一話 そうだ、学校休もう
目が覚める。
窓から照りつける朝日、身体は重たい、気分は今日も最悪だ。布団から出たくない。誰とも会いたくない。現実と向き合いたくない。
どこか遠い、知ってる人の居ない世界に行きたい。
「――学校行きたくない」
朝日の差し込む部屋、ベッドの上に丸まったままそう溢す少女。
二年生になってからは高校にもほぼ通わなくった引きこもり歴三ヶ月目の十六歳。
成績は中の下。運動神経は下の中。苦手なものは人付き合いとスポーツと空気を読むこと。
得意な事はゲームと漫画読み漁り、ネットでのレスバ、そして「めんどくさい」だ。
「はじめちゃん。もう八時よ、いつまで寝てるの。そろそろ起きなさい」
「めんどくさい」
部屋の扉越しに名を呼びながら声を掛けてくる母へ、朝から一発得意技をかます。我ながら情けない光景。小さい頃は父の警察官という職業に憧れヒーローごっこなんかしていたのが、今ではこの体たらくである。
「もう……学校は行かなくてもいいからせめて朝ごはんは食べなさい!」
「う〜……」
「お母さんももう仕事出るからね!」
「う〜……」
うめき声の様なものを上げながら渋々と布団から顔を出しゆっくりと腰を上げる。
両親は登校は強制しない、むしろ無理せず気が済むまで休めばいいと言われているのでお言葉に甘えまくっている。
不登校、引きこもりの原因には色々あるが、私の場合は家庭環境や学校でのイジメなどではない。まあ学校には大して思い入れもないし全然好きじゃないしむしろ嫌いだが。
じゃあ何故こんな状態なのかと問われれば自分でもよくわからない。たぶん色々なものが重なり合った結果の複合的な理由だろうが、言ってしまえば「何か色々めんどくさいから」だ。
ベッドから降りスマホを手に取るとラインが来ていた。数少ない友人からだ、心配してくれているのだろう。
しかし、何となく後ろめたくて未読スルーした。何と返そうかすぐに言葉が思いつかない。夜までには返そう。
玄関の開く音が聞こえて、パジャマのまま部屋を出て食卓へ向かうとテーブルにはラップを掛けられた私の朝食が並べられている。
椅子に腰を掛けスマホを弄りながら朝食を食べ始めた。
学校ではもう朝礼が始まるであろう時間に、ゆったりと味噌汁を飲みながらスマホで無料で読める漫画を読む。更に冷蔵庫にはデザートのプリンまで完備されている。
同級生が見たら「うらやましい」と口を揃えて言うだろう。
心境的には現状への焦燥感や周囲の人達への後ろめたさ、漠然とした不安が常に胸中を渦巻いているため、そんなに楽しめていないが。
朝食を終え食器を洗い、パジャマのまま自室へと戻りいつもの様にダラダラと一日を過ごす。
友人からのラインが脳裏を過ぎるが「気分が落ち込んでる時に返すよりちょっとでも気持ちが明るい時に返した方がいいだろう」という言い訳で自分を納得させ、メンタルのリフレッシュという名目でゲームを始める。
他の皆がどんどん勉強を先に進めて行く中、私はゲームでどんどんダンジョンを先に進めて行くのだ。
しかし複雑なダンジョンの中で道に迷ってしまい、更には厄介な罠や仕掛けが次々と出現しその歩みが止まってしまう。そして敵モンスターもやけに強く迷えば迷う程どんどんジリ貧になっていく袋小路。
まるで今の私みたいだ。
「ゲームの中でくらい気持ちよくさせて!」
誰に対してでもない一人言を愚痴りながらノートとペンを取り出す。流石に紙にメモを取りダンジョンの構造をまとめながらでないと攻略は無理そうだった。
勉強はよくサボる癖にこういう時はペンとノートを迷いなく引っ張り出せるんだなという自身へのツッコミを脳外へ叩き出しメモを取り始める。
ノートにダンジョンの地図を書いていたその最中、異変に気付く。
何だか部屋の中がやけに明るい感じがしたのだ。
「何……?」
いつも朝から昼間は照明をつけていない。
いつもなら明かりは窓から差し込む日光くらいだ。
なのに、今、部屋全体が明かるくなっている気がした。
椅子に腰を掛けたまま背後を振り向く――すると、わけの分からないものを目にした。
部屋の扉、そこに大きな落書きみたいな、漫画やアニメで見る魔法陣の様な何かの模様が描かれており、光を放っていた。
「……は……?」
光源の正体が目に入り、見覚えのないソレに硬直する。
