二話 始まる私の異世界生活
学校やら将来やら人付き合いやら何か色々とめんどくさくなり不登校、引きこもりとなり3ヶ月目だった私。
普段のように家でダラダラと過ごしていたら突然異世界に召喚されたらしい。
罪悪感なく学校をサボれる口実を見つけた私はこれから始まる異世界生活に思いを馳せてウキウキ気分になっていたが、大きな蜘蛛に襲われ絶体絶命の危機に。
そして、そんな命の瀬戸際に現れたのが三人の異世界人。
しかも驚くべき事に、そのうちの一人が元日本人の転生者であると語ったのだった。
「……手の平に怪我をしているじゃないか」
「はい、さっき転けて擦りむいたんで……」
クラウスに指摘されてから自分の手の平がよく見ると割と深めに擦れて出血も多い事に気がついた。
怪我をしたこと自体は気づいていたが先程は恐怖の方が勝り気にする余裕も無かった――あ、ヤバい。痛い。落ち着いたらマジで痛くなって来た。もうやだ泣きたい。
「結構血も出てるな……アンナ、この子の傷を治してくれ」
「はいはい、見せて?」
アンナと呼ばれたのは銀髪の綺麗なお姉さんだった。
彼女はこちらへ近寄り、傷を刺激しないよう優しい手つきで私の手を取った。そして空いた方の手の平を私の傷口へかざしながら、口ずさむ。
「ヒーリング」
すると彼女の手の平が温かく光り、私の手の平についた血が消え、傷口が塞がり、皮膚も元通りになっていく様子が目の前で繰り広げられ、段々と痛みも消えていった。
「え、何これ、傷がどんどん消えてる! すご! やば!」
これはすごい。みるみる内に怪我が回復していく、これぞまさに魔法という光景。テンション爆上がりだ。
更にアンナは女神と見違うような慈愛に溢れた笑顔を向け。
「これでもう大丈夫だよ」
「ありがとうございます神様……」
「神様って」
ついさっきまで強い恐怖で興奮状態だったのと、魔法をじっくりと目の前で見た感動と怪我を治してもらった感謝などが色々合わさりおかしなテンションになってしまったが、ドン引きされず苦笑で済んだのでよしとしよう。
怪我の治療が済んだところでクラウスも苦笑しながら訊ねてくる。
「思ったより元気そうで良かった……名前は何ていうんだ?」
「神白はじめ、です」
「カミシロ・ハジメか。俺はクラウス・グランヘルムだ、よろしくな。それと、妻のアンナと息子のウィルフレッドだ」
どうやら三人は親子の様だった。
息子のウィルフレッドは外見的に私より少し下くらいか。
それにしても見ず知らずのピンチの人間を助けてくれるとは夫婦揃っていい人だ。
安心感で頭も落ち着いてきたところで早速質問する。
「……あの、クラウスさん。ここは異世界……何ですか?」
「ん? あぁ、そうだな、異世界って奴だ。それより君は何でこんな場所に一人で居るんだ? ビックリしたぞ、パジャマ姿だし」
「私も何でだか分かんなくて……部屋で過ごしてて、魔法陣の光に巻き込まれて、気付いたら何か、この場所に居て」
「……召喚された場所がここだったって事か?」
「はい、そうですけど」
その答えにクラウスは、「ん〜?」と頭を悩ませる表情を浮かべていて。
「召喚するなら目的があるはずだし、こんな場所に召喚される座標を設定するのはおかしいな……難しい術式だから失敗しないベテランに任せるはずだし。あり得るとしたら、誰かが途中で魔法陣を書き換えて事故でも起こしたか……」
「事故……ですか?」
「あぁ、その可能性が高い。けどまあ、その事は俺たちが考えていても仕方ないな」
よくわからないが、何らかの事故が起きて、その結果私はおかしな場所に召喚されてしまったらしい。
一体誰がそんなことをしたのだろうか。
勿論、私はそんなことをした覚えは無いが。
「それより、君も召喚されていきなり襲われたりして疲れたろう。家に案内しよう」
「……え、いいんですか?」
その疑問にクラウスと、続いてアンナが笑みを浮かべながら答える。
「どこの誰に召喚されたかもわからないだろうし、こんな場所を一人で彷徨くのは危険過ぎる」
