十七話 森の中の戦い
死を覚悟するような頭痛に目眩、全ての内臓が掻き回されるような感覚に、鼻と口からは血が漏れて、全身が重く立つこともままならない。
が、段々とその痛苦も多少は和らいで来た。背中に温かみを感じる――前にも触れた感覚だから分かった。治癒魔法だ。
「ハジメさん、身体大丈夫か」
ミシェルの声が聞こえて来た、右側へ振り向けば彼とローランド、アメリアの順で並んで心配そうにこちらを見つめていた。
まだ痛いし寝込みたいレベルで身体は重いし全身が悲鳴を上げているが、周りの声を聞き取れる余裕ができる程度には回復した。
「気休めでも、治癒魔法はかけとくから」
「うん、ありがとう……ミシェルくん……会話できるくらいにはなった……」
「終わったらすぐローランドと一緒に病院に行こう」
「私は病院なんて、行かなくても大丈夫だよアメリア、全然大丈……いや、やっぱ行きたい……」
「だよね、どう見ても大丈夫じゃないよね!」
そうだ、私が治癒魔法を掛けて貰っているが、ローランドの傷は大丈夫なのか。
右側をもう一度振り向くと、アメリアがスカートを破いたらしき布を巻きつけ応急処置はしているものの、まだ出血があるローランドが胡座で座り込んでいた。
彼もまたミシェルの治癒魔法を受けているが……
「ミシェルくん、私はもういいからローランドの治癒に集中して!」
「え、ハジメさんは平気なのか!? さっきまで血い吐いたりして本当にヤバそうな感じだったけど!?」
「大丈夫、全然平気!」
では勿論ないが、流石にローランドの怪我の方が緊急性が高いだろう。ミシェルも二人同時に治癒魔法は疲れるだろうし。
「んな焦らなくても、最初よりはだいぶ塞がってきたから問題ねぇんだがな……内臓に被害は無さそうだし。これくらいの怪我なら今まで三回はしたことあるし」
「何回怪我したとか全然自慢にならないよローランド。心配するから私としてはこんな怪我しないで欲しいよ」
「いや、自慢した訳じゃないんだが……悪いアメリア……」
たぶんローランドは「気にせずハジメにも治癒魔法をかけたらいい」とでも遠回しに言いたかったのだろう。
アメリアの意思を尊重し気付いてても言わないが。
ローランドは話題を変えるように私へ話しかけてきた。
「お前も何とか無事そうで良かった――が、こんなデカいモンよく作れたよな。何だこりゃ」
「うん。元の世界の、東京タワーって建造物だよ」
全長333メートル、東京タワーなんてものを『創造』したのだ。
何かしら大きな副作用や反動が起きることは覚悟していたが、本気で死を覚悟するようなものが来るとは思わなかった。
しかもこれ、デカさとシルエットと大まかな造形、材質なら誰が見ても『東京タワー!』と呼べる出来だが、よく見ると細部は結構適当な作りになっている。想像力の限界だ。
細部まで完璧な東京タワーを作っていたら本当に命を引き換えにしていたかもしれない。
「この凄い建物の事も気になるけど……今はそれより、ここからどうするかだね」
アメリアの言葉に全員が首肯する。
これならばアイザックは簡単に追ってこれないだろう、三十人の肉壁も意味を成さなくなる。だが、こっからどう動くかが次の課題だ。
たぶんこの東京タワーも保って一時間程度のモノ……持久戦は意味が無い。消えて下に落ちてその瞬間アイザックに捕まったら、ただ無駄に死にかけながら巨大な電波塔を見せつけただけで終わってしまう。
「……私が風魔法を使えば、遠くまで移動しながら下に降りられるよ」
「え、空飛べるの?」
「飛ぶのは無理だけど、ゆっくり移動しながら緩やかに落下していく感じかな。下までギリギリ魔力は保つと思う」
「なるほど、パラシュートみたいな感じね」
「それは分からないけど」
それならば東京タワーから更に遠い場所まで逃げる事は可能だ。このままここに居ても意味は無い。それでいこう。
「じゃあ、向かう場所は俺達の家だ。父さんや母さん、じいちゃんに助けを求めればアイザックなんか倒せる」
