だ、そこを動くんじゃないよ」
レイチェルからナイフを借り、再び戦意を瞳に宿らせる父。
レイチェルは言われた通り動かず、まだ動けない俺を守れるようにとすぐ側に佇む。
そして、スズキバラの姿が消えた。
「消えた!」
「どこだ!?」
突如その姿を消したスズキバラ――その姿は、レイチェルのすぐ背後に現れ。
「ぎゃあああぁぁっ!」
現れた男は直後に左肩を父のナイフで貫かれていた。
「レイチェル、下がっていなさい」
「は、はい!」
その後、満身創痍の父はナイフを首に突きつけ「ヒィッ!」という男の悲鳴が聞こえる。
微かに首に刃先が刺さり、少量の血が出ていま。
男はただ涙目で、ガタガタと震えている。
「動くなよ、刺す」
それに気付いたシャーロットも、凄い形相をしていたが動けずにいた。
父はスズキバラへ、怒りの籠もった言葉を放つ。
「調子に乗り過ぎたな、小僧。私は若者が犯す多少の過ちや罪には目を瞑るが……それにも限度というものがある。投降し情報を全て吐くがいい」
男は震えるだけで転移魔法を使わなかった。あの刃先の距離では、回避が間に合わないのだろう。
シャーロットも、戦う力は残されていない。抵抗は、不可能だ。
これで、戦いは終わり――
「うっ!?」
そう思いかけたところで、父の呻き声が聞こえた。
何事かと目を向けると、父は右目を押さえながら一歩下がってしまっていた。
何故。
父の顔の近くに――赤いバッタが飛んでいた。外の国に生息する珍しい赤バッタだ。
ソイツが、今度は父の左目へ突撃しようとしていた。
「どういう事だ、なんで……っ!?」
そしてそれは父だけでは無かった。
「ちょっと何よこのバッタぁ、いたっ!」
レイチェルにも五、六匹の赤バッタが纏わりつき、執拗に目や耳穴の中を狙って体当たりを繰り返し、防ぐために振った腕に噛み付いていた。
「レイチェル!」
何が起きている、何故赤バッタが父とレイチェルへ攻撃し始めるんだ。
何とかしたい、だが、身体が言う事を効かない。動かない。クソッ、こんな時に。
「鬱陶しい!」
父がナイフで赤バッタの一匹を両断する。
――だが、その行動で出来た隙を、狙われた。
父の足元に黒い円が出現して。
「しまっ……」
父が万全な状態なら逃げられただろう。
だが度重なる戦いによる疲労とダメージが重なり、間に合わなかった。
「父さん!!」
父の姿が、黒い円と共に、その場から消えた。
頭が真っ白になった。
父は、父は一体どこに……
「ハハ」
耳障りな、その男の声が耳に届く。
「これで厄介なクソジジイは消えた」
勝ち誇った声で、憎たらしい表情で。
「お義父さん!」
アンナが疲れ切った身体を無理に立たせ、こちらへ走り出す。
だが、それを同じく疲弊し魔力の切れたシャーロットが無理やり抑え込みに入る。
「邪魔をしないで!」
「あなたこそ、邪魔をしないでください」
怒りが頭を支配していた。
この男への……『神の使い』などと名乗る奴等への、強い怒りが。
「父さんをどこへ連れて行った! お前らは、何が目的なんだ!」
「知るかよバーカ」
ただの罵倒のみを吐き捨てて、今度はレイチェルに向かって行く。
「やめろ! やめろテメェ!」
身体が、動かない、助けに行きたいに、立つことすら出来ない。
「好きにさせないわ、スズキバラ!」
レイチェルは小さい土の弾丸を指から発射した。
だが、それはスズキバラの前に割り込んできた赤バッタへと衝突。
「いい、レイチェル、逃げろ!」
「子供も守らなきゃいけないのに逃げるわけにはいかないでしょ!」
ここで大人が逃げたら、確かに次に狙われるのは家の中にいる子供だ。何も返せなかった。
レイチェルは魔法陣の書かれた紙を取り出し、広げ、そこに赤バッタが高速で突撃し穴を開ける。
「――ッ!?」
そして更に、バッタはレイチェルの口の中へと入り込み、喉の奥へと入り込もうとして――
「ちょっ、や、なに……ゴホッ、ゲホッ!」
咳き込み赤バッタが外へと押し出され、レイチェルの足元に黒い円が出現していた。
「クラウス――」
「レイチェル!!」
次の瞬間。
レイチェルも同様に、姿を消してしまった。
「クソ野郎があぁっ!!」
それは、この憎い男への罵倒……だけじゃない。
こんな時に何も出来ない、自分への罵倒の意味が強かった。
愛している女を助けられないどころか、みっともなく騒いで見ている事だけしか出来なかった。
男はまだ止まらない。
次は、アンナに向かって行く。
「やめろ、これ以上やったら、本当に殺すぞ!!」
「ハハ、動けない癖に何か言ってら」
スズキバラはアンナへと向かって行く。
しがみつくシャーロットを振り払い、彼女は立ち上がる。
「やめてくれ、アンナ、もう戦わなくていい!」
「――お義父さんも、レイチェルも連れて行かれて、家の中には子供達とお義母さんがいる。クラウスも、守らなきゃいけない」
「もうやめてくれぇ!!」
アンナにはもう魔法を使う力は残されていなかった。だが、それでも逃げずに立ち向かった。
纏わりつこうとするシャーロットをまた振り払い、突撃してくる赤バッタを拾った石で潰し、スズキバラに掴みかかろうとして。
「さっきアイザックから連絡あってさ。アメリアとミシェル死んじゃったって」
「――え……」
突然男の口から出た言葉を聞いて、アンナは一瞬動きが止まり思考が停止してしまった。
