十三話 プロローグの終わり
それはゲオルグがクラウスの実力を確かめる為に襲撃を仕掛けた二週間後の事だ。
かつて魔王軍に残されたある特別な移動手段により白髪の男ゲオルグ、水色髪で角を二本生やした鬼族シズクの二名は海の向こう側の別の大陸へと渡っており、広大な森の中を歩いていた。
森の中を進んでいる目的は水の調達だ。
周囲からは獣の視線や気配を感じるが、向かって来るものはほとんど居ない――勝てない相手にわざわざ自ら攻撃を仕掛ける事などはしない。
「――ゲオルグ様」
「あぁ。わかっている」
シズクが小声で呼びかけ、その理由はゲオルグにもわかっている。
獣ではない――彼等を恐れていない視線と気配があった。
シズクは刀の柄に剣を置き、ゲオルグは真っ直ぐ歩き続けながら、気配へ声を掛ける。
「誰か居るのはわかっている。出て来い」
その呼びかけに、意外にも気配は素直に応じた。
「ま〜ったく、バレちゃあ仕方ないなぁ」
何とも軽い雰囲気の声で木の枝から飛び降りながら現れたのは、全身黒づくめの衣装を着た道化の仮面の男だ。
「また会ったねぇ、ゲオルグ」
「……アイザックか」
「斬りますかゲオルグ様」
「ちょっとちょっといきなり過ぎないかい、シズクちゃん? 僕怖いよう」
本気の殺気を向けられてもなお微塵も余裕の態度を崩さない。この男は昔からそうだ、常に態度が飄々としており本心が全く読めない。
刀の柄に手を掛け出会った瞬間斬りかかろうとするシズクを制しながら、ゲオルグは問いかける。
「何をしに来た」
「君達こそ、何をしてるのかなぁ? せっかく僕が『神の使い』に誘ってあげたのに、途中で抜けて何かコソコソしてるしさぁー」
しかしアイザックは質問を質問で返す。
態度や口調は相変わらず軽いがこちらを探っているのであろう事は仮面越しでも理解できる。
「抜けたも何も、初めから所属したつもりは無い。どの様な組織かを確かめる為に何日か居座っただけだ」
「タダ飯をくれるというから何日か居候しただけです」
「シズクちゃんの発言はいったん置いといて……そうだね、ゲオルグ乗り気じゃなかったもんね。まあ所属する気がなかった事はイイんだよ。ただ、こっちも君みたいな厄介な奴に邪魔されちゃ困るからねぇ」
飄々とした口と対照的に鋭い視線を突きつけながら、更に言葉を畳みかける。
「まさか、英雄クラウスに会いに行ったりしてないよねえ?」
「…………知らんな」
「ゲオルグ嘘つくの下手すぎでしょー。まあ、そこが僕は好きだけどさぁ」
嘘は一瞬で見破られたが、アイザックから怒りの様な感情や殺意は今のところ感じられなかった。
それくらいなら何とも思っていないのか、予測の範疇だから特に何も感じないのか、上手く本心を隠しているのか、それとも何かしらの企みがあるのか……
「ま、ゲオルグはクラウスと仲良かったもんね。会ってちょっと世間話くらいなら別にいいんだけどさっ」
アイザックはケラケラと笑いを浮かべた後、「それよりも」と話題を変え。
「二週間と何日か前かな……僕達日本人の召喚をしようとして失敗したんだよね」
「そうなのか」
「召喚用の魔法陣が誰かに書き換えられてる形跡があってさ。ゲオルグ、知らない? てかゲオルグ達が邪魔したんじゃないよね?」
「私は知らんな。シズクは?」
「もちろん知りませんが」
「ふ〜ん、二人とも本当に知らないって顔だねぇ……」
日本人の召喚と魔法陣の失敗、それは本当に二人には知らない話であり、介入した記憶などはない。
そもそもゲオルグは魔法陣の知識は基礎レベルしかなく、シズクは知識そのものがほぼゼロだ。
仮に気付いていたとして邪魔立て出来るほど詳しくはない。
「その魔法陣の妨害され方が、慣れた人間の技というよりは素人が上からぐちゃぐちゃに落書きしたレベルのもんでさ。もしかしたら犯人君等かも思ったんだけどぉ」
「知らん」
「知らんなら良いよ〜」
アイザックは適当としか思えない様な軽さでアッサリと納得し、話を切り上げる。
「……聞きたい事は終わりか」
「うん。一番聞きたかったのは魔法陣についてだからね、犯人じゃないのならもういいさ」
木にもたれかかり隙だらけにしか見えないだらけきった格好でそう答える――が、油断は出来ない。
そういうポーズをしているだけで、こちらが隙を見せた途端に急に変貌し首を斬り落としに来るかもしれない。
アイザックとはそういう男だ。
「警戒しなくても、犯人じゃないなら本当に何もしないって。本格的に敵対しない限り攻撃する気はないよ」
二人から向けられる警戒の視線をものともせず両手を上げて敵意の無さをアピール。声や気配にも本当に敵意を感じない……そこがこの男の厄介なところだ。
「もし怪しい異世界人を見つけたら教えてよ。報酬はあげるからさ」
「……要らん」