確かに私には中二病の気はあるが扉にあんな落書きをした記憶は無い。怒られるし。
まさか自分でも覚えていない間に寝ぼけて落書きした……いや、つい先刻まであんなモノは無かったはずだ。光る意味もわからない。蛍光ペンを使っても光ったりしない。
頬を思いっきりつねってみる、痛い。夢じゃない。たぶん。
夢でもないとしたら、つまり、導き出される答えはもう一つしか無い――
「――ついに変な幻覚が見えるくらいやられたか……」
その答えに行き着いて早速スマホを手に持ちググって近場の病院を検索し始める。
流石にめんどくさがりな私でも幻覚症状は怖い、放置して悪化したりなど想像もしたくない。両親が帰ってきたら素直に話して早めに病院に連れて行ってもらおうと考えていたその時。
魔法陣の中央の模様が更に光の強さを増した。眩しい。流石にスルーできない。
「鬱陶しいなもう!!」
ノートを一枚破りガムテープとペンを持ち出して、特に光が強い魔法陣の中央に上からノートを貼り付ける。が、光る魔法陣は貼り付けたノートの上に浮き上がる。
「こうしてやる!」
更にノートの上からペンで黒く塗り潰していきうるさい光を遮ろうとしていたその最中、まるで対抗するように中央だけでなく魔法陣全体が強い光を発し始めた。
「うきゃぁっ!?」
突然の容赦なく強烈な光にペンを手から落とし変な声を発しながら反射的に両目を瞑る。
そして身体が急に金縛りに遭ったかの様に固まり動かなくなった。ポケットに入れたままのスマホに伸ばしたい手が動かない、誰かに助けを求めるための口も動かない。
何これ怖い。マジで怖い。
脳内がパニック状態に陥り、更なる強い光が放たれたのが分かり、そして――
目を瞑ったまま、五秒ほど経過しただろうか。
強い光は止んだ。身体の感覚が戻って来たのを感じる。全身から力が抜け、膝と手の平を下に着き草の感触が伝わり、深呼吸する。いったん落ち着こう。
――ん? 草?
「草っ!?」
部屋の中では無い感触に私は閉じていた両目を見開いた。
すると、そこに広がっていたのはありえない光景――
広がる大地と草原、遠くには立ち並ぶ木々と山々が見えて、天には青い空と白い雲に羽ばたく数匹の鳥。
風が髪を揺らし、周囲の景色を視界に入れたまま暫く硬直していた。
先程まで居たのは部屋の中。どう考えたって外ではない。
そして私が暮らしているのは郊外の住宅街。近くにこんな人工物が何も無い自然のみが広がる場所など無い。
じゃあこれは何なのか、この状況は一体何なのか。
「幻覚……にしては大規模過ぎる……夢にしては草と風の感触がリアル……」
パニック状態の頭で無理やり冷静に分析しようとするが、状況が訳わからなさすぎて余計パニックを起こしそうだった。
ポケットにスマホが入ったままなのを思い出し取り出す。そして現在地を調べようとするが……
「圏外」
ネットは繋がらない。母に電話を掛けようとしたが繋がらない。メールも届かない。そもそも電波自体が無さそうだった。
「何これ……何で……」
何一つ状況が掴めず、泣きそうになる。
そしてそんな現状へ更に追い打ちを掛ける様に、背後から何かの唸り声が聞こえた。
「グルルルル……ッ」
「ガアアアアッ!!」
獣感溢れる二つの声、最早嫌な予感しかしなかった。
恐る恐る背後へと振り返ると――
体長は私より一回りは大きい。額から角を生やし長い牙を口から剥き出しにした灰色の大きな狼が、更に一回り大きなこちらへ赤色の熊と牙を剥き出しにしながら格闘していた。
「ひぅっ」
その野性的すぎる血なまぐさい光景にマトモな声が出なかった。完全に頭が真っ白になった。
うるさい鼓動が聞こえて来る。全身が汗でビショビショだ。
もみくちゃになりながら格闘する熊と狼、震えながら傍観する私。
十数秒後、赤色の熊は逃げ出して、狼は私を無視し逃げた獲物を追いかけていった。
私は狙われなくて良かった――と、ホッとしかけたところで。
「キイィィーーッ!!」
続けて何かの大きな鳴き声が上空から地上まで渡り響いて来て、空気と鼓膜を盛大に震わせ、落ち着きかけた恐怖心を再び刺激した。
「――ッ!?」
心臓が止まるかと思うほどの騒音に遅れて耳を塞ぎながら頭上を見上げる。すると、その視界の先には――
「うわ、ぁ……」
プテラノドンだ。
全長八メートルくらいはありそうなプテラノドンが空を飛んでいる……いや、よく見ると違う、アレは鳥だ。