「行く当ても無いだろうしね。クラウスの言うとおり、私達の家で暫くゆっくりしていったらいいよ」
「ウィルフレッドも、それでいいか?」
「はい、父さん。困ってる人は一人残らず全員助けろ……家の家訓ですもんね!」
「ん……一人残らず全員とまでは言ってないが、その意気は大事だ」
「あ、ありがとうございます……神ぃ……」
「神は言い過ぎだ……」
困った顔をさせてしまったが、命を危機を救われた上に家にまで案内してくれるとは、神と呼んでもいいと思う。
召喚されてきたばかりの赤の他人を嫌がる素振りも見せず受け入れてくれるとは。異世界に来て最初に出会ったのがこの人達だったのは幸運だったろう。
……いや、でも何か優しすぎて怪しくないか。
実は召喚された人間を狙って罠にハメて油断したところで「ぐへへ、騙されたなー!」と正体を現して人間を食う魔物だったりしないか。
一度考え出すとネガティブな妄想がどんどん溢れ出て来る。
……。
何かちょっと怖くなってきたが、一人で彷徨いてても先刻みたいになりそうなので三人を信じよう。
そうして親子に付いていき途中でもう一人の大人の男と合流。
クラウスより細身で何歳か若く見える彼はニコニコとした表情で「おかえりクラウスさん!」と労いながら馬車へと誘導する。
クラウス、アンナ、ウィルフレッドが馬車の客車へと乗り、最後に私も乗せてもらう。
そして細身の男が馬車を引く形だ。
ファンタジー世界の住人達に人生初の馬車。広がる大自然に見たことの無い動植物。
先刻までのこの世の終わりみたいな絶望感は消え失せ、元の世界の記憶に蓋をし、異世界へのワクワク感が再燃する。
馬車に揺られ移動しながらクラウスの話を聞いてみると、どうやらこの世界では「別世界から召喚された存在が少なからず居る」という情報は世間一般にも広まっているようだ。
むしろクラウスの様な『転生』の方が希少な例らしい。詳しくは語りたくなさそうだったので質問攻めはやめておいたが。
とはいえ、日本人の存在の情報を知っている事と実際に日本人と会うのでは全然違う。
どうやらウィルフレッドは召喚されてきた日本人を実際に見るのは始めてらしく、絵に描いた優等生みたいな顔が好奇心でウキウキした少年の顔になっていた。
「あの、異世界人って皆そういう格好をしてるんですか?」
私のパジャマ姿を見て彼はそう問いかけてくる。
一瞬だらしない姿をディスられたのかと思いかけたが、純粋に未知への興味から来ただけの質問だろう。
クラウスはこの格好に何かを察していて困った表情を向けているし私も返答に困るが、彼に悪気は無いのだ。
ちゃんと答えよう。
「これは寝巻き、パジャマですウィルフレッド君。布団で寝ている途中で召喚されちゃってね……うん。決してパジャマのまま過ごしていたとかじゃないよ? 決して」
「はい、そんな念を押さなくても……」
その横で微笑ましそうに話を聞いていたアンナがスリッパに目を向けた後、気が付かないフリをしたかの様に目を逸らした。
うん、布団で寝ていてスリッパ履いてるっておかしいもんね。そこに触れずにスルーしてくれる優しい人だ。
それから食べ物談義で盛り上がる。食い意地が張っているので私も私で食べ物の話は好きなのだ。
寿司とかカレー、たこ焼きやお好み焼き、うどんなど自分の好きな食べ物の話をすると彼は興味津々に聞いていた。
更に話題は変わり、彼等はこの場所に仕事として来ていたらしい。
元々この夫婦は若い頃冒険者として活動しており、その時の経験を生かし現在は一日から長くて数日で終わる討伐や捜索の依頼、護衛などの仕事を請け負い金を稼いでいるようだ。
そんな仕事の帰り道、大きな蜘蛛から逃げる私を発見したという流れだ。
現在十三歳のウィルフレッドは剣の学校に通っており、将来は立派な剣士になるのが夢だと話す。
その学校で、戦いで収入を得ている者の下で一週間実戦を体験するという課外授業が行われており、その一環として両親に同行していたそうだ。
異世界の課外授業はスパルタである。