「あっそう」
返事がわかっていたかの様に笑い、男は軽快な足取りで近づいて来る。
反射的に鞘から刀を抜こうとしたシズクを手で抑えながらゲオルグは無表情のままアイザックへ視線を返す。
「最後にもう一度聞こう。僕に力を貸す気は無いかい?」
「……魔王軍を生み出した元凶、『神の使い』に属する気などない」
「そうかい。じゃあせめて僕らの邪魔だけはしないでもらいたいものだね」
「……」
「君のことはさ、割と本当に気に入ってるから」
男は普段よりも落ちついた音色で、一切の悪意も殺意も敵意もなく、そう語った――直後だった。
「――ッ!」
シズクは鞘から刀を抜き、アイザックの首を狙いふり抜いた。
それと同時に鋼が固いものにぶつかる衝突音が鳴り響く。
それは一瞬の間の出来事だった。
シズクの振り抜いた刀はアイザックの大きな腕輪に受け止められ。
アイザックが超人的な速度で手に持ち振るった短剣はゲオルグの首元に生成された土の装甲に阻まれていた。
そして、続くシズクの連撃を男は「ハハハッ」と笑い宙を舞いながら跳躍して後退し距離を取った。
「――どういうつもりだ、アイザック」
「良かった良かった、反射神経も衰えていない様だね!」
眉間に微かにシワを寄せながら問うゲオルグに、アイザックは手を叩きながら笑いマトモに質問には答えようとしない。
「ゲオルグ様、やはり今殺しましょう」
「あー、待って待って。もういいよ、僕本当にもう帰るから」
短剣をしまい、再び両手を上げまたも敵意の無さをアピールしながら続けて口を動かす。
「今のは警告さ。別にウロチョロしてるくらいなら何もしない……けど、もし僕らの邪魔をするなら、その首を落とす」
「……」
「じゃあね、ゲオルグ。君とは敵対しないことを……信じているよ」
そう言い、男は獣以上の凄まじい跳躍で高木の上へと姿を消して、次から次へと木を跳びながら渡り移って行く音がどんどんと遠ざかり――気配が完全に消えた。
――ああ言われたが、いずれ敵対する未来は免れないだろう。
ゲオルグとアイザックでは、考え方も生き方も違うのだから。
―――――――――――
私、神白はじめが異世界に来てから一ヶ月が経つ。
居候させてもらい、お世話になっているグランヘルム家で家事を手伝って、畑を手伝って、創造魔法の実験・練習をして、隙あらばゴロゴロして。
あと、文字を覚えてからは物語の書物を読むようになった。
ただ引きこもってダラダラしていた頃よりは、充実している様な気がしている。
グランヘルム家の皆ともこの一ヶ月で結構仲を深めたと思う。様々な経験をした。
クラウスとアンナに協力してもらいながら、お好み焼きやうどんなど元の世界の料理を作る事に挑戦してみて、盛大に失敗したり。
クラウスとレイチェルに指導してもらいながら現代兵器の『創造』の実験をしてみるも、玩具より酷い出来でプラモデルの方が頑丈な何かが出来上がったり。
庭でしゃがみ込み動かないアメリアを見つけたので心配になり声を掛けたら、迷い込んだ野良猫に猫語で喋りかけていたり。
私に聞かれても困ると思いながらミシェルの恋愛相談に乗ってあげたり。
色々な漫画本やフィギュアや自転車などを魔法で作ってウィルフレッドとルシアンと一緒になってはしゃぎ回ったり。
シュタールとカーリーの惚気話を聞いたりと。
色々あった。
本当に平和な日々だった、これがずっと続くと思っていた。
他にもまだたくさん……語りたい事はある。
けれどそれらは、また別の機会に語る事にしよう。
それよりも先に語らなければいけない事がある。
私が異世界に来てから一ヶ月経過した日。
それが、この家の食卓で九人全員と私が揃って食事をする最後の日だった。
――――――
その日、街中が騒がしかった。
以前から各地で相次いでいた小規模な事件がこの日、膨大な件数に膨れ上がり一斉に各地で暴力事件や強盗事件が発生。
住民達の顔は不安に塗れ、衛兵達も慌ただしく声を上げ走り回っている。
そんな異常な喧騒の中を静かに歩く一人の女が居た。
白いコートを身に纏い、一切の感情が消え失せた様な冷たい顔をした紫髪の女だ。
女はひたすら歩き、一つの『目的地』を目指す。
街を抜け、田舎の道へと切り替わり、畑で作業する者も見当たらない静か過ぎる村の中を歩いて行く。
しかしそんな周りの光景も一切意に介さず女は『目的地』のみを目指していた。
大きな畑の側を通り抜け、畑に隣接する大きめな屋敷の門の前で女は立ち止まる。
無感情な目で屋敷を見上げて、女はゆっくりと右手を正面に向けた。
そして、彼女は小さい声で口ずさむ。
「私の全ては――あの人の為に」
女を中心に吹雪が吹き荒れて強く光り――次の瞬間。
グランヘルム家の邸宅と庭は、大規模な氷の世界に覆われていた。