普通に考えればミシェルの提案が一番良い。このままさっさと家に帰って頼れる大人達に助けを求める――それが一番良い、選択肢のはずだ。
が、「その案で行こう!」と即答するには何か引っかかりがあった。
「アイザックが途中吐いた台詞が気になるよ……『向こう側はピンチだ』って」
「それは私も気になってた。そこから急に終わらせにかかって」
私の引っかかりにアメリアも同意し、ローランドも「そうだな」と答え。
「たぶん、グランヘルム家の事だろうな。あっちにも刺客が行ったんだろう」
「なら尚更――!」
「心配なのは分かるが落ち着けミシェル。アイザックが急に焦りだしたって事は、危機に陥ったのは敵の方だ」
「あ、そうか……」
ミシェルが納得し、そこにアメリアも言葉を続ける。
「それに、アイザック達の目的が私なら、家に帰るのはよくないと思う。下に居る三十人の敵を、家の皆に追加で連れて行く事になるし……それに」
「……今のボロボロな俺達が家に帰ったら、父さんや母さんの守るべき対象が増えて、却って負担になっちまうか」
「……うん」
ミシェルは悔しそうな顔しながらも自分でそう結論を出し、アメリアも同様の表情を見せる。
確かにそうだ、私達四人はボロボロの満身創痍。今、家に近づくのは却って皆に余計な負担を掛けてしまうだけ。
「私も悔しいけど、うぅ……仕方ないか……」
クラウス、アンナ、シュタールと負ける姿が想像できない大人達が居る。が、レイチェル、ウィルフレッド、ルシアン、カーリーと心配な人達も居る。
しかし、今の私達が行ってどうにかできる事じゃない。我慢だ。
つまり、私達がするべき事は家への帰還ではなく……
「――家から離れた遠くまで逃げて敵の撹乱、がいいのかな」
私の提案に皆も異議は無いようだ。
「うん、そうしよう」
「それが一番敵を惑わしグランヘルム家に掛かる負担を減らせるはずだ。ミシェルもそれでいいな?」
「――うん。皆を守りにいけないのは悔しいけど、分かった」
ミシェルも了承してくれたところで、ローランドも傷がだいぶ塞がったらしい。行動するなら今だ。
アメリアの準備が出来次第、この東京タワーから飛び立とう。
――――――――――
アイザックは空を見上げていた――そこに建つ赤と白の入り混じる巨大な建造物。
おそらく異世界のモノか何かだろうと推測していた。
しかし今は創られたモノの正体などどうでも良かった。
どう動くかを待ち構え続け――ついにあの四人は動き始めた。
風魔法を利用しての、緩やかに落下しながらの空中移動だ。
南にあるグランヘルム家とは別方向……北側の森林地帯の方角だった。
「……チッ。逃走する方向までめんどくさい場所を選んだな……はぁ……」
男は溜息を吐きながら歩き出す――四人が逃走した方向とは逆の、南へ。
「君等は全員であのガキ共を捕まえて来なよ。四人全員ボロボロだ、早く行け。逃がすなよ」
「ハッ、了解しました!」
総勢三十……だったが、ローランドの雷魔法に巻き込まれ倒れた者も居るため実際の人数は二十数人。
残った二十数名の刺客が北側の森林地帯へ逃亡した四人を追いかける――
南側へ向かうアイザックは「仕方ないなぁ」と小さく呟きながら、懐から懐中時計の様な魔道具を取り出して。
「たぶんアイツらじゃアメリアちゃんの確保はもう無理だし……作戦を変えようか」
――――――――――
東京タワーから降りるという冷静に考えたら恐ろしい行動に、飛び立ってから自覚した私は危うく悲鳴をあげかけた。何とか耐えた。
広がる街が小さく見えるほどの高所――その中をアメリアの風魔法によりゆっくりと移動し森林地帯に向かい降りて行く。
いつもなら恐怖を通り越し感動で騒いでいたところだが、それどころではないから勿論そんなことはしない。
そして森林地帯の中央地点に緩やかに降り立ち、四人で着地。逃走には成功した。
ずっと頑張り続けていたアメリアは魔法を解いた途端に両膝を着き息が荒くなっていた。
「ありがとうアメリア、ゆっくり休んで」