馬車に乗り一時間が経過。
仕事の疲れもあったであろう少年は眠りにつき、アンナとも会話を交わしこれから向かう家での暮らし方を聞いた。
流石にタダで暫く寝泊まりさせる訳にもいかないので、簡単な家事の手伝いはしてもらいたいとの事だ。
元の世界で家事手伝いはしていたので問題ない。しかし正直異世界に来てまた家事手伝いかという思いもあったがタダで寝泊まりさせてもらうのは罪悪感があるので了承した。
「それと、うちは家族が他にも六人居るけれど。皆優しいから緊張しなくても大丈夫だよ」
「え、九人家族なんですか? めちゃくちゃ多っ」
「他にクラウスの妻がもう一人と、子供が三人。あと祖父母が一人ずつ暮らしてるの」
「あぁ……なるほど、ハーレムか」
「……重婚と言ってくれ」
クラウスはどうやらハーレムという呼び方がお気に召さなかった様だ。
私も二次元限定だが優しいイケメンに囲まれたい願望はあるので恥ずかしがらなくていいと思うが。
「他にも分からない事があれば遠慮せず私に何でも聞いてくれていいよ。例えば魔法とか……」
「じゃあ私でも魔法って使えますか!?」
「魔法に対しての食いつきが一番凄いね……」
興奮気味な反応に驚かせてしまったが、それは仕方ないだろう。異世界ファンタジーといえばやはり魔法だ。
魔法を使えたらもう人生の目的の一つは果たせたと言っても過言ではない。
「この世界で生きて呼吸してれば魔力も一緒に身体に取り込まれるから、普通に過ごしてれば使える様になるよ」
「やったぁっ!」
「使いこなしたいなら練習は必要だからね?」
ガッツポーズしながらはしゃぐ姿に苦笑しながら冷静な指摘をするアンナ。
練習とは私の嫌いな言葉ランキング50位以内にはランクインしている言葉だが、興味のあるものならば話は別だ。
勉強、体育、学校行事なんかより頑張れる自信がある。
「魔法ってどんなことが出来るんですか?」
「魔法も人によって発現する魔法の種類は違うから、何が出来るかも人それぞれ違うんだよね」
「へ〜」
「それで魔法の中には、世界で数十年に一人発現する人が現れるかどうかの希少魔法が存在していて」
「希少魔法……何か強そう」
「あなた達の世界に済む人間は、魂の形状が希少魔法を発現しやすい形をしているらしくて……召喚者のほぼ全員が希少魔法を扱えるの」
「へー……つまり……え、私もその、レアな魔法を使えるって事ですか!?」
「レアって言葉は分からないけど、あなたも希少魔法が使えると思うよ」
「えー、マジ嬉しい! もう家にも日本にも一生帰れなくていい! ずっとここに居たい!」
どうやら召喚者は異世界でもかなり珍しい魔法を使えるらしい。確かにそれは手間暇かけて別世界から人間を召喚したがるかもしれない。
いや、そんな他人の都合なんかよりも。
つまり、いわゆるチート能力的なもの……珍しい力が私に手に入る可能性があるというわけだ。
そう考えるとより一層ワクワクしてきた。
めんどくさい義務とかしがらみとか将来とか色々考えなくていい、異世界スローライフが私を待っているのだろう。
そうして、目を輝かせながらこれから始まる異世界生活に思いを馳せていると、クラウスが何か言いたげな顔で私を見つめていた。
「えーと……私の顔なんかついてます?」
「ん……いや。何でもない……」
そう口ごもり目と話を逸らそうとするが……数秒何かを思案したのち、彼は再びこちらへ視線を向け。
「冗談でも、本気じゃなくても、な……帰れなくてもいいとか、軽々しく、言うもんじゃない」
「え……何でですか?」
そう返すと、彼は少し沈黙し、暫し考え込んでから小さく息を吐いて。
「……いや、余計な事を言ったな、忘れてくれ」
その言葉の真意は、この時の私にはまだ分からなった。
だが、彼がどこか切なげな表情で、遠くを見る様な目をしていたのがやけに頭に焼き付いていた。
――そうして更に一時間が経過。
崖に架かった大きな橋。その下には広大な河川が流れており、馬車で橋を渡って林道を抜けた先に城壁と大きな門が見えて来る。