薄い羽毛が生えていて顔もよく見たら鳥っぽいし大きなクチバシがある。でも全体的なシルエットはプテラノドンっぽい。
そして、驚きはそれだけでは終わらなかった。
プテラノドンみたいな怪鳥の進行方向前方に、カラスを一回り大きくした様な黒い鳥の群れが出現。その時だった。
怪鳥は大きなクチバシを開き、甲高い鳴き声と共に空を震わせながら――喉から広範囲に広がる火を吐き出した。
炎に巻き込まれた黒い鳥の群れの七割程が焼かれながら遠くに見える森の中へと落下していき、残った黒い鳥達は蜘蛛の子を散らす様に逃走。
怪鳥は焼かれながら落下した多くの黒い鳥を追いかける様に森の中へと急降下していった。
あまりにも現実離れした光景に開いた口が塞がらない。
「何……あれぇ……」
角の生えた狼だけでなく、火を吐くデカい怪鳥……どう考えても、あんなの、日本に居るわけ無い。特に後者の怪鳥は地球全体探しても絶対居ないだろう、居たらもっと世界中で騒がれてる。
だが夢でも無さそうだった。夢にしては意識も感覚もハッキリし過ぎてる、再びつねってみるが普通に痛い。そしてスマホは相変わらず電波なし。
夢じゃない、地球でも無さそう、じゃあこの世界の正体は……
「別の、世界……異世界?」
いわゆる『異世界召喚』
ラノベやアニメでよくあるアレだ、私も見る。ファンタジーとか悪役令嬢ものとか好きだし。
「いやいやいやいや、あり得ないあり得ない……」
非現実的な考えだと自分の考えを否定しようとしたが、つい先程見たものがまさに非現実的な光景だった。
「でも……」
それにもし、本当にここが異世界だとしたら。
「……学校サボれる……」
家に居る間は正直、学校をサボりたい気持ちと家族や友人への罪悪感、後ろめたさ、将来への不安に板挟みになっていた。
けど、異世界に召喚されちゃったなら仕方ない。別の世界なら物理的に登校不可能だし。遠い場所なら悩んでたって仕方ないし。
そう、だからこれは正確にはサボりじゃない。
物理的に登校出来ないんだから仕方ないのだ。何も後ろめたい事なんて無いのだ。
だから私は悪くない。私を召喚して学校に行けない状態にした人が悪い。
「うん。私は召喚に巻き込まれた被害者なんだから私のせいじゃないよね。学校行けないのは。仕方ないよね」
自らの身に起きたことを都合よく解釈し、少し元気が出て来た。
私も異世界に行ったら〜とかの妄想は今まで何度もした事はある。それが現実で自分の身に起きたのだ。
さっきまでは怖かったが正直ちょっとワクワクもしてきたし、めんどくさいものから解放されたという気持ちも出てきた。
これなら学校とか将来とか周りの目とか気にせず暫く休めそうだ。
元の世界の事とか暫く忘れてしまおう。
「はあ……私、異世界来ちゃったのかぁ……困ったなぁ、一年は帰れないかもしれないなぁ……」
パジャマのズボンに着いた葉や砂を手で払いながら立ち上がり、困った風を口にしながらスリッパのまま歩き出す。
家族や友人の顔が浮かんだが意識的にそれに蓋をして前向きに考えてみる事にする。
異世界に召喚されたという事は何か理由とか私を召喚した誰かが居るはずだ。
しかし、だとしたらこんな人気のない自然のど真ん中に呼ぶのは少し意味がわからないので、何らかの事故とかそういう自然現象とかいう可能性もあるが。
とりあえず先ずは人を探そう。
人見知りで引きこもりな私でも流石に誰も居ない世界で生きるのは嫌だ。というか無理だ、普通に生きていけない。
広大な草原を通る草の生えていない一本道は恐らく人の手で整備されたものだ。つまり、この道を通って行けば人里に着けるはずだ。
見たことない花や木の実、虫や鳥を眺めながら真っ直ぐに歩いていた道中。
背後から「カチカチ」という何かを打ち鳴らす様な音が聞こえ脚が止まる。背中に寒気を感じて、また心臓の鼓動が大きくなり、そっと後ろを振り返る。
背後、視線の向いたそこに居たのは一匹の巨体。黄色い模様のある全身黒い蜘蛛だ。
八つの大きな脚を生やし、胴体には複数の赤い目と、横向きに開く牙。カチカチという音は牙を閉じる時の音。
「ひゅ……っ」
さっきまでのワクワクが一気に引っ込み恐怖心が再燃する。言葉が出ない。手足が震える。心臓の音がうるさい。
「い、いや、落ち着け、落ち着け……」