最初は「まだ大丈夫!」と私みたいな事を言ったが、ミシェルとローランドからも休息を薦められて彼女は折れ正直になった。
「う、うん……ちょっと、休ませて……」
やはり相当体力や魔力を消費するらしい、高木に背をつけながら座り込み俯いた。
そして体力、魔力が限界なのは……私も、ミシェルもローランドもだった。
私は『創造魔法』で無茶をやった結果。
ミシェルは皆を守る為に、戦闘に防御魔法を多用し、負傷者の回復でも多くの魔力を消費した。
ローランドも、雷魔法は強力なぶん消費が大きいらしく魔力がカツカツ。更に、塞がったとはいえ休まず無理すれば傷口は直ぐに開くらしい。
治癒魔法も万能ではないようだ。
「近くにクサラの実が生えてるはずだ。それ食って少し休憩するぞ。無理して動き続けるよりは、わずかにでも体を休ませた方が良い」
ローランドの言葉に従い、全員が森の中で休む事にした。
クサラの実とは、疲労と魔力を少しだけ回復できる木の実だと聞いた。効果は雀の涙ほどらしいが、無いよりは微量でも有る方がマシだろう。
木の実を口にし、私達は全員無言で草原の上に座り込む。
風で揺れる葉音だけが耳に届いている静かな空間で、ひたすら体を休める事だけに集中した。
おそらくアメリアもミシェルもローランドも、本心では直ぐに動き出したかっただろう。私もそうだ。
でもそれと同時に体は悲鳴を上げていて、無理に動いても途中で倒れて終わるだけなのは想像に難くなかった。
数十分が過ぎ、最初よりは体の疲労感もマシになった頃。
体力と魔力がわずかにでも回復し
ローランドの合図で一斉に立ち上がり、森の中を歩き始める。
ここは人の手で管理されている一帯で、凶暴な獣は基本的に現れない。
会話も少なく森の中を歩いて行くその道中。
ピクリとミシェルとアメリアが何かに反応し同じ方向へ視線を向けた。
「今、遠くから何か聞こえなかった?」
「音は分からないけど、向こうから魔力みたいなものは感じたよ」
「え、私は分からなかったけど……」
私には分からないが、姉弟は何かを感じ取ったらしい。
そして、同じ方向へ顔を向けたローランドが先頭に立ち、思考を巡らせながら呟き始める。
「追手か、もう森の中にまで……予想より来るのが早かったな……馬車でも盗んで来たか。気配の動きからしてベテランと素人が入り混じっている……アイザックはおそらく居ない。集団行動前提で訓練受けた奴等よりは相手しやすそうだが、やっぱ今の残った力じゃ数的に厳しい、どうするか……」
そのローランドの呟きを聞きながら、アメリアとミシェルもそれぞれ彼に声を掛ける。
「私とローランドで遠くからやっつける?」
「魔力が全快ならそれで行けただろうがな……今の俺達じゃ魔力切れが先に来る」
「母さんは、魔力が足りない時は魔力消費を少なくする魔法陣を書いてたりしたらしいよ、ローランドさん」
「それも普通にやれば地面に書かなきゃいけないくらいデカくなるし、時間が足りない。小さい簡易魔法陣もあるが、ミリでもズレたら効果が消えるし難しくて俺は書けない。サラッと書けちまうレイチェルさんが凄いんだよ」
「うーん、そうか……」
頭を悩ませるミシェルの先刻の台詞を聞いて、私は一つの事を思い出していた。
この一ヶ月の間に一度、レイチェルから魔法陣型のトラップがあると聞いたことがある。
一つ思いついた事がある――魔法陣は書けないので無理だが、トラップの方で思いついた。
自らのポケットを確かめる――固い感触を確認。
異世界に来てからずっと電源を切ったままだが、外出する時はいつも持ち歩いていた。
暴漢にでも出会した時に「これ高価なモノなので見逃してください!」と差し出し逃げる為の防犯用だ。使うことは無かったが。
――ポケットから取り出した機械の板。そう、スマートフォンだ。
一回ふっ飛ばされた時に壊れていないかは心配だが、電源を付けてみれば分かる。
電源は付いた。久しぶりに見た液晶画面の点灯。
周りの視線もこちらに向く。
「なにそれ」
「何してるの? ハジメ」
「スマートフォンって機械……ちょっと思いついた事があって」