二人の門番はクラウスの顔を見ると直ぐに道を開け彼に敬礼していた。結構すごい立場の人なのだろうか。
開かれた門を通り、一帯に広がる街並みが視界に映し出される。整備された石畳の地面、そして中世ファンタジーといった雰囲気の建造物が立ち並んでいる。
周囲には、様々な髪色をした老若男女の人達、そして犬、猫、蜥蜴など多種多様な姿をしたいわゆる『亜人』などが行き交っており、活気に満ち溢れていた。
遠くには大きな建造物もいくつか見えて、規模の大きそうな街である事が分かる。
そのまま一行は馬車で街の中を通り抜けて行く。
この辺りは商店街らしく、野菜、果物、肉、川魚、穀物、酒といった食料品に、衣服、書物、装飾品、貴金属など、様々な小規模の店が一本道の左右に多く並んでいて、周囲から何度か声をかけられた。
道中、壁に何枚かの顔の肖像画が貼られており文字はさっぱり読めなかったが、起きたウィルフレッドから話を聞いてみると危険度の高い犯罪者の手配書らしい。
中には若くて美人な女の顔もあった、いったい何をしたのだろうか。
そういえば何故、文字は読めないのに言葉は通じるのだろうと疑問が生じたが、言葉が通じる事にメリットはあってもデメリットは全く無いので気にしない事にした。
街を抜けると、段々と周りの人や建造物が減っていき、自然が多く見えて来る。畑と民家と広がる土地になってきた。
どうやらこの近くに彼等の家があるらしい。
「ここまででいい。ありがとう、お疲れさん」
馬車を止め細身の男にクラウス達が礼を言い、客車から降りる。私も会釈をしながら続けて降りた。
地面を踏みしめ周囲を見渡す。さっきまでの賑やかな街と違って山や森の見える静かな村。鳥や虫が飛び交い、風も心地良い。
森の向こう側にいくつか高い建造物が確認できるのが田舎っぽさを激減させているが気にしない。
そのまま整備された地面を歩いていくと、畑に居る老人へクラウス達が声を掛ける。
「父さん、ただいま」
「あぁ、おかえりクラウス。ウィルフレッドとアンナも。今日も無事帰れたみたいだな」
「お祖父さん! 僕今日ヒトクイアリを一匹倒せました!」
「おぉ、本当かウィルフレッド! 流石は私の孫だ。えらいぞ。将来は天才剣士だな、うむ、間違いない」
「お義父さん、あまり過剰に褒めすぎるとこの子、調子に乗っちゃうから……」
クラウス、ウィルフレッド、アンナと老人の何とも平和なやり取りが交わされる。微笑ましい家族だ。何か見ててちょっと胸が痛んだがたぶん気のせいだ。
「そこの子は?」
「あぁ……召喚されてきた異世界人だよ。でも事故で変な場所に召喚されちゃったみたいでさ。放っておいたら絶対命が危険だったから連れてきた」
「うむ、そうだな。見るからに戦う力も無さそうな少女だ。見捨てるのも胸が痛むだろう……君、遠慮せずゆっくりしていきなさい」
「はい、ありがとうございます」
私をあのまま放置したら百%死んでたというのがやはり皆の共通見解らしい。まあその通りだが。
そのまま真っ直ぐと緩やかな坂を登って行き、一軒の屋敷みたいな大きな民家が見えて来る。あれがクラウス達の住む家。
その立派な家を見上げていると、一人の少女の声が聞こえて来た。
「お帰りなさい」
穏やかな音色で出迎えたのは、銀髪の、私と年が近そうな少女だった。
「ただいまアメリア」
「今日は家事ありがとうね」
「いいよ、私は休日だったから」
両親と言葉を交わし、続けてウィルフレッドが興奮気味に声をかける。
「姉さん、僕今日ヒトクイアリを一匹倒したよ!」
「よかったねウィルフレッド。怪我が無くて良かった」
弟を労い、そして私へと視線を向け。
「そこにいる女の子は?」
その問いかけにクラウスが先刻と同様に返し、納得した様に少女が頷いた。
そしてこちらへと駆け寄り、優しそうな微笑を浮かべ、挨拶をしてくる。
「はじめまして、アメリアです。これからよろしくね」
「神白はじめです……よろしく」
私の異世界生活は、ここから始まった。