十九話 現れた悪意
――時間は、ハジメ、アメリア、ミシェルが街へ出てから三十分程度経過した頃まで遡る。
俺は庭で植木の剪定をしていた。
少し休憩しようと庭石に腰を掛け、母のカーリーが陰に置いていったグラスのお茶に口をつける。
小さな風が吹き微かに揺れる木々の葉、庭の景色を眺めていたその最中。ふと前世の記憶が蘇る。
小学生くらいの夏休みの日だったか。
蝉の鳴き声が聞こえる庭で、剪定をしている父の後ろ姿。
縁側で母の切ってくれたスイカを食いながら眺めていたっけ。
鯉の泳ぐ池なんかもあって、その景色が俺は何となく好きだった。
まあ、中学に上がってからは段々と興味が薄れていったんだが……
今ではこうして自分で庭の手入れをして、その景色を眺め、過去を懐かしんでいる。
「この世界、蝉がいないんだよなぁ……」
前世の頃は蝉の大合唱などうるさくてかなわなかったが……長年、蝉の声を聞いていないと何となく寂しい気持ちにもなる。
過去に思いを馳せていると、玄関の方から足音がバタバタと聞こえてきた。これはルシアンの足音だ、すごく分かりやすい。
「お父さん、バッタこっち来た!?」
想像通り現れたのは末っ子の娘だった、嬉しそうに目をキラキラさせてどうしたのだろうか。
「バッタがどうした? ルシアン」
「さっき窓に赤バッタが引っ付いてたの! 捕まえようと思ったけど逃げちゃった!」
「そりゃ珍しい種類だな。そうか、逃げちゃったか……」
ルシアンは苦手な虫からはとことん逃げるが、好きな虫はとことん追いかける。
赤バッタは別の大陸に生息していて数も少ない種だ。
五年くらい前からこの都市内では時々目撃情報がある。遠方から帰って来た馬車や荷物にでも紛れていたのだろう。
そういえばアメリアも近くを飛んだり止まっているところを何回か見たと言っていたな。
俺は見たこと無いが……
「じゃあ次見つけたら父さんと一緒に捕まえるか」
「うん!」
約束を交わし嬉しそうに返事をする娘の背後。
玄関から出て来て話を聞いていたウィルフレッドが「それは駄目ですよ」と焦った顔で駆け寄って来た。
「赤バッタを捕まえるのは反対です、父さん」
「む、そうか。確かに、数の少ない種を無断で捕獲するのは良くないかもな。そういう行為が絶滅に繋がるかもしれんし……」
「珍しい虫がいつでも見られる場所に居たら、見つけた時の感動やロマンが無くなります!」
「あぁ……そっちか……」
ウィルフレッドはそういうの好きそうだもんな、と苦笑しそのまま子供達と雑談を交わしていると今度はまた別の足音が玄関から聞こえてくる。
顔を見せたのはアンナだった。
その表情には困惑の色があり、どうしたのか訊ねてみる。
「アンナ、何かあったのか?」
「うん……さっき家の窓にね、シズクが張り付いてたの……」
「雫? 雨は降っていないが」
雨じゃなければ、何かの水が窓に飛んできたのか……いや、そんな事で何故そんな顔をするのかとアンナへもう一度振り向くとその答えが返ってきた。
「……そっちじゃなくてゲオルグと一緒に居たシズクだよ」
「何でソイツが家の窓に張り付いてるんだ!」
ゲオルグと常に一緒に居る、水色の髪をした小柄な鬼族の娘だ。
まさかの答えにジョークを言われてるのかと思ったが、彼女の顔は真剣そのもの。本当に張り付いていたのか。
何で急にそんな悪ふざけを……いや、シズクも真剣なつもりで変な事をやらかしそうなタイプではあるな。
何故突然ここに来たのか……遊びに来たとかではないはずだ。
たぶん、一ヶ月ほど前に聞いた『神の使い』とやらの話だろう。
そいつらが家族を巻き込む恐れが無い限り自分から戦いに参加するつもりはないが、話は聞いておこう。
「今は中に居るのか?」
「うん、今はレイチェルが話してる」
「そうか……。ウィルフレッドとルシアンもいったん家に入ろう」
「はーい」
子供達も連れて中へと入る。
レイチェルとシズクは仲が良い、そのきっかけは十六年前に彼女が拐われた時。
その時の見張り係がシズクだったらしく、情報収集と暇つぶしで話しかけまくっていたらそのうち意気投合したようだった。