少しでも落ち着こうと自身に小声で言い聞かせる。
そうだ、落ち着け。
創作の世界なら、異世界に召喚されたら備わる事の多いチート能力、もしかしたら私にもあるかもしれない。
「そうだ……もしかしたら、とんでもない力が私に……」
何だかそう思ったらそんな気がしてきた。先刻の狼や熊が私に何もせずどっか行ったのも今の私がめちゃくちゃ強かったのを感じ取ったからかもしれない。
うん、何かそんな気がしてきた。
蜘蛛はまだ動いてこない……が、カチカチ音が明らかに激しくなっている。どう見ても友好的な態度ではない。敵意しか感じない。
なら、蜘蛛から何か攻撃をされる前に――私は右手を開き前方へ向け、叫んだ。
「燃え尽きろ! 紅い閃光! ファイアボール!」
魔法に必要なのはイメージだと二次元から学んだ。
長いオタク生活と妄想シュミレーションの日々で培われた想像力を働かせ、手の平から燃え上がる巨大な火の玉が生成され敵を燃やし尽くす光景をイメージする。
そして、そのイメージを具現化させるように手に力を込め――
……特に何も起こらなかった。
「――――」
頬に当たる涼しい風。
更に激しくなるカチカチ音。
何も出てくる様子の無い手の平。
沈黙。
熱くなる顔。
そして、蜘蛛が大きな脚を動かし私に向かい前進し始めた。
「ぎゃあああぁぁぁーー!!」
情けない悲鳴を上げながら走り出す。
もしかしたら身体能力は上がっているかもしれないと期待したが、運動神経も変わらずだった。走って直ぐに呼吸が苦しくなってきた。
「ぜぇ……ぜぇ……誰か、誰かぁっ!」
ふらつきそうな脚を必死に奮い立たせて走り、息苦しさを堪えながらなりふり構わず助けを求めて叫ぶ。
そうしてがむしゃらに逃げる道中、脚が何かに捕まり転倒してしまう。
脚には白い糸が絡まり巻き付いていた。
「いっ!」
顔面がぶつからないよう反射的に地に着いた手を擦りむいてしまう。尻を地に着け姿勢を直そうとするが、脚が糸に拘束されて立つことが出来ない。
「はあ……はあ……」
カチカチと牙を鳴らしながらジリジリと近寄って来る大蜘蛛。
恐怖に手足が震え涙が滲んできた。
狼の時とは違う、本当に、本能から死の危険を察知した。
身体はもう動かない、怖い、怖い、でも――死にたくない。
最近マトモに会話できていなかった父と、ズルズルと甘えてばかりだった母と、まだLINEを返せていない友人の顔が走馬灯の様に過ぎる。
何でこんな時に限って会いたい気持ちになるのか。
まだ死にたくなかった。
だから、まだ動く口を、できる限りの力で開いた。
「誰か、助けてえぇぇーーっ!!」
振り絞る叫び声。
正直その声は誰にも届かないだろうと思っていた。
――だが、その次の瞬間。
脚と蜘蛛の口を繋ぐ糸が横から飛んできた何かに斬られた。
「――え!?」
糸が斬られた直ぐ後。今度は炎の玉が飛んできて大蜘蛛の全身を焼き、苦しげに鼓膜をつんざくような悲鳴を上げる。
蜘蛛が鳴くのかとかツッコんでいる余裕もない。
更にその直後。
私の目の前に、一つの人影が現れた。体格の良い大人の後ろ姿。茶髪の男だ。
剣を右手に構え大蜘蛛と向かい合い、熱に苦しみながら迫ろうとするその巨体へ、男は1の字に剣を振るった。
その切っ先の軌道に合わせて大蜘蛛の胴体は頭から両断され、真っ二つに割れた胴体がその剣圧により地表を抉りながらふっ飛ばされて行った。
呆然と尻を地面に着けたままで居ると、横から二つの足音が聞こえて来た。
一人は三十代くらいの銀髪の女、もう一人は同じく銀髪の少年だった。
そして、私の目の前に佇む茶髪の男はこちらへ振り返り、声を掛けて来る。
「怪我は無いみたいだな。無事で良かった」
声を掛けられ我に返り、先ずは助けてもらった感謝を伝えなければと地面に座り込んだまま口を開く。
「あ、あの、ありがとうございます」
男はこちらの頭から足先まで目を通した後、再び口を開く。
「その外見、君は日本人だな。召喚されたのか」
「え、あ、はい……たぶん……」
その日本人を知っている口ぶりに驚きながら耳を傾けていると、更に驚く言葉を彼は続けた。
「俺の名はクラウス。……元日本人だ」
「……へ?」
元日本人?
「俺は一度死んで、この世界に転生した」
「は……!?」
――これが、私がこの異世界で最も深く関わる事になる家族との出会いだった。