「まあ嘘なんだけど」
その言葉にアンナは我に返り、足元に黒い円が出現した。
「アンナ、逃げ――」
彼女と目が合った。
完全に言い終わるまでに、その姿が消え、この場から居なくなってしまった。
アンナの声を聞く事すら出来なかった。
愛している女を、また助けられなかった。
「いい加減に、しろよ、テメェッ!!」
激しい怒りが、殺意が湧いた、動けたら、この男を切り刻んで殺していた。
出来る限りの殺意をこめて、叫んだ。
だが、男はヘラヘラとしたまま家の方を向いて。
「……目の前で見せてながらやった方が面白そうだな」
悪辣な笑みで呟いた後、男は残る数匹の赤バッタと共に姿を消した。
「なにする気だ、オイ! やめろ、ウィルフレッドと、ルシアンと、母さんまで巻き込むんじゃねぇ!! 何もするな!!」
俺は何をやっているんだ。
家族がめちゃくちゃにされて、それなのに、何もせず情けなく叫んでいるだけだ。
いくら叫んだって、何の意味もないのに。
「ハイハイ、連れて来たぜぇ」
その声と共に庭に現れたのは、中に避難していたウィルフレッド、ルシアン、母カーリーだった。
想像していた通りの、光景になってしまった。
「お父さん! 大丈夫!?」
「お父さん! お母さん達は!?」
子供達は泣き出しそうな顔で俺を見ていた。
「大丈夫だ」と言いたかった……言いたかったのに、言えなかった。
「ウィルフレッド……ルシアン……」
そんな情けない俺の姿を見て、周りの誰も居ない光景を見て、静かに息を吐き、母が子供達を背に庇うように立ち上がった。
「クラウス。よく頑張ったね」
「……母さん……」
「ウィルフレッド、ルシアン、門から逃げな!」
「お祖母ちゃん!」
「母さん、やめてくれ……」
母は手に火を宿し飛びかかる――だが、転移魔法でそれを回避しながら後ろへ回られ、彼女の腰に蹴りを入れられた。
「テメェ、母さんを!」
その怒りの声も虚しく響くだけだった。
地面に倒れ込んでしまった彼女の足元に黒い円が現れ――
「そこから逃げてくれぇ!!」
母は意思の折れていない眼差しをこちらへ向けながら、その姿を消してしまった。居なくなってしまった。
口から血が出るほどに頬を噛んだ。
そして、門から逃げようとする二人の前に、男は転移魔法で移動して。
「やめろ、ウィルフレッドとルシアンにまで手を出すな! やめてくれ、俺は、俺はもう殺してもいいから――」
男は聞く耳持たずにルシアンの腕を掴もうとした。
そして妹を助けようとするウィルフレッドが掴みかかり、蹴り飛ばされ、そこにルシアンが駆け寄ったタイミングで、二人の足元に黒い円が現れて。
「逃げろぉ!!」
ウィルフレッドとルシアンと目が合い、次の瞬間、二人もどこかへ消えてしまった。
子供達まで、まだ小さいルシアンと十三歳になったウィルフレッドまで……連れて行かれてしまった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
スズキバラが、死ぬまで殴り潰したい顔面で笑い声を上げる。
「ハハハハハハ! これで全員いなくなったちゃったなぁ、ザマァみろ! 幸せに暮らして来た報いだ! 自業自得だ!!」
異常者のめちゃくちゃな発言などもう耳に入らなかった。
何なんだこれは。
何でこんな目に合わなければならない……家族が、何で、こんな目に。
喪失感が、絶望感が、悲しみが、憎しみが、殺意が、怒りが……何も出来なかった自分への怒りが、心を焼き焦がしていく。
「テメェらは、本当に、何が目的なんだよ!! 何で俺の家族を、どこかに飛ばしやがった! どこに連れて行きやがったんだ! 殺してやる! 家族に何かあったら、本当にテメェら全員皆殺しにしてやるからな!!」
心にあるのはもう、ただ怒りだけだった。
怒りのままに叫んだ。
叫んだその後に――
聞き覚えのある男の声が割り込んできた。
「アッハッハ。殺す殺すって、英雄らしさが微塵もない発言するねぇ、クラウス〜」
人を小馬鹿にした様な音色で喋る男。
黒い衣装、黒い手袋と黒い靴に身を包み道化の仮面を被ったその人物は、昔……殺したと思っていた元魔王軍の大幹部。
「久しぶりだねぇ、クラウス。ボッロボロじゃないかぁ、アハハ」
「アイザック……ッ!」
そして、その男の左手には鬼族の娘シズクが動けなくなった状態で抱えられていた。
「シズク、まで……っ」
「ここに来る途中に会ってね。あぁ、安心しなよ。致死性が無い毒針を打ち込みまくって動けないだけだから」
そう言いながらシズクを庭の芝生へと転がし、俺に目を向けてきた。
そういえばコイツは、アメリア、ミシェル、ハジメの居る場所へ向かった可能性が高い。
この場に三人は居ない……逃げ切れたのか、それとも……
「アメリアとミシェル……一緒に居た日本人の子はどうした」
「……あぁ〜、それねぇ。いいとこまで行ったんだけど逃げられちゃったよ。あの異世界人を舐めてた僕にも落ち度はあったけどね」
どうやら三人は逃げ切れたらしい。嘘という可能性はもちろんあるが、今は良い方を信じたい。
そしてやはりあの東京タワーはハジメが創り出したものだったようだ。
「しかも、あの子らこの家と逆方向に逃げやがってさ、めんどくさい事してくれるよ本当。だからまあ、今回この都市に来た目的は諦めた。時間もなかったしね」
諦めた?