助けに来たらお互い友達感覚で喋っていてビックリしたのも今ではいい思い出……いや、大事な女が拐われたのだから全くいい思い出じゃないが。
そういえばハジメはまだ知らないが、レイチェルも亜人の血を引いている。クォーターだ。
しかし彼女が持つ亜人らしい要素といえば目が良い事と、戦いが苦手な割に頑丈で元気なところくらいで、普通に暮らしていたら誰も気付かない。
本人が亜人のクォーターであることを話すのを嫌がっている訳ではない。
むしろ、本人が気にしていなさすぎて普段話題に出ないので話す機会もなかった。
子供であるミシェルとルシアンも、人より少し耳がいいくらいで、亜人らしい特徴は特に出ていない。
十歳を過ぎてから急に特徴が発現することもあるらしいから、ルシアンはまだ分からないが。
子供達は祖父母も居る居間へと戻りそれぞれ自分の好きな事を再開し始めて、クラウスはアンナに連れられて食卓まで歩いて行く。
中に入ると、そこではシズクとレイチェルが向かい合い何やら話していた。
レイチェルと目が合い、ここに座りなさいと手で合図される。
「お疲れ様、クラウス」
「あぁ。なんの話をしていたんだレイチェル」
「あの子が話すわ」
隣に座り、アンナもまた隣に座って、窓側に座るシズクと目が合う。
「おはようございます」と首を下げて来たので「おはよう」と一言返した後――
シズクは無表情のまま俺に視線を突きつけながら開口一番、耳を疑う様な一言を発する。
「今日か明日中には家族皆で荷物をまとめて、この家は捨てて遠くまで出て行ってください」
「――いきなりだな……」
「どういうこと……?」
困惑する俺とアンナ。
一方、事前に話を聞いていたレイチェルは冷静な顔のままだ。
「ビックリでしょ、私も話してたらいきなり言われたわ。でも話を聞く限りそうした方が良さそうよ」
いきなり長年暮らした家を捨てて出て行けなど冗談としか思えない言葉に絶句するが、シズクの目は真剣そのもの。
レイチェルも話を聞いたところ、賛同できる提案だったらしいが。
「説明も無しに分かったとは言えない。詳しい話をしてくれないか」
「以前話した『神の使い』ですが……その目的の一つと、これから行う作戦の内容の一部が分かりました」
「……それが、今の発言に何か関係あるんだね?」
「はい」
アンナの問いかけに彼女は首肯し、その答えを口にする。
「奴等の目的の一つは、あなた達の娘……アメリアの誘拐です」
「何だって!?」
「なんで、あの子が……っ」
出て来た名前に俺とアンナは信じられずに動揺する。
アメリアはつい少し前に街へ出た……何かあってはいけないと反射的に椅子から立ち上がり、レイチェルに止められた。
「待ちなさい、気持ちは分かるけど先ずは話を聞く!」
事前に聞いていたからだろう、彼女は冷静……いや、止めに入る手は震えていた。冷静を保とうとしているが、やはりレイチェルも心配なのだ。
「シズクの口ぶりからしても、来るのは今すぐじゃないと、思う……先ずは最後まで聞こう」
同じく動揺を隠せていないアンナも、そう俺に言い聞かせてくる。
確かにそうだ、感情のままに動けば良いわけじゃない……とりあえず落ち着こう。
「続けてくれ、シズク」
「はい。そして、彼等はおそらく『魔空船』を所持しています」
「魔王軍が発掘した古代魔道具か」
『魔空船』とは、滅びた古代文明に開発された世界一巨大な魔道具――魔力の力で空を飛ぶ船だ。
魔法の扱いに長けた者で無いと操作が困難で魔力消費も激しい。
そして速度を上昇させれば更に魔力消費が増えるらしく、強力な魔道具ではあるがデメリットも大きく頻繁に使われる事はなかった。
「拠点のある国から魔空船でここまで来るのは、普通に操縦すれば二週間……速度を最大に増やせば五日で来れます」
「そういえば、ゲオルグも魔空船を一つ持っていたよね?」
「はい、アンナさん。私達もそれで来ました」
「――ゲオルグがどこにも居ないが、まさか、お前ら最大速度で来たのか?」
「クラウスさんご明察。ゲオルグ様が魔力を限界まで使い切り、ここまで来ました。『神の使い』よりも速く到着出来たはずです」