人間は想定外の事や理解の及ばない事が起きると混乱し取り乱してしまうもの。
ローランドの一人言から聞いた情報を信じるならベテランだけでなく素人も混じっている。
素人が混乱し始めたらベテラン勢は先ずそれを落ち着かせようとするだろう。
三人もビックリしてしまわないように事前に作戦を伝え、了承を得た。
スマートフォンを開き木陰に隠れながら、相手が近づいて来るのを待つ。
そして二十以上の集団が近づいて来るのが見えた。
どんどんと近づいて来て、その距離が三十メートルくらいになったタイミングで私はスマートフォンを動かしローランドへ手渡す。
そして草陰に隠れるローランドは素早くスマートフォンを原っぱに滑らせながら投げ飛ばし、集団の近くまで滑って来たところで――始まった。
「――――――――――ッッッ!!!」
突然森の中に響き渡る轟音。叫び声。楽器をかき鳴らす音。突如鼓膜を震わせるその音に、集団は立ち止まり、一部の者たちが「ヒィッ!?」とパニックを起こし始めた。
音を操る能力――ではない。スマートフォンに入っていた音楽の一つだ。
ロック系のアニソンで、特に曲調が激しくなる手前の部分で一時停止。
停止させたまま待機。
近づいてきたタイミングでローランドに手渡し、(事前に操作方法を教えた)最大音量にしてから再生後に手早く投げてもらう。
結果、激しいロックがスマートフォンからかき鳴らされた、という流れだ。
これも場所が違えば相手はあそこまでビックリしなかったろう。だが、森の中で突然人間の叫び声や楽器の音が轟くなど異常事態だ。
集団の集中力が、一斉に途切れた。
先ずはローランドが単身接近。
本来なら直ぐに対応出来ていただろうが、森に轟く轟音によって足音が消え接近に気が付くのが遅れた様だ。
ミシェルが防御魔法で私とアメリアを守り、ローランドは敵集団の真ん中で一発限りの魔法を放つ。
「ライトニング・フラッシュ」
青白い閃光と共に広範囲へ放たれた雷撃。
アイザック相手に放たれたモノよりは威力が落ちていると事前に語っていたが、私の目には充分に見えた。
集中力が乱れ対応も出遅れた集団全員が雷撃に巻き込まれ、悲鳴が聞こえた。
私達は今回もミシェルのおかげで無傷だが巻き込まれたらと考えると恐ろしい光景だ。
ローランドの一発により集団の半分以上が地に伏す。
残る十名程度が負傷した身体を動かして飛びかかる。
「やらせない」
そこへ飛び込んだのはアメリアだ。
彼女はローランドの横に立ち、周囲へ旋風を巻き起こした。
「サイクロン」
自身とローランドを台風の目にして強風を周囲に巻き起こす。
風の衝撃吹き飛ばされた者達は地面や高木へと衝突し更に数が減る。
アメリアもその一撃で魔力を使い切る。
残るは黒いローブの四人だ。
「――後は俺達がやる」
残るなけなしの魔力で障壁を身に纏ったミシェル、そして剣を抜いたローランドが黒いローブ達と対峙する。
「剣はあくまで魔法の補助だからそんな上手くない」と事前に語っていたが、しっかり渡り合えているローランド。
相手の魔法を避け、対応しながら二人を斬り伏せる。
そしてミシェルも高い身体能力と格闘戦で二人同時を相手に戦っていた。
左手を盾にしながら右拳で反撃し、隙が出来たタイミングに連撃を叩き込み、彼も二人を撃破。
二十数名の刺客は、森の中にて全滅した。
「……あれは?」
空を見上げると、天に何かがいくつも打ち上がっていた。ロケット花火のような青い煙だ。
それを見てアメリアとミシェルはホッとした顔をして、ローランドがその煙の正体を口にする。
「あれは、軍の作戦終了の合図か……街の中の騒動も、片付いたのか……?」
「……じゃあ、もう、終わったの……?」
アイザックの存在が気掛かりだったが……大丈夫だ。
クラウスと、アンナと、シュタールと、誰よりも頼れる大人達が居るのだ。
彼等に掛かれば怖いものなどない……その証拠に、騒動が収まった合図も打ち上がっている。
解決して、終わったのだ。
……そう信じたかった。