諦めたなら何故、そのまま帰らなかった。何故家族を巻き込んだ。
俺はアイザックにも、スズキバラにしたものと同じ質問を投げかける。
「なら何でとっとと帰らず、俺の家族を、転移魔法でどっかに連れて行きやがった!? お前らは何がしたいんだ!? 言え!!」
「あ〜、うん。それはねぇ……アメリアちゃんが悪いよ」
「あ……?」
「元々、僕等で家に襲撃してアメリアちゃんだけ拐って帰るのが目的だったんだ。ただ、あの三人で外出したあたりから予定狂っちゃってさぁ……最終的には逃げられて、しかもこっちはスズキバラとシャーロットがピンチだったし、無視出来ないじゃん。だから予定変えたの」
「予定を、変えた……? 何で、アメリアを拐おうとしたんだ……そもそも、何で外出したのを知ってる……」
「だから、家族が巻き込まれたのはアメリアちゃんのせいだ。あの子が一人で捕まれば他は助かったのにね」
「ふざけるな! 悪いのはお前らだろうが! 自分の罪を俺の娘に擦り付けんな!!」
娘を侮辱されたようで激しく怒鳴り返した後に、思い出す。
そうだった、コイツはこういう男だ、わざと相手の心をかき乱す発言をするんだ。
いけない、惑わされるな、話を戻せ。
「……それより。さっきの質問に答えろ、今のは答えになっていない」
「アハハッ。家族を遠くに飛ばす理由ならシズクちゃんに聞かせといたから、この子が起きたら聞けばいいよ」
「お前が、今話せ、アイザック」
「それはしても意味がないよ」
「なに? 」
「だって――クラウス。君にはもう死んでおいてもらおうかなって思ってるから」
「は……?」
「邪魔なんだよね」
そう呟いた直後、アイザックが瞬く間に距離を詰め、でかい塊に殴り飛ばされた。
「ぐぁ――!?」
アイザックの『巨人の左腕』だ。
動けない身体に二発の重たい打撃を受け、片目が潰れる感覚、骨がいくつかやられた感覚と激しい痛みが襲いかかる。
「ガハッ、ハッ、ぐぅ……あぁっ!」
「クラウス。僕はね、君が嫌いだ」
「はぁ……はぁ……」
倒れて動けない俺に近づいてくる。片目が見えない、痛みで思考がグチャグチャになってしまいそうだ。身体も、全く動かない。
そして、珍しくふざけた気配も飄々とした態度もなく、純粋な怒気を孕んだ声を向けてきた。
「かつて僕の仮面の下の顔を見て、勝手に同情なんかしやがった、お前が嫌いだ」
「……アイザック……!」
アイザックは右手を刃に変形させた。
そしてただ殺意だけを籠め、斬り掛かってこようとしたその時。
地面が盛大に揺れた。
「うぉおっ!?」
その激しい地の揺れはアイザックでも姿勢を保つ事は出来ない。
シャーロットは倒れ込み、スズキバラは転倒し叫ぶ。
この地の揺れ、この魔法には覚えがあった。
「やめろ、アイザック」
その声と共に、姿勢を直したアイザックの真横から白髪の男が岩の剣を振るい斬りつける光景が見えた。
そして地面から立ち上がったスズキバラの顔面へと拳をめり込ませ鼻血を巻き散らかせながら殴り飛ばす。
「キミィ……何でこのタイミングで、来るんだい……もうちょい後にしてくれないかないぁ……っ」
「……」
アイザックは斬られた身体を再生させながら立ち上がり問いかけ、男は無言で視線を返す。
その男もかつて、魔王軍大幹部だった……そして最後には、共闘し魔王を討ち取った人物。
「ゲオルグ……」
「無事、では……ないようだな、クラウス」
毛皮のマントを羽織り顔の左半分に刺青が入った白髪の男、ゲオルグがそこに立っていた。