「そうか……そこまでして。ありがとうな」
「いえ。礼は寝ているゲオルグ様に」
俺達に緊急事態を伝える為わざわざ魔力を使い切ってまで警告に来てくれたとは。
『魔空船』で魔力を使い切ると暫く気を失うと聞いた。どこかで寝ているであろう彼が起きたら礼を伝えておこう。
「私とゲオルグ様は『神の使い』が行動を開始する前に動きました。なので、奴等が全速力で来ていても何日かは猶予があるはずです」
「そうか……だが、それでも早めに動いた方が良さそうだな」
「そうだね……どうする? クラウス」
小規模な犯罪組織くらいなら待ち構えて返り討ちにするが、『神の使い』はゲオルグが警戒し警告する程の組織だ。
甘く見ない方がいいだろう。気を抜いてはいけない。
「魔空船は、二十人くらいなら乗れる広さはある。俺達を乗せてどこかに逃亡は出来ないか?」
「出来ますよ。ペットも連れ込み可です」
『魔空船』も使わせてくれる様だ。
三人が帰って来たらアメリアとミシェル……ハジメにも声を掛けておこう。
もし、ハジメを召喚したのが『神の使い』なら接触させない方がいい。
「それと。神の使いが都市に襲撃に来る前に『グランヘルム家が都市外に出ていった』って情報を広めた方がいいと思うわ」
「そうだなレイチェル。俺等を探す為に都市で暴れられる訳にはいかんからな」
家族を守り、都市に住む人達も守る。
それを成すならゲオルグ達と行動するのが良いだろう。
あとは父さんと母さんにも許可を取らなきゃいけない……まあ、あの二人なら「家族の為なら」と即答で了承するだろう。
あぁ、子供達も説得しなきゃいけないな。学校にも暫く行けなくなるし、友達とも離れ離れになるし……。
一生の別れではないし、事が終わったら帰るつもりなので、俺としては許して欲しい。
話もまとまってきて、父さんと母さんにもこの話を伝えて来ようと椅子から立ち上がった時だった。
椅子に座り茶を啜っていたシズクの表情が変化した――――驚きを滲ませた表情になり、手が止まって何かを呟く。
「嘘……なんで、速すぎる……」
「シズクちゃん、どうしたの?」
心配そうに声を掛けるレイチェルに、シズクはコップを置きながら答える。
「――『神の使い』に居た女の気配が、この家の門の近くに居ます」
「何だって!?」
鬼族は亜人で最も生物の気配と魔力の感知に優れている。
そんな彼女が、門の近くに来るまで気付かないほど気配を消すのが上手い――相当な手練だ。
いや、それよりも。シズクから聞いた話なら、まだ来ないはずだ。何故こんな早く。
……考えるのは後だ。今は、家族を守る事が最優先だ。
「アンナ、レイチェル、居間に居る皆を頼む」
「分かった」
「任せて!」
俺は近くに立て掛けていた剣を手に取り、引き抜いた。
シズクと共に急いで廊下を駆け抜け、玄関の前に到達した瞬間。
「規模の大きい氷の魔法が来ます」
「!!」
背後からのシズクの声を聞き、剣を握る右手に魔力を込めた。
そして――急激に空気が冷え込むのを感じ取り、外で氷魔法を撃たれたのが分かった。
更に玄関の扉の隙間から冷気と共にパキパキと氷が現れて扉に壁や天井をどんどん侵食していき家の内側が凍らされて行く。このまま放置すれば全てが氷漬けだ。
「やらせるかよ!」
なりふり構ってはいられない、壊れた部分は後で直せる。
魔力を込めた剣を大きく振るい扉ごと破壊しながら氷魔法を切り裂く。
「ハアァァッ!」
内側に侵食していた氷が消滅、真っ二つになった扉の向こうに広がる大規模な氷ごと一閃。
庭と家を侵食する凍りついた世界は『消失魔法』によってどんどんと無数の輝く氷の粒へと変化していき――やがて消滅した。
消滅した氷の世界の先――門の前に立つのは、白いローブを羽織り紫の髪を伸ばす、感情が一切感じられない顔をした一人の若い女だった。
知り合いではない、が、どこかで見た様な顔である気もする。いや、今はそれより家族を守る事が最優先。
俺とシズクは刃を振るい女へと接近する。
女は口も表情も一切動かさないまま、両手を前に構え、次の瞬間。
「うおっ!?」
足元から氷の棘が生え、脚を突き刺す寸前で回避。それと同時に頭上から迫る野球ボールサイズの氷の雨。
「私が対応します」
シズクが飛び上がり、氷の雨に対し剣技を放つ。
「鬼神刀術・廻転」
中空で身体を回転させながら氷の雨を刀で打ち砕き援護してくれた。
砕き切れなかった氷の玉は地面に穴を開けながら追突していくが、彼女の援護により俺に降りかかってくるモノは一つも無かった。
そのまま一気に距離を詰め、剣を振るい、女の手を狙って放たれた一撃。
分厚い氷の盾が出現し、『消失魔法』を上乗せした一閃で無数の粒に変えながら切り裂く。
そして、同時に女の手首を両断し――
「くっ、偽物かっ!」
その断面が氷になっている事に気が付いた。
達人が扱う氷魔法の一種だ、氷の雨に気を取られた瞬間に入れ替わったのか。
遠く離れた別の場所に立つ女に気が付き、俺とシズクは同時に斬りかかる――が、女の魔法の方が早かった。
「アイス・ウェイブ」
庭全体に広がるほどの氷の波が広範囲に放たれた。『消失魔法』の使用はあと数秒出来ない。この規模はシズクの剣技でも打ち返せないだろう。あの女の戦闘力は間違いなく大幹部クラスだ。
――回避に専念するしかない。
「ヒート・スプラッシュ」
その時、家の方から声がして大量の水――いや、高温の熱湯が大量に放たれる。それは氷の波の広がりを高熱で溶かしながら、食い止めた。
炎魔法と水魔法を合わせた一撃――アンナだ。
そして更に窓から一人の影が飛び出し、熱湯を退けた氷の波の一部を剣技で両断し破壊した。
それをしたのは父のシュタール、年老いても人並み外れた剣技は健在だ。
「アンナ、父さん!」
「中の皆は無事だよ」
「私達で、敵を討つぞ」
「あぁ……!」
この状況に分が悪いと感じたのか、女は門の前にまで後退し立ち尽くす。
そしてこちらには四人が並ぶ、アンナとシュタールという強力な助っ人も揃った。
いくらゲオルグやアイザッククラスの強敵でもこの状況では苦しいはずだ。
「――お前が何者なのかは知らんが、投降しろ。情報を喋るなら殺さない」
元々必要のない殺しはしたくない主義なので、なるべく抵抗せず投降してもらいたい。
女は暫し沈黙し――やがて、口を開く。
「あぁ……来てくださったんですね……」
周りには誰も居ない、誰かが居れば真っ先にシズクが反応するだろう。
何者の気配もない中で突然何を言い出すのかと警戒していた最中。
「……今までに感じた事のない魔力を感じます。近づかないでください」
「え?」
シズクが警戒心を張り詰めた顔で呟き、四人全員がそのまま警戒態勢に入った。
そして、明確に異変が現れる。
女の周囲の地面の上に合計七つの黒い円の光が出現した。
「なんだ、あれは」
「私も知らない……何かの魔法には、感じるけど」
「私もだ。無闇に近づかない方が良いだろう」
アンナと父も知らないようだ。
いつでも反撃できるよう魔力を溜めていると、黒い円に更なる変化が起きた。
「なんだ――!?」
それは一瞬だった。
さっきまで何も無かったはずの六つの黒い円の上に、それぞれ六人の何者かが立ち尽くしており、役目を果たし終えたかの様に円の光が消えた。
その現象の意味は分からなかったが――犬、猫、蜥蜴、蛇等の亜人ばかりの構成、現れた六体が身に纏う黒い衣装には見覚えがあった。
アイザックが直々に育成した直属の殺し屋部隊に酷似していた。
「奴も来ているのか……!?」
そして、衝撃はそれだけでは終わらなかった。
残る最後、七つ目の黒い円から最後の一人が現れた――
「な……っ」
現れたのは一人の痩せ型の男だった。
赤いロングコートを着た、黒髪。その顔つきはこの世界の者ではない――あれは日本人の顔つき。
その男は俺を見た。目が合った。
それはまるでこの世の全てを見下し、嫌悪し、憎悪しているかの様な目。
男は俺を見て、声を掛けて来る。
「よぉ、お前がクラウスか。会いたかったぜぇ……っ」
「……誰だ、お前は……っ」
その男は悪意の籠もった声で……悪辣な笑みを向けて来ていた。